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(No20) 上方落語名人会 鑑賞記 

 平成18年5月22日(月)午後6時30分より大阪厚生年金会館芸術ホールにて開催された上方落語名人会の鑑賞記。
 



(1) 桂 歌々志 「狸さい」


 
開口一番は歌々志。
 桂歌之助の弟子。以前は「平の陰」という噺を聴いた。

 噺はお馴染みの、狸が、ある博打打ちに助けられた恩返しをするというもの。サイコロに化けて、胴元になった男が言う目を出せば儲かる。数字を口に出すと、その目が出る。不審がった周りの者から「数を口に出すな」と言われ、困る男。

「なになに。五が空き目か。五が出たら、全部わいのもんやな。え?わかってる。数を口にせなんだらええんやろ。
 そんなもん、口にせんかって(しなくても)わいと”た〜ちゃん”(狸の愛称)では、ちゃあんと符丁が決めたある・・・・っと、待てよ。五の符丁決めるのん忘れてたがな。
 化け方、聞いといたらよかったなあ。目玉二つに尻(けつ)の穴・・・・ゆうてもわからんやろなあ。(上を向いて目玉を見せるのが”二”の目。逆立ちして尻の穴を見せるのが”一”の目の化け方だった)」

 困ったあげくに、梅鉢のご紋、天神さん、天神さん!と念じながらつぼを開けると、狸が冠かぶって、笏(しゃく)持って、天神さん(菅原道真公)の格好をしていたというオチ。

 歌々志は若手らしい明るさや元気さもあるし、芸もなかなかしっかりしていると思う。これで何か個性が出てきたらぐぐっと伸びると思うのだが。 
 




(2) 桂 きん枝 「親子酒」

 きん枝は、桂小文枝(五代目文枝)門下では三枝に続く二番弟子だそうだ。若い頃、「ヤングおー!おー!」というTV番組で八方、文珍、小染とともにザ・パンダという若手落語家のユニットを組んで人気があった。
 TVではバラエティ番組で落語ではなく、コントみたいなことばかりしていた。

 その後、ある事件を起こして破門されていた。

 きん枝の落語というと、「たぬ賽」しか聴いたことがない。

「いろいろ一門によって、特徴がございましてな。米朝一門というと、みんな落語が好きだんねん。そやから、米朝一門は、落語の話をしながら酒を飲む。そこいくと、松鶴一門は皆酒が好きでっさかいにね。酒の話しながら酒飲みまんねんなあ。また、春団治一門は、どうゆうわけか、師匠以下、皆体が弱い。それで、春団治一門は薬の話で酒飲みまんねんなあ。で、うち小文枝一門ゆうと・・・・女の話です」

「わい、今年で35年落語やってまんねん。35年やってて、2番目に出まんねん。まあ、途中でちょっと休みましたしね」

「上方落語会に出まへんか、ゆう連絡もろて、何かの間違いか思てどきっ!としました。まあ、出さしてもらうことにしましてんけど、他のメンバーみて、またびっくりしましてね」

 まくらの段階では非常におもしろかった。噺は、酔っ払って帰った親父が、同じく酔っ払って帰った息子に説教するのだが、何せ親父はべろべろに酔っているものだから、息子の顔が二つにも三つにも見える。
「お前みたいな化けもんに、この家は継がさんぞ!」
「わいかて、こんな天井がぐるぐる廻る家みたいなもん、いらんわい!」というオチ。

 酔っ払いの描写もなかなかうまいな、と思ったが、その描き方が、「ぐぼっ!」と戻しかけるさまばかりなので、ちょっとくどく感じる。


(3) 桂 福団治 「くっしゃみ講釈」

 春団治師匠が怪我をしたため、急きょ桂福団治が代演・・・・・との貼り紙が会場にあった。
 さて、高座に出てきた福団治。座布団につくなり、がくっと片方の肩を落とし、ぼそぼそと語り始める。
 申し訳ないが、春団治突然の欠場で、やはり会場に「がっかり感」が漂っていたことは否めない。(右写真は春団治)

