ここから吉朝一門らしい「七段目」に入っていく。
詳しい描写は省略するが、よね吉などの演出と違った点だけを列挙してみる。
(1) 息子が殊勝にも店番を申し出る場面で、よね吉は、両袖をばっ!と後ろに払ってから、台詞を言うが、今回は特にそのような演出はなし。
(2) 息子が店番をしている時に来た巡礼の親子連れ。子供に生国を尋ね「大和の郡山でおます」と言われると、「そんな筈ない。阿波の徳島や」と決めつけて、よね吉の演出では指を二本出して、子供の目を突く。今回の吉坊は、ごく普通に顔面にパンチを入れていた。(どちらもひどい話なんだが)
(3) 向こうの角から若旦那が六方を踏んで帰ってくる・・・という演出は通例だが、今回の吉坊は「久七(きゅうしっ)どんが声かけてなはる」という台詞を入れている。吉坊演出の若旦那は、けっこう店の者にもシンパがいるということか。
(4) 旦那に殴られ歯向かおうとした若旦那を止めた番頭。その番頭に、よね吉演出では「番頭ごめん!」と可愛らしく手を合わせ、すこし首を横にする。吉坊は「番頭すまん!」とやはり謝るのだが、首は傾けない。
(5) 同じく若旦那は番頭に「せやけど盛り上がったな!」とガッツポーズをしてみせるのがよね吉演出。吉坊は「六方、見てくれた?」と訊くにとどまる。
(6) 番頭が、若旦那を二階に上げようとせかすが、「お二階へ、お二階へって、お前は仲居か?」とまぜ返すのが通例の演出。だが、今回の吉坊では、その台詞はなかった。
(7) 二階に上がる梯子段を見て若旦那が「思い出すなぁ」と述懐し、番頭が「何をだんねん?」と尋ねる。若旦那は「わからんかぁ?八百屋お七の芝居やないか」と言い、「わかりまへんわ、普通は」と返す。この辺のやり取り、番頭がやや批判的な感じは、あまりよね吉演出では記憶がない。(←ただし、私が覚えてないだけかもしれない)
(8) 二階に上がってから若旦那が「何で、あない怒るんかいな。最初はわいが芝居の話、したらフンフンゆうて聞いとったのに・・・・・・どこで教育間違えたんかいな」とぼやく。 こうゆうぼやきは、他の演出ではあまり記憶がない。
(9) 二階に上がって今日観てきた芝居を反芻する。忠臣蔵の通しを観てきたようで、三段目のお軽・勘平が良かった・・・・と段々盛り上がってきて、「よっ!ご両人!ったや!!」と大向こうから声を掛けるとこも再現してしまう。
旦那は、呆れた表情で二階を伺い「これ〜!」と叱る。若旦那は芝居に夢中で、そうした叱声には全く気付かず、「まってました!」と続ける。旦那が「静かにせえ!」。しかし、若旦那はなおも「にっぽんいちぃ〜!!」 。旦那はほとほと呆れ果てた表情で「掛け合いやがな」とぼやく。
これは、他の演出でもあったような気もするが、けっこう印象的だった。
(10) よね吉などでは、二階に上がる時の演出として、やや前屈(かが)みになって、足を水泳のバタ足のようにばたつかせて、タン!タン!タン!と床に打ちつけ急いで駆け上がる音を表現している。今回の吉坊では、普通に立って上がる感じ。
(11) お軽、平右衛門の二人の場で、丁稚の定吉がお軽をやらせてもらうことになり、「え?わたいがお軽やらせてもらえまんの?」と喜ぶのは、誰の演出でも共通しているが、今回の吉坊では自分を指さし「抜擢?」と言ったのがおもしろかった。
吉坊というと、少し前まではマクラで必ず自分の童顔をネタにしていた。今日も、出てきた瞬間、そんなはっきりした声ではないが、特に女性などからは「うわぁ〜〜」という声があがっていたように思う。吉坊の顔を予め知っていなければ、見た瞬間「うわっ!可愛い!まだ子供ちゃうの?」なんて思って何ら不思議でない。
しかし、今日の吉坊はそんなマクラは一切ふらなかった。
吉坊は、師匠吉朝に見習ってか、歌舞伎、能、文楽など古典芸能を熱心に勉強している。いつまでも童顔の、可愛い吉坊ではないという自負のようなものが感じられ、好ましかった。
噺は・・・というと実にしっかりしていた。芝居の真似で見得を切るところなど所作も決まっているし、目を寄り目にしたとこなんざ、若衆歌舞伎そのものって感じで、艶っぽさもあり、確かな成長を感じた。(←偉そうな言い方だが)
|