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(No121) 新春吉例 米朝一門会 鑑賞記その3       

   で、平成21年1月2日に、建替完成後のサンケイホールブリーゼにて新春吉例米朝一門会を鑑賞した・・・・・の続き。



 

(5) 桂米朝 桂ざこば 桂南光「よもやま噺」

 




南光 「私だけ色紋付で。実は黒紋付て聞いてなかったんです。何や一人だけ『笑点』みたいな感じで。

 では、師匠から新年のご挨拶を」
 中入後、緞帳が上がると舞台右手の床机の上に、向って左からざこば、米朝、南光の順で腰掛けている。
 格好は、南光が言った通り、ざこばと米朝師匠は黒紋付であった。

 一方、舞台向かって左手には、お囃子衆が座っている。 

米朝 「おめでとうございます。この年になったら、何も挨拶することないねぇ」
南 「今年の抱負は?」
米 「あるかいな、そんなもん。生きてられるか、どうかもわからんのに」
南 「師匠は、正月から験
(げん。縁起)の悪いことを言うのが好きでございます。

 せやけど、師匠。今年は丑年で当たり年でっせ」
米 「えっ?60?」
南 「そない厚かましいこと言いなはんな。それから干支が二周
(ふたまわ)りして、今年の11月で84でんがな」
米 「えらいこんでんなぁ
(大変なことですね)
南 「どうですか。84になられた感想ゆうのは」
米 「まだなってないからね。11月の6日になったら分かるかもしれへんけど」
南 「・・・・・・とても、からみにくいです。

 いつもは、よもやま噺ゆうことで米朝師匠にいろいろお話を伺ってますが、今日はちょっと趣向を変えまして、お囃子について、お話をしていただこうと思っております。

 で、お囃子衆は、いつもはお客さんからは見えんとこにいてるんですが、今日はちょっと出てきてもらいました。

 皆さんから向って左から、笛を担当してくれてる桂しん吉くん。その隣が鉦
(かね)を担当してくれてる、今日、開口一番で落語をしてくれた桂吉の丞くん。その隣が、太鼓を担当してくれてる桂米平くんです。」

桂しん吉 桂吉の丞 桂米平



ざこば 「彼は、250人ほどいてる上方の噺家の中で一番体重が重たいんです」
南 「そうそう。110kgありますからね」
ざ 「それ聞くと、お客さんがオ〜と驚く。せやさかい、楽屋では、彼のことは110のオ〜
(百獣の王)と呼ばれてます」
南 「そら、彼がマクラでゆうことでんがな。

 その隣は、お三味線の高橋まきさん。今日は舞台に出るゆうことで、昨日、美容院でセットしてきはりました。
 一番右は、お三味線のかつら枝代さんです」
ざ 「この方は、枝雀兄ちゃんの奥さん。未亡人てゆうたらええんか」

 桂枝雀の奥さんは、もと女流漫才グループ「ジョーサンズ」のメンバー、前田志代子さん。お囃子三味線の芸名は「かつら枝代」と言うようだ。

南 「お囃子がふんだんに入るのは上方落語だけやそうですが、昔からそうなんですか?」
米 「さ〜?私も知らん昔からの話やさかいなぁ。まあ、賑やかな寄席囃子なんかは、明治の頃から関西色が東京へ伝わったらしいねぇ」
南 「やっぱり上方の方がサービス精神が旺盛ゆうことなんでしょうかねぇ。この、お囃子が入る『はめもん』とか道中の噺なんかは東京にはないんですか?」
米 「まあ、三味線が入るとかゆうのも、東京では芝居噺を除いては、あんまり無いわなぁ。せやから、こうゆうお囃子が入るのんを、東京の落語家さんは、人によっては、ものすごぉ嫌がりはるなぁ」
南 「出囃子ゆうのは、一人一人違ってまして、いわば、その人のテーマミュージックみたいなもんですね。
 ただ、前座の間は『石段』に決まってる。これは何でなんでしょう?」
米 「さあ?まあ、前座のうちは、一段、一段上がっていけてな意味なんかなぁ?」
南 「ほな、ちょっと、その『石段』をやっていただきましょう」
 実際に目の前で演奏がされる。
 京劇も、演奏者は舞台の前面にはいないので普通目に入らないが、すぐ脇にいるので、席の位置によってはよく見えることもある。
 しかし、落語のお囃子は楽屋内なので、この日、まともに見ることができたのは良い経験だった。
 「石段」とゆう出囃子は、これまで前座の出囃子がみんな同じだとゆうことは全く意識したことがなかったので、聞いたことがあるような、ないような実にあやふやな記憶しかなかった。
 なお、「石段」についてはここで聴ける。

