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(No228) 新春蔵出し!丸ごと立川談志 TV鑑賞記 その4  
          

 一昨年、2009年の正月にやってた番組だが、長いこと観てなかった。

 



立川 談志 「芝浜」


 かみさんが亭主を起こそうとするが、ためらって、髪を整え直したり、なかなか手を出せない。

 ついにどん!と突くがハア、ハア、ハアと息が荒い。

「何だ?どうしたんだよ」といぶかる勝公。
「商い、行っとくれよ」というおかみさんの声は消え入りそう。

「釜の蓋が開かないよ」というかみさんに、勝公は、おかしな手振りで応え「どうでぇ」とか言う。
 かみさんは「どうしたの?寝惚けたの?お前さんこそ大丈夫?」と返す。

 

「ゆんべのあれでよぉ。開けりゃあいいじゃねえか」
「どしたの?」
「だから、米でも何でも、んんん・・・でよぉ」
「はっきり言ってよ。何なの?」
「・・・・・・42両で開けてください」
「42両って何?」
「お金です」
「お金って何よ」
「・・・・ええ?おめえ、ちょいと行くのはいいが、そっくり行くのはひでえよ。

 だから・・・・・

 芝の浜行ったでしょ。
 42両拾ってきたでしょ。
 おめえに渡したでしょ」

「42両入ったせぇふを拾った?あんた、ずっと行ってないじゃないか。

 妙な夢、見たんだね。それで合点がいった。

 あんた寝ちまって、まあ、手荒な真似されてもいやだし、一日くらい我慢すりゃいいのかと思って、また我慢するのかって思ったけど。

 そしたらあんた、急に起きたかと思うと、湯ぅ行くって言って。忘れたとは言わせないよ。帰りに沢山連れてきて。
 うなぎや天麩羅誂えろって。あんた、あっはっはっはって笑いずめだったよ。
 あたしゃ、何か訳があるんだろぉと思って、そこらじゅう頭ぁ下げて、やっと帰ってもらったんだよ!

 拾った、拾ったって。拾った夢なんて。せめて稼いだ夢みなよ!

 どこにあんの?見たいよ!42両なんて金、生涯かかったって見られやしない。

 探そう!天井裏、縁の下。広い家じゃないよ。

・・・・・しっかりしとくれよ」
「だって、おめえ確かに・・・」
「拾ってきたの?そうすっと、このうちにあるの?

・・・・・・・お前さん、ことによるとあたしが猫ばばしたって思ってるの?」
「おめえがそんなことする訳ねえじゃねえか」
「誰かにやった訳じゃない。
 どうなの?」
「おめえが隠すわけはねえし、おめえがねえってゆうなら、探したってねえんだろう。
 だったら、それは・・・・・夢だよ。え?

 夢か?(黙ってうなずくおかみさん)夢だな。(はっと気づき)おっかあ!にっちもさっちも・・・・。どうにもなんねぇ・・・・もうだめだ・・・・。

 死ぬよ。おっかあ死のぉ」
「いいよ。死んでも」
「死にたくねえよ。どっか行こう。逃げよう」
「そんなことしなくても、働いてくれたらいいよ。やりくりはあたしがする。
 100日で何とかしてみせる」
「頼む、おっかあ!
(腿をばん!と叩き)俺ぁ酒ぇやめる。おめえに言ってんじゃねえ。自分に言ってんだ。

 明日からじゃねえ、今から行くよ。あっ!飯台は、タガぁゆるんではじけちまってるか?」
「水ぅ張ってるよ。昨日や今日、魚屋の女房してんじゃないよ」
「包丁は?」
「磨いといた」
「わらじは?」
「出てる」
「う〜ん
(腕組んで、頭抱える)・・・・夢ん中にもこんなのが出てきたんだよ。

 たばこは?・・・おう、ありがと。銭は?」
「何とかした」
「そうか。じゃあ、行ってくらぁ」

 よっぽどこりたんでしょうね。人間、そんな急に変われるもんかねって思うけど。

 3年にもなると表通りに店を出せるようになって、魚勝ってね。

 
 3年目の大晦日。今回の噺では、隠居のことを「いろんなこと知ってるね。ムダに年とってない。背中流してきた」と肯定的。

 火が乏しいのを「蛍のケツとまでは言わねぇが」なんて表現。

 こちらの借金は春まで待つことや、畳替えをすることは「おめえの考えで」とかみさんのことを尊重している。

 「畳と女房は新しい方が・・・・いや、女房は古い方がいい」と言い直して、かみさんが声を出さずに口だけで「バカ」と言い、勝公は自分のほっぺたをぺち!と叩いてみせる。

「おめえのおかげだよ。あめえに頭、下げてるんだよ」
「よしとくれよ。お前さんのおかげじゃないか」
「何ぃ?怒るぞ!」
「・・・・・・はい、すいません。私のおかげです」


