移動メニューにジャンプ

(No05) 第14回米朝一門会鑑賞記(平成16年度)

  前回も書いたのだが、今年の上方名人会で出演予定だった桂米朝師匠が肋骨骨折で急遽休演されることになった。
 非常に残念に思ったので、インターネットでお知らせが入った米朝一門会に予約をした。
 公演は8月14日(土)と15日(日)の2日間。
 演者は、14日は吉坊、雀々、吉朝、米朝、米八、南光、ざこば。15日は、宗助、九雀、雀三郎、米朝、朝太郎、ざこば、南光。
 素直に演者で選ぶと14日、ということになるのではないか。しかし、14日には夜に仕事が入ってしまった。中入りまでは何とか観れるかな・・・・・


 開催は平成16年8月14日(土)、午後4時30分開場、5時開演。
 場所は、上方名人会と同じ、サンケイホール。
 私の席は・・・・・と言うと、S席だけあって、前から8番目で、まずまず良い席でした。


(1) 桂 吉坊 「東の旅」

 トップバッターをつとめるのは、桂吉坊。
 パンフレットの小佐田定雄氏の解説によると「年齢不詳。人形のようにかわいい若手です」。
 開口一番「落語界のえなりかずきです」。
 まあ、そんな感じです。
 声が高い。変声期前みたいな感じ。ちょっと聞いていて落ち着かない。

 ネタは、前回書いた上方名人会(平成16年度)で桂春駒が演じた「軽業」。
 もっとも、イタチでだまされ、クジャクでだまされ、「取ったり見たり」でまたまただまされ、最後に軽業小屋に入り、さあ、これから・・・・・というところで、「東の旅の半ばでございます」と高座をおりる。 
吉坊

 時間にして15分ほど。まあ、いかにもトップバッターらしい、抑え目の高座であった。

 


(2) 桂 雀々 「疝気の虫」

 まくらは、沖縄の離島、小浜島の「はいむるぶしリゾート」に行った時の話。
 なんでも、その島では水牛なんぞも放し飼いになっており、孔雀もハブ退治に・・・ということで、ホテルの庭に放し飼いになっていたそうだ。
 窓を開け放して部屋を出て、しばらくして戻ってみると、何と部屋の中に孔雀がいたらしい。
雀々 「私、”雀々”ですけど、ほんまは”弱々”て書きたいくらい、動物とか、鳥とかね、弱いんです。
 でもね、そんなんゆうてられへんから、いっしょけんめい追い出そう思て、がんばったんですけどねえ。
 いっこうに出ていってくれんのです。
 そのうち、私を敵やと認識したんでしょうねえ。
 逃げるどころか、むしろこっちに向こうて来るんです。
 とうとう、私のベッドの上に、こう上がってしもてねえ。
 興奮してきたんでしょうなあ。と、こう、立派な羽根をねえ、こう、広げはじめまして・・・」 

 両手をいっぱい、いっぱいに伸ばし、そして、その手を両側から徐々に頭の上に。そして、円を描くように伸ばした両手を頭上で合わせる。

「羽根をば、こうみごとに広げましてねえ。こちらに向こうて、威嚇するように、その孔雀が、鳴いたんですわ。
 私、孔雀が鳴くのん、初めて聞きました。皆さん聞いたことありますか?かん高い声でねえ、メコー!いや、関西では恥ずかしいですけどね。ほんまの話、メコー!!って。ますます興奮してきたんか、続けざまにメコー!メコー!メコッ!!メコッ!!
 こらあかん、もう手に負えん。そう思て、フロントに電話しよう思たんですが、悲しいかな、部屋の電話は、羽根の向こうやったんです」

