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(No160) 「聴いてみよう雅楽 見てみよう雅楽 知ろうよ雅楽」鑑賞記 その3

 



  休憩時間中、先ほどの巫女さん風の裏方女性が舞台設営をする。

 舞台向かって右端に座布団が手前から奥に向かって5枚ほど敷かれる。一番手前の所に例の「火鉢」風のものが置かれているので、おそらく、そこに笙の奏者が座るのであろう。

 左端には、手前に鼓、その後ろに太鼓。奥に鉦。

 それは良いのだが、舞台正面、手前に筝と琵琶が置かれたままになっている。前で演奏していては舞えないだろう。見る方も邪魔だし。

 時間が来て、またメンバーが出てきた。「何じゃ!これは〜!」と裏方の女性が怒られるのか・・・・と心配したが、楽器の紹介をするため、あえて舞楽では用いない筝、琵琶を残していたのであった。

 


 管楽器、弦楽器は初回に載せたので、以前紹介していなかった打楽器について、紹介しておく。

 鞨鼓(かっこ)は、台の上に乗っていた。写真はこのHPで。装飾が美しい。長いバチを使って叩く。


「鞨鼓は、雅楽では指揮者、コンマス(コンサートマスター)の役割をします。
 ですから、鞨鼓は楽団の中でもリーダー的な奏者が担当します」
とずいぶん尾崎氏を持ち上げる太田さん。

 横には、少し小さめの三の鼓が置いてあった。


 次が太鼓

 盆踊りで櫓の上にあるような長胴太鼓ではなく、薄い太鼓が金属製の枠にぶら下げられて直立する。金属製の枠の上部には炎のような飾りがつく。
 落語で出てくる「火焔太鼓」とは、このようなものか?

 画像は、先ほどのHPで。

「打ち方は左でちょん!と打って、右でどん!と打ちます。大きな流れを作ります」とのこと。

 試技をしてくれたが、安定が悪いのか、どん!と打つと、上の火焔飾りが揺れてしゃり!しゃり!しゃり!という残響音をたてる。あれでええんやろか?慌てて直そうとしてないとこみると、あれでええんやろうと思う。

最後は鉦鼓。画像は、これも先ほどのHPにて。

「鉦鼓は、太鼓の音を装飾するためのものです。いわゆる「あたりがね」、「すりがね」のようなものです。
 和楽器で金属製のものは珍しく、他にはチンドン屋さんが使う「チャンチキ」ぐらいでしょうか?」
とのこと。

 左写真は、大阪市HPから転載。

 当日の並び順とは違う。

 前半の「管弦」では、左写真前列の打楽器はなかったし、逆に後半の舞楽では、弦楽器はなくなり、舞台右端に管楽器が、そして、左端に打楽器が並んだのであった。



 さて、いよいよ舞楽が始まる。

太田さんからは、(管弦は、琴の「ちょん!」がきっかけでしたが)舞楽は、舞人が帰るまでは終わりではありません。舞人が引っ込んだら拍手をお願いします」と、またも拍手のタイミングのご教授があった。

 当日の解説資料で、舞楽と「蘭陵王」の解説があったので、要約して載せておく。

舞楽(ぶがく)

 左大臣・右大臣、左近(の桜)・右近(の橘)
などのように左右二組を基本とする平安時代の世界観にならい、伝来が中国系の舞楽は赤い装束をまとい、「左方」(さほう)、朝鮮系のものは青い装束で「右方」(うほう)と呼ぶ。

 舞は左方、右方の番舞(つがいまい)として左右交互に舞うのが原則となっており、ここから「番組」という言葉が生まれた。




 

蘭陵王

左方の舞(左舞)

 緋色の装束に身を包んだ舞人が、頭に龍をいただいた獰猛な面を被って、勇ましく舞い踊る。

 蘭陵王は中国・北斉の王で、伝説的な美男子で、周りの兵が見惚れて戦場の志気が上がらないので、面で顔を隠して指揮をしたといういわれがある。

 また、陵王とは竜王の意で、ベトナムの「竜王の喜び」という舞が伝わったという説もある。



 右写真は、大阪市HPより転載。

 右写真のような赤い服装で出てこられた。

  やはり、ゆうっ〜たりとした動きである。

 中央に立ち、右膝を上げ、右斜めに足を運び、さっ!と左足を添える。

 すぅ〜っと沈み込み、ゆっくり伸びる。いわゆるスクワットのような動きが続くので、静かではあるが、相当筋力を使うだろうなと感じた。

 右写真にもあるが、あの金属の棒は、「剣」を示しているのだろうが、ももの上にぐっと押さえて、持ち上げるなど、独特な動きである。

 曲名は、資料によると下記のとおりだが、詳しいことはよく分からない。

演奏次第

(1)小乱声(こらんじょう)、(2)蘭陵王序(らんりょうおうじょ)、(3)沙陀調音取(さだちょうのねとり)、(4)蘭陵王破(らんりょうおうのは)、(5)安摩乱声(あまらんじょう)


 


 

 お疲れ様でした。2曲目の踊りと、Q&Aに続きます。

 
 
  

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