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陶磁器ゼミ(18) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」総集編 「中国陶磁セレクション 〜美術史ゼミナールの成果〜」報告その2
★ はじめに
楽しかった美術史ゼミナールのゼミ生の皆さんと企画し、陳列した展示会の内容を、ごく簡単に振り返ってみたい・・・・・・の2回目。
それでは、二つ目の展示室に参りましょう。まずは、第1小ケースへ。
黄釉暗花 牡丹文碗(おうゆうあんかぼたんもんわん。景徳鎮窯。「大清嘉慶年製」刻銘。清。嘉慶期(1796〜1820)。高さ6.9、口径14.1)
本器の黄色はアンチモニーを呈色剤としたもの。 |
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外側面の牡丹唐草文や、見込みの二重円圏内の牡丹折枝文は、細い刻線の部分だけ釉薬が厚くなるため細かい文様が浮き出る暗花の技法で施されている。
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五彩 花卉文輪花杯・托(ごさいかきもんりんかはい・たく。景徳鎮窯。清代初頭。17世紀。杯:高さ5.2、口径8、底径3.7) |
菊の花弁状に型作りされた円杯と托のセット。見込みには花卉や、太湖石にとまる金鶏、内外側面には鶏頭・蓮花・菊などの花卉文で華やかに彩られている。
本作品の担当者の方が紹介された小野二郎明大教授の一文がおもしろかった。
教授は、アイルランドのとある田舎町で老婆が紅茶を受け皿からすするのを見かけ、イギリスの作家ジョージ・オーウェルの伝記で、彼は紅茶を飲む時、必ずカップから受け皿にあけて大きな音をたてて吹き、すすり込んだと書いてあるのを思い出したそうだ。
小野氏は、伝記に「労働者階級のやりかた」とあったので、オーウェルはかつてのイギリス民衆の生活伝統を真似たのであり、さらにはアイルランドの田舎ではそれがいまだに生き残っているのだと感心したらしい。
さらに、ディケンズの処女作『ボズのスケッチ集』という作品の挿絵の中に、ヴィクトリア朝の時代、下町の屋台で、受け皿から立ち飲みしている男の姿を見つけ、19世紀半ばのイギリス庶民の生活風景として確立していたのだという意を強くする。
ところが、氏は後にある展示会でルイ・マラン・ボネの「コーヒーを飲む女」(1774年)という版画で、フランス貴婦人とおぼしき女性がコーヒーを受け皿にあけているのを見る。
また、角山栄氏の『茶の世界史』(中公新書)で、1701年にアムステルダムで上演された演劇の中で、当時のオランダ貴婦人がティーパーティで受け皿から大きな音を立ててすすり込んだと描写されていたことを知る。
どうもヨーロッパで、紅茶やコーヒーを受け皿からすするというのは、かなり伝統ある生活習慣だったようだ。本器も輸出され、王侯貴族がティーカップとして使用していた可能性も強い。さて、受け皿も使われたのか、どうか。
なお、ティーカップに取っ手が付けられたのは、1775年頃から始まったそうだ。
あと、上掲の2点もあるのだが、時代や法量はよくわからない。
(↓ 以下、平成16年5月23日の追記)
昨日、先生にお会いすることができて、作品名だけは教えていただいた。
左が、五彩 仙人文盤(景徳鎮窯。天啓赤絵。明末期。17世紀)。
右が、天藍釉堆白 花鳥文輪花縁皿(てんらんゆうついはく かちょうもんりんかふちざら。景徳鎮窯。「乾隆年製」青花銘。清乾隆年間(1736〜95)。18〜19世紀?)
↑ 以上、追記終わり。
続いて、第2小ケースに。
色絵 石榴花文皿(いろえざくろもんさら。佐賀・鍋島藩窯。江戸時代。17〜18世紀)
いわゆる「色鍋島」。鑑賞記「色鍋島の美」もご参照ください。 |
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豆彩とは、青花で縁取りし、赤、緑、黄などの色釉で上絵付けした磁器をいう。
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豆彩 蓮池水禽文鉢(とうさいれんちすいきんもんはち。景徳鎮窯。「大清道光年製」銘。清。道光期(1821〜50))
なお、「豆彩」については、陶磁ゼミ(13)の注15参照。 |
続いて、小品ながら瀟洒な優品を。
豆彩 蓮花吉祥文杯(とうさいれんかきっしょうもんはい。景徳鎮窯。「大清雍正年製」青花銘。清。雍正期(1723〜35)。高さ3.2、口径7.3、底径3.8) |
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本器は、見込みが水平で、底部は碁笥底(ごけぞこ。撥高台などのように高くなっているのではなく、逆に、円くえぐるように低くなった形)。
蓮花の上に法螺貝、石盆、果物などの雑宝をのせた吉祥文。供物を鉢に盛った形とみて「五供養文」と称する場合もある。
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豆彩 瑞果文鉢(とうさいずいかもんはち。景徳鎮窯。「大明万暦年製」青花銘。明。万暦期(1573〜1620)。高さ11、口径22.5、底径9)
創始された成化期(1465〜87)の豆彩は小品が多いが、本器は大ぶり。 |
見込みには二重円圏内に石榴文が、外面の4つの花菱型窓には桃、石榴などの瑞花を、窓の間には宝相華折枝文が配される。
五彩 八吉祥文長方盒(ごさいはちきっしょうもんちょうほうごう。景徳鎮窯。「大明万暦年製」青花銘。明。万暦期(1573〜1620)) |
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上掲の豆彩鉢は、万暦期の作であるが余白の多いすっきりした作品であるが、本器はいかにも「万暦」らしい。はっきり言って、辟易するデザインだ。
それでは、続いてご案内しましょう。
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