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(No218) 日本の話芸 TV鑑賞記 平成22年11月16日(火)の「日本の話芸」。
なんでこれが御堂筋とゆうと、梅田と難波の間の本町に、北御堂と南御堂がございまして、この二つの御堂の前を通る道ということで御堂筋。 この北御堂が浄土真宗西本願寺派、南御堂は真宗大谷派、いわゆるお東さんでございます。 もともと船場とは近江商人が御堂さんの鐘が聞こえるとこで住みたいという思いで、集まってきたとこでして。 その昔、商家が一番大事にしていたのがのれんでございまして、女性を外で囲うのがステータスでした。 明治中頃のお話でして、万両という酒屋の店先に立ったのが30前後のお侍。結城の紬に仙台平の袴、そして流行の薩摩絣の羽織をまとい、立派なひげをたくわえ、3月か4月の赤子を抱いておりました。
何やおかしいなと感づいたのが、雀のお松という女子衆(おなごし)で、このお松、きっ!とにらんだら梁の上のネズミも落ちてくる、別名、猫いらずの女子衆。
「御寮人はん、何を縫うてはりますの?」
「定吉っとん。二人は何か私のことはゆうてないか?」 へえ、乳母さんは『自分でおなか痛めて生んだ子ぉやのに、坊ん坊んゆうて育てなならんし、丁稚や女子衆には乳母(おんば)、乳母(おんば)とたくさんそうに呼ばれるし、日陰の身ほどつらいもんはない』て泣きはりますねん。 そしたら、若旦さんが背中なぜてやりながら『もうちょっとの辛抱や。あいつ、あっ、これは御寮人さんのことだっせ。あいつは本家筋の世話やさかい、今すぐどうとはでけんけど、そのうち何ぞ落ち度を見つけて追い出して、お前を本妻に直すさかいな』てゆうてはります」
どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |