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陶磁器ゼミ(9) 美術史ゼミナール「中国の陶磁器」その7(新安沖沈没船引き揚げ品と元時代(1271〜1368)の陶磁器)

はじめに

 今回は元時代。
 いつもどおり、先生の講義内容に、『中国陶磁の八千年』(著:矢部良明。平凡社。以下『八千年』と略記)を中心に注をちょこっと追加します。
 では、さっそくはじまり、はじまり。




 新安沖沈没船引き揚げ品と元時代(1271〜1368)の陶磁器

1.新安沖沈没船引き揚げ品について

発見場所 韓国全羅南道新安郡知島邑防築里の道徳島・荏子島・曾島沖合
調査時期 1976年〜1984年に11回の作業を行い、22,000点の積荷を引き揚げ
出発時期 至治3年(1323)6月あるいはその直後
(「至治三年六月?日」と記載された木簡が発見された)
出発場所 慶元=現在の浙江省寧波
(「慶元路」銘の青銅錘が発見された)
行き先 日本の京都東福寺などの発注による物産等を積んで、日本の博多に向かう途中で沈没
(「東福寺公用」、「東福寺公物」、「筥崎(はこざき)奉加銭 教仙勧進聖」、「八郎」、「菊一」、「道阿弥」、「又七」など記載された木簡が発見された)
積荷内容 陶磁器(18,825件)、金属器(青銅器・銀器、錫器など)、木製品(漆・曲げ物など)、石製品(硯・薬研など)、ガラス製品、銅銭、木簡など
陶磁器の内訳 龍泉窯青磁(10,645件)が6割弱を占め、江西省・福建省産の青白磁(3,717件)・白磁(1,403件)がこれに次ぐ。
黒釉陶器(428件)、鈞窯系・白地鉄絵・鉛釉(200件弱)。磁州窯系の白地鉄絵陶器・黒釉(銹斑)陶器や、江西省吉州窯の鉄絵陶器、福建省建窯の天目茶碗などを含む。
雑器系の褐釉陶器(2,239件)、土器(199件)。
高麗青磁(7件)、古瀬戸(2件)
陶磁器の様式から推定される年代 青磁筍花生・青磁鯱(しゃち)耳花生などは南宋時代の様式。
大型の青磁尊形瓶・青磁鎬文酒会壷・青磁雲龍文盤・青磁不遊環花生などは時代の様式。
高麗青磁は12世紀前半〜13世紀初頭の様式。
古瀬戸の梅瓶は14世紀初頭の様式
→同時代の貿易品と少量の骨董品、乗組員の日用品が混在
引き揚げ品の問題点 (1)釉裏紅は1点のみ
(2)青花(釉裏青)は皆無
(3)天目茶碗や黒釉小壷(茶入れ)には優品がほとんどない



2.元時代の主要な陶磁器生産地

(1) 河南省禹県(八卦調・鈞台鎮) 鈞窯(きんよう)
★ 元代窯址分布図→A

特徴 元代でも、澱青釉月白釉・澱青釉紅斑などの器物を焼造。
北宋・金代に比べ、
(1)胎質は粗い
(2)釉面の気泡が多く、光沢が強い
(3)釉色は白っぽい
(4)高台の内外は露胎のものが多い
製品 民間の日常品である碗・盤・壷が多い。
水注・枕・梅瓶・高足杯・三足香炉なども少量ある
装飾技法 釉薬の紅斑技法
透彫の施文技法




(2) 河北省磁県(観台鎮・東艾口村・治子村・彭城鎮) 磁州窯(じしゅうよう)
★ 元代窯址分布図→B

生産地 生産主体は観台鎮から彭城鎮へ移行。
河南省鶴壁集窯(分布図C)・禹県扒村窯(分布図A)・郟県窯(分布図D)、山西省介休窯(分布図E)・大同窯(分布図F)など
特徴 白地鉄絵の魚藻文大鉢、双鳳文短頸壷、龍文短頸壷などが特徴的
製品 主体は白地鉄絵技法の製品。
翡翠釉鉄絵のものも若干存在し、褐色泥などを用いた白地鉄絵褐彩などの作品も登場。
三彩の枕、黒釉掻落などの黒釉作品も多い
装飾技法 詩文などの文字装飾を多用

