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(No74) 「豆腐屋寄席」 鑑賞記 その4  

 仲良くさせていただいているぐんままさんが、近所のお豆腐屋さんが落語会をするのだが、行く気はないか?と尋ねてくださった・・・・・・・の完結編。

 


(3) 笑福亭松喬 「崇徳院」

 
いよいよ真打登場・・・・・・・の続き。
   今日は皆さんに落語を生で聴くという経験をしていただいてます。これをきっかけに今後もどんどん聴いていただくようになれば・・・と思います。いや、もう充分・・・・・って言われるかもしれませんけどね。

 うちの三喬が繁昌亭大賞ゆうのをいただきました。三喬がトリ、私が中トリでまた会をやらしてもらおか、と思ってます。
 副賞は何もろたんや?って訊いたんですが。

 実は私も20日くらいにちょっと大きなものをいただく予定になってます。おとといの夜、9時頃に文化庁の方から電話があったんですけどね。
 嫁が副賞に何ぼもらえんの?てゆうてました。まだ、詳しくは言えんのですが。

(※ 石野注 何を受賞されるのだろう?文化庁とゆうから文化勲章か何かなのだろうか)

 今日は何やるかも決めてないし、別に何時まで・・・ゆうのも決まってないんです。
 取りあえず明日6時に湊川神社で落語会あるんですけど、まあ、それまでに終ったらええ。
 もっとも、そんなことしたら、○○さんが豆腐つくられへんけど。

 豆腐屋さんは朝早いからね。こないだ、うちに○○さんがミス日本の嫁・・・・・・・・・別によろしいやろ?私が勝手にゆうんは。ミス日本の嫁と一緒に今日の打ち合わせに来た時、7時頃になった時、○○さんが、帰ったら9時過ぎになる、もう寝なあかんと言わはりました。
 豆腐屋さんゆうのは、午前2時に仕事が始まるそうですな。私ら、2時によぉ帰ってくるんですが。

 豆腐もそうや思いますけど、作ってる人間の良さとか、その人間の性格が出るんですな。
 噺家の性格が悪いと、噺の主人公の性格が悪なりまんねん。

 落語でね、50点取ろうと思たら、まあ、がんばれば100人おったら100人取れますねん。それが10年かかるか、30年かかるかはわかりまへんけど。

 60点取れるのは、まあその半分の50人。
 70点取れるのは25人。80点が10人やとしたら、90点取れるのは5、6人。そして100点取れるのはええとこ1人か・・・・・・、まあ、おっても2人とかゆうとこでしょうか。
 そこで90点と100点のどこが違うんか。芸そのもんは、ほとんど変わらんと思います。後は、性格ゆうか、人間そのものの違いでしょう。

 昔から名人と言われてる文楽、志ん生、円生、小さん・・・・・・・・・。その中でもやはり、一人だけあげるとしたら、志ん生・・・・・・そう言わはる人が多いんやないでしょうか。

 こんな話を聞いたことがあります。
 昔、文楽と志ん生が地方巡業に行ったそうです。志ん生は息子の志ん朝、当時はまだ朝太とゆうてたそうですが、志ん朝を連れ、文楽も誰か弟子を連れて行ってたそうです。
 昼になって、弁当が出たそうなんです。まあ、田舎の寿司やったそうなんですが、文楽は「こんなまずいもんは食えねぇよ!」と言って、弟子と一緒に、外へ食事に行ったそうです。

 で、志ん生はどうしたか。志ん生も結局、外へ食いに出たんでっせ。出たんでっけど、こう、息子を叱り付けたそうです。
「なあ!こうゆうとこじゃ、昼
(しる)に弁当が出たりするんだよ。だから、さっき、食べない方がいいって言っただろう!

 文楽みたいに「まずい」と言って、出してくれた人に恥をかかせたりするんじゃなく、うっかりさっき食べてしまったので腹がふくれて弁当が食べられない・・・・・・・そうゆうたそうです。
 なかなかええ話やなあ、と思う。

 こないだNHKで「寝床」か「愛宕山」か「崇徳院」のうち、どれかを演ってくれと言われた。「寝床」は三味線が要るし、「愛宕山」は覚えてへんので・・・・・ということで、「崇徳院」が始まった。


「おぉ、熊はんか」
「ああ、旦さん。天下茶屋で仕事があって出ておりました。
 帰ってきたら、母屋
(おもや。「母屋」と「離れ」といった位置的関係でなく、主人筋の家。いわば「主家」ということか)から急な用事とゆうことで急いで参りました」
「実は倅
(せがれ)、作治郎のことなんやが」
「へえ、若旦那が何か?」
「こないだから寝込んでしもてな」
「よもや・・・と思っとりましたが。ほな、わたい、これからお寺さんへ」
「待ちなはれ。倅はまだ死んどりゃせんで」
「え?そら埒
(らち)のあかん」
「埒があいてたまるかい。
 お医者はんのゆうことには、こら薬では治らん、気病
(きやま)いじゃ、と言いなさる。
 しかし、その思いごととゆうのを、親の私らが訊いてもゆわんのじゃ。こなた、一体、誰にならゆうのじゃ、と訊いたら、熊はん、あんたになら打ち明けると。
 親が訊いてもゆわんこと、他人のあんたに・・・と思たが、そう言やぁあんたと倅は小さい時分からうま合い
(うまが合う仲)じゃった。ちょっと聞き出してくれんやろか」


