移動メニューにジャンプ
(No13) 大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」鑑賞記 先日、大阪市立住まいのミュージアム「大阪くらしの今昔館」というところに行きました。
お目当ては、そこで開催された「中国の歴史都市と景観保全」という講演会で、それはまた「中国美術展」のコーナーでアップします。
講演会が始まるまで館内を見て回ったので、簡単に紹介します。
受付は8階です。エスカレーターでまず10階まであがると・・・・・桂米朝師匠の解説が流されている。
9階に、天保年間、1830年頃の大坂の町が原寸大で復元されているのだ。
ここ10階からは、その町並みを見おろすことができる。
写真右下の屋根の上にあるのは、明かり取り(採光)の天窓。
正面、白壁の土蔵の屋根の上に、さらに小さな屋根のように見えるのは、「煙出し」と呼ばれるもの。
写真左上で町会所(いわば自治会事務所)の屋根の上にそびえているのは、火の見櫓(やぐら)。 |
|
9階に降りて、街並みを歩く。
|
ここが町の入り口である木戸門。
夜になると閉ざされたそうだ。
ここの復元の時季としては夏、天神祭りの頃と設定されている。
よって門の両脇には祭礼の献灯が飾られている。
|
さて、木戸門をくぐって、町に入ろう。
木戸門からのぞく町並み。
道の両脇に軒を連ねている町家には幔幕(まんまく)が張られ、高張り提灯が飾られている。 |
|
町家はそれぞれ屏風飾りや「造り物」で祭り気分を盛り上げる。
|
小間物屋の店先に飾られているのは、化粧道具一式による、にわとりとひよこ。 |
通り入ってすぐ右側にあるのが風呂屋。
右の写真左下に見えるのが「高座」。いわゆる番台である。
洗い場は石敷き。
洗い場に何人か立って眺めているのは、「引き札」。
|
|
いわばお店の宣伝ポスターで、風呂屋のように人が大勢集まる場所に貼られる。
左下の写真も風呂屋の内部。
|
写真中央に見えるのが浴室への入り口。
湯気が逃げないように木の扉が半分おりたようになっており、そこをくぐって浴槽のあるスペースへ入る。
いわゆるざくろ口と呼ばれるもの。 |
ざくろの実が割れたところに見立てて「ざくろ口」かと思ったのだが、広辞苑によると、ザクロで造った酢で鏡をみがくことから「かがみいる」にひっかけたそうである。
やはり幔幕が張られた人形屋の店先。
いわばおもちゃ屋である。 |
|
商業スペースに続いて、生活スペースをのぞいてみたい。
庶民が暮らす裏長屋の玄関先。
玄関入って右。二口のへっつい(竃=かまど)が置かれている。
いわばポータブルコンロ。 |
|
玄関先で目を左に転ずる。
木の四角いおけは、「走り」と呼ばれる流し。
中にちらりと見えるのは、縄でできた、食器洗い用の「たわし」である。
|
走りの右に見える茶色い壺は、水壺。
大坂の井戸水は鉄気(かなけ)が多かったので、飲み水は大川(淀川)の水を「水売り」から買って、水壺にため、大事に用いた。
|
裏長屋よりもう少し立派な台所を。
写真右下に少しだけ見えているのは井戸。
写真中央に人の姿が見えるだろうか。
つまり、土間部分が、向こうの通りまで通じているのだ。
こうした表の通りから家の裏まで通じた土間を通り庭(とおりにわ)と呼ぶ。 |
|
右下の写真は、さらに立派な台所。
写真手前(右側)に見えるのが水屋(食器棚)。
その奥が四口もあるへっついさん。
さらに、その横に走り。その奥に水壺と一直線に並ぶ機能的構成。
いわば、江戸時代のシステムキッチンといったところか。
まさに古典落語の世界そのものである。
こんなところでおさきさんやおもよどんが炊事をしていたのだろうか。 |
|
では、落語「つぼ算」のくだりを『桂米朝コレクション』より。
「〜淀川の土砂がたまってできた土地でっさかい水の悪いところで、そこで水屋というのがありまして、飲料水を〜売って歩いたんやそうですな。一荷(いっか。一にない、つまり前後の桶二つ分)なんぼで・・・。それを買いますと、各家庭に壺があって、そこへ入れておきます。
『こんにちは〜あんたの近所に宿替えしてきたんや。
〜今度のうちは〜入ったとこから奥まで一間(いっけん。幅約1.8m)の通り庭になってる。
〜長屋はたいてい半間(はんげん)やろ。
〜その通り庭の突き当たりに、へっついさんが二つデーンと立派なんがあるのやが、今までの置きべっついと違うて、今度はちゃんと作り付けや。
〜今まで一荷入りの壺で小そうて不便やと思てたんや。これを良え機会(しお)に二荷入りの壺に買い替えたい〜』〜」 三つほど上の、裏長屋の台所の写真に写っている壺が一荷入りくらいなんだろうか。
再び祭礼用デコレーションなどを。
嫁入り道具一式の造り物の「獅子」。
箪笥が獅子頭。
手鏡を目と見立てる。
脚は箱枕。 |
|
天神祭りでは、様々な「地車(だんじり)」が曳行される。
|
左写真は、船形山車の「天神丸」。
大正15年以来所在もわからなくなっていたが、天満宮の倉庫の奥から75年ぶりに発見され、住まいのミュージアム開館にあわせて修復された。 |
祭りの時には、商家も陳列商品を片付け、家宝の屏風絵を飾る。
右写真は、薬屋の店の間に飾られた四季花鳥図屏風と金地杉図屏風。 |
|
それでは、あと少しだけ気に入ったやつを。
一番好きなのは、これ(左下写真)。
|
表通りから裏長屋に通じる路地の奥の方にぽつんと置いてある。
最初見た時、ほんものかと思ってびっくりした。
(色は少し違うが)これもまた、落語「鴻池の犬」を思い出した。 |
最後がこれ。
薬屋の便所。
二部屋に分かれていて、右が小さい方、左が大きい方。
小用の部屋の前に置かれているのが手水鉢(ちょうずばち)。
なお、この便所は上便所で家人や来客が使う。 |
|
写真には写っていないが、上便所の裏手には奉公人が使う下便所がある。
上便所は、上下駄が備えてあり、大小が分かれているのが特徴。
ところで「上便所」には「住まいのミュージアム」図録にふりがながうっていない。「じょうべんじょ」と読むのだろうか。
ちなみに上方落語では、旦那さんや御寮人さんの世話をする女中を「上(かみ)の女子衆(おなごし)」、そして丁稚や番頭さんの世話をするのを「下(しも)のおなごし」と言ったりするので「かみのべんじょ」とでも読むのだろうか?
8階は「近代の大阪」(ちなみに、9階は「近世の大坂」)ということで 明治以降の大阪が紹介されているのだが、さすがに9階のように原寸大とはいかないためか、通天閣ルナパークなどのミニチュアが展示されている。
やはり9階に比べ迫力不足は否めない。それで、特に写真も撮っていない。
|