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(No25) 京都国立博物館 「最澄と天台の国宝」展 鑑賞記 

 京都国立博物館では、10月8日(土)から11月20日(日)まで「最澄と天台の国宝」展が開催されていた。

 もうほとんど忘れてしまったのだが、チラシや図録を頼りに、備忘録として鑑賞記を綴ってみたい。



第1章 法華経への祈り

 伝教大師最澄上人は、806年(延暦25年)1月26日に、桓武天皇の公認を得て、比叡山に天台宗を立教開宗した。本展覧会は開宗1200年記念行事の一環である。
 仏画や彫像で、最澄は頭巾をかぶった姿であらわされることが多い。

 右写真は、7 重文 伝教大師坐像 (でんぎょうだいし ざぞう) 鎌倉時代 貞応3年(1224) 滋賀・観音寺。なお、冒頭の番号は図録の出展番号(以下同じ)。 

 本展覧会に出展されている 5 国宝 聖徳太子及び天台高僧像 平安時代(11世紀) 兵庫・一乗寺 でも、6 伝教大師像 室町時代(15世紀) 滋賀・延暦寺でも頭巾をかぶっている。

 いわば「ズキンヘッド」

 なお、右写真の坐像内の墨書銘により年代がわかる。『台記』という文書に久安3年(1147)に比叡山根本中堂に最澄の像が安置されたという記録があるそうだが、その像は残っていないので、本像が現存する最古の最澄像だということである。
伝教大師

  左下写真のうち、上部は 9 国宝 天台法華宗年分縁起 伝教大師筆 平安時代(9世紀) 滋賀・延暦寺。(下部は、132 重文 金剛界八十一尊曼荼羅図 鎌倉時代・13世紀 根津美術館)
学生式・曼荼羅  写真が小さくてわかりにくいと思うが、いわゆる『山家学生式』の一節で、天台法華宗の学生が守るべき項目が書いてある。

 写真でいうと7行目くらいから
国寶何者寶道心也有道心人名為國寶故
古人言径寸十枚非是國寶照千一隅此
則國寶
 〜」といった文章が続いている。

 ここは「国宝とは何者ぞ。宝とは道心なり。道心有る人を名づけて国宝となす」と読む有名な一節とのことである。
 たまたま『日本の佛典』(中公新書)という本を読んでいたら、最澄『山家学生式』のことを紹介していた。

 中国の故事で、魏王が斉王に、私は径寸の宝玉十個を有するが、斉王はどのような宝を持っているかと問うた。斉王は、自分はそのような宝はないが、他国に使すれば平和を保ち、社会の秩序を守れば人心をおさめ盗み心をおこさせない臣下を有する。彼らはそれぞれ役割を果たし社会の一隅を照らしていると答えたという。

 最澄はこの故事を引用して、道心を有し一隅を照らす人物こそ国の宝であると主張しているそうだ。 

11 国宝 光定戒牒 (こうじょうかいちょう)  嵯峨天皇筆 平安時代 弘仁14年(823) 滋賀・延暦寺

 弘仁14年(823)、最澄の弟子光定が一乗止観院で菩薩戒を受けた時の証明書。空海橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆といわれる嵯峨天皇の筆跡。
※ 写真は下部に。

 
34 
国宝 七条刺納袈裟 (しちじょうしのうけさ) 中国・唐時代(8世紀) 滋賀・延暦寺 

 いわゆる糞掃衣(ふんぞうえ)と呼ばれる袈裟で、本来は、人が捨てて顧みないような生地を寄せ集め、洗い清めて縫い合わせた僧衣をいう。
 本品は、裏地の墨書によれば、天台宗六祖の荊渓大師湛然(けいけいだいし たんねん)の袈裟で、中国天台山の仏隴寺(ぶつろうじ。最澄は、ここで湛然の直弟子である行満の教えを受けた)に伝えられたもの。
※ 写真は下部に。 

