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(No61) 京都ミューズ落語会 米朝落語会 鑑賞記その2   

 平成19年10月17日(水)、午後6時30分から京都府立文化芸術会館で開催された米朝落語会の鑑賞記・・・・の続き。

 


(3) 桂千朝 「鴻池の犬」

 
会場配布のリーフレットによると、昭和31年生まれで、昭和49年に米朝に入門。
   これまで何回か書いたが、粘っこい語り口の噺家さんである。

 弟子は取っていないようだ。

 高座に上がって礼をする時、何か前の方を探すような様子だった。あれは何だったんだろう?見台はなかったが、そんなもんを探す筈もないだろうし。

 動物ゆうのは可愛いもんですな。今は、百貨店でもスーパーでも、ペットコーナーがあって、ペットに関する品物を置いてます。
 干し肉・・・・・ですか?ジャーキーゆうのは。犬の身体に優しいささみジャーキーとかね?犬のおなかのビフィズス菌を増やすオリゴ糖入りのジャーキー・・・・・・・とか。
 私ら、小さい頃は、犬の腹ん中のビフィズス菌の心配をするとは思わなんだ。

 最近では犬用のチョッキとかパラソルなんかもあるそうですな。祭りの時の浴衣とかお面なんかもあるらしい。犬がスヌーピーのお面とかするんでっしゃろか?

 神戸で落語会があった時、目の不自由な方がいらっしゃって、盲導犬を連れておられました。あの犬は偉いですなあ。2時間の間、ワン!ともキャン!とも言わんと、落語聴いてる。笑いはしませんが、微笑みを浮かべて。

 

「常吉、常吉。まだ起きる時間には早いねが、年取ると夜聡ぅ(よざとう。ちょっとした物音でも目を覚ますこと)なって、どもならん。
 最前、何ぞ表でドサッ!ちゅう音がしました。おそらく、拾い屋がごみでも落としていったんやと思うねやが、ひょっと焚き火でもされたら、大変じゃでな。もらい火はしゃあないとして、うちから火ぃは出しとない。
 おまはん、すまんが、ちょっと表を見てきておくれ」
「へい、かしこまりました。

 旦さん、えらいこってす。捨て子でやす。ミカン箱ん中、ぼろぎれにくるまって・・・」
「むごたらしいこっちゃないかい。よくせき
(よっぽど)お困りになったとみえるな」

「返してきまひょか?」
「返すて、捨て子みたいなもん、どこに返すねん?

 ああ、よぉ捨て子なさった親は、その子ぉがちゃんとうちら
(家の中)に入れてもらえるまで心配でその場をよぉ離れんてなことゆうが、何ぞそれらしいお方でもいてなさるのか?」
「そんな方は、いたはらしません」
「ほな、どこへ返すのじゃ?」
「お隣さんです。この捨て子、最初はお隣の前に捨ててあったに違いないんです。
 お隣、うちより先に見つけはって、ほんで、うちの前まで引きずってきはったんです。その証拠に、地べたにひきずった形
(かた)が・・・」

「お隣さんのなさりそうなこっちゃなぁ。町内一の始末家
(しまつか。倹約家)
 変に関わりあいになって、物要りになってはいかんと思いはったんやろう」

「旦さん、大変です!ご兄弟がいてます!」
「・・・・・・騒動やがな。何人いてござるねん?」

「犬の子が三匹でやす。あ、この白と黒の犬。こうゆうのをぶち犬ゆいまんねん。
 次は、真っ白な犬。こうゆう犬は、人間に近い、ゆいまっせぇ。

 あ、三匹目は真っ黒な犬です。差し毛一本あらしまへん。こうゆうの、むく犬ゆいまんねん。尾ぉかて左巻いてるし、この犬は強なりまっせぇ。旦さん、この犬、わたいにおくなはれ
(下さい)

「丁稚の身分で犬くれてなことはないが・・・・・。しかし、困ったな。犬とは言え、ほっとくわけにもいかんが、私はこれまで犬の子一匹、猫の一匹も育てたことはないでな」
「旦さん。私、小さい時分、犬、飼
(こ)うてたから、よぉ知ってます。こない小さい犬は硬いご飯よぉ食べんさかい、おかいさん(お粥のこと)とかオジヤ(雑炊のこと)にカツブシ(鰹節)の粉(こ)ぉかけて、食べさせますねん」

