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(No126) 奈良国立博物館 「第60回正倉院展」公開講座 「正倉院宝物とシルクロード」 聴講記 その3

 平成20年11月8日(土)に、奈良国立博物館工芸考古室長 内藤栄 氏の講演を聴きに行った・・・・の続き。
 


「正倉院宝物とシルクロード」 内藤栄



  続いて、宝物について。

 まずは白瑠璃碗です。

 ササン朝ペルシア起源ということを探っていきます。

 ふかえしんじ東大教授のたどったデーラマーンへの道を私もたどりました。カスピ海の西南、山の上にあります。

 デーラマーンは盆地です。丘は共同墓地になっています。

(スライド)ここはハッサンマハレという場所です。そこら中、盗掘の穴だらけです。

 こんな山中で白瑠璃碗をつくっていたのでしょうか?やはりシルクロード貿易の中継場所だったのでしょうか。


 

 続いて白瑠璃瓶です。

 取っ手のところが突き出ていて、指を引っ掛けやすくなっています。

 


 次は平螺鈿背八角鏡です。

 螺鈿はヤコウガイです。
 琥珀はミャンマー産です。
 文様の合間にはトルコ石が配されています。

 図録には、文様について以下のように解説されている。

「鏡背は螺鈿の界線によって内外二区に分かれる。内区は、頂部に五弁花をあしらった紐(ちゅう)を中心に、その四方に大きな唐花文(からはなもん)、その間に小ぶりの唐花文をこれも四箇配する。外区も、八方に二種四箇ずつの唐花文をあしらい、うち弁端の翻転するタイプの唐花文には、各一対の尾長鳥がとまっている。〜文様と文様との間隙には〜白・青・緑のトルコ石をまく」とある。

(スライド)これは、ニシャプール近郊のトルコ石鉱山です。場所はイラン東北部です。

 トルコ石は苦労して発掘するようなものではなかったようです。地元では「歩いてたら落っこちてた」とゆうような話をよく聞きます。

 これは余談ですが、イラン人にとって「トルコ石」という名前は我慢ならないようですね。あれはイラン石だ。たまたまトルコ商人が運搬していたから、そんな名前になっただけだと怒っています。

 製法の研究については、例えばここで。



(スライド) これは金銅八曲長坏(こんどうのはっきょくちょうはい。画像はここでも)です。

 この長坏は日本製です。成分分析でそれが分かっています。

 


(スライド) これは刻彫尺八です。

 普通の尺八との違いは何でしょう?
(会場前方より「穴の数!」という声有り)

 雅子さまから「何故一つ多いの?」という質問をされて私は答えられませんでした。それで私の宿題となっていたのですが、先日のイラン調査でそのヒントをつかみました。

(スライド。ひげもじゃの男が、細い竹の杖のようなものを口にずっぽりくわえている)これはイランのネイという楽器です。

 とにかく音色が日本の尺八にそっくりなので、町で見かけた演奏者にいろいろ話を聞きました。

 このネイの写真を見ると穴は四つのように見えますね。
 実はイランの音楽では穴が四つでいいのですが、アラブの音楽では五つ要るそうです。私が話を聴いた男は「俺はアラブの音楽はやらないから、穴を一つセロテープでふさいだんだ」と言ってました。

 ネイは尺八と違い、切り口はただの筒のままになっています。これで、何で音が出るんだろうかと思ってました。
 どうもネイを口の中に突っ込み、ベロの下に当てて震わせて音を出すようなのです。
 男は、私が興味を示していろいろ聴いたものですから、すっかり喜んでしまって、「お前も吹いてみろ」と言って私に渡そうとするのです。
 私はずいぶん躊躇したのですが、結局受け取り、吹いてみたのですが、やはり音は出ませんでした。


(スライド) これは螺鈿槽箜篌(らでんそうのくご。画像はここでも。又はここでも)です。これは「たてこと」です。

 ペルシアの彫刻で、馬上でこの箜篌を弾いている女性の姿が描かれています。

 


(スライド) これは佐波理加盤(南倉)です。

 佐波理は銅に少量の錫と鉛を混ぜたものですから、青銅とほぼ同じ成分です。
 熱処理というのは、要するに焼き入れをしているということです。それで非常に硬くなっています。叩くととても良い音がします。

 色はきれいな金色を呈しています。メッキしなくても、このような色になります。

 佐波理は硬いので轆轤(ろくろ)挽きできます。轆轤というより旋盤ですが。

 佐波理は多く朝鮮半島の新羅から招来しています。
 佐波理というのは日本語ではありません。外国語の音を漢字で当てたものと考えられています。

 一般には統一新羅語と考えられていますが、私はペルシア起源ではないかと思っています。

  先ほども引用したリンク先の論文のP54に現品のサイズ等が、また、P71に模造した佐波理加盤の画像が載っている。

 また同論文のP71(画像の少し上)には、朝鮮半島では金属製の飲食器を「沙鉢」といい、これが佐波理の語源であるとしている。

(スライド) これはササン朝ペルシアの銅碗です。ラシュト国立博物館所蔵です。

(スライド) 法隆寺献納宝物のうち、八重鋺の六重目です。

 金属製の鋺の形が似ているのはよくあることですが、これは真上から見たところです。

 ササン朝ペルシアの鋺ですが、中間に二重線が見えます。底には太い円が見えます。これは轆轤挽きする器に頻繁に見られる線です。

(スライド) これは東京国立博物館所蔵の法隆寺献納宝物の托子です。これにも轆轤挽き特有の線が見られます。

 ササン朝ペルシアの器に轆轤挽きの線があったことが発見でした。

 朝鮮半島は、草原の道で中国を介さずに直接ペルシアから文物が入った可能性があります。

 私は先日イラン大使に「サハリという言葉がありませんか?」と訊いてみました。すると「ある」と言うのです。私は「やった!」と思い、どういう意味か訊きました。すると「朝ご飯」という意味だ、とのことでした。

 これが銅の器とか、食器という意味だったら最高だったのですが。まあ、とりあえず食事がらみなので、まだいいかと思ったのでした。

(スライド) ラシュト国立博物館所蔵の銅長坏やイラン国立考古博物館所蔵の瓶などがあります。





 まだ続くが、ここでいったん切る。

 いつものことですが、メモ間違い、記憶間違いはご容赦ください。

 どうもお疲れ様でした。

 
  

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