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(No11) 堺市民寄席 桂米朝一門会 鑑賞記 その1

 吉例の堺市民寄席、桂米朝一門会に行ってまいりました。


(1) 桂 雀五郎 「みかん屋」

  まくらなしで、いきなり本題に入る。
 ええ若いもんが、ぶらぶらしてたらあかん。和歌山の取引先からみかんが手に入ったさかい、どや、これを売りに行ってみいひんかと親切なおやっさんが勧めてくれた。

 さっそく長屋の雪隠の前で売り声の稽古をしたところ、いきなり大きな声を出されて驚いた「中の男」が、紙を雪隠に落としてしまう。
雀五郎  男に、奥から二軒目がうちやから、女房にゆうて紙をもろてきてくれと頼まれたみかん売り。

「旦那さん、こうや(厠。かわや)で紙落としはって」
「ええ?!うちのん、今、和歌山へ行ってまんの。何ですか、うちの人、こうや(高野山)で髪落とした(出家した)んでっか?」

 男は仕入れ値で売ってしまって怒られる。おやっさんに口上を教えてもらって、再び先ほどの長屋へ。

「お〜い、長屋の連中。みな、出てこいよぉ〜」
「えらい偉そうな物売りやな。おっ、さっきのみかん屋やないかい。どないしたんや、さっきと同じみかんか」
「そうだす」
「ほたら、同じ値段やな」
「値段はちゃいまんねん」
「そら、おかしいがな。まあ、ええわ。で、なんぼやねん」
「1個、3円でおます」
「えらい高いな」
「『そこは半値とゆうから、どや、1円50銭で売らんか』とゆわんかいな」
「ええ?さいぜん(さっき)は1円やったからなあ。まあ、ええ、1円50銭で、どないや」
「・・・と言われたら、鼻も動かさんと、荷ぃをかたげて(担いで)長屋を出ていく・・・と・・・・・・・・おい、お〜い。このままでは、ほんまに出てまうがな。
 止めてぇ〜。誰か止めてえ〜。『気ぃの短いみかん屋やなあ。ほな、2円で買(こ)うたる』って、ゆうてぇ〜」
「おかしなみかん屋やなあ。何や、自分で鼻押さえて出ていきましたで。誰ぞに教(おせ)えてもろて、そのままゆうてるんでっしゃろうなあ。
 どないします?(左右をみて)ゆうたげましょかぁ?さいぜん1円て、えらい安かったんで、きっと怒られて、また来たんでっせ。ゆうたげましょか。
 おい、おい。みかん屋。わかった、わかった。ほな2円で買うたるがな」
「・・・と言われたら、黙ってみかんをぶっちゃけてっと・・・・・ほんで、大きい、艶のええみかんを、こう、積み上げてっと。これを商いの荷造りとゆう。どや、覚えときや」
「お前が覚えとかんかい」
「ほれ、このとおり、どこにでもある、ここにもあるみかんやない。2円50銭から1文もまからんわい。どうじゃ!」
「どないします?さっき1円で損しとるみたいやし、買うたりましょか?」

 とっても優しい、長屋の住人。

 オチは、年齢を聞かれてずいぶんと上の年齢で答えたみかん屋。何でそない上にゆうねん。へえ、上みた分で、女房、子供を養いまんねんというもの。

 言わでも、のことだが「上をみる」とは、仕入れ値に儲けを上積みすること。

 特にこれといった特徴はないが、口開けとしたらいやみがなくてよかったのではないか。

 雀五郎は昭和52年生まれ。平成12年、桂雀三郎に入門。

 


(2) 桂 米左 「禁酒番屋」

 冒頭、皆さんお目当ての方でなくて、さぞお力、落としのことでしょうが、私をクリアせんことには、お目当ての方は出てきませんので、と笑わせる。

 酒の上の刃傷沙汰で、家来が命を落としたのでお殿様が禁酒令を出した。
 お城に入るところで、酒を持ち込んでいないかあらためる。誰ゆうとなく、禁酒番屋。

 藩きっての酒好きの松本というお侍に、寝酒を届けてくれたら酒代のほかに小判を1枚と言われた出入りの酒屋。

 丁稚の一人が、知り合いの菓子屋の衣装を借りて番屋を通ろうとする。
米左


「どうじゃ、ご同役。藩きっての酒好きの松本が、カステーラとかゆう菓子を食するとはなあ。
 変れば変るものでござる。しかし、ちと不審でござるなあ。あらためるといたすか」
「へえ、おあらためいただくのは結構ですねんけど、これ、このとおりおつかいものとゆうことで、水引をかけてまっさかいに、包みとかが汚れたりしますと私が叱られまんのんで」
「ほほお、進物か。それならば得心じゃ。
 ご同役、よろしいかな?おい、通ってよいぞ」
「へえ、おおきに。ほな・・・・・どっこいしょ」 