「そら邪魔臭いもんやな。常吉。おまはんが飽きんと世話するゆうねやったら、置いてやってもええが」


・・・・ということで、この家で飼うてもらえることになりました。犬のこってっさかい
(ことですから)、ものの四、五日もしたら、すっかり慣れまして、店の人の足元にじゃれついたり、丁稚の用事の時にはついて行ったりするようになって・・・・。

「すんまへん。こちらの主(あるじ)さんは?」
「主は手前ですが」
「あのぉ・・・表で遊んでる犬は、こちらの犬でやすか?」
「へえ。今ぶんでは手前どもの犬・・・ということになりますが、何せ畜生のこってっさかい、もし何ぞ粗相でもあったら、ご勘弁を・・・」

「粗相やなんて滅相もない。実は、あの犬のうち一匹をいただけんかな?思いまして」
「商人の家に犬が三匹もおったら、ややこしいてどもならん。たとえ一匹でも、どなたぞにもろていただけんかな、と思てました。どの犬がお望みかな?」
「真っ黒な犬がおますな」
「はぁ、クロが気に入りなはった?どなたの目ぇも同じじゃな。うちの丁稚も、あの犬を一番可愛がってとぉります。いや、そんなことはどうでもよろしい。どうぞ、連れてお帰りを」

「店に帰って、主
(あるじ)に申しましたら、さぞ喜ぶことと存じます。今日は通りすがりでございますので、いずれ日を改めまして、吉日を選んでいただきにあがります。それでは、本日はこれで・・・」
「・・・・・・・・・・・・何じゃ、あの人は・・・・。なぶりに来たんか?
 主にゆうたら、さぞ喜ぶことでしょうぉ?吉日を選んでぇ?あこの家は犬を可愛がっとるで、主に犬のことゆうたったら喜ぶで、てな噂でも飛んでんのちゃうか。

 これ、常吉、常吉!犬、可愛がんのんも大概にせな、あかんで」

 それきりすっかり忘れておりましたが、10日余りたったある日、紋付袴で、手には扇子を持って店の前に立ったのが先日の人。

「あ、主さんでやすか?先日はどうもありがとうございました。
 あれから主人に申しますと、えらい喜びまして、すぐにいただきに行け、ゆうところをええ日を選んでおりました。今日は天赦日
(てんしゃび。陰陽道の吉日)で、まことに日ぃがよろしゅうございます。
 これは些少ながら、手土産代わりに・・・・・・」
「お身なりが変わっておりましたんで、お見それしました。こないだの犬を差し上げるとゆうお話、あら、都合により変替え
(へんがえ。変更、取消)にさしてもらいます」
「え?何かお気に障りましたか?」
「障りました。えら障りや。
 わたしゃ、この辺に年古ぅ住んどぉりましてな、池田屋ゆうたら名前も知られ、信用ゆうのも、ちったぁいただいとります。

 ものには、ほど、相場とゆうものがおます。これが、じゃこの一掴み、かつぶしの一本でも持ってきはったんやったら、どうぞ連れてお帰り、と申しますが・・・・・こら、何だんねん?
 かつぶしが一箱、酒が三升、反物が二反・・・・。あこの家は、拾た犬で銭儲けしたと言われとぉない。

 また、この大層ななされよう見たら、さだめし医者が見放した病人でもござって、怪しげな八卦見か何ぞが、黒犬の生肝でもせんじてのめば助かるとでもゆうたんでしょう?
 三日でも飼
(こ)うたら情が移りますでな。そんなむごたらしい目ぇにはあわしとぉない。さっさと、これ持って帰っとくんなはれ!」

