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青銅器(8)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第3回その3

1 はじめに

 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度の受
講録。で、第3回ゼミの受講録その3。


2 本日のテーマ

 今日のテーマは「殷周時代の青銅器について」。
 内容は、
1.製作法
2.青銅器の誕生
3.器形・名称・用途
4.文様
5.銘文
6.地方性・・・・・の6項目。うち、「6.地方性」について、資料では「四川省三星堆、江西省新干県」とあったが、説明はなかった。

 順次、概要を紹介していく・・・ということでスタートしたのだが、今回は「3.器形・名称・用途」から。



3 講座内容の概要

3−(3) 器形・名称・用途

  O先生からいただいた資料には、器形が35種類記載されていた。
 泉屋博古館学芸員廣川守先生記載の資料のようである。

 以前、白鶴美術館に行った時、「青銅器の世界」というリーフレットをもらった。そこには用途を食器、酒器、水器、楽器に四分し、27種類の器形が紹介されている。

 また、『故宮』第1巻(NHK出版)の「皇帝と青銅器」という特別章では、阿辻哲次氏が17種類の器形を紹介しておられる。

 なお、武器についてはゼミナールの資料では説明がなかったので、『武器と防具 中国編』(著:篠田耕一。新紀元社)を参考とした。

 こうした記述を適宜おりまぜて、私なりの青銅器器形事典を作ってみたい。
 なお、後出する「圏足」とは高台、「自名」とは、その器自体に器名が記されているものをいう。

用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
食器

調理器

(てい)



春秋中期より蓋付きの鼎が出現。 耳が二つ付く。 円形の鍋。
肉や骨を煮てスープを作る。又はそのスープを温める。西周後半以降、大きさの異なる器をセットで作ることが一般化。

 

 

3本足。
円柱形と蹄足形が多い。
新石器時代から陶器としては出現。殷周時代は最も重要な青銅礼器として発達。 自名器あり。

 

食器

調理器
方鼎
(ほうてい)

  耳が二つ付く。 箱状の鍋。二里岡期、殷後期には大型品が多い。 4本足。ほとんどが円柱状。 二里岡期から西周前半期まで見られる。  
食器

調理器

(れき)
 


  耳が二つ付くものと、付かないものがある。 円形。肉を煮るほか、湯沸しにも使用された。 袋状の3本足。 新石器時代から殷周時代を通して陶器に多く見られる。 自名器あり。
食器

調理器

(げん)



  甑の部分には耳が二つ付く。 鬲の上に耳のついた甑(そう。こしき)が載った蒸し器。殷末から甑の底に可動式の「へい」(孔のあいた中敷)がつく。 袋状の3本足。 殷・西周時代は鬲と甑は一体化しているが、春秋以降分離できるようになる。 自名は獻(けん)。
食器

調理器

(ふく)
口には2個一対の耳がつく。
  口には2個一対の耳がつく。 深い直線的な胴の下部が急にすぼまった身に、圏足のついた器。北方民族特有の調理器。 圏足がつく。 中国北方では西周末期から五胡十六国時代に至る長期間で見られる。  
青銅器 食器・調理器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
食器

盛食器

(き)
西周後半期以降、口が内傾し、蓋がつく器が標準形式となる。


蓋の付かないものもあるが、西周後半期以降は蓋付きが一般的。 当初は耳がつかないものが多く、西周時代から耳付きが一般化する。
身の深い圏足付き丸鉢。 圏足が付く。圏足の下に短い足の付くものもある。
西周時代から方形台座の付くものが現れる。
殷後期から春秋まで見られる。 「き」(廏−广)と自名することが一般的。
食器

盛食器

(う)



  身の側壁に対の把手が付く。 圏足のついた深鉢で、胴が外に向かって直線的に広がる器。一般に簋よりも大形。    

自名あり。

食器

盛食器

(しゅ)


蓋が付く。 二つの耳が付く。 浅い隅丸方形に近い身に圏足、蓋、二つの耳がついた器。 圏足が付く。 西周中期から春秋にかけて見られるが、特に西周後期に流行。 自名あり。「き」(廏−广)と自名するものもある。
食器

盛食器

(ほ)


身と同じ形の蓋が付く。   圏足のついた逆方錘形の身に、それと同じ形にした蓋がつく器。 圏足が付く。 西周後半期に出現し、戦国時代まで長期間作られた。 「ほ」(匚+古)と自名することが多い。
食器

盛食器

(たい)


