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(No30) 大阪市立美術館 「書の国宝 墨蹟」展 講演会「中国書道史と墨蹟」聴講記 

 大阪市立美術館で、4月18日(火)から5月28日(日)まで「書の国宝 墨蹟」展が開催されている。

 5月13日に中川憲一氏(大阪市立美術館学芸課長)による「中国書道史と墨蹟」という講演会があった。この講演を聴いてまいりました。


はじめに

知客 無準師範

 上記四角枠内は、当日会場配布のレジュメの内容である。(以下、同じ)

中川「知客とは、『ちきゃく』ではなく、『しか』と読みます。
 また、『無準師範』は、『むじゅんしはん』ではなく、『ぶしゅんしばん』と読みます。こうした読み方を知っていると、”ええかっこ”ができます」。



 



2.私の過去

1.室町水墨画
2.中国美術展シリーズ
  漢、六朝、隋唐、宋元、明清
3.墨蹟、禅僧
  書法、法書、書道、書

「私(中川)は、もともと水墨画を専門としていましたが、その後、大阪市立美術館に就職し、中国美術展シリーズを手がけました。
 今回の墨蹟展は、私にとっては20年ぶりくらいに念願のテーマの展覧会を企画したことになり、大変嬉しく思っています。」 





3.禅宗の系譜

4.教外別伝(きょうげべつでん)、不立文字(ふりゅうもんじ)、直指人心(じきしにんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)
5.師匠
6.釈迦(しゃか)
7.巧拙
8.釈迦 迦葉(かしょう):拈華微笑(ねんげみしょう)
  28代:禅宗初代→達磨(だるま) 面壁九年
      禅宗2代→慧可(えか):慧可断臂(えかだんぴ)
      禅宗3代→僧璨(そうさん)
      禅宗4代→道信
      禅宗5代→弘忍
      禅宗6代→慧能(えのう):頓悟
             神秀:漸悟

9.神秀 南嶽懐譲 百丈懐海 黄檗希運 臨済義玄 臨済宗
      青原行思 石頭希遷 薬山惟儼 洞山良价 曹山本寂 曹洞宗(道元)

10.臨済義玄 石霜楚圓 黄龍慧南 (栄西)
             楊岐方会 圜悟克勤

 レジュメから見ると、この辺を一番聴きたかったのだが、あまり説明がなかった。

 禅宗では、どうも系譜が重要になるようだ。
 


4.墨蹟の系譜

11.大慧宗杲 破庵祖先 松源崇嶽 曹源道生
12.無準師範 円爾(円爾弁円)
   道号、法諱(ほうき)、安名
13.蘭渓道隆 無學祖元 一山一寧

 この辺が、今回の展示会の中心になっているようである。
 法諱が、もともとの禅僧としての名前らしい。そしてある程度一人前になると師匠格の禅僧から法号をもらうそうだ。

「よく円爾弁円といいますが、そんなことを言う人がいたら『チッ、チッ、チッ(・・・と指を振り)、円爾は法諱のみで道号はないのです』と言うといいかっこができます。

 それと、法諱の下の方一字を道号の前に付けて呼ぶとプロっぽくていいかっこうができます。
 蘭渓道隆でいうと、隆蘭渓(りゅうらんけい)といった具合です」

 



5.墨蹟関係の用語

14.首座(しゅそ) 知客(しか) 蔵主(ぞうす) 維那(いのう) 都寺(つうす) 副寺(ふうす)
15.上堂法語 送別 道号 疏 額字
16.印可状 法語 尺牘 偈頌 遺偈
17.排骨麺 鍋貼 包子 上海博物館 単国霖
18.村田珠光(茶祖) 一休宗純

 この辺の用語についても、ていねいな説明はなかった。まあ、鑑賞記の本文では、必要に応じ、解説を載せておいたのでよろしく。

 



6.文人とは

19.嵐山光三郎 『文人悪食』 文士
20.科挙(かきょ) 官吏 文人宰相 為政者

 中川氏が言っていたことを要約すると、
嵐山光三郎が『文人悪食』という本を出したが、彼は文人と文士、すなわち小説家とを混同している。中国でいう文人とは、少なくとも高級官僚であり、為政者である。
 文人宰相という言葉があるが、これも日本ではせいぜい政治家の割りに文章がうまいとか、文学の素養があるといった程度の意味である。しかし、中国では文人とはもともと政治家であるから意味が重複している・・・といったところ。



7.書法の潮流とは

21.神田喜一郎 「中国書法の二大潮流」
22.唐鈔本(とうしゃほん)
23.阮元(げんげん) 「南北書派論」
24.王羲之(おうぎし) 顔真卿(がんしんけい)
25.形姿 精神
26.唐三大家 欧陽詢(おうようじゅん) 虞世南(ぐせいなん) 褚遂良(ちょすいりょう)
27.宋三大家 蘇軾(そしょく) 黄庭堅(こうていけん) 米芾(べいふつ)
28.趙孟頫(ちょうもうふ)

 中川氏の言っていたことを要約すると、
阮元は、中国では北方は石に刻んだ硬い感じの文字が中心。南方では、紙に筆で書く柔らかい感じの文字が中心と分類した。
 一方、神田氏は整った王羲之の書。そして、王羲之へのアンチテーゼとして、形にとらわれず熱情あふれる顔真卿の書。この二つの流れが入れ替わり現れるのが中国書法の二大潮流と位置づけている。

 中川氏の主張は、王羲之と顔真卿という固有名詞より「形」重視か「精神」重視と分類した方がいいのではないか。唐三大家は、「形」重視。宋三大家は「精神」重視。さらに、元の趙孟頫は「形」重視に戻った。

 いずれにせよ、中国は何か大きな流れが生まれると、それに対抗する流れも生じる歴史となっている。しかし、その点、日本では中国から王羲之の書が伝わるとそれ一辺倒。次に顔真卿の書が伝わると、今度はそればかり。日本で独自に、対抗しようとする動きはなかなか生まれてこなかった・・・といったところだと思う。


 中川氏は、冒頭、「私は横道にそれるのが大変好きなので、どうか、お聞きになってもふざけているとお怒りにならないでほしい」と断っておられた。

 しかし、私の後ろの夫婦などは「何を言ってるのか、聞き取られへん」と会場の人にまで文句を言いに行っていた。途中で退席する者、眠り込んでしまう者の多さは中川氏もお気づきと思う。
 ぼそぼそとした口調で、かつ関係のない話が多いので、聴いているのが正直つらかった。非常に生意気な言い方で申し訳ないのだが、中川氏はこれまでの知識や経験は立派なものであろうから、それを少しでも伝えてくれれば我々は感動するのに、何かその辺の真摯さにやや欠ける気がした。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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