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(No04) 上方落語名人会鑑賞記(平成16年)

  ある団体のあっせんで上方落語名人会が「当日3300円が1500円」に優待されるということで、1年ぶり、3年連続で大阪桜橋サンケイホールに足を運んだ。


 開催は平成16年5月12日(水)、午後6時開場、6時30分開演。
 で、当日の朝、新聞を見てびっくり。桂米朝師匠、肋骨骨折で本日の上方落語名人会を休演、とある。
 え、ええっ〜!ってとこ。何せ、平成14年の名人会を観に行こうと思ったきっかけが、まことに失礼な話なのだが、今のうちに米朝師匠の生の高座を観ておかねば・・・という気持ちが湧いたからだった。

 この名人会、14年は新人賞受賞者(染雀)が前座で、松喬、春団治、米朝、五郎、文枝という豪華メンバーであった。
 で、15年が同じく新人賞受賞者(かい枝)、染丸、仁鶴、春団治、五郎、文枝。
 そして今年の出演予定の大師匠は、春団治、米朝、文枝だったので、あれ、今年は露の五郎師匠は出ないんだな?と思っていた。
 ところが、米朝師匠の代役で急遽出演されるとのことだった。


(1) 桂 三金 「鯛」(桂 三枝 作)

 トップバッターをつとめるのは、例年通り今年の「新進落語家競演会」(第9回)新人賞の受賞者である桂三金。
 ずいぶんと恰幅がいい。開口一番、「落語界の橋田須賀子です。芦屋雁之助に似ているとも言われます」と自分の体型をネタに。

 続いて、「わたくし、新婚さん、いらっしゃ〜いでお馴染みの三枝の弟子で、桂三金と申します。
 芸名の由来を申し上げると師匠より一文字いただき、桂三。
 一番下がなぜ金かと申しますと、わたくし、実は銀行員をしておりました。
 よう銀行員みたいな堅い職業から落語家になりましたな、と世間の皆さんはお笑いになりますが、うちの親は泣いております
 しかしね、銀行員と落語家は共通点があるんですよ。どちらもこうざ(口座、高座)を大切にいたします」と芸名をネタに笑いをとる。
桂三金

 噺は三枝師匠の新作落語。活け魚料理屋の生け簀の中の鯛の会話。
 新入りの鯛が、古参の鯛に挨拶をするところから噺は始まる。
 開店当初(何と、開店は大阪の万博の時らしい)から生き残っている生け簀のぬしに、新入りは気に入られ、「客は生きのいいのをすくってほしがるけど、主人は客が見てへんかったら、具合の悪いやつからすくっていくんや。
 しゃあから、客が見てる時は腹を上に向けて『わて食うたら食あたりすんでえ』みたいな格好で泳ぐんや。しゃあけど、主人が見てる時には、きびきび泳ぐんやで」と、サバイバルのノウハウを教えてもらう。そして、同じ真鯛、魚の王様のプライドとして、つかまった時はジタバタしたらあかんぞ、体はピクリともさせんと、目だけで人間をにらむんやで、と命ずる。

 この古参、客の事情にもやたら詳しく、あの不動産屋のおっさんは愛人と来る時はええ格好するから活け造りを頼むが、今日は嫁はんと来てるから安いもんしか頼まん筈と安心していた。
 ところが、「今日は嫁はんの誕生日やねん」と告げたので、主人が店からサービスということで鯛をすくった。
 網にすくわれたのは、何と、その古参。新入りが「わてがすくわれそうになった時、体当たりして身代わりになってくれはったんや」と涙ながらにみんなに告げる。
 生け簀の鯛がみな、両手(いや、両胸びれ)を合わせ、「おやっさんの立派な最期見せてもらおう」と見守る中、不動産屋が文句を言い始める。

「大将、この鯛おかしいで。活け造りやゆうけど、ピクリとも動かん。古いんちゃうか」
「ええ?そんなことない筈ですけど。そやけど、ご不満やったら、しゃあおまへん(仕方ありません)。わかりました。もう一匹すくいまひょ」
「ああ、大将、大将。もうええわ。もう一匹すくうゆうた(言った)とたん、急に元気に動き出したわ」

 なかなか泣かせるおちですな。

 


(2) 笑福亭 伯枝 「へっつい盗人」

 当日のパンフの写真では、髪もありメガネをかけているが、高座に出てきたのは、青々とした坊主頭の男。
 彼も開口一番「落語界の織田無道です」
笑福亭伯枝  知り合いの結婚祝いにへっつい(かまど)を贈ってやろうと考えた二人組みだが、金がない。
 兄貴分の方は、頭も切れるが、「ワル」である。

