移動メニューにジャンプ

(No19) 台湾(台北)旅遊記 その19 故宮博物院の文物 その2

 
  
 2010年6月に初めて台湾の台北に行きました・・・・・の完結編と言ったが、まだ続く。





 続いて3階の東フロアを観て回る。

 目玉的な301号室では「鐘・鼎の銘文 漢字の源流展」が。展示概説はこちらで。

 宗周鐘ここにて。

 毛公鼎ここにて。

 NHKビデオ「故宮」に出てきた大物の実物を目にできるというのは、本当に快感である。

 


 301号室の北側にある303号室で展示されている「文明の曙光 新石器時代」の概説はここから。

 人面文圭玉jなどの解説はここにて。

 玉鷹文圭も、ちゃんと上下逆さまに展示されていた。

 


 301号室の南側の307号室及び305号室で展示されている「古代青銅器の輝き 中国歴代銅器展」の作品概説はここにて。その大きさにびっくりした殷後期の乃孫作祖己鼎の画像も同じところに。

 殷後期の蟠龍文盤獣面文鐃の画像がある「礼と楽 殷代の礼器と楽器」というコーナーはここ

 殷後期の鳥文戈嵌緑松石獣面文鉞の画像がある「殷周一族の器と兵器」というコーナーはここ

 これらは私も「殷」と表記しているが、「中文」のページに切り替えると「商」となっている。現地での展示物の表記ももちろん商後期などとなっている。
 私はつい、「あれ?殷代のは展示されてへんのや?おかしいな」と思ってしまい、あっ、商と周を誤解していた!と気付いた。


 西周晩期の頌壷や早期の史獣鼎の画像がある「其の命、新たにす 西周の礼器」ここ

 西周中期の殷句壷や晩期の散氏盤の画像がある「卓越した周文 西周〜春秋の銅器銘文」ここ

 NHK「故宮」などでは散「氏」盤とあったので、そう書いてるがHPや現地では「散盤」だった。『故宮博物院 秘宝物語』(古屋奎ニ。淡交社)では、この盤に刻まれた銘文は散国と夨(しょく)国との間の紛争の講和文書のような内容とある。なら、「氏」は要らないのかな?散氏の国ということなのかな?
 同書によると、この盤はラストエンペラー溥儀が紫禁城を退出した1924年、養心殿の倉庫の床に半ば土に埋まった状態で発見されたそうだ。

 おや、故宮HPのここでは散「氏」盤ですね。
 

 

 戦国早期の曽姫無卹壷や春秋中期の子犯龢鐘の画像がある「覇と雄 春秋戦国の礼楽器と兵器雑器」ここ。・・・・・と書いたものの字がこれで合ってるか不安になったのでサイトの字を拡大してみた。合ってるみたいです。

 戦国期の四牛鼎や戦国中期の嵌孔雀石緑松石鳥獣尊の画像がある「繁華絢爛 春秋〜戦国の銅器」ここ

 漢代の尚方博局文鏡や新代(王莽)の嘉量の画像がある「後銅器時代 秦〜漢の銅器」ここで。

 新嘉量は是非観てみたかった。これも前掲書によると、紫禁城坤寧宮で、カマドの上、油とススにまみれた状態で発見されたそうだ。
 故宮HPのここにあるように、秦量も展示されていた。

 最後の「四方の粋を集める 辺境スタイルの銅器」というコーナーはここ。殷中晩期の鉤連乳丁文羊首犠首獣面文圓口方尊の画像がある。
 罍は、「らい」と読む筈である。私のサイトの青銅器ゼミの「器形」分類はここ

 
 右側写真は、ガイドマップから。

 その他、303号室で、ああ、これ!これ!と思ったのは、黒陶高足杯

 故宮HPではここで画像が載っているが、ここの画像よりもっとスマートだった印象がある。

 305号室では、史頌簋祖乙尊召卣などが、ああ、NHK「故宮」で観た!観た!と思った。

 特に祖乙尊(そいつそん)と召卣(しょうゆう)には感激。
 祖乙尊の文様の複雑さったら凄いね。故宮HPではここで。

 召卣の画像は故宮HPのここで。拡大版はここ。細かい地紋を観ているとふるえが来ちゃう。

 



 これで3階フロアは終わり。次に2階へ。

 


 

 どうもお疲れ様でした。

 
  

inserted by FC2 system