 




(3) 山西省霍州市(陳村) 霍州窯(かくしゅうよう)
★ 元代窯址分布図→G

生産地 山西省霍州市で金〜元代の白磁の生産地が発見された。
元の大都遺跡からも同様な製品が出土
※「霍窯は山西平陽府霍州に出づ」
「元朝の戧金匠、彭均宝は古定器を効(なら)う。折腰様の者を製するに甚だ整斉たり、故に名づけて彭窯と曰う。土派の細白なるは定器と相似たり」→『格古要論』(著:曽昭。明初)
特徴 白磁は胎土が細かく、釉は純白で、精緻な作風。
4〜5個の乳釘状のピンを使い製品を直立させて焼造。器物内外に目跡やピンが残る
製品 白磁が主体。白地鉄絵も若干含まれる。

 



(4) 浙江省龍泉市周辺 龍泉窯(りゅうせんよう)
★ 元代窯址分布図→H

生産地 200箇所を越える地域に展開し、空前の規模を誇る。
交通の便の悪い大窯・渓口窯から、主力は甌江と松渓の両岸地帯に移る
→水運を利し、温州・泉州など重要通商港に運ばれ、国内外に販路を開拓。東南アジア・日本・インド・中近東への貿易陶磁として独占的地歩を占める
製品 元代に新たに登場する器形
→高足佩・菱口盤・束頸碗・管耳瓶・鳳尾尊・蔗段洗・荷葉蓋付壷・動物形水滴・双耳小口壷など
窯の形状 龍窯だが、全長が北宋期の80m前後から、40〜50mに短くなる
→(1)窯内の焼成温度が効率化されて高くなる。
(2)温度が均一化され、製品のムラが抑えられる
装飾技法 鉄斑文(飛青磁、★)
彫刻的文様→印花・貼花・透彫が元代から登場。その他劃花・刻花など
文様の画題→南宋時代の蓮弁や双魚のほか、雲龍・雲鶴・八卦・雑宝・牡丹唐草・霊芝・菊花・文字文など多様化

★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 飛青磁花生(龍泉窯。元。国宝



(5) 福建省徳化県 徳化窯(とくかよう)
★ 元代窯址分布図→I

生産地 徳化県全域で宋〜清代前半にかけて180箇所以上の窯址が確認されている。
なお、景徳鎮窯・徳化窯のほか、福建省の政和(分布図J)・閩清(K)・泉州(L)・同安(M)、江西省の楽平(N)、広東省の恵陽(O)・中山(P)などでも青白磁を焼造した
特徴 景徳鎮窯の南宋代の青白磁や元代の枢府系白磁の倣製品に優れる。
如意頭文・倶利文の白磁盒や軍持などの独自形態の作品もある。
陶石にカオリン土を加える二元配合法とともに酸化アルミニウムの含有量が増し、焼成温度が高まる
→焼成中の変形率が減少し、失敗が減る。
青白釉→青味が強まり、透明感が失われた。
造形面→シャープさが失せて、重厚で豊満なものに変化する
製品 新しい器形として、
扁平水注・瓢形水注・筒型水注(多穆壷)・片口・筆架・動物形水滴など
装飾技法 鉄斑文
ビーズ飾りや印花・貼花・透彫を多用

 



(6) 江西省景徳鎮市 景徳鎮窯(けいとくちんよう)
★ 元代窯址分布図→Q

ア 青花磁器<江西省景徳鎮・吉州(分布図R)、浙江省江山県、雲南省玉渓県(分布図S)

