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青銅器(7)平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」第3回その2
1 はじめに 平成16年度美術史ゼミナール「中国の青銅器」という講座の、備忘録程度の受講録。で、第3回ゼミの受講録その2。
2 本日のテーマ
今日のテーマは「殷周時代の青銅器について」。
内容は、
1.製作法
2.青銅器の誕生
3.器形・名称・用途
4.文様
5.銘文
6.地方性・・・・・の6項目。うち、「6.地方性」について、資料では「四川省三星堆、江西省新干県」とあったが、説明はなかった。
順次、概要を紹介していく・・・ということで前回スタートしたが、1でいっぱいになったので、今回は「2.青銅器の誕生」から。
3 講座内容の概要
3−(2) 青銅器の誕生
O先生のレジュメには
「”神々のための器具 礼器(らいき)・彝器(いき)” 自然神、祖神
西周時代・・・周公による”礼”の完成
統一王朝の王権の象徴
↓
諸国分立へ 」とある。
そして、講義では、
殷・周時代、青銅器は王族のため使用されるものであり、かつ、王族自身も実用(日常生活のため)に用いるものではなかった。
彝器の「彝」とは「常に」という意味であり、廟に常に置いておく器という意味である。
また、王族自身のものから、次第に家臣への下賜品へ変質(格下げ)していき、また、殷周時代は王族の専用器物であったが、春秋戦国の頃になると、各国でわたくしに造るようになっていった、という説明があった。
『故宮』第1巻(NHK出版)に、各時代の青銅器の特色について書かれていたので、抜粋を引用する。
時代 |
青銅器の特徴 |
殷(商) |
(第一章)
歴史は、三千年以上続いた新石器時代から青銅器時代に突入した〜青銅器は石器と違って、鋳型さえ作ればいくらでも武器が大量生産できる。
殷の青銅器は、その大半が酒器だった。酒器は祭祀を祝福するために作られた。
殷代の青銅器の特徴は〜その表面を埋め尽くした細密な紋様と大胆な造形にある。
殷代に入って〜鋳造技術の発達とともに青銅器は精緻になり、その使用目的と価値は変化した。
〜鼎が土器で作られていた時代、それは粟や黍(きび)を煮るための〜食器だった〜が青銅器時代に入って祭祀用の礼器になり、やがて王朝の権力を示すシンボルとなった。
殷の青銅器は美術工芸の極致といわれ、その高い技術力は後世にも真似のできないほど突出してすばらしかった。
殷はすべての鋳造工房を、官営もしくは王朝直轄とした。 |
周(西周) |
(第一章)
周代に入ると、青銅器には多くの文字が鋳込まれるようになった。殷代では王名や役職名を示したにすぎない文字が、周代では長い文章に変わる。
殷代の青銅器は猛々しく、奔放な空想力にあふれ〜おどろおどろしいほどに神秘的だった〜が周代になって、青銅器は質朴で土くさい形に変わった。〜青銅器もまた神々の器から土間の器に変化した〜。
〜青銅器には人びとの営みが記録されるようになった。〜周の青銅器は形がたしかにやさしくなっている。周の青銅器には、わきたつような生活のにおいがある。
(第二章)
殷のように神の力に頼ることをやめ、血のつながりによって国家を運営しようとした周が必要としたのは、整然とした秩序と、それを権威づけるための儀式だった。 |
春秋戦国 |
(第二章)
塩を運ぶ殷の人びとは、いつしか商人と呼ばれ〜塩とともに周の文化〜青銅器の製作技術や戦争の武器などが、各地にもたらされた。
春秋戦国時代になると、青銅の貨幣が盛んに鋳造されるようになる。
春秋戦国時代の大規模な青銅器製造工場〜それまでにない独特の特徴をもっていた。つまり、部分ごとに分かれた鋳型から、それぞれの部分を組み合わせて完成品を作るという技法〜分業制によって、複雑な形の青銅器の大量生産が可能になっていた。
周の初め、青銅器を作る技術は王侯貴族に限定されていた
〜殷から青銅器製作集団を引き継いだ周は、事あるごとに銘文を記した青銅器を諸侯に与え、自らの権威のよりどころとしていた。
〜ところが、この時代になると青銅器は各地で生産され、しかも商品として大量に生産されるようになってきている。
それまで銘文に名が刻まれるのは、貴族や王族だけだった。しかし、このころになると職人が名を刻むようになってきている〜。 |
秦・漢 |
(第三章)
殷の時代の青銅器は祭祀用の器として重んじられ、神や神に代わる想像上の動物が描かれていた。
春秋戦国の時代になると観賞用としての役割が増し、さまざまな動物が装飾として多く使われるようになる。
そして、秦の時代には実用品となり、不要な飾りは消えていく。
(特別章)
漢から南北朝にかけては、青銅器は瑞祥として地中から出現する、神秘的なものと考えられていた。 |
唐・宋 |
(特別章)
唐代では金石文字学の成果と呼べるものはまだほとんど見られない。
唐が滅び、それまでの価値観が瓦解した五代十国の戦乱時代を経過して成立した宋の〜時代には青銅器を古代の文字や歴史を考えるための文化的な資料として位置づける認識がもたれはじめた。 |
3−(3) 器形・名称・用途
・・・という章に入るべきところであるが、現在でもそこそこの分量がある。
そして、次の章は、器形の説明、つまり鼎とか爵とか、やたら長くなることが予測されるので、ここでいったん切ることにいたしたい。
それでは皆さん、次回までごきげんよう♪
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