 金がないなら、(黙って)借りていこうというのだ。もし見つかったら、どないすんねん、と心配するアホに「そん時は、出来心や、ゆうたらええねん」

 段取りを説明する兄貴分。
 声をかけあい、いかにも重い荷物をかついでる芝居をする。
 それで、道具屋の前で「この辺で、ちょっと一服(休憩)しよか」と天秤棒をおろし、へっついを縄で縛って荷造りができたら、「さあ、行こか」と、かついで帰るんや。

 「そら、出来心ちゃうで」と思わず突っ込むアホ。

 とにかく、すごみのある風貌なので、平然と盗人を提案し、叔父さんが別荘に入ってるんやとうそぶき、冷静に盗みの手口を指導する兄貴分役が似合いすぎていた。



(3) 桂 春団治 「祝いのし」

 
外をぶらぶらほっつき歩き、飯の時分になると家に帰ってくる、何とものん気なおやっさん。ついたあだ名が「鳩親父」。うまいもんです。

 亭主の甲斐性はないが、おかみさんは、いたってしっかり者。近所で20円借りてきて、亭主に尾頭付きの魚を買ってくるように言う。
 家主の息子が祝言(しゅうげん)をあげた(結婚した)ので、祝いをもっていけば、おため(お返し)を100円もらえる。そしたら、20円を返して、残りでお米こうて(買って)きなはれ、と亭主を送り出す。
桂春団治  ところが、亭主は尾頭付きではなく、鮑を買ってきてしまう。
 女房に教え込まれたお祝いの口上を汗をかきかき述べる鳩親父だが、家主は「鮑の片思いでは縁起が悪い。別のもんに替えてこい!」と叩き出す。

 ぼやいている親父を見かけた近所の男が、「かまへん、玄関蹴り倒して入れ。下駄ぐち(下駄のまま)あがって、家ん中歩き回れ。家主が自慢しているじゅうたんの上で糞したれ」とけしかける。

 祝いにつく熨斗(のし)は、鮑でつくる。縁起が悪いとはなにごとや、と逆ねじ食わせろというのである。

 女房が教えた口上も、近所の男が教えてくれた啖呵(たんか)も長くて、親父は覚えきれない。あたふたと何度も繰り返すが、間違いばかり・・・・・というところは、「ふ〜、言えた」「何も言えてへんがな」などの呼吸が、さすがうまいものだ。

 しかし、オチのところがよく聞き取れず、やや唐突な感じがした。

 最初と最後のお辞儀の仕方の違い、両袖同時にスルッ!と羽織を脱ぐ。高座をおりる時には、その羽織をクルクルッと丸めて体の前でかかえ一礼する、一連の「様式美」はいつもの通りだった。



(4) 露の五郎 「浮世床」

 ともかく、今回最大の話題は米朝師匠(左下写真)の休演。
桂米朝  急遽代役に立った露の五郎師匠も
「ほんま、皆さんが期待したはんのは米朝師匠ですねんけど、寝返りの拍子にアバラにひびが入りましてなあ。スポーツ新聞の見出しでうまいこと書いてましたわ。『国宝にひび』やて」

 平成8年に人間国宝に認定されたことをネタに、代役を務める自分のことを「国宝や思て桐の箱開けたら、にせもんが入ってたみたいなもん」とおどけてみせる。

 庶民の娯楽の場であった床屋の待合。
 火鉢の周りに集まるヒマな連中。

 火箸を鼻の穴に突っ込み、ぶら下げる。1本成功し、2本目にチャレンジ。なかなかうまくいかず、無言でつばを塗りつける。
「ここでお笑いの皆さんは、完全におとなであります」とぼそっとつぶやく。

 かなの拾い読みができるかできないくらいのおっさんが、見栄をはって講釈本を手にしている。
 町内の若い衆が、化けの皮をはがしてからかおうと「私らも聞かせてほしいんで、大きな声で読んでおくんなはれ」と頼む。

「よう『立て板に水』とかゆうけど、それやったら、まだ板にしみ込む間がある。わいの読み方は早いで。『立て板に玉』っちゅうやつや。同じとこ二度と読まへんで。おっさん、もういっぺん読んどくなはれゆうても、あかんぞ。ええか」
 もったいつけて読み始めたが、つかえて、つかえて一向に前に進まない。
「何が『立て板に玉』や。『横板に鳥もち』やがな」

