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陶磁器ゼミ(12) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」その8(明(1368〜1644)・清(1644〜1911)時代の陶磁器)Part2<明代の景徳鎮>

はじめに

 今回は明・清ということで、講義としては最終回。
 いつもどおり、先生の講義内容に、『中国陶磁の八千年』(著:矢部良明。平凡社。以下『八千年』と略記)を中心に注をちょこっと追加します。
 では、さっそくはじまり、はじまり・・・・・のPart2。


2.明時代の江西省景徳鎮窯陶磁について

洪武期(1336〜1398) 青花(★)、釉裏紅(★)、紅彩
永楽期(1403〜1424) 青花(※注1、★)、甜白磁(てんはくじ※注2)暗花、薄胎磁器(※注3)、銅紅釉(※注4
宣徳期(1426〜1435) 青花(※注5、★)、青花紅彩、五彩、銅紅釉(★)、藍釉(※注6
成化期(1465〜1487)
注7
青花(★)、豆彩(※注8、★)
弘治期(1488〜1505)★ 黄釉(宣徳〜※注9)、白磁緑彩(※注10
正徳期(1506〜1521)★ 孔雀緑釉(成化〜※注11)、回教文字文
嘉靖(※注12)・
隆慶・
万暦(※注13
嘉靖(1522〜1566)・隆慶(1567〜1572)・万暦(1573〜1620)
青花(※注14)、五彩(※注15
民窯※注16 16世紀中頃 古赤絵(※注17)、金襴手(きんらんで。※注18
16世紀末〜17世紀 芙蓉手(ふようで。※注19)、古染付(※注20)、祥瑞(しょんずい。※注21)、トラディショナルタイプ(※注22


★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花雲龍文梅瓶 銘「春壽」 (洪武) 

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 釉裏紅牡丹文盤 (洪武) 

注1 染付磁器には「永楽年製」の正しい銘款をしるした遺品がない(『八千年』P322)

注1(その2) 無款・三爪龍の官様染付磁器は海外贈答用をも目的の一つとしていた。
 部限瓷器と欽限瓷器の区別があるが、無款・三爪龍文磁器は前者の典型であり、有款・五爪龍文磁器は後者の典型(『八千年』P332)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花牡丹文盤 (永楽) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花花鳥文盤 (永楽) ※重文 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花龍波濤文扁壺 (永楽) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花内府銘梅瓶 (永楽) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花茘枝文扁壺 (永楽) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花花鳥文水注 (永楽) ※ いわゆる仙盞瓶 

★ 根津美術館HP 青花花卉文盤(永楽。重文) 

注2 永楽官窯の白磁は「甜白」(てんぱく)とよばれる純白色の磁器(『八千年』P321)

注3 永楽白磁には〜脱胎とよばれてきた〜手が切れそうな薄く鋭い作行き(『八千年』P321)

注4 永楽官窯が白磁や紅釉磁、瑠璃釉磁など単色釉磁をもっとも重要な製品としていた(『八千年』P324)

注5 永楽官様白磁や紅釉磁が五爪龍をあらわし、年款を刻み込んでいることを勘案すれば、単色釉磁が式正の欽限瓷器であった
〜永楽年間の官様染付磁器は部限瓷器であった〜官様染付磁器に年款が記され始めるのは宣徳年間から
〜元から洪武年間にかけて、野卑なやきものとして蔑まれた染付は、宣徳帝のもとで、はじめて欽限の評価を得た(『八千年』P334)

注5(その2) 永楽官様と宣徳官様の染付磁器は造形、加飾文様ともに〜大きな様式差はなく〜両者の著しい相違点は主として技術の点

〜第一は、コバルト顔料〜永楽官様染付が特色とするのは純青に澄んで輝き、染濃(そめだ)みにはかなり細かく濃い斑文があらわれ、その濃い部分はちょうどちぢれたように、濃淡で隈取られるような細かい斑点となっている
(宣徳)在銘品には、この斑点が現れる程度が著しく乏しい、平板な染付の色面となっていく
〜コバルトの色合いであるが、かつての天晴色は藍色の強い、時にわずかに黒味をふくむようなやや沈んだ色調に移っていく。荘重なのであるが、深い雅味が少ない。(『八千年』P344)

