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(No112) 米朝一門勉強会 鑑賞記その1       

 平成20年11月24日(月・祝)午後2時からの落語会に行ってきました。畳敷きの部屋で、最前列から高座までは手が届く距離でした。




 

(1) 桂そうば 「ろくろ首」

 

 お願い事がございます。携帯電話は電源を切っていただくか、マナーモードにしていただくようお願いします。私に限って・・・・という人に限って鳴るものでございますので、よろしくお願いします。

 
 わたくしは桂ざこばの七番弟子でございます。桂ざこば、ご存知ですか?うぅうぅ〜〜むむむぅ〜・・・とか、中古車のモーター音みたいに唸ってる噺家でございますね。

 
 せっかくですから、弟子の名前を覚えていってください。
(指を折っていって)都丸、喜丸、出丸、わかば、ひろば、ちょうば、そうばでございます。(石野注 故人の喜丸の名前が出たので一瞬どきっ!としたが、七番弟子という以上、名前を挙げるのは当然である)
 
 さて、わたくし、そうばの名前をご存知の方、恐れ入りますが拍手をお願いできませんでしょうか?
(パラパラっとした拍手)


 少なっ!皆さん、べんちゃらゆうもんをご存知ないんでっか?私やったら、嘘でも手ぇ叩きまっせぇ。
 では、もう一度。わたくし、そうばの名前をご存知の方、拍手をお願いします!
(盛大な拍手)

 ほんまでっかぁ〜〜?まあ、私の名前をご存じない皆様方には責任はございません。これすべて、売れてないわたくしに問題があるのでございます。

 わたくし、実は福岡県の出身でして、今年の1月、故郷の福岡で落語会をやらせてもらいました。会場で同じように聞きましたところ、シーンとして誰一人として拍手をいたしません。よぉ見たら、一番前の列におった、うちのおかんも知らんぷりしてるのでございます。親子の縁を切ったろかと思いました。
 
 そうばは自分でHPを開いている。それによると、今年の1月17日に「落語家、母校に帰る」と題して西南学院大学で落語会をやったようだ。

 この「ろくろ首」は以前都丸で聴いた

 妹のところへ「ようし」に行ったが姉がべっぴんだったので、つい抱いてしまった。すると妹が、それを見て泣く。仕方ないので妹を抱くと、今度は姉が泣く・・・・・というくだりは同じ。

 自分で自分のことを「こないアホみたいなわたいでも、嫁に来てもらえるんでっか」という(しかも2回も繰り返した)のには、違和感を覚えた。

 その娘さんには一つだけキズがあるという甚兵衛さんに手を振って「みなまで言いなはんな。わかってま、わかってま」とさえぎる。
 まず最初は、そないべっぴんやと男がほっておかん。このおなごも男と遊んでるうちに、おなごは受身や。だんだん腹がせり出してきたんをわいとくっつけて片をつけようと言いますのやろ!と決め付け、「お前、大分(だいぶん)と、人間がひねくれてるな。そんなことするかいな」とあきれられる。
 次に、またさえぎって、「しゃべりですねんやろ」と決め付け、「そら。お前や」と切り返される。
 なおも、さえぎって、「茶ぁ飲んだらヘソから漏る」とか訳の分からぬことを言い出し、その上、まだ「わかってま、わかってま」とさえぎろうとするので、「お前はなぁ〜んにも分かってない」とあきれられる・・・・という所はおもしろかった。

 あと、おもしろかった所とゆうと、
(1) 甚兵衛さんに「娘さんが気に入ったら合図せえ」と言われ「のろしでも上げて?」と訊くところ、
(2) あいさつをせえと言われ、いきなり玄関先で「結婚には三つの袋が大事でございまして・・・」と結婚式のあいさつ(スピーチ)を始めるところ、
(3) 「養子の出戻りでっせぇ!」と甚兵衛さんの玄関を叩いた男が、「ちゃんと、首が伸びると初めからゆうたったやないか」と難じられ、「聞いてたけど、まさか初日から伸びるとは」と返すところ、
(4) 「夜中にわたいが嫁はんとしゃべろう思ても、首、あんな向こうにあるんでっせ。這(ほ)うてゆかんならん」という男に、甚兵衛さんが「這うて行かんでもええがな」と返すと、「ほな、たぐりまひょか?」という所・・・・・などはおもしろかった。


 全体的な印象でいくと、一生懸命さは伝わってくるのだが、いかにも芸が硬く、なかなかリラックスして笑えない感じだった。

 