36 重文 犀角如意 (さいかくにょい) 中国・唐時代又は平安時代(8〜9世紀) 滋賀・聖衆来迎寺

 僧が法会の際に持つ法具。最澄が中国から請来したものといういわれがある。

※ 写真は下部に。  



第2章 法華経への祈り

 天台宗は法華経を教義の中心に据えた。
 法華経は、女性も成仏できるとしている(龍女成仏「提婆達多品」)ため、女性の信仰が篤かった。
 また、法華経の最終章では法華経を読誦し伝える者を普賢菩薩が守護すると説く。

79 国宝 宝相華蒔絵経箱 (ほうそうげまきえきょうばこ) 平安時代(11世紀末〜12世紀初頭) 滋賀・延暦寺

※ 写真は下部に。



第3章 浄土への憧憬

109 国宝 六道絵 鎌倉時代(13世紀) 滋賀・聖衆来迎寺

 本作は、黒縄地獄(こくじょうじごく)を描く。写真は左下。

六道・経箱・袈裟・戒牒 左写真 右上
34 国宝 七条刺納袈裟 
中国・唐時代(8世紀)
 滋賀・延暦寺

左写真 右下
11 国宝 光定戒牒 
平安時代 弘仁14年(823) 嵯峨天皇筆 滋賀・延暦寺

左写真 中央 
79 国宝 宝相華蒔絵経箱 (ほうそうげまきえきょうばこ) 平安時代(11世紀末〜12世紀初頭) 滋賀・延暦寺 

上写真 左 109 国宝 六道絵 鎌倉時代(13世紀) 滋賀・聖衆来迎寺



第4章 天台の密教

112 重文 薬師如来坐像 平安時代 正暦4年(993) 滋賀・善水寺

 薬師如来であるから、左手には薬壷(やっこ)を持っている。

116 重文 聖観音菩薩立像  (しょうかんのんぼさつ りゅうぞう) 平安時代(12世紀) 滋賀・延暦寺

 さて、ここで問題です。
 下の写真、左右はどこが違うでしょう?
蓮華なし 蓮華あり

 この写真、実は両方とも本展示会のチラシの写真。
 左の写真は、何と
右手に未敷蓮華(蓮の花の蕾)を持っていない
 誓って言うが、これは私が修正して造った写真ではない。(私にはそんな高度な修正技術はない。)
 図録に「左手で未敷蓮華(みぶれんげ)を執り・・・」とあるのに、スキャンした写真を見ると何も持っていないので、私は我が目を疑った。起きてた筈なのに寝惚けてるのか、と何度も見直した。
 このチラシ、たまたま2枚持っていたので見比べてみた。
 京博の会場でもらったチラシか、それともJRの駅などでもらったチラシか、今ではさっぱり記憶もないのだが、ともかく持物の未敷蓮華(もちろん、これは一体で彫り上げられたものではなく、別に造って手の所に差しているもの)を抜いた状態でうっかり撮った写真を使ったチラシが存在しているのだ。
 切手でいえば、いわばエラー切手みたいなものだから、将来値打ちが出たり・・・・・・するわけないか。

 


右写真 上
112 重文 薬師如来坐像 平安時代 正暦4年(993) 滋賀・善水寺

右写真 下右
36 重文 犀角如意 中国・唐時代又は平安時代(8〜9世紀)滋賀・聖衆来迎寺

右写真 下左
181 重文 日吉山王宮曼荼羅図 (ひえさんのうみやまんだらず) 鎌倉時代(14世紀) 奈良国立博物館

 

