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(No73) 「豆腐屋寄席」 鑑賞記 その3  

 仲良くさせていただいているぐんままさんが、近所のお豆腐屋さんが落語会をするのだが、行く気はないか?と尋ねてくださった・・・・・・・の三回目。

 


(3) 笑福亭松喬 「崇徳院」

 
いよいよ真打登場。
   こちらの○○さんは、私の昔からのファンをしていただいてまして。
 昔から「歌謡大全集」というラジオを20年ほどやってまして。あの鈴木美智子という悪女と一緒にね。
 まあ、最初は梨木加陽子というアナウンサーと15年くらいやってたんですけど。

 その時、豆腐を送っていただいたりしましてね。

 で、そのうち豆腐屋をおやめになるということで。もう子供も大きくなったので、後は奥さんとのんびり暮らしたい・・・・とおっしゃってたんですが、やはり、○○さんのお豆腐が食べたいという声が多くて、まあ、それでちょっと田舎に引っ越されてですね、これからは、休みなんかもしっかり取りながら続けていこうとおっしゃいまして。

 で、一度、自分の店で、皆さんをお招きして落語会をやりたいという相談がありました。

 でも、まあこんな狭いとこでねえ・・・。
 私、北は北海道、南は・・・先日も長崎で落語会やらしてもろたとこですけど、こうゆうとこでやったんは初めてです。
 後ろに寄ると(と、ちょっと身体を後ろに傾けてみせる)幕の後ろで背中が機械に当たりまんねんで。
 ええこともありまっせ。落語しながら、マッサージでけまんねん

 こないだ、この近くの談山神社
(奈良県桜井市にある藤原鎌足を祀る神社)で落語会やらしてもらいました。
 わたいら、落語会て、たいがい30分前に来るんです。ところが、今日は2時間前に来ました。いかに不安やったか・・・・ゆうこってす。
 直前まで「もうちょい、ビールケース積んだ方がええんちゃうか」とかゆうてねぇ。

 ほんまは、平たい座敷がええんでっしゃろけど、足の悪い方なんか、座って膝が痛(いと)なったら、そこに神経いってまいますやろ?そやから、腰掛けてもろた方がええんちゃうか、ゆうことになったんです。

 ほんまはね、もっと座ってもらうために、もう少し前にも席こしらえてもええけど、そしたら真下から見上げることになりますやろ?一応、鼻毛は切ってきましてんけどね。

 松喬師匠が解説している、店のご主人がご苦労されたひな段状の座席、高座と最前列の距離などは右上写真をご参照いただきたい。なお、この写真は松喬師匠のHPの日記から。


 まあ、落語はマイク通すと変わります。こうして直接聴いてもらうんが一番です。

 落語ゆうのは、お寺さんの説教から始まりました。
 京都の浄土宗の安楽庵策伝のお説教がまことにおもしろい。これを集めた『醒睡笑』が落語のネタの元といわれてます。
 低い所では見えないので高い所に座ったので高座とゆうようになった。ですから私どもも高座に上がるといいます。

 ただ、策伝はお説教ですから我々と違ってお金は取らない。生きてる人からは・・・・取らない。死んだ時にまとめて取る。ほんで、いっぺんで終わりかなあ・・・思たら初七日とか一周忌とか、死んだ人からは根こそぎ。

 元禄時代、京都には露の五郎兵衛が出ました。五郎兵衛は辻ばなしです。

 その頃、大阪では米沢彦八が出ました。彦八は生玉神社
(いくたまじんじゃ。生国魂とも)で小屋がけです。

 これが江戸に伝わって鹿野武左衛門が出ました。
 イメージとしては上方は漫才、江戸は落語ゆう感じですが、元々は京都、大阪、江戸・・・ゆう順番なんです。
 ただ、東京と大阪ではお金のもらい方が違いまして、東京では先払いなんです。大阪では、終ってからおもろい思たら、ここに銭入れとくんなはれとざるを回す。
 せやから東京では下手でも、おもろのうてもええねん。今日と一緒や。大阪は面白なかったら、帰ってしまう。
 大阪は滑稽噺、東京は人情噺を中心に発達しました。
 江戸の落語の7割は、上方落語がもとでんねん。東京ででけたんは3割ほどしかあれへん。
 「時そば」かて、大阪にある「時うどん」を「そば」に安易に変えただけでんねん。ほんで、わざわざおもしろい噺をおもろないように変えてまんねん。