(2) 桂吉坊 「七段目」

 今日は米朝一門の勉強会ということで・・・・まあ、いつもと同(おんな)じ、落語をやらせていただくんですが。

 ・・・・・斜めなんが気になりますね。何か私より目立ってる気ぃがして。
(石野注 前座のそうばが自分の名前が書かれた「めくり」を高座が終ってからめくって「吉坊」を出したのだが、自分の札をきれいに奥に折り返さなかったため、「吉坊」の札はきれいに下がっているのだが、後ろの札が斜めにはみ出ている格好になっていたのだ。うまく描写できなくて申し訳ない。絵に描けば簡単な話なんだが。で、吉坊は少し高座から身を乗り出して、後ろの札をきれいに直した。楽屋裏でそうばは叱られることであろう)  

 先ほども携帯のお願いをしましたが、いわゆる我々の専門用語でゆうところの・・・・・・・オバハンという方々は電車の中でも、携帯が鳴ったら揺るぎなく取りますな。あれ、おもろいもんで、不思議と、ちょうど乗ろかな、とか座ろかなってゆう時に鳴ります。
(プルルルル)「もしもし!え?なに?私な、今、地下鉄やねん!」
 ものすごい大きい声。あない大きな声、出さんでもええと思うんですが。

 
「ん?ん?ああ!うん!まだ大丈夫。え?ええ?うん!まだ、ホームで走ってへんから切れへん!」

 聞いてるこっちの方がキレそうになります。

 まあ、落語ゆうのは弱い芸でして、着てるもんゆうたら、こんだけですし、あっち見て、こっち向く間に顔が変わるわけでもございません。

 そこいくと、芝居なんかは昔から娯楽の代表と言われてますな。特に歌舞伎なんか、見てるだけでも楽しい。

 先日、私、市川団十郎さんにインタビューさせていただく機会がございまして。歌舞伎座の楽屋まで行かせてもらいました。

 団十郎さんともなると座頭(ざがしら)ですから、楽屋なんかも一番奥でございます。
 のれんなんかも、うどん屋みたいなんとちゃいますよ。成田屋、こら屋号ですが、「成田屋さんへ  ひいきより」なんて染め抜いてある。足見えへんくらい長いやつです。

 で、楽屋に土間があるんです。ですから、のれんを上げても団十郎さんは見えない。その奥のふすまを開けて、初めてほんまの楽屋・・・・ということになります。

 楽屋の畳の上にびっしりとじゅうたんが敷いてある。・・・・・せやったら、畳、要らんやん?

 そして鏡台がございます。お化粧、されますのでね。

 ほんで、壁一面に有名人が贈りはった花。花ゆうても、かすみ草ちゃいますよ。みな、胡蝶蘭の鉢植えですわ。それも一段だけやのうて、二段。
 両側で花がひな段みたいになってる真ん中に、団十郎さんが座ってはる。・・・・何や葬式みたい。思わず、お香典出そかいな、て思いました。

 芝居とか映画は、何か酔うてしまうんですな。自分が芝居の一部分になったような気ぃになってしまう。それで、他の方面に迷惑をかけてしまう。

 普段やったら「おばちゃん、ピース二つちょうだい」ゆうてるとこ、
(見得を切って)「ばぁば〜〜!ピィー〜〜ス ふたぁあつぅぅ〜〜!!」
 おばちゃんも驚いてしもて、おつり余計渡してしもたりして。どこで損するかわからん。

 人間やったら、まだ相手が芝居の真似してるんかいなぁと分かりますが、そのうち見境がなくなって犬にまで芝居をしかける。
 「伽羅先代萩」
(めいぼくせんだいはぎ)床下(ゆかした)の段で鼠を捕らえようとする芝居で、
(見得を切り)「あやぁしぃ〜〜〜!!」・・・・・・・・・おのれの方がよっぽど怪しいんですが。
 犬かてびっくりして、わんわん!と吠えて逃げていってしまいます。
「けっ!しべぇ〜〜ごころ
(芝居心)のねえ犬だぁ〜」・・・なんて、犬に芝居心があろう筈はございません。