「あっ!これは言葉が足りまへんでした。
 わたくし、今橋の鴻池善右衛門のところの手代で佐兵衛と申します。実は、うっとこの坊ん
(ぼん。主人の小さな息子)が黒犬を飼うとりましたんやが、その犬が先日、ころっと死にまして。可愛がってた犬が死んだもんやから、そらえらい悲しみようで。
 よぉ似た犬を連れてきても『これはクロやない。クロはどこへ行った?』と泣き通しですのや。これで坊んが患いつきでもしたら・・・と心配しておりましたところ、お宅とこの犬が、そのクロと生き写し。
 早速主に申しましたところ、すぐにでももらいに行けと申したんですが、何せクロがえらい若死にでしたんで、ゲン
(縁起)を気にして日ぃを選んどぉったというわけで。

 お腹立ちでもございましょうが、これは手前どもの主の喜び・・・・ということで。それにお宅とこの犬はオスでやっさかい、いわば養子にいただくようなもの。これは、まあゆうたら結納代わり。どうか、これをご縁に、以後は親戚付き合いを・・・」
「鴻池さんと親戚付き合いがでけまっかいな
(出来る筈がないですよ)。ははぁ、鴻池さんといえば、日本一の金満家(きんまんか。金持ち)。これぐらいのことは、なさるじゃろなぁ。わかりました。どうぞ連れてお帰りを」
「ありがとうございます。
(店の者に言いつけて)ほれ!輿(こし)をこれへ!」

 四隅に金具を打った立派な乗りもんが店の前に。中には緞子
(どんす)の布団がひいてございます。クロはその布団の上に乗せられまして。何せ昨日まで炭俵の上で寝ておりましたんで、何や居心地悪そうに、あたりを心配そうに伺いながら連れて行かれます。

 坊んに見せますと『ああ!クロが帰ってきた!!』と、それはそれは大変な喜びよう。すっかり元気になりました。こうなりますと、今度もし、この犬に何ぞあってはえらいことやと医者が三人かかりっきりで。くしゃみをしたとゆうては薬をのませ、おしっこの時の片足の上げようが悪いといっちゃあ脈を取り。
 広い広い屋敷の中を放し飼い。池に飛び込もうが何をしようが叱られない。毎日滋養のあるもんをいただいておりすから、それはそれはたくましい犬に成長いたしました。

 喧嘩をしても負けたことがない。とうとう船場中の犬の大将となりまして。鴻池のクロとゆうたら知らんもんはおらんとゆう、すっかり顔役となりました。

(手を前につき、犬の格好で)「おい、和泉町のシロ」
「何や、伏見町のアカ」
「1丁目と3丁目の喧嘩の件やけどな」
「横町
(よこまち)のメス犬のポチ子をめぐってのいさかいやな」
「せや。わいらが中に入っていったんは仲直りしたんやが、いまだに道で会
(お)うたら、尾ぉ下向けて、赤目むいてうなりおぉてる。こら、鴻池の大将に入ってもらわな、しゃあない思てなあ」
「ほな、若大将とこに連れていこか」


「おぉ、どぉしたんや?おおぜい寄って」
「へぇ。鴻池の大将。実はこれこれこうゆうわけで」
「おぉ。それで、1丁目と3丁目を連れてきとるんか?ほな、こっち呼んでこいや。

 お前らか。いつまでも子犬とちゃうねんぞ。喧嘩みたいなもん、どっちもつまらんぞ。よぉゆうやろ。噛まれた晩は寝にくいが、噛んだ晩も寝にくい・・・・て、中国の古いことわざにそんなんあるらしいで。

 まあ、こうしてわいが中に入ったんやから、きっちり仲直りせんといかんぞ。でや?腹減ってるやろ。
 おい、何か食べるもん残ってへんか?何?ハマチがある?確か、ビフカツとかカツレツとかゆうような西洋の食いもんがあったやろ?」
「ああ、あら、こないだ西洋の犬が来た時に食うてしまいました」
「ええ?西洋の犬?何てゆう?」
「ラッシーとリンチンチン」
「ほうか。・・・・・・どうでもええけど、名前が中途半端に古いなぁ。
 まあええわ。でや。食うたか?ほたら、夕陽に向かって走れ。・・・・・仲良きことは美しき哉。武者小路実篤・・・・」


