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上海旅遊記(12) 蘇州編Part2(拙政園)
蘇州絲綢博物館のすぐ近くにあるのが北寺塔。
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三国時代に呉の孫権が母の恩に報いるため建立したと伝えられるが、現在の1層から6層は南宋時代、7層から上(8角9層高さ76m)は明代に改修されたそうだ。(『週刊朝日百科世界100都市』No26参照)
北寺塔上層からの眺めはすばらしいそうだが、車窓から眺めるくらいで通り過ぎ、拙政園(せっせいえん)へ。
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拙政園とは、明代に中央の高官だった王献臣が失脚後に造営した庭園である。
蘇州四大名園のうちでも最大の名園を巡るのだが、末っ子がまず目をつけたのは、蛙のごみ箱であった。(左上写真)
面積は5ヘクタールと広大で、敷地のおよそ5分の3が水、つまり池や堀になっているそうだ。
園内の池には睡蓮があふれかえっている。
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見ると女性がたらい舟に乗って、蓮の実を採っていた。(右上写真)
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橋の欄干ごしに現地の人と話をしていた。蓮の実を売ってるらしい。
入口ほど近くに、四方にそれぞれ異なった形の切り窓のある東屋があった。
このあずまやは、梧竹幽居(ごちくゆうきょ)という。
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西の方向に向かって、はるか前方を眺めると蓮池の向こうに、さきほど通り過ぎた北寺塔が借景として浮かび上がる。(左上写真)
この風景はなかなか有名らしい。
HP上では確認できないと思うが、現地では左上写真の中央あたりに塔のシルエットが見えた。
右写真は、壁の模様が印象的な見山楼(けんさんろう)。
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窓に螺鈿(らでん)細工がされているようだ。
なお、文中すべてに共通するのだが、建物の名前は、上記『100都市』記載の拙政園鳥瞰図を参照して、つけている。
確か呉さんに留聴閣という建物については名前を教えてもらったと思うのだが、そこは写真に残っていない。
と言うことで、建物の名称に誤りがあったら、悪しからずご了承のうえ、ご指摘いただけたら幸いである。 |
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右上写真は香洲(こうしゅう)という建物。
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手前の蓮池、そしてとんがり屋根や白壁のコントラストがおもしろく、この香洲をバックにして家族で撮ってもらった写真を年賀状に使った。
左写真は浮翠閣(ふすいかく)。
HP上では見えないだろうが、写真に浮翠閣と記された額が映っているので、これは間違いがない。
位置としては、周回コース半分を過ぎたあたりだろうか。 |
この辺で、嫁さんが苦しみだした。お腹が痛いという。
油汗を流し、歩くのも苦しそうだ。
かわいそうなのだが、ともかく回りきってしまわないと、出られない。
右写真は、遠香堂(えんこうどう)。 屋根飾り(中央の彫刻のようなもの)がおもしろいと言って、末っ子が撮った写真。
下の方にちらりと映っているのは、私の後ろ頭である。 |
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さて、嫁さんは這うように車に戻り、日本より持参した正露丸を飲んで、次の観光地では降りずに車の中で休憩することにした。
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左写真は出口近くにあった獅子のごみ箱。
何だかせっかくの名園だというのに、蛙のごみ箱に始まり、獅子のごみ箱に終わったような印象であった。 |
呉さんに「日本語で拙政というと、まずい政治のことですが」と聞くと、「これだけの庭園つくるんですから、すごく賄賂で儲けたんですよねえ。くびになったけど、まずい政治というのは自分のこと言ってるんですかねえ」とのことであった。
晋代の潘岳の著した『閑居賦』の一節「拙者之為政」からとって拙政園と名付けたそうだが、「愚か者が政治を行う」とは失脚した我が身を自嘲したのか、周りをさしているのか、どうであろうか。
なお、蘇州四大名園とは、この拙政園、留園、獅子林、滄浪亭をいい、さらに前二者は、北京頤和園、承徳避暑山荘と並んで中国四大名園ともいわれているそうだ。
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