 ここから吉朝一門らしい「七段目」に入っていく。

 詳しい描写は省略するが、よね吉などの演出と違った点だけを列挙してみる。

(1) 息子が殊勝にも店番を申し出る場面で、よね吉は、両袖をばっ!と後ろに払ってから、台詞を言うが、今回は特にそのような演出はなし。

(2) 息子が店番をしている時に来た巡礼の親子連れ。子供に生国を尋ね「大和の郡山でおます」と言われると、「そんな筈ない。阿波の徳島や」と決めつけて、よね吉の演出では指を二本出して、子供の目を突く。今回の吉坊は、ごく普通に顔面にパンチを入れていた。(どちらもひどい話なんだが)

(3) 向こうの角から若旦那が六方を踏んで帰ってくる・・・という演出は通例だが、今回の吉坊は「久七(きゅうしっ)どんが声かけてなはる」という台詞を入れている。吉坊演出の若旦那は、けっこう店の者にもシンパがいるということか。

(4) 旦那に殴られ歯向かおうとした若旦那を止めた番頭。その番頭に、よね吉演出では「番頭ごめん!」と可愛らしく手を合わせ、すこし首を横にする。吉坊は「番頭すまん!」とやはり謝るのだが、首は傾けない。

(5) 同じく若旦那は番頭に「せやけど盛り上がったな!」とガッツポーズをしてみせるのがよね吉演出。吉坊は「六方、見てくれた?」と訊くにとどまる。

(6) 番頭が、若旦那を二階に上げようとせかすが、「お二階へ、お二階へって、お前は仲居か?」とまぜ返すのが通例の演出。だが、今回の吉坊では、その台詞はなかった。

(7) 二階に上がる梯子段を見て若旦那が「思い出すなぁ」と述懐し、番頭が「何をだんねん?」と尋ねる。若旦那は「わからんかぁ?八百屋お七の芝居やないか」と言い、「わかりまへんわ、普通は」と返す。この辺のやり取り、番頭がやや批判的な感じは、あまりよね吉演出では記憶がない。(←ただし、私が覚えてないだけかもしれない)

(8) 二階に上がってから若旦那が「何で、あない怒るんかいな。最初はわいが芝居の話、したらフンフンゆうて聞いとったのに・・・・・・どこで教育間違えたんかいな」とぼやく。 こうゆうぼやきは、他の演出ではあまり記憶がない。

(9) 二階に上がって今日観てきた芝居を反芻する。忠臣蔵の通しを観てきたようで、三段目のお軽・勘平が良かった・・・・と段々盛り上がってきて、「よっ!ご両人!ったや!!」と大向こうから声を掛けるとこも再現してしまう。
 旦那は、呆れた表情で二階を伺い「これ〜!」と叱る。若旦那は芝居に夢中で、そうした叱声には全く気付かず、「まってました!」と続ける。旦那が「静かにせえ!」。しかし、若旦那はなおも「にっぽんいちぃ〜!!」 。旦那はほとほと呆れ果てた表情で「掛け合いやがな」とぼやく。
 これは、他の演出でもあったような気もするが、けっこう印象的だった。

(10) よね吉などでは、二階に上がる時の演出として、やや前屈(かが)みになって、足を水泳のバタ足のようにばたつかせて、タン!タン!タン!と床に打ちつけ急いで駆け上がる音を表現している。今回の吉坊では、普通に立って上がる感じ。

(11) お軽、平右衛門の二人の場で、丁稚の定吉がお軽をやらせてもらうことになり、「え?わたいがお軽やらせてもらえまんの?」と喜ぶのは、誰の演出でも共通しているが、今回の吉坊では自分を指さし「抜擢?」と言ったのがおもしろかった。

  

 吉坊というと、少し前まではマクラで必ず自分の童顔をネタにしていた。今日も、出てきた瞬間、そんなはっきりした声ではないが、特に女性などからは「うわぁ〜〜」という声があがっていたように思う。吉坊の顔を予め知っていなければ、見た瞬間「うわっ!可愛い!まだ子供ちゃうの?」なんて思って何ら不思議でない。

 しかし、今日の吉坊はそんなマクラは一切ふらなかった。
 吉坊は、師匠吉朝に見習ってか、歌舞伎、能、文楽など古典芸能を熱心に勉強している。いつまでも童顔の、可愛い吉坊ではないという自負のようなものが感じられ、好ましかった。

 噺は・・・というと実にしっかりしていた。芝居の真似で見得を切るところなど所作も決まっているし、目を寄り目にしたとこなんざ、若衆歌舞伎そのものって感じで、艶っぽさもあり、確かな成長を感じた。(←偉そうな言い方だが)

 



 


  どうも、お退屈さまでした。聞き違い、記憶違いはご容赦ください。

  
 



 

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