康煕年間(1661〜1722)
※注2 |
後期過渡期様式(※注3)を発展させた青花・釉裏紅・豆青釉、南京赤絵(※注4)や日本の柿右衛門・古伊万里を手本とした貿易用の五彩(※注5)、清初の四王呉ツ(ごうん)風の花鳥・人物の上絵付のある五彩などが特筆される ※注6 |
素三彩(※注7)も釉薬改良で華やかになる。
イエローホーソン(黄地多彩磁)・ブラックホーソン(黒地多彩磁)が登場 ※注8 |
明代を手本とした白磁や、銅紅釉・黄釉・緑釉・藍釉・月白釉など発色の安定した単色釉の作品が焼造される ※注9 |
吹墨法(※注10)を用いた豇豆紅(桃花紅※注11)の文房具や琺瑯彩(ほうろうさい。瓷胎画琺瑯。ヨーロッパの銅胎無線琺瑯の技術を陶磁器に応用。※注12)は、康煕後半の官窯磁器として特筆される。 |
雍正年間(1722〜1735) |
宋代の官窯・哥窯・汝窯や鈞窯の倣製品、明代の紅釉・黄釉などを手本にした単色釉(※注13)は絶賛されている |
精巧な筆致で花卉・山水図を表し五言・七言の題詩を書き入れた琺瑯彩(=古月軒※注14)や豆彩(※注15)・粉彩(※注16)も歴代最高水準の作品が生まれ、秀麗なポリクロームの時代を形成
※注17 |
乾隆年間(1736〜1795)
※注18 |
針彫りのある夾彩、倣古銅器・倣木漆器などの陶磁器、西洋人物を主題とした琺瑯彩などがこの時代の特色 |
青磁や茶葉末(※注19)を初めとした単色釉の多用さには目を見張る |
清時代後期 |
嘉慶(1796〜1820) |
倹約を奨励して財政を緊縮したので、御器の生産量は減少 |
道光(1821〜1850) |
アヘン戦争などの外圧で国力は衰退。
寂園叟『匋雅』によると、時には精巧な作品も造られた |
咸豊(1851〜1861) |
太平天国の乱によって再び景徳鎮は破壊された |
同治(1862〜1874) |
御器廠が復興 |
光緒(1875〜1908) |
許之衡『飲流斎説話』によると、康煕・乾隆期の倣製品に精巧な作品が焼造された。
慈禧太后(西太后)の堂斎銘「大雅齋」のある夾彩作品 |
宣統(1909〜1911) |
袁世凱は1912年宣統帝を退位させ、政権を孫文の南京政府に委譲した。
清朝官窯陶磁の歴史が終幕 |