 ある日、船場の町にふらふらと迷いこんでまいりましたのが、骨と皮にやせこけ、毛ぇが抜けた、どっから見ても病持ちの犬。

「おい、順慶町」
「何や、平野町」
「よそもんが、わいらの縄張りに来て、あいさつもないで。ちぃ〜っとうたわしたろか
(ちょっと思い知らせてやろうか、痛い目にあわせようか)
「うたわしたろ、うたわしたろ。ワン力
(腕力)でいこか」

 犬でっさかい、大概はワン力でして。前と後ろに回ってわんわんわんわん!病犬
(やまいいぬ)やから、たまったもんやない。きゃいん!きゃいん!と鴻池さんのお屋敷に逃げ込んでまいりました。

「おい、おい。お前ら、何してんねん?」
「ああ。こら、鴻池の大将。いや、こいつがね、よそもんのくせに、わいらの縄張りであいさつもないさかい、うたわそか、ゆうて」
「うたわすやなんて、柄の悪いことをゆうな、船場の犬が。

 お前らがよそもんに親切にしたったら、お前らかてよそ行った時親切にしてもらえるてなもんや。情けは犬のためならずゆうてな。
 第一、見たら病犬やないか。弱いもんいじめすな。


 それとお前も気ぃつけな、あかんで。ちょっとあいさつしたら、こないなことにならへんねん。お前、どっから来たんや?」
「助けていただいて、ありがとうさんでございます。わたい、今宮から参りました。
 二、三日何にも食べんで、おなかすいたなあて思てたら、どっかの丁稚さんが食べてるお芋の皮をぽいっとほって
(放り投げて、捨てて)くれはるんです。それを食べて、しばらくついて歩いてたら、また、お芋の皮、ぽいっとほってくれはって。最後に、 お芋のへた。あっこ一番身ぃが残ってておいしいんです。

 そしたら、二つ目のお芋食べ出しはりまして、ずっとついて歩いてて、二つ目のお芋のへた食べて、ほっと気ぃついたら知らん町ぃ来てまして。お芋につられて船場まで参りました」

「お前、生まれも今宮か?」
「いえ、生まれたんは船場でんねん。船場の南本町です」
「ほたら、地ぃのもんやないかい」
「南本町の質屋
(ひっちゃ)さんとこに用水桶があって、そこの筋向かいの店で育ちましてん」
「そら、耳寄りな話やが・・・・。池田屋ゆう店は知らんか?」
「わたい、その池田屋さんで大きなったんです」
「お前、兄弟は?」
「上の兄さん、幸せなお方。鴻池さんにもらわれていきました。二番目のぶちの兄さん、元気でしてんけど、元気すぎて、ある日、勢いよぉ表に飛び出した思たら、がらがらがら!と車が来て、きゃいん!とゆうたが、この世の別れ。あえない最後をとげましてございます。

 それから、わたいだけ飼
(こ)うてもろてましてんけど、そのうち悪い仲間と付き合うようになりまして」
「悪い仲間ゆうと?」
「ワンワン連合に」
「ワンワン連合ゆうたら、土曜の晩にパパラ!パパラ!ゆうて走り回るゆう?」

「悪い仲間と付き合ううちに盗み食いの味を覚えまして。魚屋さんとっからイワシ盗んだり、アジを盗んだり」
「お前、池田屋さんみたいにええとこで飼うてもぉとって、盗み食いなんかしたらあかへんがな」
「へえ。そのうち盗み食いにも飽きまして、もっと虚無的な遊びをするようになりまして」
「虚無的な遊びて?」
「腐った骨、袋に入れて、それ吸いまんねん。骨吸い遊び、ゆうて。

 そんなことしてたから、罰
(ばち)当たったんでっしゃろなぁ。えらい毛ぇが抜けるようになりまして。
 そしたら、ある日、丁稚さんがわいのこと、遠くへほかしに行きはって。苦労して何とかお店まで帰りましてんけど・・・・・・店の人、戸ぉ閉めて、入れてくらはりませんねん。