南 「米朝師匠は、『鞨鼓(かっこ)』ゆう出囃子ですが、私、ほんまに、格好ええから『かっこ』か、思てました。あら、鞨鼓ゆう楽器があるんでんな?」
米 「そう。こう、提げて鳴らす楽器がな。まあ、上品な、品のええお囃子ですわ」
南 「師匠、このお囃子はいつから?」
米 「五代目の
(笑福亭)松鶴師匠が亡くなった時に、死んだおとみさんが『あんた、鞨鼓にしたらどないや?』て言わはってな。まあ、おとみさんゆうたら、権威やさかい、『はい、わかりました』てなもんや」
南 「ほな、『鞨鼓』をお願いします」

 「鞨鼓」は、正式には「三下がり鞨鼓」とゆうらしい。リンクはここで。

 吉の丞は休んでたので、鉦は使わなかったと思う。太鼓も締め太鼓だけで大太鼓は使わなかったのではないだろうか。
 演奏が終った後、何か会場がシーンとしてしまい、南光が「何?この間ぁ?」とつっこんだ。

 おとみさんとゆうのは、明治16年に生まれ、昭和45年に亡くなった寄席囃子の第一人者である林家とみ。夫は二代目林家染丸。

ざ 「しゅっ!としてまんなぁ(スマートだ、粋だという意味)。でも、これでは僕は舞台、出られへん。こないゆっくりでは、けつまづいてまうわ」
南 「ざこばさんの出囃子は?」
ざ 「ぎょせん、ゆうてね。まあ、ざこばゆうたら魚市場やから、海とか船とかに関係あんのがええんちゃうかゆうて、ざこばになった時、お姉さん
(枝雀夫人)がゆうてくれはって」
南 「『ぎょせん』ゆうのは、おんふね
(御船)て書くんですが、それではお願いします」

 南光の解説がなかったら漁船かと思うところだった。賑やかなお囃子だったように思う。

南 「ちなみに私の出囃子は『猩猩(しょうじょう)』と申しまして、これもべかこから南光になった時に、師匠のお姉さん(枝雀夫人)がこれがどうや、てゆうてくれはりました。それでは、ええ方で頼みます」

 「猩猩」はここから。

ざ 「ちょっと長いな。もう少し縮めたら?」
南 「あと、三代目春團治師匠でしたら『野崎』ゆう出囃子でして、通になると名びらが返る前から、出囃子聴いただけで次、誰出るか分かるてなことを申します」

 「野崎」はここから。
 なお、枝雀師匠の出囃子「ひるまま」はここから。

米 「まあ、大体芝居で利用したもんを落語でも使うんやな」
南 「知らん間ぁに日ぃが暮れて、えらい暗なってた・・・てな感じを出すには銅鑼
(どら)を使います。お茶席で使う銅鑼みたいに、小そうて太い、低い音を出すやつを。
(落語の中の雰囲気)
『ほな、失礼します』
♪ ぽ〜〜ん ♪
『うわぁ、真っ暗けやぁ〜』」

(本当に感じが出ていたので、場内、割れんばかりの大拍手)
南 「お宅ら、皆、素直な、ええお客さんで、ありがとうございます。

 雨、特に夕立なんかを表すには締め太鼓を主に使います。東京では大太鼓も使うようですが」

 夕立で雨がぽつぽつ降り出した感じを出すには締め太鼓が用いられていた。
 締め太鼓とゆうのは、床に、やや角度を付けて置かれた、寸法の短い鼓(つづみ)みたいな太鼓である。
 あと米平は、木のスタンドに吊り下げた大太鼓も操っていた。

米 「雪の降る音ゆうのは、口ではゆわれへんからな」
南 「雪は、三味線も入ります。
 ほんで、雪の音を出すには、銅鑼の撥
(ばち)、どら棒を使います」

 米平が、単なる木の棒ではない、先にフェルトみたいなものを厚く巻いた銅鑼棒を客に掲げて見せる。

 南光が落語の中の雰囲気で「綿をちぎって投げるような雪が・・・・」と言うと、ぽ〜ん ぽ〜ん とゆう軽めの音が。三味線の音色も入る。
 ざこばが「さぶ〜(寒く)なってきましたなぁ」とフォローする。

