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(No31) 京都国立博物館 8月27日平常展示 鑑賞記その1 京都国立博物館では、土曜講座というのを開催されており、8月27日(土)が、佛教大学文学部青山忠正教授による「龍馬暗殺をめぐる謎」という講義であった。
で、そのついで・・・と言っては失礼だが、平常展示を観に行った。
めちゃめちゃ遅まきながら、当時のメモを頼りに鑑賞記を。
博物館(展示室)に入るまで
博物館前は、花がきれいでした。
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何せ今、平成18年5月27日なんで、記憶も薄れまくっているのですが。 |
さて、いよいよ京都国立博物館に入る。
いやあ、正門というか、レンガ造りで美しいなあ。
ん?噴水の向こうにたたずむのは?
さて、平常展の内容を。何かメモが残ってたので、一応書いておきます。
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1階 考古(旧石器・縄文・弥生・古墳時代→第1室・第2室)
装飾付須恵器(そうしょくつきすえき)
古墳時代(6世紀) 荷物運び、相撲、鹿狩りなどの飾りがついている。名品紹介
1階 考古(奈良〜平安時代→第2室)
三彩釉骨蔵器 重文
奈良時代(8世紀)。いわゆる奈良三彩。名品紹介
金銅威奈大村骨蔵器(こんどういなのおおむらこつぞうき) 国宝
飛鳥時代(7世紀)。球形なのが珍しい。
金銅小野毛人墓誌(こんどうおののえみしぼし) 国宝
小野毛人は遣隋使小野妹子の子。名品紹介
金銅経箱(こんどうきょうばこ) 国宝
金銀鍍双鳥宝相華文経箱 国宝
1階 陶磁(日本→第3室)
<日本の陶磁>
色絵石垣文角皿
江戸時代(17〜18世紀)。尾形乾山の作。
色絵菊形釘隠・色絵扇形釘隠 重文
17世紀。伝野々村仁清。丸亀藩主京極家伝来。
鉄釉天目茶碗
仁清作。高台に「三玄」と墨書されているので、大徳寺三玄院に寄贈されたものと考えられる。
古清水色絵蓮華式香炉(こきよみずいろえれんげしきこうろ) 重文
伝仁清作。名品紹介
柿右衛門色絵象形香炉
17世紀。
鍋島色絵束柴桜花文皿
江戸中期(18世紀)。
鍋島色絵椿文皿
18世紀。いわゆる鍋島の特徴である櫛高台であった。
青織部扇型蓋物
桃山〜江戸時代(17世紀)。扇の形がおもしろいやきもの。名品紹介
古瀬戸灰釉壷
古瀬戸鉄釉
黄瀬戸
黄釉の上に緑や茶
練上志野風秋文字水指
鼠志野草文額皿
下地鉄錆に白釉
1階 陶磁(中国・朝鮮→第4室)
<中国の陶磁>
青花三国志文壷
明時代(15世紀)。曹操と関羽の出会いの場を描く。
唐三彩馬俑 重要美術品
唐時代(8世紀)。銭高衣子氏寄贈。赤土の上に白泥。連銭葦毛。
黒馬は珍しいそうです。名品紹介
青磁水注 重文
五代〜北宋時代(10世紀)。越州窯。
藤原道長が浄妙寺を建立した近くの、現在でいう宇治市木幡金草原で出土。「ひそく」(秘色)といわれる色合い。名品紹介
黒釉兎毫斑碗(禾目天目)(こくゆうとごうはんわん のぎめてんもく)
南宋時代(12〜13世紀)。建窯。
玳玻釉飛鳥折枝文碗(鸞天目)(たいひゆうひちょうおりえだもんわん らんてんもく)
吉州窯。南宋時代(12〜13世紀)
黒釉に灰釉を2度がけする。加賀藩前田家伝来。名品紹介
<朝鮮の陶磁>
白磁陰刻蓮華牡丹文瓶(はくじいんこくれんげぼたんもんへい)
