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(No165) 京都国立博物館 特別展「上田秋成」鑑賞記 その2
第五章 画文の競演 42 肝大小心録 上田秋成筆 文化5年(1808) 天理大学附属天理図書館 晩年の随筆で、交流のあった歌人らを自在に語る。 この村瀬は風流がなく、大坂では評判の悪いことがあったので書いたものを欲しがる人がさっぱりいないとボロクソに書かれている。 絵については円山応挙が世に出て以来「写生」一辺倒になった。
第六章 神医谷川家と秋成
画像については、ここやここ。京博HPはここ(「展示作品紹介」をクリック。以下同じ)。
第七章 最晩年
大きく「上田無腸翁之墓」と彫ってある。 蟹形の台座は若冲作だそうだ。なお、無腸とは「蟹」のこと。
第八章 秋成ゆかりの京の画家
62 近衛家熙像 渡辺始興筆 百拙上田秋成ほか著 文化3年(1806)刊
65 煙霞帖 田野村竹田筆 文化8年(1811) 京都国立博物館 きらきらと艶のある小さな画帖に花鳥や山水が描きとめられたもの。「秋海棠図」の題詞から制作年が知られるが、その文化8年に竹田は生涯の友となる頼山陽と出会う。
67 鶏頭に蟷螂図 伊藤若冲筆 桂州道倫賛 寛政元年(1789) 鶏頭の茎は奇妙にねじれ、その上で両鎌を掲げ見得を切るのは蟷螂(かまきり)である。蟷螂は鶏頭のあまりの美しさにその場を離れられなくなったという意の賛がついているそうだ。
68 重要美術品 龍門図 円山応挙筆 寛政5年(1793) 京都国立博物館
73 重文 柳鷺群禽図屏風 呉春筆 京都国立博物館 右隻の屏風では多くのつぐみが枯木や岩にとまって、騒いでいる。一方、左隻の屏風では雀の群れが木にとまる中、一羽の鷺が飛び立っている。 私の観覧メモには「眼がいい」と書いていた。鳥一羽一羽の目が、根性がすわっているというか、生気のある良い眼をしていた。 私の敬愛する桂枝雀師匠が池田の地酒「呉春」をいたく好んでおられ、梅田の居酒屋「呉春」にも通っておられた。
74 重文 奥の細道図巻 与謝蕪村筆 安永7年(1778) 京都国立博物館 松尾芭蕉の紀行文『奥の細道』の全文を書写し、絵を添えたもの。何か小坊主が老人の腰の辺りをつかまえてる絵など詳細に読み解けば面白いのだろうが、よく分からない。
75 楊柳青々・一路寒山図屏風 与謝蕪村筆 安永6年(1777) 画像はここから。 金屏風に墨一色で描くのは珍しい手法のようだ。しかし、この作品は展示期間の関係で私は実際には目にしていない。
76 寒山拾得図 与謝蕪村筆 明和3(1766)〜5年(1768)頃 画像は京博HPのここで。 寒山拾得は、中国唐代の禅僧で奇怪な風貌や言動で知られるが、このように背中を合わせてへたりこんでいるふたりの図は他にあまり観た記憶がない。
78 重文 漁楽図 池大雅筆 京都国立博物館 画像はここで。なお、展示期間の関係で私は実際に会場で目にしてはいない。すみません。
79 重文 五百羅漢図 池大雅筆 京都・萬福寺
作家の上田秋成でどう展示を?と思っていたが交流のあった人物の作品などでうまくまとめていたように思う。
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