注5(その3) その筆致〜細やかな筆さばきは随所に示されているが、かつてのような筆の速さにかわって、やや澱みがちな線描となり、濃(だ)み染めも筆の腹をつかってベタっとした重みのある絵付へと移り、粗笨な筆使いへと走っていく。(『八千年』P345)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花宝相華唐草文壺 (宣徳) ※ 濃み染め 

★ 東京国立博物館HP 青花束蓮文大皿 (明代 15世紀前半)

★ 東京国立博物館HP 白磁紅釉双龍文鉢 (宣徳) 

注6 宣徳在銘品のなかには永楽様式にはない独特の作種がある。
白花の技法
〜地釉としては藍釉を用い、あらかじめ型紙を切りぬいて文様を見込みや裏面にあらわしておくか、あるいは蝋引きして文様を描き、その上から藍釉を施すかして絵模様を白抜く技法(『八千年』P352)

注6(その2) 藍釉白花の技法をつかって、官窯が樹立した作風は、口縁が端反(はたぞ)りとなった円形皿に、元様式よりは藍釉の色が少し淡く、かつ潤いのある釉をかけ、見込みに牡丹、梔子(くちなし)の図を白抜きし、その図面に折枝文を四方に配した瀟洒で気品の高い独特の様式(『八千年』P353)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 瑠璃地白花牡丹文盤 (宣徳) ※ 重文 

注7 宣徳に続く6代正統帝、景泰帝、天順帝の三代の間は、年款を器皿に描き込む習慣が行われなかった(『八千年』P346)

注7(その2) 成化年間(1465〜87)になって官様磁器にふたたび年号名が記入されはじめた(『八千年』P352)

注7(その3) 成化・弘治・正徳の官様器皿は〜どれをとっても小品ばかり
〜永楽様式においておおいに流行し、宣徳在銘品もある西アジア系の「形」がすっかり姿を消してしまっている
〜年号を器に記入しない、無款の作品があまり認められない(『八千年』P354)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花瓜文碗 (成化) ※ 外反、低い高台→パレスボウル 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花蜀葵文碗 (成化) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花鳳凰文盤 (成化) 

注8 成化を象徴する焼物は、豆彩(とうさい)とよばれる色絵磁器
〜あらかじめ染付で文様の輪郭線を描いておき、そのうえに丁寧に絵具をのせていく
〜高台の内側は独特のむらが現われ、釉肌に起伏をつくり、釉切れの近くでは淡い黄橙色を呈している
〜染付はきっかりと鉄線描を施すのではない。ほんのりと暈しが輪郭線にはあらわれて、濃淡も加わり、そこはかとない香りが発散している(『八千年』P357)

★ 東京国立博物館HP 豆彩龍文壷 「天」銘 (成化)  

注9 成化官窯になると、黄地染付の皿が認められる(『八千年』P353)

注9(その2) 染付の文様の余白を黄色の上絵具でぬりつぶしてしまう、黄地の〜意匠法は成化には始まっている。(『八千年』P360)

注9(その3) 黄地緑彩磁器は〜素三彩に属するもので〜素地は白磁胎そのものでありながら、白磁釉を施すことなく、あらかじめ文様のみを線彫りしておいて露胎のまま高火度焼成し、上絵付用とおそらく同一の鉛釉系の緑釉で線彫りの内側を染めあげ、余白に黄釉を施して〜白磁の釉上に上絵付した場合より濃厚な呈色を得ることができる。(『八千年』P360)

注10 あらかじめ素地に線刻で双龍をあらわし、龍体のみ釉剥ぎして俗にいうビスケット素地にしたうえで緑絵具をのせ、五爪、髯、火焔、翼などは白磁素地の上に緑彩で描く(『八千年』P359)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花龍唐草文碗 (弘治) 

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 黄地青花折枝花卉文盤 (正徳) 

注11
 明朝後期になると炭酸銅をつかった孔雀釉翡翠釉、マンガンを呈色剤にしたと思われる紫釉が開発された(『八千年』P437)

注12 嘉靖年間に入って民窯は、永楽年間以来、御器の象徴であった年款銘を勝手に使い始める(『八千年』P363)

