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(No217) 上方演芸ホール TV鑑賞記  
          

 平成23年1月10日(月)の上方演芸ホール。

 



桂 壱之輔 「平林」


 「場内割れんばかりの拍手をありがとうございます。・・・・・・・何や、催促したみたい」というイヤミな形でスタート。

 「平林」というネタにちなんで、珍名を紹介するマクラ。「一」という名字は「にのまえ」。「ニ」は「したなが」。「九」で「いちじく」。そして「平地」で「さかなし」と読むそうだ。
 
 ごくもっちゃりした旦さんとのやり取り。若手の割りに落ち着いてると言ったらよいのか。

 マクラが一番良かったかな。



 立花家 千橘 「蜆売り」


 初めて聴く噺家さん。

 悪いんだが、何だか口調がもごもごして聴き取りにくい。それと、やたらアワアワして言葉がなかなか出てこない。演出なのか、どうなのか迷ってしまう。
 

 小さな子どもが蜆の行商に出ている。ある家に入ると「開けたら寒い!風が入るから閉めろ」と言われる。
 さらに「このところ流行ってるぞうり泥棒やな」と疑われ、首根っこをつかまれ、外に連れ出されかけた所に「親方」が現れ、そんな小さい子にみんな寄って何してんねん!と叱りつける。

 そして親方は、蜆を全部買い取ると言い、かなりの金額を渡し、「食いきれないから、蜆は川に帰してやれ。放し終わったら、また戻って来い」と命じる。不満げな手下に「あのあかぎれでひびわれた手ぇ見てへんのか?お前ら、あんな子が冷たい川に入って採った蜆食うたらバチあたるわ」

 戻ってきた子どもは「蜆、帰れて喜んでました。旦さんに一つよろしくて言ってました」と結構如才ない答え。冷たい手ぇしてるなと手をこすってやり、「鏡割りやりましてな」と急にていねいな言葉づかいになる。
 ちょっと、この辺、年齢層の描き分けにやや疑問が。
 「ぜんざいを・・・」とすすめるが、「入れもん、ありませんか?持って帰ってお母ちゃんに食べさせたい」。

 親方は「心配すな。色ご飯炊きましてん。赤や黄色や緑、きれいやで」と言うが、子どもはすねるように「お母ちゃん、目ぇ見えへん」。

 この辺、色餅・・・という演出もあるようだ。海老を入れたり、ヨモギを入れたりする「猫」餅で色餅というのは分かるが、色ご飯って赤飯以外にもあるのだろうか?

 親方は、子どもに行商に出ることになった事情を訊く。 「堪忍しとくんなはれ。そんな陰気くさい話」と、これまたえらい年寄りくさい口調で子どもは一度断る。

 すると、(姐さん風の人が)「言いなはれ。得だっせぇ〜」、(じいさんくさい人が)「言うてやり。言うてやり」、(針に髪油をつけ、襟をくつろげておばあさん風に)「おっしゃれ、おっしゃれ」、伝法な口調で「言わんかい!ぬかさんかい!」
 この辺、おそらく親方が事情を話してくれと言ったのに子どもが断ったので、4人ほどの身内が話すようにすすめているんだろうなぁと想像する。かなり金回りがよく、多くの人を使っている任侠関係というか口入屋みたいな親方なんだろうか?いろいろ聴いている側に想像力を要求される噺家さんである。

 姉がいるが、いい仲になった人と商売がうまくいかず、昨年の12月25日、安堂寺橋から身投げを・・・。「身投げしたんか?」と思わず身を乗り出したが、親切な人が身投げを止めて名前も告げず大金をくれた。「おかげで幸せな正月を送れましてん」、「そら良かったやないかい」、「それが良ぉないんです」というやり取り。

 近所で泥棒が入り、義兄さんが疑われて番所に引っ張られ、帰ってこない。気に病んで姉も母も床についてしまい、自分が蜆を売らざるを得ないのだということだった。

 蜆が売れない日は姉や母に糊みたいな粥すすってもろて、自分は芋のヘタで我慢する・・・なんて話に感激した手下は「お前偉い!最前はぞうり泥棒に疑ごぉて悪かった。兄弟分になろう!お前が兄貴でええ」と訳の分からないことを言う。

 医者に見せたれと親方は相当の金を渡す。こんなたくさん受け取れないと遠慮する子どもに「もらっとけ」と先ほどと同じように4人ほどが強要し、親方に叱られる。

 手下は「親方ほどの甲斐性はないけど・・・」と言いつつ、財布ごと渡し、「それでうどんの一杯も。もし余ったら味噌か醤油でも買え。ほんでもし余ったら着物の一枚も。まだ余ったら、土地でも買うて」「お前、なんぼ渡してん?」「へえ、3文」というギャグが入る。

 礼を言いながら(「3文のおっちゃんもありがとう」というギャグが入る)、外へ出る子ども。吹きすさぶ雪の中、「あさり〜〜しじみぃ〜〜」と声を出しつつ去っていく。
 「商売ゆうのはあれぐらい身ぃ入れなあかんなぁ。ザルは空になってんのに、担いだら天秤棒の重みで自然と売り声が出てるがな」と感心する親方。

 店の中では、手下が親方に怒り出す。というのも、去年の25日(ここも15日と言ったり、25日と言ったりするんで悩んでしまうのだが)、若い二人の身投げを止めて、40両渡して名前も告げずに立ち去ったのは誰あろう、この親方だと言うのだ。

「良かれと思って助けたんやが・・・・その弟が蜆売るようになったんか。わしのやったことは、甲斐があったんかなぁ」とふりしぼるように述懐する親方。

 戸を開けると積もった雪道に残る足跡(ここは手で表現していた)。手下が「甲斐はおましたがな」。そうすると、子どもが再度「あさり〜〜、しじみぃ〜〜」と売り声を。そして礼をして、噺が終った。

 一般的には「甲斐があったんかな」「貝があるから蜆売ってまんねん」というのがサゲのようだ。今日のは、そこまでベタに説明していない。
 地口オチではなく、「助けた甲斐はありましたよ。だって、あの通り、元気に売り声を出して歩いてるじゃありませんか」というラストの演出だったのだろうか。しゃれているとゆうべきなのか、私は、あまりくどくど説明しないスッキリしたサゲが好きなんだが、それにしても正直言って分かりにくい。場内もややぽか〜んと(TVなので、あまり臨場感はないが)してた感じがする。

 

 終ってからの解説で分かったのだが、冒頭、高座に上がってからも延々と出囃子が流れていた。しゃべり始めても、まだ流れている。途中で千橘が扇子でとん!と叩いて初めて鳴り物が止まった。
 これは師匠の露の五郎兵衛が自作の落語で用いたことのある演出をとりいれたのだそうだ。小佐田氏は「しゃれた演出」と表現していたが、あえて別の落語でやっていた演出を取り込むというのは必然性の点でどうなんだろうか?むしろ、「ええ?お、おかしいよ。まだ、鳴ってるよ」と落ち着かない気持ちになっただけで(やっぱ、三味線が鳴ってるとその分、冒頭は聴き取りにくかったし)あんまり効果的とは言えなかったんじゃないだろうか。 

 

 ま、意欲は買えますが。 

 


 どうも、お退屈さまでした。殴り書きのメモとうろ覚えの記憶で勝手に再構成してます。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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