 続いて「風の音」ということで、今度は米平は長い棒を持ち出して、大太鼓を叩く。左手の棒は動かさず、右だけで叩いていた。
 続く「水音」とゆうのも、やはり左は動かさず、右だけを「ぽとん!ぽとん!」と水がたれる感じで叩く。
 また、「海の波」では両手を使い、強弱を付けて叩いていた。
 米朝師匠が「こら、海の波が打ち寄せては引いていく感じで」と解説を加える。 


米 「幽霊が出るとこの鳴りもんは?」
南 「・・・・・・米朝師匠。段取りゆうのがありますので」
ざ 「段取りて、師匠がゆうてんねんから、やったらええやないか。
 君ら孫弟子はええけど、わいら直弟子は、師匠のゆうことには逆らわれへん」
南 「孫弟子やったら、よけい大師匠には逆らえませんけど。
 まあ、よろしやん。いずれ近いうちに幽霊になんねんやから」
米 「ええ?」
南 「ほな、きっかけはざこば兄さんにやってもらいましょか」
ざ 「いや、米朝師匠にやってもらお!そら、そうでんがな。私がやんのんと、師匠がやらはんのんとは、味が違いまっせ」
南 「ほな、こうしましょ。ざこば兄さんは鳴りもんなしでやってもろて、米朝師匠は鳴りもんありでやってもろて、その違いを聞いてもらいましょう」
ざ 「いや、わいが鳴りもんある方するわ」
南 「そんな、師匠を陥れるようなことしたら、あきまへんで」
ざ 「そうかぁ?しゃあないなぁ。
(落語の雰囲気で)
 それへさして、お菊の幽霊が、ずずずぅ〜〜!!
(「うらめしや」の格好で突っ立つが、皆、知らん顔をしている)
 せんかいや!」
南 「ちゃんと打ち合わせしてるからね。まあ、やってもらお思たら、お年玉やらんと」
ざ 「ばか野郎。あっ!わいは無い方か?スカみたいやなぁ」
南 「ほな、次は『有る』方で」
米 「
(ざこばへ)もう、お前、鳴りもんの方もやれや」
ざ 「甘えんと、自分でやんなはれ」
米 「お菊の幽霊が・・・・・」
(ドロドロドロ・・・・・・と派手な鳴りもんが入って、幽霊の雰囲気を盛り上げる。しかし、米朝師匠は、もう仕事は済んだとばかりに知らん顔をしてるので、仕方なくざこばが「一枚、二枚、三枚・・・・・・」とフォローする)
南 「はい。どうもありがとうございました。
 和気藹々とやってまいりましたが、お時間もございますんで、この辺にいたしたいと思います。
 それでは、お囃子衆の皆さん、ありがとうございました。
(と、退場していく)

 今日は二丁三味線でしたが、もちろん一丁だけの時もございます」
(ざこばが立って、お囃子衆が座っていた座布団を片付けて回る)
南 「・・・・どないしはったんですか?何や笑点の座布団運びみたいに」
ざ 「わしは、こうゆう人間や。
(座布団を重ねて、舞台の袖まで運び、戻ってきて米朝師匠に)ほな、帰りまひょか?」
南 「いや、ちゃんと締めてから」
ざ 「
(不服そうに、米朝師匠に)締めまんねんてぇ!」
南 「お宅ら師弟、ほんまやりにくいですわ。好きなこと言いたい放題でんがな」
ざ 「わいら引っ込む時
(のお囃子)は『負けない節』でもやってもらおか」
米 「まあ、先に陽気なことが待ってますと、発散しますが・・・・・」

 と、突然米朝師匠が落語「皿屋敷」の一節を語り始める。ここは、確か、お菊の幽霊を見に行こうとする若い者たちが景気付けに酒を呑んでいるのだが、これから幽霊を見よう、下手すると命に関わるとゆうところなんで、どうも意気が上がらない・・・とゆうとこだと思う。
 先ほど幽霊の鳴り物のところがお菊の幽霊、つまり「皿屋敷」だったので、おさらいを始めたのだろうか?

 ざこばが「やっぱ、酒囃子にしよか」と言う。いったん、ここで緞帳が下りる。最後の雀三郎の高座を設営しなければいけないからだろう。





  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。  
 



 

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