 江戸の落語は八っつぁん、熊さん。ほんで与太郎。上方落語はアホが出てきません。弥次喜多を喜六清八に置き換えてます。友達同士ですねん。

 私、年に10回近く、東京で落語さしてもろてますけど、どこ行っても受ける、受ける。そんな、おかしい?て聞きたいくらい。

 東京と大阪は寄席自体が違います。東京は10本のうち、8本、まあ最低でも7本は落語です。あと1本が漫才、あと1本は手品とか曲芸。あと1本が女性がお三味線で俗曲てとこですね。

 そこ行くと、大阪では10本のうち落語は1本だけ。そやから、客も「あ・・・落語か。便所行こう」
 そら、志ん生が行っても、文楽が行っても聴きまへん。
 こっちは便所行こうとするばばぁを引き留めんといかん。そら向こう行ったらばば、あるか知らんけど。
 せやから、マクラ振って、とにかく引きつけないかん。江戸はマクラなんか振ってたらネタやる時間なくなるから、いきなりネタに入ったりしますやろ。
 東京では、客の方がおもしろいとこ探して、笑おうとしている。

  東京で独演会やった後は、銀座の店で打ち上げやることになってまんねん。世話人の同級生がママやってる店ですねんけど。何や漫画家の人がよぉ集まる店らしいです。もうやめはったけど虫プロの社長さんが、松喬さんの落語は大阪の匂いがするゆうて、よぉ来はりました。
 落語は、やっぱり陽気な方がええねってゆうたはりました。私ら笑いを倍、取ろうとか思いますからね。
 ただ、今、大阪でも噺家が220人くらいいてますからね、中には陰気な人間もいてる。

 今、NHKの朝ドラで「ちりとてちん」てやってまっしゃろ?今まで、NHKの朝ドラの主人公、ヒロインゆうたらべっぴん
(美人)やったのに・・・・・・。 
 「どんと晴れ」の主人公なんてしゅっ!としてましたやん。今の主人公、どうでっか?周りの子の方がきれいでっしゃろ?おかんの方がよっぽどきれい。

 ただ、NHKもいろいろ調べてるようなんです。今、大阪に5人、女性落語家がいてまんねけど、その5人よりはうちの
(NHK)方がきれいやと。
 美人やったら、しゅっ!と黙ってますやん。それが
(「ちりとてちん」の)主人公は目ぇむいたり、横、きっ!と向いたりそんなんばっかやってまっしゃろ?
 まあ、女性の落語家なんか美人やったらあきまへんわ。みんな楽屋でやられてまう。

 でも演技力は評価されてるようです。こないだ鯖江でトークショーをやりました。NHKアナウンサーとも話をしてたんですが、噺家の役をやる役者さんゆうのは大変やそうです。
 いろいろセリフを覚えな、あかんのでね。
 私ら見てたら「下手やなあ」て思いますが、役者さんはちゃんと噺家の匂いを見せるだけ大したもんですなぁ。

 どうも松喬師匠は「ちりとてちん」の貫地谷しほりはあまりお好きではないようである。まあ、お母さん役の和久井映見がかわいいのは認めるが。周りの子というのは、同級生役の佐藤めぐみのことだろうか。
(なお、私石野はほとんど観てないので、公式HPのここを参考にした。

 私も1月に新歌舞伎座に出ますねん。中村美律子や中条きよしと一緒に「出囃子一代」ゆうのにね。15日からお稽古に入るんです。
 前、芝居に出てから2年ぐらいブランクがあるんですが、中村美律子さんに頼まれましてね。その間、スケジュール空けなあかんから、けっこう大変なんです。
 この芝居は林家とみさんの話でして。この林家とみさんゆうのは二代目林家染丸の奥さんです。この染丸ゆうのは五代目松喬。私、六代目の松喬やから先代ですな。
 この松喬ゆうのは、それまで松鶴になる名前やったんですが、それが継ぐことができんで、まあ、すねてしもてゆうか、名前も林家に変え、紋もうさぎの紋にしてしもた。
 で、このとみさんは出囃子で有名な人でね。美人でした。とみさん殺したんは鶴光でんねん。車乗ってる時にオカマされてね。追突されてムチウチになって、寝込んで、そのまま・・・・やったんです。で、そん時運転してたんが鶴光やさかい、とみさんを殺したんは鶴光や、ゆうことになってます。