 汗をかきかき、腕を振り上げ、声を枯らしての大熱演である。このマクラだけで終わるのかな?と思ったくらいだ。

 いきなり、「お座り」している犬のようなものが話しかけるシーンで始まる。「もと犬」か何かかと思ったが、「疝気(せんき)の虫」だった。

 「疝気」という病気は、この「虫」がしでかす仕業。主人公に「その先に犬がいて、怖いから一緒に連れていってくれ」と頼む「虫」。
 虫は、つい世間話の中で「私らはあんころ餅が大好物。餅を食べると元気が出て”疝気筋(すじ)”をひっぱって暴れ回る。逆に渋いお茶が体にかかると溶けてしまう。だから、人間がお茶を飲んだら、その間は金ちゃん、玉ちゃんの袋に逃げ込む。そこが私らの別荘です」という企業秘密をもらしてしまう。

 この噺は、知り合いの旦那さんが疝気で苦しんでいるのを知った主人公が、奥さんにあんころ餅を食べさせ、匂いにつられた旦那さんの腹の中の疝気の虫は、奥さんの口から腹の中に飛び込む。
 そして、すかさずお茶を飲ませる。あわてた虫。必死に「別荘!別荘!」と避難場所を探すが・・・・・というのがオチ。
(噺の冒頭で、同じような腹痛の病気だが、よく時代劇などで出てくる「持病の癪(しゃく)が・・・」という癪は女性特有の、そして疝気は男性特有の病気・・・という説明がある)

 ところが、今回の雀々は、虫が別荘、別荘・・・と探し回るのだが、やがて、完全に立ち上がり、高座の上をうろうろと歩き回り、あげくに、高座をおりて、舞台袖の方まで探し歩こうとする。
 それでも最後は高座に戻るのか、と思っていたのだが、頭を上げ、袖の方を見て「はい、吉朝さん。交代!」と言って、そのまま引っ込んでしまった。

 破天荒、八方破れ、型破りの痛快な芸なんぞと自分では思っているのかもしれないが、ただの「無礼」でしかないのではないか。

 以下は、雀々ファンの方には不愉快だろうから、読み飛ばしてほしい。

 私は雀々が好きでない。TVに出始めた頃(当然、枝雀師匠存命中)からそうだった。
 変に、枝雀の真似をするのだ。枝雀が好きなのはわかる。だから弟子入りしたのだから。でも、下手な真似事はしてほしくないのだ。
 完全な「物真似」として意識した芸ならいいのだ。しかし、そうではなくて、やや斜めに構えて「へ、へ」と軽く鼻で笑って、ちょっと息を抜くように「ご陽気にね」とか、ぼそっとつぶやく。
 そういうような枝雀の、ちょっとしたパターンを中途半端に真似をすることがたまらなくいやだった。
 べかこ(南光)にしても、雀三郎にしても、枝雀は大好きだ。でも、芸は自分のものを極めようとしているではないか。
 雀々は、ひょっとして「私は枝雀師匠が好きで好きでたまらんから、つい、自分の芸の中にも出てしまう」とか、まさかまさか「オレが枝雀の後継者」とか思ってるん違うやろか?
 枝雀は、小米時代から、落語を理論的にも精神的にも突き詰めて、突き詰めて考え抜き、そして、「突き抜けて」あの芸に至ったのだ。それを、その「突き詰め」を経由せずに最初から「あははははは〜」の所から入ってしまっては、ただのバカではないか。

 パンフの解説に「ごく普通の台詞をしゃべっているだけでも、なぜか笑いの虫が沸き起こってくるという『爆笑の星を背負った宿命のはなし家』」とあった。
 枝雀を「爆笑王」などと称する昨今のセンスには感心しないが、雀々も「爆笑落語」などというキャッチフレーズがつきつつある。いかんなあ。後継者っぽくなってるじゃないか。

 それに、今日の高座にしたって爆笑しましたか?まくらのところも、後半からだんだんダレてきたし。
 大汗かいての熱演はいいのだが、噺の本編に入っても、手ぬぐいで汗をぬぐうのがひんぱんすぎて気が散るし、見た目だけじゃなくて、口のまわりをたびたび押さえるから、言葉がこもったり、途切れたり。
 何か、違うんじゃないかなあ。