高麗時代(12世紀)。名品紹介
鉄砂竹文壷
朝鮮時代(17〜18世紀)。
1階 彫刻(インド・ガンダーラ・中国。日本奈良〜平安→第5室・第6室・第7室)
千手観音立像 重文
鎌倉時代(13世紀)。湛慶 作。木造漆箔。京都妙法院(三十三間堂)。妙法院(もと蓮華王院)は後白河法皇が発願し、長寛2年(1164)に建立したが、建長元年(1249)に被災した。
再建の際の大仏師が湛慶である。
多聞天立像(たもんてんりゅうぞう) 国宝。
平安時代(11〜12世紀)。木造彩色。京都浄瑠璃寺。右手は棒、左手に多宝塔。火焔光背。名品紹介
十大弟子立像
鎌倉時代(13世紀)。うち、5体ほど。阿難は、顔が丸い。迦葉は眉の辺りが突き出した感じ。
薬師如来立像 重文
平安時代(10世紀)。木造漆箔)
京都長源寺。右手は説法印(人さし指と親指。)、左手には蓋付きのいれもの。
千手観音立像 重文
8世紀。木造彩色。京都光明寺。御物が後つけ。
菩薩立像
パキスタン・ガンダーラ。クシャン朝時代(2〜3世紀)。石造。
顔の彫りが深く、鼻の下の八の字鬚も立派で、およそ東アジア的ではない。
ヤクシー半身像
クシャン朝時代(1〜2世紀)。石造。
ヤクシーとは土着の精霊。豊満な胸。葡萄の実を持つ。名品紹介
1階 彫刻(鎌倉・仮面等→第6室)
広目天・多聞天立像 重文
平安時代(10世紀)。京都六波羅蜜寺。向かって左側の広目天は右手に杵。左手に槍。右側の多聞天は、左手に広目天と同じ槍を持ち、左手の掌に多宝塔を載せている。
両体とも輪状の光背。
良源(元三大師)坐像 重文
鎌倉時代(13〜14世紀)。京都正法寺。良源(911〜85)は、眉が太くて山なりで、「こち亀」の両津みたいな顔。
一鎮上人坐像 重文
建武元年(1334)。幸俊 作。京都長楽寺。もともとは呑海上人の像と考えられていたが、名前を記した墨書が見つかったため、一鎮上人(1277〜1355)の像とわかった。
鐙で蹴られたので鐙上人の異名があり、額にUの字形のくぼみが表現されているとのことである。
伝一鎮上人坐像
京都迎称寺。もともとこの像が一鎮上人で、長楽寺の像は呑海上人と考えられてきたのだが、長楽寺で、一鎮上人を示す史料が出てきたために、「じゃあ、こいつは誰なんだ?」と、何だかまがいものっぽいような扱いすらされてる気の毒な像。
宝誌和尚立像 重文
平安時代(11世紀)。京都西往寺。宝誌和尚(418〜514)は中国南北朝時代の伝説的名僧。梁の武帝が和尚の肖像画を描かせようとしたところ、僧の顔の下から観音様の顔が現れ、ついに描くことが出来なかったという故事を木造の仏像で表しているので、顔面が左右に分かれ、中央部から別の顔が覗いているという、何かエイリアンが人間の身体を食い破って出現するみたいな、えらいことになっている。
十二面 重文
京都京王護寺(東寺)。そのうち、展示されていたのは、伊舎那天、風天、帝釈天の三つ。名品紹介
1階 彫刻(大型→第7室)
阿弥陀如来坐像 重文
鎌倉時代(13世紀)。木造。京都正法寺。丈六。両手で説法印
阿弥陀如来坐像
平安時代(11世紀)。定印。展示室の左端。名品紹介
阿弥陀如来坐像
平安時代(12世紀)。来迎印。展示室右端。定印を結んでいる像より形式化しているので時代がくだり、12世紀・・・とあるのだが、私にはまだその違いはわからない。名品紹介
どうも長々とお疲れ様でした。
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