(承知した熊はんが、若旦那の寝ている離れへ行く)
「誰も来たらあかんゆうてんのに・・・・・・・どなたや?」
「わたいでおま。手伝
(てった)いの熊五郎でおます。(戸を開けて、大声で)あんた、患ろぉてんねんてなぁ!
「何ちゅう大っきな声や。頭にひびくがな」
「いや、わたい喜んでまんねんで。親にも言えんこと、この熊五郎になら打ち明けるやて、嬉しいやおまへんか。さぁ、おっしゃれ、おっしゃれ」
「そやけど聞いて笑
(わろ)たりしぃなや。笑たら、わたい・・・・・死ぬし」
「そんなもん、笑たりしまっかいな。怒っときます」
「別に怒らいでも、ええけど。いや・・・・・違うねん。えへ、へ・・・・・うふふふふ」
「あんた、笑てなはる」
「ほたら、お前が死ぬか?」
「あほなことゆうてんと、はよ言いなはれ」

「十日ほど前に、店の亀吉連れて高津はん
(高津神社)にお参りしたんや」
「そら結構。信すりゃ得する
(徳する?信仰は良いことだ、という意味か?)ゆいまっさかい、行きなはれ、行きなはれ」
「疲れたさかい絵馬堂の茶店で一服した」
「ああ、あこは見晴らしがええ。腰掛けたら、じき
(すぐ)にぶぶ(お茶)くんでくる、羊羹持ってくる。また、あこの羊羹が分(ぶ)が厚ぅてうまい。あんた、何ぼほど食べなはった?」
「ほっときぃな、そんなこと。
 そしたら、年の頃なら十七、八。水も垂れるようなおなごはんが入ってきはった」
「はあ、お天気が定まりまへんからなぁ・・・・。ビシャビシャのおなご?」
「いや、きれいなお方のことを水も垂れるとゆうのや」
「かなんなぁ、そんな英語使
(つこ)て」

「そのおなごはんが、わたいの顔をじ〜っと見つめなはる」
「何さらすねん。メン切ってまんねんがな」
「わたいも、そのおなごはんの顔をじ〜っと見つめてたら、そのおなごはんがニコ〜っと笑いなはった」
「ははぁ、笑
(わろ)たら向こうが負けや」
「にらみ合いしてんねやないがな。
 後から来て先に立たんならんようになって、出て行きはったあとを見ると緋塩瀬
(ひしおぜ)の茶袱紗(ちゃぶくさ)が忘れたぁる」
「うまいことやんなはったなぁ。やっぱり信すりゃ得するゆうさかい。何ぼで売りなはった?」
「売ったりするかいな。
 これあんさんのんと違いますか?と手ぇから手ぇへ渡したげるゆうと、丁寧におじきしはって、元の茶店に戻って料紙を出せとおっしゃる」
「そない無茶ゆうたらあかんわ。高津さんあたりに猟師がおるかいな。もっと山手へ行かんと」
「紙に硯を添えて持ってくるのを料紙とゆうのや。紙にさらさらぁ〜っと『瀬を早み 岩にせかるる 滝川の』、としてある」
「そら、油虫のまじないでっか?」
「崇徳院さんの歌やがな。
 下の句が『割れても 末に逢はんとぞ思ふ』、それが書いてない。こら、今日は本意
(ほい)ない(本意ではない、やむなく)お別れをいたしますが、いずれ末には嬉しゅうお会いできますように、とゆう先様のお心かいなと思うと、家に帰ったきり頭が上がらん。
 思いつめてると、天井に、その娘はんの顔が浮かんでくる。欄間の鍾馗さんが娘はんの顔に・・・・・掛け軸の天女の顔が娘はんの顔に・・・・・・、熊はん、こないしてしゃべってると、おまはんの顔もだんだん娘はんの顔に・・・・・・・・」

 米朝、枝雀の速記本では「欄間の天女」、「掛け軸の鍾馗」となっている。しかし、私のメモでは「らんまのしょうきさん かけじくの天女」となっている。(メモなんで漢字はあまり使わない)
 私の書き間違いか、松喬師匠の言い間違いか、米朝系と松鶴系とは異なるのか?

