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(No115) 奈良国立博物館 国宝法隆寺金堂展 鑑賞記

 平成20年7月5日(日)に、特別展 国宝法隆寺金堂展の記念講演会を聴きに行き、その時にこの特別展を鑑賞したので簡単にメモを残しておく。



 

 右が今回の特別展の切符。

 当日であっても近鉄の営業所では前売り料金で手に入る。

 私は近鉄奈良駅の営業所で買った。200円安いですからね。

 今回の特別展は、法隆寺金堂の須弥壇(しゅみだん。仏像を安置する壇)を改修する機会に堂内の仏像や復元壁画を一挙に展示するもの。

 金堂の多聞天などは既に奈良博旧館で展示されていたが、「金堂に安置されてきた日本最古の四天王像(飛鳥時代)が、そろって寺外に出るのは今回が初めて」だそうだ。

 



 金堂といえば、焼失した壁画。1949(昭和24)年の火災で壊滅的損傷を受けた。

 この火災も、壁画の劣化、褪色がひどくなってきたので、模写作業をしている時に、画家が使用していた電気座布団から出火したといわれている(諸説あるようだが)。

 
金堂は昭和29年に復旧されたが、壁画は昭和42年に復旧がスタートしたそうだ。翌43年に壁画の復元は完成し、同年11月に開眼法要が営まれたという。 

法隆寺金堂再現壁画
第6号壁 阿弥陀浄土図 1面
(あみだじょうどず)
紙本コロタイプ印刷著色
縦309.0cm 横255.0〜262.6cm
安田靫彦(やすだゆきひこ)
羽石光志(はねいしこうじ)
吉田善彦(よしだよしひこ)
昭和43年(1968)
奈良・法隆寺
法隆寺金堂再現壁画
第10号壁 薬師浄土図 1面
(やくしじょうどず)
紙本コロタイプ印刷著色
縦310.0cm 横248.5〜254.4cm
前田青邨(まえだせいそん)
守屋多々志(もりやただし)
昭和43年(1968)
奈良・法隆寺
重要文化財

飛天図(金堂内陣旧壁画) 第18号壁 1面
(ひてんず〔こんどうないじんきゅうへきが〕)
土壁著色、縦71.5cm 横135.2cm
飛鳥時代(7〜8世紀)
奈良・法隆寺

※ この図は火災当時外されていて、焼損を免れたとのことである。

 



重要文化財
阿弥陀三尊像 3躯
(あみださんぞんぞう)
銅造 鍍金
像高64.6cm
鎌倉時代 貞永元年(1232)
奈良・法隆寺

※ 左(?)脇侍はギメ美術館に収蔵されており、最近復元されたもの・・・とあったが、よく覚えていない。
国宝
釈迦三尊像台座 1基
(しゃかさんぞんぞうだいざ)
木造 彩色
総高205.2cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺

※ 台座の絵は僧侶とか解説があったが、褪色がひどくよく判別できない。

 


 何度も言うが、法隆寺金堂といえば四天王だと思う。
 で、以前にも書いたが、四天王というとつい運慶、快慶とかの筋肉もりもりのリアルマッチョな仏像が・・・と感じがちだが、奈良博の旧館で法隆寺金堂の多聞天を観たとき、「これでええやん。これ以上いらんのんちゃう?」と感じた。

  鎌倉期の筋肉コテコテの、人間の身体、こんな風にはねじれへんやろ?こんな筋肉、盛り上がらへんやん?なんて思い始めると、けっこう飛鳥期のシンプルな四天王が好ましく思えてくる私であった。

国宝
広目天像(こうもくてんぞう) 1躯
(四天王像のうち)
木造 彩色・切金
像高133.3cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺
国宝
多聞天像(たもんてんぞう) 1躯
(四天王像のうち)
木造 彩色・切金
像高134.3cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺

※ 杖の上部に玉虫の羽根が残存しているそうだが、肉眼では(少なくとも私は)確認できなかった。
国宝
持国天像(じこくてんぞう) 1躯
(四天王像のうち)
木造 彩色・切金
像高133.3cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺
国宝
増長天像(ぞうちょうてんぞう) 1躯
(四天王像のうち)
木造 彩色・切金
像高134.9cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺
 チラシに載っている四天王の揃い踏み。