 それから、あっちへ行き、こっちへ行き・・・・・・流れ流れて、今は場末に落ち着いたてなわけで」
「そおかぁ・・・・・。おい、順慶町に平野町。聞いてくれ。こいつは、わいが小さい頃に生き別れた実の弟や」
「えっ!この方、大将の弟さん?」
「せや。骨吸い遊びてなことするような弟があったちゅうたら、わい、面目のぉて世間に対して尾ぉが上らんがな。

 いや、しゃあけど、もう心配するこたぁないで。何やったら、旦さんにゆうて、四、五日有馬に湯治に行かしたる」
「こら、弟さんとは知らんで、失礼しました。そう言や、どことのぉ面影が・・・。あ、肩にノミがついてまっせ」
「しょうもないベンチャラせんで、ええねん。

 腹減ってんねやろ?旦さんにゆうて、何ぞもろてきたるわ。」

「こい、こい、こい、こい、こい!」

「お、ちょうど呼んではる。待っとれよ」
 と、ゆうなりお屋敷の方へ駆けて行ったかと思うと、大きな魚をくわえて帰ってまいりました。

「兄さん、それは何でやす?」
「こら、鯛の浜焼きや」
「えっ?鯛の浜焼き?鯛てな、美味しい魚があることは話では聞いたことあります。
 兄さん、先食べとくなはれ。わたい、残ったら骨よばれます」
「何?バカなことをゆうな
(枝雀師匠の口調で)
 鯛の骨みたいなもん、硬
(かと)うて食べれるかいな。
 遠慮せんと食たら、ええねん」

「こい、こい、こい、こい、こい!」

「あ、また呼んでるな。ちょっと待っとれよ」


「兄さん、そら何でやす?」
「こら、う巻きや」
「う巻きゆうと?」
「うなぎを卵で巻いたんのや」
「えぇ?うなぎだけもうまいのに、それを卵で巻いたぁる?はぁ〜〜、目まいがしそうな。
 兄さん、先おあがり」
「そない、一回、一回遠慮せんでええねん。
 わい、ここんとこ、あぶらっこいもんが続いてたからな。
 今晩あたり、あっさりとフジッコで、お茶漬けでもしぃたいなぁ思てたとこやねん」

「これ、兄さんの器でやすか?漆の塗りで上等ですな。
 わたいなんか、欠けたすり鉢で、舌、ざらざらしまんねん」


「こい、こい、こい」

「おお?今日はよぉ呼ぶな。待っとれよ。今度は、あっさりした汁もんでも、もうてきたるさかいな」
 そうゆうて、お屋敷の方へ駆けて行ったかと思うと、今度は尾ぉ下げて、しおしおと帰ってきた。

「兄さん、今度は何をもうてきなはった?」
「何もくれはれへんかった・・・」
「え?でも、こい、こい、こいて」
「ああ、あら、しぃ〜、こい、こい、こいゆぅて、坊んにおしっこさせてはったんや」

 きちっとした形で、一席聴けて、よかったと思う。




(4) 桂米朝 「よもやま噺」

 京都のここは、前回と同じく、実に平べったい高座。

 見台にもたれかかるようにして高座の座布団に座る。

 座る拍子に、見台に拍子木を叩くが、音はしない。叩く勢いが弱いからなぁ。大概は、ここでぴしっ!と音が響くのだが。

 この頃、わかりまへんねん。
 あの噺、やったかなぁ?て聞いたら、やってますて答えられて。なぶってんのちゃうかな、て。

 いつも通り「親子のつん○」をやり始めて、楽屋口に向かって「これをやるのかいな?」と問いかける。

 で、その後は、いつもの「親子のつん○」と「川越えの○んぼ」。

 今日は、だいぶ疲れ気味なのか、あっというまにオチへ行く形。

「あない深かったら、渡れんわ」というオチになったとたん、どん!どん!と鳴りもんが鳴って、楽屋から千朝と小米朝が出てきて、米朝師匠の両脇へ。 

千「ご存知と思いますが、小米朝君が来年の秋に米團治を襲名することになりました」
小「ええ。米朝師匠の師匠ですから、大師匠の名ぁを継ぐことになりまして。昭和26年に亡くなりはったんで、57年ぶりに復活、ゆうことで。