「気色悪いこと言いなはんな。しかし、よぉ、そこまで惚れなはった。そら、向こうがどれだけの御大家(ごたいけ)か知らんけど、ここの家(うち)もこれだけの身上(しんしょう)や。よもや釣り合わんてなことはおまへんやろ。

 どこのお方でんねん?おっしゃれ、おっしゃれ?え、わからん?皆目?亀吉がいてましたんやろ。何で、ちょっと後つけさせて、どの辺か調べささなんだんや。抜かったなぁ。・・・・・そんな顔しなはんな。
 わかりました。何としてでもたずね当てて一緒にさせたげまっさかい。ほれ、空気入れ換えて」


(熊五郎は、母屋に戻りながら)
「金のある奴はしょうもない事で悩みよる。
(がらっと扉を開け、旦那に)へい!聞いてまいりました!」
「ああ、どないゆうてましたかな、倅」
「えらいことゆうてまっせ、倅
(私のメモでは、「息子」とあるが、他では「倅」と言ってた気がするのだが・・・・)
「おまはんが倅ゆうこたない」
「こないだ若旦那、高津さんにお参りしなはったやろ?
 何で生玉はんに参らさん?
 高津さんにお参りして、茶店で休みなはった。あこの羊羹、分が厚ぅてうまい」
「え?何か。倅は、その羊羹が食べとぉて気病いになったんか?」
「いや、そらわたいが食べたい。
 何でも、その店にビチョビチョのおなごが入ってきはったそうで」
「ビチョビチョ?そら、水も垂れるおなご・・・やないのか?」
「そう、英語でねぇ。そしたら、そのおなごがメン切りよった。わたいやったら、ぼぉ〜ん!といったるとこやのに。後から来て先に立たんならんようなことになって、そのおなごが、ひしおぜのちゃぶくさ・・・たらゆうもんを忘れていった。ほっときゃええのに、若旦那の世話焼き。これあんさんのんと違いますか、と手ぇから手ぇへ渡したるとゆうと、そのおなごが、いきなり狩人を出せ、と」

「何や、狩人を出せ、て?」
「へえ・・・・、旦さんも知りはらへんの?紙に硯を添えるのを狩人と言いまんねん」
「そら料紙や」
「その料紙に歌を書きはったんや。
 ええと、石川や 浜の真砂は尽きぬとも・・・・、ちゃうな。誰の歌やったかいな。さ・・・し・・・す・・・しょ・・・・障子張る・・・か。破れたら、また張れ・・・・。ちゃうな、確か、『ひとくい』ゆう人の・・・」
「ひとくい、て化けもんみたいな・・・・そら、崇徳院さんの歌と違うかい?」
「崇徳院さん?ああ、そうそう。で、崇徳院さんの歌て、どんな歌?」
「どっちが聞いてきたか、わからんな。崇徳院さんの歌とゆうたら、瀬を早み 岩にせかるる 滝川の 割れても末に逢わんとぞ 思ふ・・・・・」

「その下の句が書いてないのが、先さんのお心かいな・・・・思たら、頭が上がら〜ん、わたいの顔を見ても娘はんの顔に見える・・・・・・ゆうて。
 その娘はんと祝言あげさせてやったら、たちどころに治ること間違いなし。
 本日は全快、まことにおめでとうございます!」

「ああ、そうかいな。まあ、あんさんが仲人ゆう訳にはいかんけど、橋渡しゆうことで、一つ、先さんに掛け合
(お)うもらえますかな」
「・・・・・行かんこと、おまへんけど・・・・・。分かりまへんねん」
「分からん?分からんゆうても、日本人でっしゃろ?」
「・・・・・・ボルネオ人やないと思いまんねんけど」
「日本人やったら大阪中探しなはれ。大阪でわからなんだら、名古屋、浜松、東京。今は日本中、縦横十文字
(たっちょこじゅうもんじ)に道がついたぁるねん。

 ただとは言わん。こんな事は言いとぉないが、おまはんには何ぼか貸したぁる。証文、預かってるが、これを棒引きのうえ、別に一時のお礼をしよやないか。

 何?家に帰って仕度?そんな間ぁはないねん。倅、あのままでは五日、もたん言われてんねん。

 何?腹が減ってる?
(店の者に命じて)これこれ、熊五郎、お腹が減ってるそうや。ご飯の仕度したっておくれ。何?お膳なんか要らん。おひつ、たすきでくくったって。
 おかず?そんなん沢庵でええ。え?切らいでもええ。

 ええか?熊はん。あんた、歩きながら沢庵かじって、飯食いながら探すのやで。

 何?草鞋(わらじ)が切れかけ?そら、あかんがな。おい、草鞋五足ほど、腰に吊ったっておくれ。

 ほな、はよう行っとぉいなはれ!
(ぽん!と背中を叩いて追い立てる)







 
一人の噺家さんを途中で切るとゆうのは今までにないことなのだが、さらにもう一回切らせていただく。 

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが録音等はしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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