 そんな雰囲気を、福団治自身が一番痛いほど感じていたのだろう。
「がっかりしたはりまんねんやろ・・・・・
 米朝師匠出るまで、寝ときなはれ・・・・」
 会場は、大いに受ける。

「角座でも代演やってん・・・・・・・・・代演ばっかや・・・・・・」

 ぼそぼそ、ぼそぼそ、ぼやき続ける。

 さて、噺は「くっしゃみ講釈」。講釈師にデートを邪魔された粗忽者が復讐をめざし、兄貴分から胡椒の粉をくすべた煙をかがせるとくしゃみが出て、講釈(講談)が出来なくなると智恵をつけられる。
 「こしょう」が覚えられないアホに兄貴分は、のぞきからくり「八百屋お七」で、八百屋へ行って、お七の思い者(惚れてる相手)小姓吉三(こしょうきちざ)で買うもんは「胡椒」と思い出せとアドバイス。案の定、八百屋には着いたものの、目的物を忘れたアホがのぞきからくりを一段すっくり語り始めるのが最初のクライマックス。

 ただ、私は以前も書いたかもしれないが、枝雀スタンダード、枝雀師匠の噺がすべての基本となっている。よって、この「のぞきからくり」の節回しが福団治は微妙に違っているのが気になって仕方ない。

 何やかんやあって、胡椒の代わりに唐辛子の粉を買って、講釈場の火鉢にくすべる。その煙を吸った講釈師がくしゃみを連発して・・・・・というのが次のクライマックス。
 ここの演出も、くしゃみをする時、右手を鼻の横に持ってきて、ひらひらひら!とさせるもので、最初のうちはいいのだが何度も何度も繰り返されると、ちょっといやになってくる。どうも私は、どんな演出でも同じことばかり繰り返されると鼻についてしまうようだ。



(4) 桂 米朝 「鹿政談」

 プログラムには「お楽しみ」と書かれていた米朝師匠の演目。

 奈良の大仏の話になり、「かね(金銅製)の仏像では一番大きいそうです。これを聞いた熊野の鯨が背比べをしに来たら、鯨の方が二寸ほど大きかった。あ、そうか、カネとクジラで二寸違おた・・・・・(会場笑い)今日は、わかってもうて、話しやすいですな」

 これはもちろん尺貫法時代の曲尺(かねじゃく)と、和裁などに使う鯨尺との違いをさしたものである。
 その後、いつもの「目から鼻」のまくらへ。(大仏の眼が中に落ち込んでしまい、ある親子が修理を請け負う。綱を伝って眼の穴の中に入った息子が、目玉を体の内側からぐいっ!と押し出して直したものの、出てくる場所がない。心配していると鼻の穴から出てきた。ああ、利口な子供やなあ。それから頭のええ子のことを「目から鼻に抜ける」と言うようになった・・・・・というもの)

 誰がどない考えても、「鹿政談」しかないのだが、米朝師匠は「今日、私は何の話をするんやったかな」とつぶやく。
 ああ、最近おなじみのギャグだなあと思っていたら、心底不安そうな視線を舞台袖の方へ投げるので「ああ、ほんまにわからんようになったんやろか」と、心配になってしまい、笑うどころではなくなってしまった。

 割り木を犬と間違えて鹿に投げつけ、拍子の悪いことにタイミング良く(・・・というか打ち所が悪く)鹿の急所に当たって死んでしまう。そのことを「タイムリーというのかな・・・・・」 と、ちょっと困ったように、しぼりだすごとく横文字まじりで語る米朝師匠。
 息をするのも苦しそうだったり、同じところをまるまる二回繰り返したり。Xデイもいよいよ近いのかしら。

 

 



(5) 露の五郎兵衛 「めがね屋盗人」

 少し珍しい噺。五郎兵衛師匠は足を痛めたのが直っていないのか、今日も床机(しょうぎ)を出して、そこへ腰掛けて語る。
 「ど新米」と「なべぶた」(鍋ぶ太?)という二人の子分を連れた泥棒の親方。