 あのぉ、これは認めていただいてますよね?」
米「何で?」
小「いや、そんなん認めた覚えはないて、どこぞでゆうたはったらしいから、この際、確認しとこぉ思て」
米「自分でも自信ないねん」

小「師匠も11月6日に82歳になりはりますな」
千「師匠、昔、55歳で死ぬゆうたはりましたね?」
米「もう一人の師匠の正岡容
(いるる)も55ぉで死んだしね。

 軍隊行った時、手相を観る人がおって、その人が、あんたは55ぉで死ぬてゆうてん」
小「何で死にはらへんかった?」
千「これこれ」

小「55になったとき、黄疸で西宮の明和病院に3ヶ月、入院しはりましたな?
 あん時は、こら、いよいよかな?て思いましたが」
米「死なな、いかんのか?」

千「米團治師匠て、どんな方でした?」
米「陰気な人やったな」
小「何か、あんまりええ名前やないよぉに思えてきた」
米「みんな、米やん、もうちょっと、陽気になったらええのに、てゆうてた。

 こお
(と、掌を前に出して、腕を前にぐ〜っと突き出す)、押し出す芸やのぉて、みんな(手の甲を前に見せて、腕を内側へ引く)、うちら(内側)に引くような芸やった」
小「ほな、私と正反対の芸ですねぇ。私は、外へ出すばっかりて言われてますけど」

千「米團治師匠て、几帳面でズボラやったそうですな」
米「家の隣が、東成区役所でな。
 後妻さん、もらいはったんけど、婚姻届、出さんと。

 で、後妻さんが、わたいの籍、どないなってんねん?て聞きはったんやけど、引き出し開けて、ちゃんとここにあるて、言わはった。

 まあ、ああゆうもんは出さんとあかんねんけど、後妻さんも、ああ、そうかゆうて納得しはったらしい。」
千「ほな、最後まで出さず仕舞でっか?」
米「せやな」
小「最後まで米團治師匠は貧乏やったんですか?」
米「どん底やな。あの当時、売れてたんは初代の春團治くらいちゃうか?
 五代目の松鶴とか六代目なんか、どないして食うとったんか?思うくらいやったからな」
小「その時、師匠はリンゴとか食うてはったそうですな?えらい、様子した
(気取った)奴やゆうて評判になったそうですが」
米「あら、体裁
(ていさい。気取り、いい格好)してたんちゃうねん。腐りかけたリンゴて三つ20円くらいで安ぅに売ってたんや」

小「一つくらい陽気な話はおませんのか?」

千「(米團治は、)『代書屋』の作者やで。」
小「米團治師匠は、自分で店出しはったんですか、それともどっか代書の店に入ったんでっか?」
米「代書屋の店に入ったんや」
千「あら、その店での実体験なんでっしゃろか?」
米「せやろなぁ。あら、名作です。
 サゲがいろんなやり方が出てなぁ。書式が変わってしもた」
小「せっかく米團治の名前襲名すんねんから、私もいっぺん勉強して、
(『代書屋』を)やらしてもらいたい」
米「今のやり方ではサゲが・・・・」
小「やれんように、やれんように持っていきはる」

千「小米朝君は来年、10月4日、5日の京都南座を皮切りにあちこちへ・・・」
米「全国回れるか?」
小「来ていただけるんでしょう?」
米「知らんでぇ」
小「襲名披露の口上、ゆうてもらわなあかんから。・・・・・それまではお元気で。」
千「名古屋の中日会館とかね、東京では新橋の演舞場なんかも」
米「演舞場?
(と、「すごいなぁ」と感心してるのか、「東京の演舞場でやるかぁ?」と呆れてるのかわからないが、ゆっくり首を何度か振っていた)
千「来年秋にサンケイホールがリニューアルされるんですが、そこで一区切りということで」

米「千朝は、何になんねん?」
千「
(慌てたように)私は何にも」
米「これを機に、万朝になったらどないや?」
小「九千、出世ですな」
一同「本日は、どうもありがとうございました」
 小米朝の介添えはいつものことなのだが、千朝がやや陰気なせいか、よもやま噺はもう一つ盛り上がらなかった。


 


 



 

 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音などをしてませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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