定義 |
明・清時代に江西省景徳鎮の珠山に設置された官窯。
宮廷の需要に応じて御用磁器を生産。
御廠、御窯廠などともいう |
設置年代 |
洪武2年(1369)説
※注1 |
藍浦『景徳鎮陶録』(清嘉慶年間) |
洪武35年
(1402)説
※注2 |
王宗休『万暦江西大志』(明嘉靖万暦(1522〜1620)年間) |
宣徳元年
(1426)説 |
永楽・洪熙帝の祭祀における白磁祭器の需要期、
宦官張善の景徳鎮派遣時期(※注3)から類推 |
珠山の発掘調査結果 |
洪武・永楽期の官窯磁器と類推される作品が発見されている ※注4 |
宣徳年間(1426〜1435) |
白磁・青花・紅釉磁器に民窯とは異なる様式が確立。
五彩磁器の焼造も確認された。
「大明宣徳年製」の銘が入るようになる |
匠役の変遷 |
当初 |
年1回課せられる匠役(無償労働) ※注5 |
成化21年
(1485) |
銀納によって匠役が免除されるようになる ※注6 |
嘉靖41年
(1562) |
完全な銀納化に移行 ※注7 |
部限磁器・欽限磁器
※注8 |
部限磁器 |
工部の命による、年間一定量の磁器 |
欽限磁器 |
皇帝の直接命令による臨時の磁器 |
明時代の官塔民焼制 |
当初 |
欽限磁器の需要が多く、一度に生産量が満たない場合に、臨時に「官塔民焼制」(かんとうみんしょうせい。民窯への委託生産)が行われた |
嘉靖期以降 |
官塔民焼制が恒常化 ※注9 |
万暦年間後期 |
莫大な数量の官窯器が焼造(※注10)され、質の低下を招く |
明末動乱期 |
御器廠の活動は停止 |
清時代の御器廠 |
順治年間 |
宮廷窯の磁器焼造が命じられている |
康煕年間当初 |
康煕13年(1674)、三藩の乱により景徳鎮は戦火に見舞われる ※注11 |
康煕年間初期 |
康煕19年(1680)、徐廷弼(じょていひつ)・李廷禧(りていき)が景徳鎮に派遣され、宮廷の絶大な支援を受け体制が整備される。
高度な技術を駆使した精巧な磁器が製造可能となって、御器廠が完全復興 ※注12 |
康煕・雍正・乾隆年間 |
三帝期(1662〜1795)が最盛期。
臧応選(ぞうおうせん)・郎廷極(ろうていぎょく)・年希尭(ねんきぎょう)・唐英(とうえい。1682〜1754)らの督造官・監督官による運営がなされた。 ※注13 |
琺瑯彩 |
器胎は景徳鎮で焼造。
精緻で品格の高い絵付けは、宮中に置かれた工房の造辧処(ぞうべんしょ)で宮廷画家(※注14)により施文 |
尽塔民焼制 |
清時代初期 |
民窯の発展を背景に「官塔民焼制」がとられる |
乾隆末期 |
御器廠の焼成部門を廃止し、すべて民窯に委託生産させる「尽塔民焼制」(じんとうみんしょうせい)に移行 |