蓋も身とほぼ同じ形をとることが多く、蓋をすると球形の器になる。 一対の環状耳が付く。 半球形あるいはやや細長い半卵形の身に一対の環状耳と短い3本足がつく器。 短い3本足が付く。 春秋中期から見られるが、特に戦国時代に多い。 自名と考えられる例はあるが、特定できない。
食器

盛食器

(とう)
  春秋後半期以降は、蓋付きが多くなる。 春秋後半期以降は耳が付く。 側面が真っ直ぐ立ち上がり、底から鋭く折れ曲がる浅い皿に長い足が付く高坏(たかつき)。
春秋後半期以降は、深めの丸い胴に耳が付く。
西周期のものは透かし文様の付いた長い足が付くものが多い。 西周前期から戦国時代に見られる。
春秋後半期以降形が大きく変化。
数的に春秋後期から急増。
自名あり。「甫」や「匚」+「甫」の自名もある。
食器

盛食器

(しゅう)
  蓋が付くものが多い。   横断面が楕円形をしている浅めの鉢形器。 小圏足が付くものが多い。短い足が付くものもある。 春秋末から戦国時代に通じて流行。 「金」+「和」と自名するものがある。
青銅器 食器・盛食器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
酒器

盛酒器

(そん)
口がラッパ状に大きく開く。     肩が強く張り、腹との境が鋭く折れ曲がる有肩尊。
肩がなく円筒状の腹部をもつ觚形尊。
觚形尊は、卣とセット。
頸がくびれ膨らんだ腹をもつ觶形尊など。
高い圏足をもつ。 有肩尊は二里岡期に出現し、殷後期以降華南で発達。觚形尊は殷後期から西周中期。特に西周前期に発達。觶形尊は西周中期が中心。 なし。
酒器

盛酒器

(ゆう)
  蓋が付く。 大きな提梁が付く。 腹が強く張り、横断面が棗形をした壷。円筒や、頸の細長い円壷、動物形容器の例もある。   殷後期から西周中期まで見られる。西周期には尊とセット。 なし。
酒器

盛酒器

(い)又は
方彝(ほうい)
  大きな屋根形の蓋が付く。屋根頂部には大きな鈕。 西周期には大きな一対の把手が付くものがある。 直方体の身。
身、蓋の四方と中央に鰭飾りが付く。
圏足が付く。 殷後期から西周中期頃まで作られた。 なし。
酒器

盛酒器

(らい)

  蓋を持つものもある。 肩の辺りに環を嵌め込んだ耳が二つ付く。殷から西周中期にかけては腹下部にさらに耳が一つ付く。 頸が短く、強く肩が張り、底に向かってすぼまった腹をもつ器。圏足をもち、縦に細長い器を罍と呼ぶ。 圏足が付く。 戦国時代まで長期にわたり作られた。
自名には「罍」と「れい」があるが、器形分類とは一致しない。
酒器

盛酒器
「缶」+「霝」(れい)     耳が二つ付く。 頸が短く、強く肩が張り、底に向かってすぼまった腹をもつ器。圏足が小さく肩が大きく横に広がった器を「れい」と呼ぶ。 圏足が付く。 「れい」は春秋時代に出現。 同上。
酒器

盛酒器

(ほう)
  蓋を持つものもある。   広口で強く張った丸腹に短い頸と圏足が付く器。肩に犠首が付くものが多い。 圏足が付く。 主に二里岡期から殷後期まで作られ、西周前期まで残存。 なし。
酒器

盛酒器

(こ)
口は外に開く。 西周後半期以降蓋をもつものが多くなる。透かし文様など豪華な装飾の蓋も見られる。 頸や肩に耳が二つ付く。 外に開いた口に、長めの頸をもつ腹の張った器。腹横断面は楕円、円形、隅丸方形など。   殷後期から戦国時代まで見られる。西周後半以降円形、隅丸方形の器が急増。 あり。
酒器

盛酒器
扁壷
(へんこ)
    強く張った肩の所に一対の環をもつものが多い。 偏平な胴に細い頸と短い圏足が付いた器。 短い圏足が付く。 主に戦国時代から漢代にかけて流行。 なし。區(こう)などを名称とする説もある。
酒器

盛酒器
兕觥
(じこう)
口の一端に大きな注口が付く。 蓋が必ず付くが、注口側は獣面となる。 注口の反対側に把手が付く。 横断面が楕円形で、注口と把手が付き、全体が怪獣の形をした器。 圏足が付く場合が多い。 殷後期から西周中期頃まで見られるが、出土例は少ない。 なし。
青銅器 酒器・盛酒器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
酒器

