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(No19) 新春恒例 米朝一門会 鑑賞記 平成18年1月2日(月)午後2時よりヒルトン大阪(桜の間)にて開催された米朝一門会の鑑賞記。
(1) 桂 都んぼ 「秘伝書」
開口一番は都んぼ。
都んぼは都丸の弟子。で、都丸は桂ざこばの弟子。よって、都んぼは米朝師匠のひ孫弟子。
「都丸」がなぜ「ざこば」師匠の弟子なのか、とお思いの方もいらっしゃるかもしれないが、「朝丸」時代の弟子なのである。
さて、都んぼ。満面の笑みで登場。落語家なんだし、笑顔は当たり前。しかし、笑いすぎやな。無駄に笑ってる感じ。
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ネタは、「ひとつき(一月)わずか○○円で暮らせる法」?ええ?そんな秘訣がこの本に書いてる?その本が何と○千円?
そんな秘伝書を売りつけられた男、「どれどれ・・・・・え、ええぇ?トコロテンを喰え。一突き○○円やてぇええ??」てな調子のネタ。
(2) 桂 こごろう 「動物園」 前回聴いた時のネタは「動物園」。
ひょうひょうと登場してきたこごろう。
「動物園」かなあ?と思ったら、案の定「動物園」だった。
いくら世話されたとは言え、虎の毛皮をかぶって動物園の檻ん中をウロウロするアルバイトをする、至って「たよんない」男。
こごろうのとぼけた味が、そのたよんない男に似合っている。
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こごろうは、桂南光師匠の弟子。
(3) 桂 小米 「上方見物」
初めて聴く噺家さんであった。
パンフの小佐田定雄氏の解説によると、「故郷の鳥取弁を生かした滑稽話」が特徴らしい。
ネタはちょっと珍しい噺で、これまた初めて聴くものだった。
田舎から出てきた人が、大都会である大坂の繁華街を観てまわる噺で、店先で「試食は無料(ただ)」と知ると、やたら多量にたいらげたりする。 |
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鏡を売る店、御鏡処(石野注 字がこれで合っているかは自信なし。「おんかがみどころ」と発音していたように思う)を「おん嬶(かか)見処」つまり、自分の女房を見せる場所と誤解する。大坂とはすごいところだ、そんな店があるとは、と感心しながら店に入る旅人。また、その店の奥さんがたまたま大変な美人であったため、土産話が大評判となり、その人の村から「大坂に行って、美人の女房を見よう」と大挙やって来る。
ところが、店が鏡屋から三味線屋に代替わりしていた。「あれ?おかしいな。べっぴんの女房さまがおらんぞ?」と首をかしげながら店の表に出て、看板を見て納得。「ことしゃみせん(琴・三味線)」、ああ、なるほど「今年は見せんのか」というのがオチ。
「商売もんを、いくらなんでも、そない食べられては」と苦情を言う店の者に「何ぬかす。風味(試食)はタダじゃい」と開き直るところの演出など、田舎くささが素朴さではなく、厚顔無恥さ、いわゆる「田舎もんのセンスのなさ」ばかり前面に表現されている感じがした。
(4) 桂 米朝 「厄払い」
昭和の初め頃まで残っていた商売らしいのだが、年越しの日に商店などの店先で縁起のいい口上を述べて金の包みと豆をもらう「厄払い」という商売があったそうだ。
「動物園」などと同じく、ちょっとしたアルバイトを紹介してくれる甚兵衛はんという世話焼きの年寄りが登場する。いわば、職安のボランティアみたいなもの。
一方、世話される側はええ年して定職にもつかずブラブラしてるだけのことはある。
まじめに働く気はないくせに妙に「欲」だけはある。元手いらずとは言え、縁起のいい口上の文句がいわば商売道具なのだが、そちらの稽古はせずに、せっせと用心籠に紙をぺたぺた貼り始めた。
この用心籠というのは、ずっと昔には各家庭に常備されていたそうだ。背負い紐のついた竹製の大きな籠で、火事などの時に大事なものを放り込んで逃げる、「非常持ち出し袋」のようなもの。 |
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男がなぜ籠に紙を貼ったか、と言うと、厄払いに行った時にもらう祝儀の金包みと豆をそこに入れようと考えたのだ。(小さな包みや豆が、竹籠の網目からこぼれてしまわない用心)
甚兵衛さんがかたがた「うちに口あけ(一番)に来い。うちでまず厄を払わしたる。祝儀用意しとくさかい、うちでゲンつけて(景気をつけて)、ほんでよそに廻れ」と親切に声をかけてくれていたのに、祝儀入れ製作に時間をくって、訪れた時にはもはやとっぷりと日も暮れ、すっかり夜更けとなっている。
気の利いた厄払いなら、もう商売終えて帰る時分じゃ、うちかて待ちきれんでよその厄払いに頼んだわいと追い出され、ようやくある商家に呼ばれる。しかし、口上もさっぱり覚えていないので、店の番頭に逆に教えてもらう・・・・・という噺。
まあ、米朝師匠は「存在していただいてる」だけでありがたい。
(5) 桂 南光 「初天神」
南光師匠(どうも、今でも「べかちゃん」の方がしっくり来るのだが)は、風貌がやんちゃ坊主みたいなので、「初天神」の悪がきがぴったり合っている。
で、あの悪がきの親父も、その悪がきがそのまま大きくなったような親父。
飴屋との会話など、子供よりもガキっぽいくらいである。
軽めの噺で、あまり力まず気持ちよく語っていた感じ。 |
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(6) 桂 ざこば 「お玉牛」
こごろうの「動物園」ではないが、ああ、「お玉牛」でなかったらええねんけどなあ、「お玉牛」かなあ、あっ、やっぱ「お玉牛」かあという感じがした。
オチがもう少し何とかならんのか、とは前も書いたのだが、要は、玉ちゃんをめぐる周りの連中のセクハラ振りがどうも好きになれない。ざこば師匠うんぬんではなく、私個人として、この話が好みではないということなのだ。
まあ、夢の中の話なのでいいのだが、ツバの泡がどうこうとか。
「鎌でグサッ!」てのも無茶苦茶だしなあ。
どっちかというと、村の若い衆側でなく、かわいい愛娘がストーカー被害を受けた親父の立場に立ってしまっているのかもしれない。 |
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どうも、お退屈さまでした。いつものことですが、録音等してませんので、聞き違い、記憶違いはご容赦ください。
今回は何か文句の多い鑑賞記でした。ヒルトン大阪のだだっ広い宴会場にパイプ椅子をべたべたと並べた会場の雰囲気が、あまり印象が良くなく、演目もちょっと物足りなさを感じました。鑑賞記が遅れ、細かいところは忘れてしまって感じた不満ばかりを並べてしまった気がします。読んでくださった方に不快感を覚えさせてしまったらすみません。
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