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(No127) 奈良国立博物館 「第60回正倉院展」公開講座 「正倉院宝物とシルクロード」 聴講記 その4

 平成20年11月8日(土)に、奈良国立博物館工芸考古室長 内藤栄 氏の講演を聴きに行った・・・・の続き。
 


「正倉院宝物とシルクロード」 内藤栄



  最後に、天蓋について考察します。

 今回は、方形天蓋が出展されていますが、正倉院には八角天蓋も残っています。

 また、天蓋の骨(軸と腕木)も残っていますが、どの骨とどの天蓋が一致するのかは不明です。

 


 

 天蓋は古代インドの傘が起源と考えられてきました。

 これはサンチー第一塔南門内側のレリーフ(そのものズバリでないように思うがここここで。特に二つ目のは近いかも)です。

 国王と思われる貴人に丸い傘が差しかけられています。また、象にも傘が差しかけられています。これは象が尊いのではなく、象の頭のところに載せてある仏舎利が尊ばれています。

 これはアジャンタ石窟寺院の第19号石窟にあるストゥーパです。

 これは仏舎利に差しかける傘が一重だけでは畏れ多いということで、傘が三重になっています。

 この三重の傘が、さらに九重になったものが、日本でも五重塔の上の方にあったりする「九輪」なんですね。

 よく見ると五重塔なんかでも、九輪の下に、このストゥーパにあるような丸い部分があったりします。


 ここのHPでは、各国の仏塔や、九輪のことが詳しく紹介されている。

 

 


 あらためて正倉院宝物の天蓋を見ていきます。

 天蓋の骨(軸と腕木)で腕木が4本のものは方形天蓋に対応するものです。

 正倉院には八角天蓋が3点残っています。

 今回出展された方形天蓋を見てみましょう。

 周囲の垂飾(すいしょく。周囲で垂れ下がる飾り)が舌状なのが特徴です。こうした舌状の垂飾が方形天蓋の周囲には必ず付いています。

 ところが、八角天蓋には、こうした垂飾はあまり付いていません。垂飾があっても、それは1枚の帯状の布が付いているのであって、舌状に分かれていないのです。

 

 ここでは、口絵2「方形天蓋 外面」という画像が重要だと思う。今回も内面、つまり天蓋の内側というか下側というか、寺院で見上げる部分が展示されていた。外面ということは、天井側から見下ろさない限り見ることができない部分である。

 私は、八角天蓋というのは円形を表していると思います。例えば皆さんがお持ちの雨傘や日傘もきれいな円形ではないですよね。でも、それを円形と意識していると思います。

 ですから、八角天蓋は、古代インドの丸い傘に起源があるとみて良いでしょう。

 では、方形天蓋も八角天蓋と同じなのでしょうか。つまり、方形は八角の数を減らしただけであって、やはり円形をイメージしているのでしょうか。

 ここで参考になるのが、うちでも先日展示させてもらいましたが、飛鳥時代の法隆寺金堂西の間天蓋だと思います。

 舌状の垂飾が二重になっています。(左図1の部分)

 その下には三角形の垂飾があります。
(左図2の部分)

 三角形の垂飾と垂飾の間は、プリーツ(石野注 カーテンの裾の”ひだ”のような感じか?)になっています。

 つまり、これは帳(とばり)であって、四角形の天蓋は八角天蓋とは違うのではないでしょうか?

(石野注 なお左図4の「玉すだれ」みたいな部分については後述。
 また、「国宝 法隆寺金堂展」については、ここで。)


 これをさらに明確にしているのが松林寺五層磚塔出土舎利容器(韓国・統一新羅時代)です。

 周囲に4本の柱があり、三角形の垂飾がついています。(右写真参照)

 

 中国では残念ながら実物は残っておらず、石碑のみです。ですから裏側の様子などはわからないのですが、例えば宋始興造像碑(天蓋部分。574年:北斉時代。河南博物院所蔵)の彫刻をみると、やはり舌状や三角形の垂飾がみられます。


