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(No128) 大阪市立美術館 「国宝三井寺展」記念講座 「桃山の華 勧学院障壁画と狩野光信」 聴講記 その1 「桃山の華 勧学院障壁画と狩野光信」 石田佳也(サントリー美術館学芸部長) 暗くなる前に狩野光信のことを簡単に紹介いたしたいと思います。 狩野光信というのは、昨年京都国立博物館で狩野永徳の展覧会がありましたが、その永徳の長男です。・・・・・・これで説明が半分済みました。
これは鞘の間にある杉戸絵です。あれ?反転してますね。
光信の唐獅子は、永徳のそれより頭が小さいのが特徴です。 時の権力者の望む画風を察知して、それに合わせきるというのは大変なことと思います。 これは豊臣秀吉像画稿(逸翁美術館)です。(ここのブログに画像あり) これは千葉県佐倉市の国立歴史民俗博物館所蔵の醍醐花見図屏風です。(ここのブログに画像がある)
銀箔を押された兜であることが分かります。秀吉が奇抜で珍しい素材を好んだことが分かります。 これは大徳寺聚光院襖絵です。梅があれほど巨木になるでしょうか?刀か槍を構える武者のイメージですね。
これは檜図屏風です。八条宮智仁親王邸に残されたもので1590年没年に近い、最晩年の画風といえます。 この檜の姿は龍がのたうっているようですね。 光信は花などもリアルで、ほぼ実物大となっています。
3歳で夭折した秀吉の長男鶴松の菩提を弔うため京都に建造された祥雲寺の障壁画は長谷川等伯らが担当しました。 秀吉の背後には草山水(そうさんすい)が描かれています。 秀吉は玉澗(ぎょっかん。宋末元初の画僧)の草山水を好んだと言われています。 狩野法眼永真(・・・・とメモにあるが、どのような場面で紹介されたのかさっぱり思い出せない) これは1600年の関が原の合戦の絵巻屏風です。
智積院には長谷川等伯の国宝「楓図」や長谷川久蔵作の国宝「桜図」が残されています。
この後、三井寺展で展示していた勧学院一之間、ニ之間の障壁画について解説しているが、ここでいったん切る。
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