温酒器

(しゃく)
口の一端は注口で、もう一端は強く尖った形。口には柱が付く。   身の一方に大きな板状の把手が付く。 深い筒形の身に3本の足と口が付く器。
底の形態は平底と丸底の2種類。
3本の足が付く。 二里頭期から作られる。殷後期に多い。西周時代には激減し、後半期には姿を消す。 なし。
酒器

温酒器

(かく)
口の両端の形に大きな違いはない。柱は付かない。     深い筒形の身に3本の足と口が付く器。『故宮』では飲酒器としている。 3本の足が付く。    
酒器

温酒器

(か)
外に開いた口には2本の柱が立つ。   口下から腹下部に大きな把手が付く。 深い筒形の身に3本の足と口が付く器。袋状の鬲足のもの、爵足に丸底、爵足に平底など様々。 3本の足が付く。 二里岡期から西周前期まで作られた。 なし。
酒器

温酒器

(か)
1本の円筒状注口が付く。 蓋付きが大半。西周以降は蓋と身が鎖でつながれるなど散逸しない工夫が見られる。 殷・西周時代は注口の反対側に大きな把手が付く。春秋以降は大きな提梁付きも出現。 丸腹に1本の円筒状注口がついた器。 3本又は4本の足が付く。圏足のみのものもある。 二里岡期から戦国時代まで作られた。 あり。
青銅器 酒器・温酒器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
酒器

飲酒器

(こ)
口がラッパ状に大きく開く。     口がラッパ状に大きく開き、「八」状の圏足をもつ筒形の器。腹は細長い頸と圏足の間の、細く短い部分。 「八」字状にふんばる高い圏足が付く。 二里岡期に出現し、西周前期まで見られる。殷後期に爵と共に大量に作られる。 なし。
酒器