青花磁器(※注1、★)の特質 コバルト顔料の発色は窯内の焔の状態に影響されにくく、呈色力が安定している
釉下彩(※注2)なので文様の色あせや剥落がない
コバルトは天然鉱物で、雲南・浙江・江西などで産出し、また、国外からの輸入も可能だった ※注3
白地に藍色の文様は明るく清らかで、鮮麗であるばかりでなく淡雅でもあり、伝統的な水墨画の効果を備えている
堅牢で実用的である一方で、可視的な美しさが国内外の人々に深く好まれた ※注4
発見の経緯 1929年、英ホブソンによる至正11年(1351)銘青花雲龍文象耳瓶(※注5)の発見
(英:デビット財団所蔵)
1950年代後半、米ホープによるイラン・アルデビル寺院(注6)、トルコ・トプカプ宮殿博物館(※注7)の調査
→至正様式の青花作品
元時代の住居址・窖蔵・墓葬からの出土品の増加
江西省景徳鎮窯の湖田の元青花窯址の発見
唐代の白釉藍彩枕・白釉藍彩三足鍑(ふく)の存在
→河南省鞏県窯白磁に類似
注8
宋代青花
〇浙江省龍泉県の太平興国2年(977)塔磚のある塔基出土破片
〇浙江省紹興県の咸淳元年(1265)石碑伴出の塔基出土破片


注1 「14世紀初頭に開発された景徳鎮窯の染付磁器は、日本では「元の染付」、あるいは「元染付」、さらに略して「元染」などと称している」(『八千年』P299)

★ 東京国立博物館HP 青花龍濤文壺(景徳鎮窯。元)


★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花龍牡丹唐草文双耳壺(景徳鎮窯。元)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花牡丹唐草文梅瓶(景徳鎮窯。元)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花蓮池魚藻文壺(景徳鎮窯。元。重文
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花牡丹唐草文盤(景徳鎮窯。元。重文
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花菊牡丹文盤(景徳鎮窯。元)
★ 大阪市立東洋陶磁美術館HP 青花宝相華唐草文盤(景徳鎮窯。元)

★ 根津美術館
HP 青花龍鳳凰文瓶(元。いわゆる梅瓶)

注2
 「染付磁器は加飾白磁の一種であり、白磁をつくるカオリン質の胎土の上、透明釉の釉裏、つまり釉と胎土の間にコバルト顔料で筆彩した絵模様をサンドイッチして、永久に絵具が剥落しないようにした釉下彩磁である」(『八千年』P282)

注3 「酸化コバルトは回々青(回青ともよぶ)とよばれていたらしい。回々とはイスラムのこと〜」
「染付のコバルト顔料は、砒素を含んでいる
〜西方イスラム地方のコバルト鉱のおおくは砒素が硫黄の化合物となって混在している〜元様式の染付顔料は輸入品であった」(『八千年』P283)

注3(その2) 「元の青花に用いられている顔料のコバルト化合物には、中国産のものには存在しない砒素が含まれ〜逆に、中国産のコバルト化合物に含まれているマンガンが〜きわめて少ない。
〜元の青花では、唐三彩に用いられているコバルト化合物とも、銅の含有量が異なることがわかった」(『故宮 至宝が語る中華五千年』著:陳舜臣ほか。NHK出版。第4巻P88)

注4 「元様式の染付磁器はむしろ高い教養人には不評であり〜曹昭が著わした『格古要論』は景徳鎮磁器は「色白くして瑩(えい)なる者(白磁)最高」とし「青花(染付)と五色花(赤絵)ある者はかつ俗甚」と評している」(『八千年』P289)

注4(その2) 「常に伝統の価値にすがりつく文化人の眼に、元様式の染付が卑俗なる焼物と写ったのも当然である。
 しかし、民衆の美意識に裏打ちされたこの明晰で親しみやすい染付磁器は、中国国内はいうまでもなく、外国にもおおいに輸出されて大好評を博した」(『八千年』P300)

注4(その3) 「『島夷志略』『陶記』という中国側の文献が中国本土はもとより、遠くサウジアラビアのメッカ(天堂)やイランの甘理里(ホルムズ)でも元様式の染付が愛好されていることを記すばかりでなく、中国以外の文献では、朝鮮半島や日本の14世紀の文献に早くも染付磁器が登場している」(『八千年』P301)