 鶴光とは、下ネタの多いラジオDJとして売れた笑福亭鶴光
 なお、松喬は「しょうきょう」ではなく、「しょきょう」、松鶴も「しょうかく」ではなく「しょかく」とゆうのは知っていたが、鶴光も正しくは「つるこ」らしい。
 ただ、ラジオやTVでは本人が自己紹介のあいさつで「つるこうで、おま!」と言っていた。

 で、芝居の中でそのまま染丸・・・とはいえないので、旦那を林家楽丸として中条きよしさんがやり、私は当時の大師匠の愛喬ゆう役で出てます。セリフは少ないんでっけど、(芝居の)頭とケツに出てくるさかい、途中で帰られへん。ああ、あれって自分の出番終ったら、帰れるんでっせ。私ら、歌謡ショーに出ることあれへんねからね。

 まあ、ああゆう芝居は1時間50分に収めますから、まあ、化粧落として2時間かそこらで帰れるんです。少ない毛ぇやけど、シャワー浴びて。
 だいたい11時と4時の2回やさかい、まあ6時過ぎには終る。私ら
(寄席で)トリ取ったら、だいたい8時半頃でっから、公演の間、ほかの仕事ができんゆうても、鶴瓶(つるべ。今度、紅白の司会をする)との二人会とか、ちょっとは入れてます。
 で、この芝居、6月に新宿コマでもやることになりましてな。今、慌ててスケジュール調整してまんねん。
 ここだけの話でっけど、芝居出てるより、落語の方が儲かりまんねん。芝居は相手のセリフも覚えなあきまへんやろ?落語もそうでっけど、落語は一度覚えたら一生もんですやん。こっちは、たかだか2ヶ月のもん。そうでっしゃろ?

 どうせ落語家のセリフやねんから、適当にゆうといたらええんやろ?って言わはる人おるけど、こっちが勝手にやったら、向こうがうろうろする。これがきっかけで相手がしゃべるゆう決め台詞はちゃんと覚えとかないかん。

 私、この芝居の前は首つりの役やりましてん。「文七元結」
(ぶんしちもっとい)ゆうて円朝三遊亭圓朝のつくった噺で、今、歌舞伎でも勘三郎さんがやったりしてるけど、そのパロディで。


 「文七元結」は、幕末から明治初期にかけて活躍した圓朝が、薩長の田舎侍に江戸っ子気質を示すため創作した噺といわれる。
 左官の長兵衛は腕はいいが博打好きが昂じて借金がかさみ、娘のお久が廓に身を落として金を工面する。しかし長兵衛は、吾妻橋で売上げの50両をなくしたと身投げしようとしていた奉公人文七と出会い、その金を渡す。ところが、その金は文七が取引先に忘れていて既に届けられていた。後に文七はお久と夫婦に・・・という噺。

 


 私、50両の借金ができて川に飛び込む前に首つろうとするんです。そしたらうまいこと、道に縄が落ちてる。喜劇やから、輪っかまでついたぁる。最初、柳の木ぃで首つろうとするんですが、死なれへん。伸びよるさかい。
 次、材木置き場で首つろうとするんやけど、木がくずれてあかん。
 死ぬんやったら川に飛び込めと智恵つける人がおって、川のねき
(近く)に行こうとしてある人に出会う。その人はちょうど50両持ってんねけど、自分も要るからそない簡単には渡されへん。それで、二人で舞台の端から端まで何べんも行ったり来たりしまんねん。新歌舞伎座があない広いとは思わへんかった。

 しかし、結局、これで人の命が助かるんなら・・・と私にくれるんやが、何を思たか私がそれを持って川に飛び込もうとする。「何をすんねん」とばかりに私がつけてた縄の端を持って引き戻そうとする。舞台2回回りまんねん。広いでっせぇ。二度としとぉないわ。

 3回目に回るのんが逆になって、何や逆に私が追いかけるような形になって、その人の方が川に飛び込んでしまう。そこで、私がはっ!と我に返る。ああ、これで死ないでもええと周りを見ると誰もおらん。そら、そや。川に落ちてしもたから。
 ああ、あら神さんやったんか、と手を合わせる。50両の小判の封印切りっちゅうシーン。夜ゆう設定でっさかいな。暗闇の中を50両の小判がキラキラキラゆうて散らばる。ちょ〜ん!とキが入って、暗転。わぁ〜〜っと拍手・・・・ちゅう芝居でした。