飲酒器

(し)
  蓋をもつものもある。   頸と腹の境界に段がなく、頸がややすぼまり腹が膨らんだ形の器。横断面は楕円形が多い。   殷後期から西周前期にかけて作られたが出土数は少ない。 なし。
青銅器 酒器・飲酒器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 耳・把手等 本体
(胴・身)
時代 自名
水器
(い)
大きな注口が付く。   注口の反対側に把手が付く。 横断面が楕円形の浅い身の一方に大きな注口が、反対側には把手が付いた器。手を清める際に、盤とセットで用いられる。 4本足のものが多い。圏足付きのものもある。 西周中期以降、戦国時代まで作られた。 あり。「盥盂」(かんう)という自名もあり。
水器
(ばん)
口は非常に広い。     口が広く、圏足の付く身の浅い盥(たらい)。手を清める際、水を受ける。 圏足が付く。さらに3本又は4本の足が付くものもある。 殷後期から戦国時代まで作られた。当初は盉と、西周中期以降は匜とセットで用いられる。 あり。「般」という自名もあり。
水器
(かん)
広口。   口下から腹中央にかけて耳が二つ又は四つ付く。 広口で深鉢状の大型盥。水を入れる器。 短い圏足をもつものが多い。 春秋中期から戦国時代に作られた。 あり。「金監」という自名もあり。
水器 洗(せん) 広口。   耳のないものが「洗」(せん)。 広口で深鉢状の大型盥。水を入れる器。 短い圏足をもつものが多い。 春秋中期から戦国時代に作られた。  
水器
(き)
極端に注口が発達した器もある。   注口の反対側に大きな把手が付く。 足が大きな袋状で、注口と把手が付いた器。陶器に多く、青銅器にはない。漢代の鬹(柄付きの有蓋三足器)とは無関係。 大きな袋状の足をもつ。 大汶口文化や山東龍山文化など山東地域で作られ、二里頭期以降各地に広がる。  
水器 浴缶
(よくふ)
  頸まですっぽりかぶる蓋が付く。 肩に2個一対の耳か、鎖状の提梁が付く。 全体高に対する横幅が大きく頸が短い器。手を洗う水を入れ、勺などでくんだと考えられる。     あり。「盥缶」(かんふ)の自名もあり。
青銅器 水器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 形状 吊手等 演奏等 時代 自名
楽器
(しょう)
横断面がラグビーボール形で、下部両端が鋭く尖った釣鐘。 吊手が棒状のものを甬(よう)鐘、逆U字形のものを鈕(ちゅう)鐘という。 相似形になった大小多数の鐘で音階を形成する。下部中央と端寄りの2箇所を叩くことで2種類の音が出せる。 西周時代から戦国時代に大量に作られた。  
楽器
(はく)
鐘に似ているが下部が平ら。 吊手は薄い板状の逆U字形。 単独で出土する例もある。個数や大小は鐘ほど厳密な規格はない。 西周時代から戦国時代  
楽器
(どう)
甬鐘に似ているが、棒の部分が中空になっている。 棒部分が中空になって、そこに下から柄を指して用いる。 鐘とは逆さまに柄を差し込んで用いる打楽器。
当初は小型で複数作られたが、西周時代以降、特に華南で巨大なものが単独で作られる。
殷後期から戦国時代まで見られる。  
楽器
(しょう)
鐘の本体部分に棒状の柄が付いたもの。 本体に棒状の柄が付いている。 鐃とは異なり、木などを差し込むようにはなっていない。柄を握って叩く携帯打楽器と考えられる。 主に春秋戦国時代に作られた。 「鉦口」、「句鑃」(こうちょう)、「丁寧」などの称号あり。
楽器 ロ于
(じゅんう)
肩が強く張った筒型器で底がない。くびれた短い頸が付く。 上面は平らで中央に鈕がつく。この紐は虎の形をすることが多いので「虎ロ」ともいう。 打楽器の一種である。 春秋より漢時代まで作られた。 なし。
青銅器 楽器画像ページは、ここをクリック
用途 名称 形状 時代その他
武器
(か)
青銅製の刃を長い竹や木製の柄にほぼ垂直に取り付けた兵器。中国の戦車は3人乗りで、両側の2人が、敵の戦車とすれ違う際に敵の兵士に打ち込むか、引っ掛けて斬るという方法で用いた。 殷、周時代の軍隊の主力は戦車であったが、戈は戦車戦に適した兵器だった。よって、漢代に戦車が廃れるとともに戈も廃れた。
武器
(ぼう)
長い竹か木製の柄の先端に、尖った幅の広い両刃の穂先を取り付けた兵器。 戈と同じくらい古い伝統を持っており、戦車が廃れた後も穂先を鉄に変え、歩兵にも騎兵にも使用された。
より鋭利になり、刺すことに特化した槍が矛から特化したため次第に廃れた。
武器
(げき)
戈と矛の両方を組み合わせた形の穂先を持った長柄の武器。先端の矛に似た部分は「刺」、横に突き出した戈に似た部分は「援」又は「枝」と呼ぶ。
穂先には刺と援が一体型のものと、分離しているものとがある。
戟は殷代に出現し、周に入って多用されるようになり、戦国、秦、漢、三国、晋といった時代にも最も標準的な武器の地位を占めた。
穂先の素材は戦国以前は青銅が使われ、戦国末頃から次第に鉄が使われるようになった。
その後南北朝から唐代にかけてはまだ実戦用武器として扱われていたが、宋代では儀式においてのみ使用されるようになった。
武器
(えつ)
木製の柄に、幅が広く厚い刃が付いた武器。斧(ふ)も鉞も形の上での違いはない。
斧の大きいものを鉞という説や、王が使う斧や儀仗用の斧を鉞と呼ぶという説がある。
殷代に青銅器の鉞が使われたが、周代以降戦車戦が盛んになったため、実戦用ではなく、儀仗用となった。
斧・鉞は工具や儀仗用のほか、処刑(首斬り)用にも用いられた。
武器
(けん)
斬るか刺すための鋭利な刃を持った武器で、片刃の刀と違い両刃であることが特徴。両刃の剣身と、剣柄に大別される。
斬るよりは、刺すことが中心の武器である。
伝説上においても剣は最も古くある武器で、殷代の青銅製の剣が出土している。
戦国から漢代が剣の最盛期であったが、騎兵戦において「斬る」には両刃の剣よりも片刃の刀の方が適していたため、次第に実戦用から儀仗用に変わっていった。
青銅器 武器画像ページは、ここをクリック



3−(4) 文様

・・・・・という章に入るべきところであるが、現在でも非常に膨大になった。
 饕餮(とうてつ)やら何やらでまたまた膨大になりそうな次章「文様」に進むのもしんどそうなので、ここでいったん切ることにいたしたい。



 それでは、皆さんごきげんよう♪ 


 

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