注4(その4) 「元様式の染付は日本のながい文化史のなかではほとんど顧みられることがなかった」(『八千年』P306)

注5 「元末期の至正11年(1351)在銘品で、ロンドン大学付属のデビッド・ファンデーションが所蔵する染付龍水図象耳大花瓶が〜元様式を謳いあげる最初の紀年銘資料である」(『八千年』P293)

注6 「ペルシア帝国が復活したサファビー朝第5代皇帝のシャー・アッバースが1611年にイラン北部のアルデビルにあるモスク(回教寺院)に寄贈した大量の中国陶磁」(『八千年』P284)

注7 「1299年に建国したオスマン・トルコ帝国の都城であるイスタンブールのトプカク・サライ博物館が保有する、歴代皇帝の遺愛品のなかにふくまれる膨大な中国陶磁」(『八千年』P284)

注8 「染付がすでに五代の10世紀には試みられたことは、1975年に江蘇省揚州市の揚州城から出土した染付陶片が証明してくれるし、その焼造窯は湖南省の長沙窯ではないかと推測されている」(『八千年』P282)




イ 釉裏紅磁器

技法 銅紅料を用いて胎上に文様を描いたのち、透明釉を施して還元炎状態の高温下で焼成した磁器で、釉下に紅色の文様を表す
注1
特徴 還元炎でなければ同派紅色(?)に発色しない。
※少しでも中性・酸化炎になると黒くなったり、色が飛んだりする
製品 至元戌寅(1338)銘釉裏紅俑・四霊蓋付壷(※注2)・楼閣形穀物倉(※注3

 

注1 「釉裏紅の遺品をみると、およそ二種に大別される」

「第一種は伝統的な青白磁の釉をつかって釉裏に銅呈色の文様を描く、素朴な作種で〜文様は詩文や唐草などをいかにも清楚に弱々しい筆行きで描き、淡い紅色の発色を得ている」

「第二種の釉裏紅は〜少し柔らかめの白地の素地がつかわれて、釉薬は青味がまったくない滋潤な透明釉で、時に乳白色の柔らかい失透色が霞のようにかかることがあり、釉層はいかにも厚い」

「ひとえに銅の顔料を理想的な紅色に呈発させようとする意図にもとづいていた」
「筆致が概してより繊細で柔和であり、構図に染付のような峻厳緊迫な密度がない。そして輪郭線を設けず、一気に付立(つけたて)で筆を運ばせることが多い」

「高台の削りはおだやかで、畳付の角は丸味があり、大盤、大壷、梅瓶を除くと高台の内側にも施釉されるのが常であり、高台畳付の釉剥ぎもぼかされた釉切れとなり、染付磁器のような、きびきびした釉切りの箆さばきはここにはみられない」(『八千年』P294)

注2・3 「元の後至元4年(1338)に景徳鎮で焼かれ、書院の山長を務めた凌穎山の孫娘の墓に副葬された釉裏紅穀倉。紀年銘のある元代釉裏紅磁器として極めて貴重な資料である。高さ29.5cm。江西省博物館蔵」(『故宮』第4巻P30)

「穀倉と伴出した釉裏紅四霊罐。凌氏の墓に収めるために焼かれた。「劉大使宅凌氏用」の銘がある。高さ22.5cm」(『故宮』第4巻P31)



ウ 枢府系白磁(卵白釉白磁)

出典 明初の『新増格古要論』古饒器の条「元朝の小足印花に焼きし者は、内に枢府(すふ)の字有る者を高とす」
特徴 卵白釉:カルシウムの含有量が少なく、カリウム・ナトリウムの成分が多い。
鉄分の関係で最初は青味があるが、後には純白に近くなる。
磁胎は分厚い


エ 銅紅釉磁器と藍釉磁器

紅釉 一定量の分を含む物質を呈色剤として透明釉に溶き混ぜる。
※焼成炎を完全に還元炎状態に維持しないと鮮やかな発色ができない
藍釉 一定量のコバルトを呈色剤として透明釉に溶き混ぜる。 ※注1
藍釉金彩金粉)と藍釉白花イッチン盛り