注12(その2) 嘉靖年間には、御器に民間様式(元後期に形成された元様式。蓮池水禽、蓮池魚藻、牡丹孔雀、人物図、雲鶴、福寿康寧、仙人図など)、特に民間人が宿望する吉祥慶賀をねがう民間意匠があらわされるようになる(『八千年』P365)

注12(その3) 嘉靖在銘品ではとくに染付で吉祥文がおおく描かれ、寿字が意匠のなかに大胆に組み込まれている遺品がおおい。(『八千年』P374) 

注12(その4) 嘉靖官様式は、がらりと作風が変化した。
 嘉靖官窯の色絵はどれも光沢のある濃彩に富んでいて明るく、しかも色合いが深い。
 親しみやすく、魅惑的であるが、絵付の技術を仔細に観察すれば、たいへん粗放なことに驚き、これが官窯の技術かとわが眼を疑いたくなる(『八千年』P375)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 黄地青花紅彩牡丹唐草文瓢形瓶 (嘉靖)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 緑地紅彩宝相華唐草文瓢形瓶 (嘉靖)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 黄地紅彩龍文壺 (嘉靖)

注13 嘉靖期はほとんど飲食器だが、文房具や調度什器の類が焼物でつくられはじめた点が万暦御器の特徴(『八千年』P381)

注13(その2) 万暦後半は五彩の全盛期であった(『八千年』P382)

注13(その3) 中国人の芸術意欲のきめの細かさがかなり薄れたという印象が万暦官窯の場合払拭できないし、肥厚した高台を拙速に削り出す態度は、官窯の造形精神が崩壊してしまたことを表して余りある。(『八千年』P382)

注13(その4) 万暦官様御器では嘉靖官様の雑彩は翳をひそめ、わずかにマンガン呈色の紫彩や硫酸銅呈色の青彩が加わった雑彩に力作がのこされ、一般には素三彩(そさんさい)の名で親しまれている。(『八千年』P383)

★ 東京国立博物館HP 五彩龍文瓶 (万暦) 
★ 東京国立博物館HP 五彩龍鳳文面盆 (万暦)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 五彩牡丹文盤 (万暦)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 五彩松下高士図面盆 (万暦)

★ 東京富士美術館HP 五彩魚藻文面盆 (万暦) 

注14 瑞州(今の江西省高安県)に新しく石子青(せきしせい)が発見され、元・明初に珍重された西アジア産の回青(かいせい)や景徳鎮の近くの楽平県産の陂塘青(ひとうせい)は使用をやめた。
 嘉靖在銘の染付は発色が青く明るく澄むだけで、いっこうに味わいに奥行きがない
 石子青を使って描く文様は、時に荒々しく、力を込めて鋭い線描がおこなわれ、粗笨な濃(だ)み染めが加えられる。一見して技術力の衰えを感ずる(『八千年』P376)

注15 雑彩こそ嘉靖官窯磁器を特徴づける注目の技法であった。
 雑彩とは白磁胎の上に、文様を描く色絵具と、地をぬりつぶす色絵具とから構成され、多くの作は二つの絵具で成立しているが、これに染付が加わる場合もある。
 黄地紅彩は、下地の色絵の上に、さらに低火度で呈発するつやつやした赤絵具をのせて再度焼きつけているのが特色である。(『八千年』P378)

注16 明前期の民様染付〜芭蕉葉文が描かれるが、これは官様モチーフ〜官様では葉脈から外にむかって暈(ぼか)し染めされていた染付が、民様では葉の外縁から内にむかって暈し濃(だ)む(『八千年』P348)

注16(その2) 茶の湯の茶人たちが雲堂手(うんどうで)とよびならわしてきた16世紀中葉、嘉靖年間の作風をもつ景徳鎮民窯の半筒形碗(『八千年』P397)

注17 嘉靖年間になって〜民窯の色絵の中心をなすのは、白磁に染付を加えず、もっぱら赤を基調にして緑、黄などの上絵具だけで文様をあらわして焼付ける手法であり、日本では一般に古赤絵と呼んで親しまれている。(『八千年』P367)

