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(No126) 扇町寄席 米朝一門SP TV鑑賞記その1
平成21年1月3日に放送された扇町寄席のメモ。
(1) 口上
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南光 「あけましておめでとうございます。いつもは日曜の朝に放送させていただいてます扇町寄席でございますが、本日は五代目桂米團治襲名記念ということで、まずは口上からお届けいたします。 まずは、五代目米團治の師匠でもあり、お父様でもあります。また、世界でただ一人、落語家の人間国宝でございます桂米朝より申し上げます」
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米朝 「自分のせがれのことは言いにくいんでございます。こうゆうもんはともかく当人を誉めたたえ、多少ベンチャラがあっても持ち上げるもんですが、知りすぎてしまうと言えんもんで。 名前が変わっても人間は変わらしまへん。おそらく、これからも言えんような失敗が次から次に続くと思いますが、どうか辛抱してみてやってください。ちっとはましになると思いますので、よろしくお願いします」
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南光 「続きまして米團治の一年先輩にあたります、とても長い顔をしております桂雀々から申し上げます」
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雀々 「本日は五代目米團治襲名の口上とゆうことで、米團治とゆう名前になるとは思てませんでした。
小米朝でしたんで、中米朝、大米朝・・ってなると思てました。
この機会に皆、名前変えよか、て。私も雀團治に・・・・・・て、そんな話はどこにもございません。
今後とも落語界を背負って立つような、切磋琢磨しながら頑張っていきたいので、よろしくお願いします」 |
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自分のことしか言ってない感じ。お辞儀もきちんとしないし、祝うという感じじゃなく、内容も「息子やから大きな名前もらいやがって」みたいなやっかみがあるみたいで、聞いていて愉快ではなかった。
まあ、これは私が雀々が好きでないからだろうが。 |
南光 「米朝一門のお祝いごとでございますが、よその一門からもお祝いに駆けつけていただきました。
・・・・なぜ、この人なのかも分かりません。こう見えましても、上方落語協会の理事でございます桂きん枝から申し上げます」
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きん枝 「本日はおめでとうございます。何でも50になられたそうで。会社も違いますのであまりお会いすることもなかったんですが、噂ばかりが耳に入ってまいりまして。
何でも片方の目ぇにコンタクトレンズを2枚入れて歩きにくいとおっしゃったとか・・・・・・春團治師匠のとこに襲名の挨拶に行った時『今度、春團治を襲名いたします』とおっしゃったとか・・・・・・。 ざこば兄ちゃんに言わせますと『ちょっと頼んないねん』とのことですが、50になられたんですし、57の私よりよっぽどしっかりなさっておられます。
米團治という大きなお名前をお継ぎになれた訳ですが、うちの一門でも文左とゆう大きな名前を継がせていただく者がおります。その節には、どうぞご協力を重ねてお願いいたします」 |
南光 「この方も理事やそうでございます。うちの一門から枝葉として分かれました月亭とゆう屋号を大事に守っておられます。月亭を代表いたしまして、月亭八方から申し上げます」
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八方 「恥ずかしながら月亭を名乗っております。昨年来、何かとお騒がせいたしております。年も改まりましたので、どうぞお許しいただきたい。
これからもますます精進していきたいと思っておりますので・・・」南光 「あの、自分のことばかりやのぉて、米團治さんのことをゆうてもらわんと・・・」 八方 「今日も米團治さんの襲名口上や、言いますと嫁はんが『え?米團治さんに呼ばれたんか?あの方に呼ばれるんなら一人前や。そら、しっかり口上ゆうといでや。・・・・・・・・・・・で、米團治さんて、どんな人やねん?』て。
・・・・・・『寒いおりやし、早よ帰るわ』てこないゆうてまいりました。よろしくお願いします」 |
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月亭八方の師匠は、去年8月ストーカー行為で逮捕された月亭可朝。 |
南光 「しめは、この方にお願いします。弟子入りした時には、米團治は幼稚園の年長組やったそうでございます。五代目米團治襲名も、この人の力あればこそ。 桂ざこばより申し上げます」
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ざこば 「わたくしが弟子入りしたのは昭和38年のことでございまして。師匠の家の前に行きました。桂米朝とゆう表札もかかっております。門扉がございました。わたくし、門扉とゆうものを見たのは生まれて初めてです。開けました。ギ〜〜といいました。・・・・錆びてたんです。 奥さんが出てきはりました。当時はきれいでした。いや、今でもきれいなんですが・・・・・ちょっと傷んできました。
『今、二階で着替えてるから、すぐ降りてくるから』ゆうて応接間に通されました。
『これでも食べてなさい』ゆうてお皿にお饅頭とお茶を出してくらはりました。私、食べたかったんですけど、これで食べてまうと『ああ、この子は、やらしい』思われて、弟子入りがかなわんことになったらあかん思て、ぐっと我慢しました。
そしたら当時幼稚園の年長組やった小米朝が帰ってきたんです。応接間来て、私の顔見て、「誰やいなぁ〜」とか思たんでしょうが、饅頭をじ〜っと見て、私の顔みて・・・・・・また饅頭見て『これ、も〜ろた!』
なんちゅう下品な家や。そう思いました。そこへ奥さんが来はりました。お皿見ました。饅頭ありません。 私が食べたことになってるんです。皆さん、物が出たら、すぐに食べましょう。遠慮は無用です。 |
まあ、卒園しまして小学、中学、高校、大学・・・・・・。兄弟子の枝雀兄ちゃんと『やっぱ、せがれの一人くらい噺家にせなあかんやろ』、『せやなぁ。ほな、誰がええやろぉ?』、『そら、長男のあきら君やろ』て。
彼の下に弟が二人いてるんですけどね。
で、彼に噺家になれ、てゆうたら『僕は演出とかプロデュースの方がやりたいんです。(噺家は)向いてないんですよ』ゆうたんですけど、『向いてるも向いてないもあるかぁ!とにかく噺家になったらえんのんじゃ!』てゆうて、無理やり噺家にしたんですけど・・・・・・・向いてなかったんです」 南光 「こんな席で、何、言わはりますねん」 ざこば 「最初は向いてなかったんですが、父である師匠に弟子入りしてからはめきめきと腕を上げました。 そら、我々とは師匠の教え方が違いますわ。そら、必死になって教えはりますもん。私ら、手ぇ抜かれてばっかしで。私はボロボロですわ。 3年とゆうもの、父と呼ばず、師匠と呼んでみっちり修行して。年季が明けてからは春團治師匠のとこに教(おそ)わりに行ったり、枝雀兄ちゃんとことか、吉朝のとことか教わりに行ったり。
私のとこには、いっぺんも来ません。・・・・・・私のことは認めとらへんのです。(米團治、苦笑しながら手を振って否定する)」 南光 「あのぉ・・・ちゃんとまとめていただきませんと・・」 ざこば 「米團治という名前をひと回りもふた回りも大きくできますよう、皆さん、ご指導ご鞭撻、隅から隅まで、ずずずぃ〜〜っと、おん願い申し上げ奉りますぅ〜〜」
どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。
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