 

注1 「藍釉は高火度釉に酸化コバルトをまぜて還元焔焼成して藍色の呈発をおこない、紅釉は酸化銅で同じく紅色の呈発を得る釉法であり、ともに民窯の元様式磁器に認められる」(『八千年』P317)



オ 五彩磁器

特徴 上絵付けによる多彩磁器
→元大都遺跡出土の破片あり

 



3 おわりに

(1) 元様式::元代(中期以降)の特色ある様式

大作主義 「元様式の作品は高さが30センチを越す大壺・梅瓶・水注・扁壺・花瓶、径が40センチを越す大盤など、その典型作はいずれもがずっしりとした重量感にみちた肉取りのあつい大作ばかり」(『八千年』P274)

「高嶺で盛んに採掘された良質のカオリン土〜を混ぜることで結合が強まり〜脆さを克服し、大作の白磁が焼けるようになった」
(『故宮』4巻P87)

「当時、イスラムの国々では、宴会のときに必ず羊を丸ごと料理して客人に供する習慣があった
〜王侯貴族たちは、羊が丸ごと載る大きさの皿を注文し、競って取り寄せるようになった。それが青花磁器だという」(『故宮』4巻P97)
加飾主義 天龍寺青磁と初期の染付磁器とは密接な関係を器形のうえに窺わせている。
〜双方とも器の表面をくまなく文様群でうめつくしてしまおうとする、激しい装飾意欲につつまれていることは紛れもない共通点であり、あらわす図様を主役となる図様と脇で主役をささえる図様とに分け、それぞれ与えられた装飾空間の広狭にあわせてふさわしい図様を選択し、主従の文様が合従連衡してゆるぎない濃密な構築性を発揮している点も等しい」(『八千年』P286)

(2) 主要窯の盛衰

名門窯の途絶 「宋代・金代に活動した諸窯のうち、元中期をむかえ、製陶の主流が大作主義に傾いていくなかで〜華北の定窯耀州窯といった白磁・青磁の名窯が途絶していく〜華南では越州窯がこの頃に消息を失っていく」(『八千年』P275)
三窯(磁州・龍泉・景徳鎮)の時代 「美術当時の主流は元様式へと大きく展開した。そしてその主役は、華北では磁州窯であり、華南では浙江省の龍泉窯と江西省の景徳鎮窯であった」

「金代に隆盛をほこり、色絵の技術革新にも成功し、民意のおもむくところの造形物をつくりあげていた磁州窯が華北の雄となって元様式を樹立していくのは当然
〜南宋時代に(きぬた)青磁と越州窯以来のオリーブグリーンの青磁を焼いていた龍泉窯と、世に饒玉(じょうぎょく)とよばれた青白磁を焼いていた景徳鎮窯
〜元代にいたって磁州窯は峠を越えて下降線をとだりはじめていた」(『八千年』P276)
二大窯(龍泉・景徳鎮)の時代 「龍泉窯は「天龍寺青磁」とわが国で呼びならわしてきた、緑味のつよい濃厚な青磁釉をつくりだすことで新境地を開拓し、景徳鎮窯はコバルト顔料をもって白磁の釉下に文様を絵付する、いわゆる染付(中国では青花と称している)技法を世界に先駆けて発明することによって、将来性あふれる創作の可能性を切り開いていった」(『八千年』P277)
景徳鎮窯独走の時代 「絵模様を主題とすることの多い元様式の場合、毛彫り、片切彫り、透彫り、高肉彫りなどの刀法をもって文様を表す青磁と、筆彩で文様を表す染付ではその力量の差はこれまた明らかであり、白地に青色の染付は訴える魅力も直截的である。

〜明・清当時の母胎となる将来の様式展開に応えうるのは、やはり染付磁器であったのである」(『八千年』P287)




 
 それでは、次回のゼミ受講録まで、ごきげんよう♪

 

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