★ 東京国立博物館HP 五彩花唐草文鉢 (明代) ※古赤絵 

注18 嘉靖景徳鎮民窯が陶磁史上に印した最大の成果は〜金襴手(きんあんで)につきる
〜上絵付白磁、中国風にいえば五彩、日本風にいえば赤絵、錦手、すでに今日的な呼び名では色絵で地文様をつくり、この地にさらに金箔、金泥で上絵付して軽く焼き込んだもの(『八千年』P366)

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 五彩金襴手瓢形瓶 (明代) 
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 五彩金襴手婦女形水注 (明代) 

★ 根津美術館HP 五彩宝相華文瓶 金襴手(明代)

注18(その2) 白地金襴手はきわめて少ない。
 色絵金襴手など、あらかじめ白磁胎に上絵付しておいて色面をつくり、その上に再度金箔の截金(きりかね)文様をのせて焼きつける。

 窓枠を設けてそのなかに金箔文様を貼りつける窓絵の構図、余白を色面や細かい幾何学文様で埋めつくす地文つぶしの構図という、色絵磁器の二大構図法が新しく創案された。

 これが、後の清朝民窯の色絵磁器、その系譜をひく日本の初期柿右衛門様式や古九谷様式の色絵磁器の様式母体となっていく(『八千年』P368)

注18(その3) 金襴手の様式系譜を引きつぐものに、日本で俗に呉須(ごす)赤絵とよばれている色絵磁器がある。
 これが景徳鎮系かと疑いたくなるほどの奔放不羈な絵付であり〜大きく削って鉄銹色の砂がたくさん付着した高台をもち、肉取りのあつい大盤をみていると、鎮の作とは思えない。(『八千年』P384)

★ 東京国立博物館HP 呉須赤絵牡丹香合 (明代)

注19 芙蓉手(ふようで)は染付皿の一様式で、見込み中央に円窓を設けてこの中に主文様を位置させ、その周囲に大きな蓮弁文様をめぐらして、その構成があたかも大輪の芙蓉を連想させるところから、日本で芙蓉手の称が冠せられることとなった。(『八千年』P386)

注20 1620年代に輸入された俗に「古染付」と呼ばれている、明末期の景徳鎮窯がつくったかなり粗雑な染付磁器は、いたく茶人たちを刺激した。
 古染付の皿や水指などに「天啓年製」、「天啓佳器」という染付銘をしるした作品があって、天啓年間(1621〜7)か、それ以後の作と判断される。(『八千年』P399)

注20(その2) 古染付は二種に分けられる。
 一つはほとんどが碗と皿で占められる薄手の小品で、細く鋭いタッチの線描、明るく澄んだ染付の発色、透明度の高い白磁釉、そして虫喰いといわれる釉のホツレなど、いずれも万暦に成立した民窯の染付の特色をそのまま受け継ぐものであった。(『八千年』P399)

 もう一つは日本の茶人から注文された古染付で、形がどれも肉厚で、一般の食器・古染付よりさらに作風は荒さが目立ち、形そのものが芋頭形、鯉耳砧形のいわゆる高砂手の花生、変形鉢(富士山形、玉章形など)など景徳鎮窯の造形系譜にあてはまらないものばかりである。(『八千年』P401)

※ 「玉章形」とは「結び文」の形であり、中国にはない造形である。

注21 古染付よりさらに徹底して茶の湯の道具として焼造されたのが祥瑞(しょんずい)とよばれる染付磁器である。
 祥瑞とは、作品のなかに「五良大甫、呉祥瑞造」という染付銘が書かれていることに由来する。

 祥瑞は古染付にくらべると、白磁胎、染付の顔料とも数段すぐれていて、成形法もはるかに精巧である。
 素地は黒いこまかな粒子がふくまれた堅緻な独特の白磁胎で、一様によく溶けた透明釉がとっぷりとむらなくかかって、染付はバイオレット・ブルーにあざやかに澄みわたっている。むろん、虫喰いなどはめったに見ない。

 祥瑞は、古染付よりもやや降る崇禎年間(1628〜44)に焼造されたとするのが通説(『八千年』P404)

注22 西欧の研究者は明末・清初の1620〜60年代にトランジショナル・スタイルという過渡期様式を設ける。(『八千年』P408)




 
 それでは、次回のゼミ受講録まで、ごきげんよう♪

 

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