 ある商家に狙いをつけ、様子をのぞく。

 実は、その家はめがね屋で、小僧さんが一人で留守番をしていた。
 表が騒がしいので、泥棒たちが、塀の節穴から中の様子をうかがっていることに気付いた小僧さん、その節穴に将門めがねを仕込む。

 将門(まさかど)めがねというのは、私は知らなかったのだが、どうも多角形の、トンボの複眼のようなレンズらしく、それをのぞくと同じものが10も20もに、分かれて見えるらしい。

 その将門めがねが仕込まれた節穴をのぞいた「なべぶた」が、「ええ?親方。あきまへん。ここは、学校ですわ。

 中では、机の前でそろばんと筆持った子供が何人も並んでます。

 あら?子供の前に猫が来た。ええ?不思議やなあ。あない、毛並みの揃った猫ばっか、よう何匹もおるもんやなあ。そっくりやがな。

 え?えええ?どないなってんねん?よお、しつけたるんか、どうしたんか、一匹があくびしたら、ほかの猫も一斉にあくびしとるう!」

 あきれた親方は、今度は「ど新米」に、のぞくように命じる。それに気付いて、小僧さんは、将門めがねを外して、拡大鏡に付け替え、自分の顔に墨を塗りたくり、猫をつまみ上げる。

 のぞくなり、大声をあげる「ど新米」。

「ぎゃ、ぎゃああ!親方、あきまへん。ここは、学校なんかやおまへん。

 中では、髭面の大男が、虎をつかんで持ち上げてます。こんなとこに入り込んだら、わたいら、みな、食われてしまいまっせ!!」

 ますますあきれた親方は、代わってのぞこうとする。小僧は望遠鏡を反対側にして穴に仕込む。

 静かにのぞいた親方、その後でおもむろに子分に時間を聞く。(私は、舞台向かって、思い切り左側に座っていたので、舞台右袖が見えた。誰やら女性が鉦(かね)を3回「ちん!ちん!ちん!」と鳴らしていた)

「何やら、最前(さいぜん。さっき)、時計が三つ鳴ってましたさかい、午後3時や思いまっせ」
「そうか、ほな、やめとこか」
「何ででんねん?」
「店ん中着くまでに日が暮れてしまうがな」

 



(6) 笑福亭 仁鶴 「崇徳院」

 私の記憶違いかもしれないが、高座に着くなり、あまり深い礼をすることもなく、手を少しついたかつかないか、でいきなり噺が始まった。

「昔は、結婚式の時、お嫁さんはまともに顔なんか上げられへんもんでしたが、今はちゃいますな。こう、前から、会場中を、こうにらみまわしてますな。あいつは、招待状出したのに来とらへん、てなもんで」

 「ほんで式の最中に『そうゆうたら、田中さんどうしたはるやろか。ええ人やったわあ。いろんなもん買うてもろたのに、何も言わんと式挙げてしもて・・・。

 まあ、ええわ。2、3日したら会いに行こ』なんて」   

 そこで、崇徳院(すとくいん)という噺に入る。

 若旦那が、恋患いで床につく。高津(こうづ)神社にお参りした時、どこかのお嬢さんに一目惚れした。茶店で、そのお嬢さんが忘れ物をしたので届けてあげると、紙に「瀬を早み 岩にせかかる 滝川の」とさらさらと書いて渡された。
 崇徳院の和歌で、「割れても末に逢はんとぞ思ふ」という下の句が書いてへんのは、今日は本意(ほい)ない(不本意ながら)お別れしますが、いずれ末には嬉しうお目にかかれますように、ゆう先様のお心かいなあ思たら、もう、わいは・・・・・というのが純情な若旦那からやっと聞き出せた真情だった。

 それから、手伝い(てったい。いわば商家に出入りの便利屋みたいな職業)の熊五郎さんの人探しが始まる・・・・・という噺。

 仁鶴は、最近の棒読み口調がずっと気になり続けている私です。


 どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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