 笑わせどころは、先ほどの「祝いのし」と似ているのだが、五郎師匠のは、つっかえたあげく、「こけ〜こ こけ〜こ こけこっこ〜!!」と絶叫する、その演出が、ちょっとなあ・・・・・と思った。
 おっさんは、あくまでインテリぶって、いい格好したいのであって、別にニワトリの鳴きまねをしたいわけじゃない。
 だから、つかえたあげく「何やニワトリみたいでんなあ」と言われるならわかるのだが、あんまりニワトリそのものの言い方をされると・・・・・、しかも2回繰り返したからなあ。 



(5) 桂 春駒 「軽業」

 仲入の後は、桂春駒・・・・・なんだけど、正直言って名前を知らなかった。春団治、米朝(五郎)の後に出るんですけどね。
桂春駒  私は初めて聴く「軽業」という噺。
 いわゆる「東の旅」シリーズというか、お伊勢参りに向かう喜六、清八の噺。

 とある村での祭礼で、いろいろ見世物小屋を冷やかす二人連れ。

「評判、評判!一間ほどの大イタチ!山からとれとれ!寄ったらあぶない!」
8銭払って、小屋の中へ。
「どこに居てんねん?」
「ずっと正面、ずっと正面」 

「正面来たけど、何もないがな」
「そこに立てかけたあるがな」
 大きな板の真ん中に少しだけ血がついていたのだった。

「評判、評判!天竺からの白クジャク!広げたとこ!」
またも8銭払って中へ。
「何もないで」
「ずっと正面、ずっと正面」
「正面来てるゆうてるがな!」
「ちょっと上をご覧」

 「天竺」木綿の六尺ふんどしと越中ふんどしで白い「九尺」・・・てな調子でだまされ続け、大きな掛け小屋へ。

 綱渡りの軽業が始まる。
「ただいまより、太夫さんの足元をアップでお見せいたします」
 そう宣言して、取り出す扇子。それを綱を見立てて、二本指で足を表わす。
 大ホールだったんで、少し手元が見えにくかった。

 最後、太夫さんが綱から落ちて「足が痛い、頭が痛い、腰が痛い・・・・・」
「ほんまはどこが痛いねん?」
「かるわざ(軽業、身体)中が痛い」という、しゃれとしてもあまり出来のよくない地口おちでした。



(6) 桂 文枝 「天神山」

 変ちき(変人)の源助は、花見ならぬ墓見で一杯やろうと、おまる弁当にしびん酒をさげて一心寺へ。
 「こいと」と刻まれた石塔の前に座り込み、墓を相手にやったり取ったり。
 帰ろうと腰をあげた時、土の盛り上がりを掘り起こすと「しゃれこうべ」が。
 源助がしゃれこうべを持ち帰ると夜中に幽霊が訪ねて来た。
 昼間、けっこうなお手向け(おたむけ。回向)をいただき、成仏できた。礼を言いに来た幽霊は、そのまま住みついてしまう。

 隣に住む胴乱の安兵衛が、「俺もやもめやのに、あてつけるな」と文句を言うので、真相を打ち明ける源助。
桂文枝

「幽霊のかか(女房)はええぞ。めしはいらん、着物はいらん、化粧はいらん。こんな安上がりで、ええ女房はおらん」
 すすめられて、その気になったやっさんは、自分もしゃれこうべを探しに行くが見つからず、ぶらりぶらりと安井の天神さんへ。

 そこで、捕まって黒焼き屋に売られそうになっていた狐を助けてやる。狐は娘に化けて押しかけ女房へ。お常と名乗り、子どもまで生まれるのだが、近所の者は
「わい、もう出ていくで。もうおられん、こんな化け物長屋」
「何でそんなことゆうねん」
「何でてそうやないかい。源さんのかかは幽霊やろ。やっさんのかかは狐やがな」「やっさんのおかみさんは、お常さんやないか」
「そう名乗ってるけど、あら、狐や。その証拠に、言葉の最後に『こ〜ん』て言いよるで」 

 どうやら正体を覚られたらしいと、泣く泣く愛児を残し、天神山に帰ろうとする狐の女房。
 前半は「野ざらし」とか「骨つり」、後半は「葛の葉の子別れ」なんですね。

 


名人会にしては、少しメンバーがさみしいかな。
 もっとも、私はちょっときびしい評価をしたけれど、場内は、補助席として通路にパイプ椅子まで並べる大盛況。そして満場の皆さんは実によく笑っていた。

 来年もぜひ観たいものです。

 

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