 「百八つ」と勝公が言い、かみさんが唱和する。通常は2回ずつであったが、今回は3回ずつ繰り返し、口だけで無言でさらに1回ずつ。

 10日くらいは辛かったが、今では「飯の後のほうじ茶の軽さったらないな」と言う亭主に、かみさんは「そうゆうふうになるのかなぁ」とつぶやき、最後まで聞いてほしいと財布を取り出す。

 髪の毛をつかまれたかみさんは、必死に振りほどき、事情を話す。

  
「お前さん、あたしがそんなことするわけがないって、夢にしてくれて・・・・。
 もう嫌気がさして仕事に行かないだろうと思ったのに、あんた、それから箸のあげおろしのたびに、おっかぁ悪いな、おっかぁすまねぇって。
 雪の降る日も、あんた、風邪引くといけないから、お前はコタツに入ってろって。

 お金ももっと早くお下げ渡しになってたんだよ。でも、何だか出しちゃいけない気がして・・・・。

 でも、もういい。お前さんのもんだ。好きにしていいんだよ。

 お前さん・・・・・お詫びしたってしょうがない。うたれようが蹴られようが、その方が気が楽だ。

 話はこれだけ。・・・・・・・・・・・話はこれだけ。

 でも、お願い。別れないで。お前さんのこと、好きなの!!」

(目を手で押さえ)ちょっと待ってくれ!・・・・怖ろしい話だ。・・・・・・・偉ぇな。
 商いなんか誰が行くもんかと思ってた。棒手振りが何で・・・って話になって、十両盗んで首が飛ぶ、無事ではいられなかった。
 大家、偉ぇな。くそったれ大家なんて言ってたけど。夜が明けたら真っ先に礼に行こう」
「じゃあ、許してくれるんだね」
「野郎はバカだな。ありがとう」
「勘弁してもらっちゃったんだ。嬉しい。・・・・お前さん、私、お酒呑む。呑みたい。
 一緒に呑も」
「気が早いな。
 俺から言ったんじゃねぇぞ。お前が、呑めって。今だってやめられるぞ。

(杯を見つめ)久しぶりだな。
 いいのか?俺、呑んだら酔っちまうよ」
「酔っちゃえよ。ベロベロになっちゃえ」
「ありがと。・・・・・・・よそ。また、夢になるといけねぇ」


 『談志の落語(三)』(静山社文庫)の「芝浜」の家元自身の解説では、「景色を描くのも、表通りに店が出来たの、弟子が居るの等々全部カットした。スケッチとしての”勝つぁんの魚はいいヨォ”等の場面も要らない」とある。

 相当昔のMD鑑賞記の分では、”勝つぁんの魚はいいヨォ”も、弟子も入ってる。

 表通り・・・は、ここでも入ってる。

 で、同著では「で最近じゃア、この噂はまたゝ変わった。〜加えて、三年目の酒を亭主に勧める件(くだり)も、ふとアドリブで口から出た”ねえ、お酒飲も・・・・”と女房に言わせてみたのだ。これがいい・・・・。いいんだ。また自慢だ」とある。

 今回は、かみさんが積極的に呑もうとするパターン。


 こないだの談春では、三つのポイントで整理していた。
 すなわち、「何で夢にしたのか、なぜ出さなかったのか、どうして今出したのか。全部分かったよ」

 後、残ってるのは何で勝公が酒ばっか呑んで仕事に行かないようになったのかってとこ。

 今回、かみさんにもその疑問を勝公に直接問わせている。楽しそうじゃなかった、何かあったの?とも言わせている。しかし、明確にはなっていない。まあ、追求はしないんだろう。
 談志は、よく落語は人間の業(ごう)の肯定だと定義している。業って何だろ?理屈では説明できないことかな。
 今まで普通に仕事してたけど、何か、酒びたりになって仕事しなくなる。理屈に合わないけど、そうゆうことってある。
 だから、勝公が酒びたりで、仕事に行かなくなっちゃったのも明確な理由の解明は必要ないんだろうな。

 


 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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