薬師如来・日吉宮曼荼羅・如意


毘沙門 127 重文 兜跋毘沙門天立像 (とばつびしゃもんてん りゅうぞう) 鎌倉時代(13世紀) 京都・青蓮院 

 柴門ふみの『ぶつぞう入門』で、東寺の国宝 兜跋毘沙門天立像について、「毘沙門天の股間真下から、にょっきり女人が顔を出しているではないか」と書いている。

 一方、本像の図録解説には「地天女上に立ち、尼藍婆(にらんば)、毘藍婆(びらんば)を従える姿は、国宝に指定される東寺像の忠実な模刻」とある。
  左写真では足元が映っていないので、股間の女性がご覧いただけなくて残念である。

 なお、本像の作者は快慶だとする説もあるそうだ。

132 重文 金剛界八十一尊曼荼羅図 (こんごうかいはちじゅういっそんまんだらず) 鎌倉時代(13世紀) 東京・根津美術館

下写真 左は、本図の部分拡大。全体図の写真は上部に。
曼荼羅・黄不動  本曼荼羅図は、東密(空海:真言宗)で多く用いられる現図曼荼羅の九会構成とは異なり、中心の成身会(じょうじんね)のみで構成される。

 なぜ「八十一」尊曼荼羅図というかといえば、九会曼荼羅における成身会では金剛界五仏(大日如来、阿閦=あしゅく如来、宝生如来、阿弥陀如来、不空成就如来)、四波羅蜜菩薩、十六親近菩薩、内外八供養菩薩、四大神、四摂(ししょう)菩薩、外院二十天の5+4+16+8+4+4+20=61体なのだが、さらに賢劫(けんごう)十六菩薩と四大明王(大威徳明王、馬頭明王、軍荼利明王、降三世明王)を配しているからである。

上写真 右
140 国宝 不動明王像(黄不動) 平安時代(12世紀) 京都・曼殊院

 智証大師円珍(814〜891)が感得したとされる黄不動の画像。原本は園城寺(三井寺)の秘仏。

 身体が青色でなく黄色く、体つきも童子形でなく筋骨たくましい成人男子になっているなど通常の不動明王像とは異なる点が多い。

 



第5章 天台の神と仏

181 重文 日吉山王宮曼荼羅図 (ひえさんのうみやまんだらず) 鎌倉時代(14世紀) 奈良国立博物館

 滋賀県坂本の日吉山王社は、比叡山延暦寺開創以来、一山の鎮守神、天台宗の護法神として篤い信仰を薬師如来であるから、左手には薬壷(やっこ)を持っている。

 いわゆる垂迹画(すいじゃくが)の宮曼荼羅等に関する解説は、仏画ゼミ(6)をご参照いただきたい。

 第4章のところにある写真は小さいので判別し難いと思うが、中央に神体山とされる八王子山(牛尾山)がそびえ、山麓一帯に、画面向かって左手の西本宮(大宮)、右手の東本宮(二宮)を中心に「山王百八社」と形容される多数の社殿が描かれている。図録解説には境内には山王権現の使いである神猿の姿が小さく描き込まれ・・・とあるが、図録の写真ですら判別し難い。

 これまた判別できないだろうが、絵の上部には山王二十一社に対応する本地仏を種字(しゅじ。漢字表記は図録のまま。「種子」かな?と思うのだが。仏の名称の頭文字を梵字で書いたもの)、本地仏、垂迹神像を3段対照式に描き、日吉社における神仏の習合関係を図示している。例えば左から8番目には、普賢菩薩の種子(梵字)、その下に「普賢」という文字が書かれ、普賢菩薩の像。さらにその下に「三宮」と書かれ、神像が描かれるといった具合。


第6章 京都の天台

 京都国立博物館では、約1年半かけて、60余りの京都にある天台宗寺院の文化財調査を行ったそうだ。
 ここでは、そうした京都の天台宗寺院の代表的文化財を展示していた。いわば、京都を延暦寺の巨大な門前町(・・・という要素もある)ととらえる考え方である。



 どうも長々とお疲れ様でした。リンクが切れていなければ、京博の「展示案内」で「これまでの展示」をクリックすれば、本展示会の主な展示物の画像が観られると思う。

 
  

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