 それでは、いよいよペルシアですが、ペルセポリス中央宮殿でアルタクセルクセス王のレリーフを見ました。

 アルタクセルクセス2世の王墓なのですが、柱が彫刻されていました。しかし、残念ながら舌状や三角形の垂飾ではなく、垂れているのは玉すだれ状のものでした。


 内藤先生が示された写真は確か角柱だったので、上掲写真のようなものだったと思う。(内藤先生の写真は、このように斜め下から見上げたアングルでなく、正面からの写真だった)

 その写真で四隅の柱(上掲写真の1)を示された。
 そして、写真ではわかりにくいが、翼を広げた鳥のような文様(上掲写真の2)を示され、これはゾロアスター教の最高神アフラマズダであるといわれた。

 さらに、上掲写真の3を示され、残念ながら舌状や三角形でなく「玉すだれ」だと言われた。
 なお、この「玉すだれ」の部分は先ほど示した法隆寺金堂の天蓋の「玉すだれ」(写真中の「4」)にそっくりであった。 

 また、別の写真も示され、王族を象徴するライオンのレリーフなども彫刻されていることを紹介された。

 四本柱に天蓋というのが、ペルセポリスで確認できました。

 そこで、八角天蓋は、やはりインド起源である。しかし、方形天蓋についてはペルシア起源であるという新説を提唱いたしたいと思います。

 さて、それでは方形天蓋の舌状のベラベラは、そもそも何なんでしょう?やはり、それにも何らかのモデルがあって、舌状のベラベラになった筈であります。

 そこで、もう一度アフラマズダを見てください。
 鳥の翼、アフラマズダの羽と舌状の垂飾って、似ていませんか?

 さらに、この鳥の尾羽根の部分など。

 まあ、そこまで言ってしまうと言い過ぎでしょう。本日はこの辺にさせていただきます。

 

 

 上掲写真はペルセポリスのアルタクセルクセス2世の王墓である。

 内藤先生は当然これもご覧になっているだろう。それであれば、もっとズバリ!と断言してもいいのではなかろうか?


 上掲写真の上のところを抽出したのが左写真。

 「1」で囲んだ部分など、どこをどう見ても「舌状の垂飾」にしか見えないんだが。
 これを挙げずに、角柱の玉すだれしか挙げないというのは、専門家には、私のような素人には理解できない着眼点があるのだろうか?

 「2」も「柱」にしか見えない。もちろん、平面的レリーフでは1本しか見えないが、上に人物が乗っている以上は、これは当然奥行きがあるということだから、ここに柱が見えているということは、必然的に「四隅の柱」、「4本柱」ということになると思うのだが。

 

 また、すぐ近くにアフラマズダの尾羽根が見えている。(上掲写真「3」)

 この尾羽根は細長いのでイメージしにくいが、上の角柱の写真に戻っていただいて、角柱上部の大きな鳥の、足の間の尾羽根(三段に連なっている)を見ると、法隆寺金堂の二段に連なった舌状の垂飾と非常に似通っているように思える。



 ユーモアがあふれ、かつ示唆にも富んだ素晴らしい講演であった。

 講演が終った後、司会が「正倉院宝物には6本の傘があります。軸部の腕木を差す所が六つあるものがありますが、これはインド起源なんでしょうか?それともペルシア起源なんでしょうか?」という質問をされた。

 司会の人は、奈良博で内藤先生の後輩にあたる人(上司と部下の関係なのかどうかは知らないが)なのだろうと思う。
 冒頭の「イランに行かれた経験を活かして」とか「新説を紹介されるそうです」という言い方に、純粋なる敬意だけでなく、羨望や、やや「おちゃらかし」的な匂いを感じたが、この質問も少しそんな感じ(4本と8本を話題にしたけど、6本もあるよ。これはどうなの?って感じ)もした。

 で、そうゆう目で私がみているせいもあるのだろうが、内藤先生がやや憤然としたような感じで「そりゃ、インドでしょう!」と短く吐き捨てる(・・・・というと言い過ぎだが)ような感じで答えたのも「8本ってのは、要するに多角形は円形だって言ったんだ。で、方形については多角形=円形に入らないって言ったんだから、4を超えた六角形なら当然多角形=円形の範疇だろうが!それぐらい分かるだろうが!」って内心で言ってるようで、最後のやり取りも非常におもしろく感じた。
  


 いつものことですが、メモ間違い、記憶間違いはご容赦ください。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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