 芝居ゆうのはねぇ、しゃべんのに「もっとテンション上げぇ」ばっか言われまんねん。
 で、全員での稽古ももちろんやりまんねんけど、「抜き稽古」ゆうて、でけんもんだけで居残り稽古させられまんねんなぁ。「今日の抜き稽古、発表しますぅ」ゆうて、いっつも入ってんのん私。
 舞台監督に、「ちょっと師匠、落語やってみて」とか言われまんねんな。それで「こんちは!」「おお、どないしたんや」「実は・・・」とかやってたら、「ほな、師匠にひとくさり、やってもうた後に、何ゆうてんねん、一人で!とかツッコミ入れましょか」とか、台本は一応あるけど、そんな風に現場でつくっていくんです。1週間ほどでだいたい形ができてくる。それまではダメ出しばっかりです。

 今度の芝居、正月の2日から25日が千秋楽。でも稽古は12月31日フリーでんねんで。そんなん直前までやったらええのに。
 中村美律子、紅白復帰するつもりやねん。紅白のリハーサルの日ぃも空けたぁる。
(小声で)・・・・・落ちたらどうすんねん?
 あれ、確か、10日前後に出場歌手の発表、おまっしゃろ?

 紅白ゆうたら、大阪でも落語家多いけど、紅白の司会出したん、笑福亭だけだっせ。鶴瓶がしよるんでっけど。鶴瓶と言えば、今、全国で「らくだ」の独演会やってます。8500円も取りよるんでっせ。
 こないだも電話かけてきて、「『らくだ』のあこ、僕がやっても、うけへんのに、兄さんがやったらうけますねん。何か違うことやってまんのんか?」とか訊いてきよった。
 是非聴いてほしいゆうから、まあ、舞台の袖ででも聴こかな、思てたら、「席、取りましたから。桟敷のけつから2番の席。こんなとこしか取れへんかったけど」ゆうて券くれたんで、そこで。

 実は落語やってて、私らから一番よぉ目につくのははじっこ。それも、隅のけつから2列目、3列目ゆうとこです。その辺であくびとかされたら、よぉわかる。
 真ん前ゆうのは、さっぱり目に入りまへんねん。と、ゆうのは上、下
(かみしも。二人を演じ分けるため、右を向いたり、左を向いたりすること)するから。

 せやから鶴瓶も私のことがずっと目に入ってて、緊張感ありましたわ、ゆうてました。まあ、落語としてはね、未熟な部分もありますけど、東京から電話かけてきました。来てくれたゆう礼とね、できたら感想を・・・ってゆうから「ネタの繰
(く)りすぎやな」てゆうたら「わかりますか?」て驚いてました。
 訊いたら1時間もかかる噺、毎日、毎日繰ってた
(練習していた)そうで、こら大変なことなんです。わたいら、ようせん。
 ネタを繰りすぎるとね、間
(ま)が取れずに早口になるんです。頭で考えんでも口が勝手に動いて、覚えてのぉても覚えてるみたいに次々言葉が出てしまう。
 ちょっとずつ思い出しながら・・・・ぐらいの方が、かえって間ぁが取れたりするんです。

 ここで、ふところから銀のけっこう大振りな懐中時計を取り出し、自分の右斜めに置かれた。

 この辺の「繰りすぎ」とかの話はなかなか深くておもしろかった。

 まあ、ほんでも、あない大勢のお客さん、満足させてるのんは大したもんです。
 鶴瓶は「らくだ」は今のスタッフでやりたい、ゆうてるからあんだけのお金を取らんとやって行けんそうです。お囃子とか、かんかん踊りとか、いろいろ大勢の人間使(つこ)てやってますからな。
 おもろいんが、そのスタッフ、落語知らん人ばっかりやそうです。一人だけフジTVの人が京大の落研やったそうで。頭のええ人の落語は、ろくなことないけど。

 まあ、今後も鶴瓶との二人会は続けたいなぁて思てます。何やあいつも、7月、8月は映画の主演の話があって・・・とかゆうてましたけど。
 私らでも、早いやつやったら3年先のスケジュールまで入ってまっさかいな。「へえ、生きてたら行きます」ゆうてまんねん。そんなん、わからへんもんねえ。







 
一人の噺家さんを途中で切るとゆうのは今までにないことなのだが、まだマクラが続くのでここでいったん切らせていただく。 

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録音等はしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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