移動メニューにジャンプ
(No217) 上方演芸ホール TV鑑賞記 平成23年1月10日(月)の上方演芸ホール。
「平林」というネタにちなんで、珍名を紹介するマクラ。「一」という名字は「にのまえ」。「ニ」は「したなが」。「九」で「いちじく」。そして「平地」で「さかなし」と読むそうだ。
立花家 千橘 「蜆売り」
悪いんだが、何だか口調がもごもごして聴き取りにくい。それと、やたらアワアワして言葉がなかなか出てこない。演出なのか、どうなのか迷ってしまう。
戻ってきた子どもは「蜆、帰れて喜んでました。旦さんに一つよろしくて言ってました」と結構如才ない答え。冷たい手ぇしてるなと手をこすってやり、「鏡割りやりましてな」と急にていねいな言葉づかいになる。 親方は「心配すな。色ご飯炊きましてん。赤や黄色や緑、きれいやで」と言うが、子どもはすねるように「お母ちゃん、目ぇ見えへん」。 この辺、色餅・・・という演出もあるようだ。海老を入れたり、ヨモギを入れたりする「猫」餅で色餅というのは分かるが、色ご飯って赤飯以外にもあるのだろうか? 親方は、子どもに行商に出ることになった事情を訊く。
「堪忍しとくんなはれ。そんな陰気くさい話」と、これまたえらい年寄りくさい口調で子どもは一度断る。 姉がいるが、いい仲になった人と商売がうまくいかず、昨年の12月25日、安堂寺橋から身投げを・・・。「身投げしたんか?」と思わず身を乗り出したが、親切な人が身投げを止めて名前も告げず大金をくれた。「おかげで幸せな正月を送れましてん」、「そら良かったやないかい」、「それが良ぉないんです」というやり取り。 蜆が売れない日は姉や母に糊みたいな粥すすってもろて、自分は芋のヘタで我慢する・・・なんて話に感激した手下は「お前偉い!最前はぞうり泥棒に疑ごぉて悪かった。兄弟分になろう!お前が兄貴でええ」と訳の分からないことを言う。 医者に見せたれと親方は相当の金を渡す。こんなたくさん受け取れないと遠慮する子どもに「もらっとけ」と先ほどと同じように4人ほどが強要し、親方に叱られる。 手下は「親方ほどの甲斐性はないけど・・・」と言いつつ、財布ごと渡し、「それでうどんの一杯も。もし余ったら味噌か醤油でも買え。ほんでもし余ったら着物の一枚も。まだ余ったら、土地でも買うて」「お前、なんぼ渡してん?」「へえ、3文」というギャグが入る。 礼を言いながら(「3文のおっちゃんもありがとう」というギャグが入る)、外へ出る子ども。吹きすさぶ雪の中、「あさり〜〜しじみぃ〜〜」と声を出しつつ去っていく。 店の中では、手下が親方に怒り出す。というのも、去年の25日(ここも15日と言ったり、25日と言ったりするんで悩んでしまうのだが)、若い二人の身投げを止めて、40両渡して名前も告げずに立ち去ったのは誰あろう、この親方だと言うのだ。 「良かれと思って助けたんやが・・・・その弟が蜆売るようになったんか。わしのやったことは、甲斐があったんかなぁ」とふりしぼるように述懐する親方。 戸を開けると積もった雪道に残る足跡(ここは手で表現していた)。手下が「甲斐はおましたがな」。そうすると、子どもが再度「あさり〜〜、しじみぃ〜〜」と売り声を。そして礼をして、噺が終った。 一般的には「甲斐があったんかな」「貝があるから蜆売ってまんねん」というのがサゲのようだ。今日のは、そこまでベタに説明していない。
終ってからの解説で分かったのだが、冒頭、高座に上がってからも延々と出囃子が流れていた。しゃべり始めても、まだ流れている。途中で千橘が扇子でとん!と叩いて初めて鳴り物が止まった。
どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。 |