(3) 桂 吉朝 「住吉駕籠」

 
高座に上がるなり、あきれたような口調で「今のは何やったんや?」という一言で場内大爆笑。もちろん、先ほどの雀々のことである。

 まくらでの野球の話。「私も野球はあんまり詳しないんですが、世の中には、私より野球に疎い方がおられますなあ。
 先日も、阪神巨人戦で阪神が打って、わあ〜っ!と盛り上がったところで、近くにおった人に『あんさんも阪神で?』と聞いたら、『いえ、私はJR』」
 そこで場内大爆笑。
 その笑いの波がちょっとおさまったところで、
「誰がこんなとこで通勤電車のこと聞かな、あかんねん」とぼそっとつぶやく。
 すると、場内またまた大爆笑。

 雀々のように大声を張り上げるわけでも、腕を振り回すわけでもない。汗もかかずに、その「間」(ま)、緩急の巧みさで、場内をすっかり引き込んでしまう。

吉朝 

 「住吉駕籠」とは、雲助駕籠、くも駕籠とかも呼ばれる、街道筋で客を引く駕籠屋の噺だ。
 少し頼りない弟分が、「へえ駕籠」と声をかけ、「(屁嗅ご、ゆうなら)後ろに回れ」と言われたり、近所の茶店の主人に駕籠をすすめてどやされたり。

 ある男がさっさと駕籠に乗り込み、
「堂島までなんぼや?」
「へえ、ほんなら一分でお願いします」
「そこ、二分にまからんか」
「は?」
「いや乗ってしもてから、酒手(さかて)やら乗り増しやらごちゃごちゃ言うんやのうて、何もかんもいれて、二分ぽっきりでいってくれんかゆうてんねんがな。そんでええか?そしたら、この銭で、ちょっと一杯ずつ景気付けに(酒を)引っ掛けてきて、ほんで行ってくれるか」
・・・と、これだけ聞くと、いかにも気前のいい、さばけた旦さんのようだが、そこには裏がある。
 二人が酒を飲みに行ってる隙に、男は駕籠の中に友人を一人こっそり引き込む。
 えらい重いなあ、と首をかしげながら担ぐ駕籠屋。客の二人は、中で相撲の話をしていて興奮し、暴れたあげくに駕籠の底を突き破ってしまう。
 降りてくれと言う駕籠屋に「わいらは、堂島でもカンカンの強気で知られた米の相場師や。途中で降りるなんて出来るかい。このまま行け!」
「このまま行けゆうたかて、底抜けてんのに、どないして行きまんねん?」
「わいら、中で歩くがな」

その駕籠を見かけた親子連れ。
「お父ちゃん、駕籠て何人で担ぐの?」
「そんなもん、前と後ろの二人やがな」
「ほんなら、足は何本?」
「あほか、お前は。人間二人やったら、足は四本に決まってるがな」
「そやかて、お父ちゃん。あの駕籠見てみ。足八本あるで」
「そんなあほな話があるかいな。どこや・・・・・・あ、なるほど。よう覚えときや。あれが、ほんまの”くも”駕籠や」

 いやあ、ほとほと吉朝は、うまいなあ・・・・・・



(4) 桂 米朝 「らくだ」

 パンフの解説に「総帥の米朝師は肋骨骨折騒動で全国の落語ファンに心配をかけましたが、ご覧のとおり元気に復活。治療費は『国宝修復費』として文化庁から出た・・・・・というのは真っ赤なウソです」とあった。
米朝  開口一番、「最近は、朝起きた時の体調で、どの噺をするか決めるんです。
 体調のええ時は、長い噺。もひとつの時は、短い噺」とあったので、今日は何をするのか楽しみにしていたが、「らくだ」ということは、そうとう体調は良かったのではないか。

 「らくだ」という男の長屋に遊びに来た熊五郎という男。何とらくだは、河豚にあたって死んでいた。

 通りかかった紙屑屋(今で言う廃品回収業か)を呼び止め、長屋の連中から香典を集めてこい、大家からは、ええ酒を三升と煮しめを二鍋差し入れさせろ、漬物屋には、棺おけ代わりに大きな樽をもろて来い。何やったら、後で返すと言え、とこき使う。 

 この「らくだ」という男、名うての乱暴者、無茶もんで、近所の祝儀、不祝儀の付き合いもしない。
 家賃も「どんなひどい奴でも最初の一月の家賃くらいは入れるもんやで。最初の家賃催促したら、刀突きつけ、首をひっつかまえられて、これから先も家賃だの何ぞと四の五のぬかすんか、ぬかさんのかどっちやねん、てなことゆうんや。
 しょうないから、これからは二度と家賃なんぞとは言いませんゆうたら、このたびばかりはさし許すなんぞとぬかしたんや。これまで三年の家賃は、香典代わりに棒引きしたる。そのうえに、酒だの食いもんだの贅沢ぬかすな!」と大家は怒り狂う。

 しかし、兄弟分の熊五郎は、らくだに劣らぬ無茶もんで、らくだの死体を紙屑屋にかつがせて大家の家に暴れこみ、死人(しびと)のかんかんのう踊りを披露する。さすがの因業大家も平謝りで、さっそく上等の酒と肴を届けさせる。

 用事もすんだので帰ろうとする紙屑屋に、酒を無理強いする熊五郎。いける口やな、もう一杯いけ。駆けつけ三杯ってゆうやないかい。お前みたいに、そない水みたいに飲んでしまっては、味も何もわからんがな。酒の肴でもつまんで、世間話の一つもして、はじめて酒の味がわかるてなもんやないかい。
 俺の酒が飲めんゆうなら、無理矢理流し込んででも・・・・・と強いられ、杯を重ねるうちに酔いがまわってくる。
 実は、この紙屑屋、もとはそこそこの店を構えた商売人でありながら酒で身を持ち崩した根っからの酒好きだったのだ。

 この「らくだ」という噺、酒がまわっていくうちに紙屑屋と熊五郎の力関係が逆転していくところが何といっても最大の見せ場である。

 「わいがこんなんになったんも・・・・」と杯を見つめ、「みいんな、こいつのせいや」とつぶやいて、ぐいっと杯を干す。やがて、手酌で杯を重ねていく。「今日はとことん行くでえ!」と大声を出す。
 
 熊五郎は、急に「わい、帰らないかん。ちょっとすることあるし」と逃げ腰になる。
紙屑屋に「ちょっとその先の家行って、剃刀借りてこい」と命じられ「顔なじみやないし」とためらう熊五郎に「顔に似合わん、気のあかんやっちゃなあ。ええから行って来い!」と命令される。
 その剃刀で、らくだの頭を剃る。「そこ、少し残ってます」とおずおずと指摘する熊五郎。「ええい、じゃまくさい」と手で引きむしる。「血が・・・」「かめへん。痛いことあらへん」

 いやあ、米朝師匠、お元気な姿が見られて、よかった、よかった。




(5) 桂 南光        桂 ざこば

 本来であれば、中入りがあって、桂米八。この人は独楽の曲芸を得意としているらしい。
南光
 そして、その後は桂南光。
 トリは桂ざこば。

 しかしながら、冒頭でも申し上げたとおり、残念ながら夜に仕事が入ってしまい、タイムリミットは、ええとこ午後6時30分か40分。

 前座が15分、雀々が20分。吉朝、米朝が30分ずつ・・・・・というのが私の計算であった。   
ざこば

 たしか吉坊はきっかり15分で、「よし!それでこそ口開けや」と思った覚えがある。
 あと、3人の内訳は意識していなかったが、結果として、米朝師匠の高座が終わったのがだいたい6時40分頃であった。仕方なく後ろ髪引かれる思いで会場をあとにした。

 南光、ざこば両師匠の高座も機会があれば是非聴いてみたい。 



 まあ、本日の印象は、と言うと、米朝師匠の元気なお姿はもちろんのこととして、何と言っても「吉朝はうまい!」の一言であろう。



 

inserted by FC2 system