 会場には赤外線写真などが掲示されていたが、元もとのお顔はけっこう男性的でりりしいお顔だそうである。
 会場では四天王は横一列に展示されていた。

 柴門ふみさんの『ぶつぞう入門』で、2002年の話なのだが、奈良博で「東大寺のすべて」展が開催されたとある。そこで東大寺戒壇院の四天王が展示されていたようだ。

「入るなり、四天王が横一列に並んでいる姿が目に入る。トルシエもびっくりのフラット4。ふだんは戒壇院の四隅に置かれているので、このフォーメーションは珍しい」とある。

 今回は法隆寺金堂DFのフラット4である。

 なお、フラット4(フォー)とは、サッカーでDF(ディフェンダー。守備要員)4人が横一列に並ぶ戦術のことである。

 今回、四天王はガラスケースに入らず、「剥き身」状態のフラット4だった。なかなか仏像の「後ろ」を鑑賞するのは難しい。
 おかげで、各四天王の後ろのヒダヒダやら、踏みつけられている邪鬼のお尻やらをじっくり鑑賞できる得がたい経験ができた。

 飛鳥時代の仏像なんで正面だけしか気にしてないのか、後ろはほったらかしか?なんて思ったが、そうではなかったことに感動である。
 



国宝
毘沙門天像(びしゃもんてんぞう) 1躯
木造 彩色・切金
像高123.2cm
平安時代
承暦2年(1078)
奈良・法隆寺

出陳期間:6月14日(土)〜29日(日)

 

国宝
吉祥天像(きっしょうてんぞう) 1躯
木造 彩色・切金
像高116.7cm
平安時代
承暦2年(1078)
奈良・法隆寺

出陳期間:6月14日(土)〜29日(日)

 

 
 これが修正会のご本尊なのだろうか?なお展示日の制限の関係で私はこの二仏は観ておりません。


 

重要文化財
金堂西の間天蓋 1箇
(こんどうにしのまてんがい)
木製 彩色
幅242.5cm 奥行217.0cm
飛鳥時代(7世紀)
奈良・法隆寺

※ ちょっとアングルを変えたもの。

 



 駅などで配られていたチラシがこれ。

 


 金堂だけなんで、けっこう特別展は「あれ?もう終り?」って感じだった。

 で、引き続いて「特別陳列 建築を表現する 〜弥生時代から平安時代まで〜」へ。

陶製仏殿(御墓山窯跡出土)

伊賀市教育委員会

 

※ こんな建物のハニワがいっぱいあった。

国宝

華厳五十五所絵巻

※ 華厳経に出てくる善財童子がいろいろな所を訪ね歩くところを描いた絵巻。

 

 あと、新館で引き続き特集展示「繍仏と染織の美」が展示されていた。

 
中宮寺の、国宝 天寿国繍帳(てんじゅこくしゅうちょう)が展示されていた。前、中宮寺に行った時は確かレプリカしか置いてなかったと思う。

  画像は例えばここここここで。
 飛鳥時代につくられ、鎌倉時代に発見され、損傷が激しかったので模本がつくられ、江戸時代に原本と模本が綴りあわされたそうだ。上記リンク先でも書かれているが、現在観て、褪色がひどい方が鎌倉時代につくられた方らしい。
 特に中段あたりの衣服の黒っぽい色が鮮明に残っているのだが、あれが飛鳥時代の色なのだろうか。
 

 建築のところで国宝 信貴山縁起絵巻(飛倉巻)が展示されており「ええ〜??」とびっくりしたのだが、やっぱ展示品のレベルはすごい。


  あまり時間もなかったが、旧館の展示ものぞくことにした。

不動明王坐像

東大寺

 

 写真は載せていないが、一番びっくりしたのは観覧終了間際で最後の第13室に展示されていた「重文 木造 四天王立像 京都:海住山寺」。

 非常に鮮やかに着色されている。私は図録で本四天王を見かけたとき、何となく他の四天王と同じようにほぼ等身大なのかな?と勝手に思い込んでしまっていた。

 展覧会の図録にはちゃんと、「高さ35cm」とか明記されていたのに。

 で、実物を観たとたん、えええ?こんなに小さいのん??と感じてしまったのだ。




 


 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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