 もう少しのところでばれてしまい、どっこいしょは口癖で、とか、新製品の水カステーラでとか必死でごまかそうとするが、
「役目の手前、落ち度があっては相ならぬ。食して調べるによって、食してまことカステーラであれば通してつかわす。
 しかし、嘘偽りであれば、打ち首じゃぞ、よいか」

 で、番屋の役人、二人で
「う〜ん、これはなかなか良い水カステラじゃ」
「さよう、さよう、これは灘の水カステラでござるな」とすっかり飲まれてしまう。
 二人目は、徳利を荒縄で縛り、外を油でべとべとに汚し、油徳利でございますと言ったが、これも駄目。

「旦さん、今度はわいに行かせておくんなはれ」
「やめとこ、やめとこ。もう無料(ただ)で二升から飲まれてんねがな」
「そやけど、旦さん、くやしいでんがな。わいは酒なんか持っていきまへんで」
「酒持っていかんと、何持っていくねん?」
「しょんべん(小便)持っていきまんねん」
「しょんべん?そんなことしたら、ほんまに首が飛ぶがな」
「何ででんねん。そら、しょんべんを酒や、ゆうたら首が飛ぶか知りまへんけど、しょんべんを、しょんべんゆうて持っていきまんねん。何もおかしいことおまへんがな」

 店のみんなの協力を得て、一升徳利をなみなみと満たした男が番屋を訪ねる。二升たいらげ、既にすっかり出来上がっている役人二人。

「ひっく!何じゃあ!それは?」
「はい、しょんべんでございます」
「何ぃ〜?しょんべんとな?馬鹿を申すな。かようなものを注文する者がどこにおる?」
「いえ、何でも、松の木の肥やしにされるとかで、ごく上等のしょんべんでございます」
「ふふふふ、どうじゃ、ご同役。町人というのは、可愛いものでござるなあ。
 最初は水カステラ、先ほどは油。そして、今度は小便じゃとゆうておる。
 そう言えば、みどもらが、あらためんとでも思ってるのであろう。ふふふふ、よいから、こちらへ渡せ!
 おっ!ご同役。今度は、燗までいたしておる。いやいや、冷やでも、燗でも、結構、結構。
 さてと(・・・と、またしても、湯呑みに注ぐ)おや、ずいぶん、この酒は泡立ちおるなあ。いや、泡などとゆうものは、これ、このとおり、吹けばよろしいのじゃ。
(と、口を近づけ)う〜ん、ご同役、目、鼻につん!と来ますなあ」

 オチは、ついに口にして、思わず怒ろうとした役人が
「ええ〜い!・・・・・この正直者めが!」 


 米左は昭和40年生まれ。昭和59年、桂米朝に入門。 



(3) 桂 雀々 「代書屋」

 
冒頭、いつもの「”けいじゃんじゃん”と呼んでください」で始まる。

「私どもの商売は、こう、口のね、周りだけが動けばよろしいのです。それで、舞台袖から高座まで歩くことが出来たらええんでございます。
 がんばってね、私も人間国宝になるまで続けていきたいと思います。

雀々  この後にね、ほんまの人間国宝が出てまいりますので。重要無形文化財で、えらいもんですなあ。
 皆さんも米朝が出てまいりましたら、拍手はせんで結構ですので、いっせいに拝んでください」

  雀々は最近では文珍のように大学で教えているらしい。


「女子大でね、70人を相手に、10時40分から90分間教えているんです。
 非常勤講師というんですか。まあ、行く方も行く方やと思いますが、呼ぶ方も呼ぶ方や思います。

 最近のね、若い女性たちですから、そもそも落語てなものを生(なま)で見たことがないのでございますよ。落語というと、5人くらいが横に並んでですね、座布団を取り合う、そういうイメージしかないのでございます。
 ですから、まず、落語というものの説明から入らねばなりません。で、ここに、笑福亭というものがあって、ここに桂があって、桂には米朝文枝春団治があって、ここにざこばがおって、うぅぅぅぅ〜って、いつもうなってて、ここに南光がおって、痛快エブリディ!っと、ここから説明せんとあかんわけです。

 ですから、『鳩が何か落としていったでえ』『ふ〜ん』・・・これがわからないのでございます。
『せんせえ!せんせえ!』って、これ私のことですよ。すぐ手ぇ上げて質問するんです。
『せんせえ、鳩が何か落とした。ふ〜ん。って何ですか?説明してください』って、こんなこと、ゆうんです。
 私も困りましてねえ。『それはやな、つまり、鳩のふんと返事のふ〜んとをやな、合わせるとゆうか、言葉の遊びとゆうかやな。でや、わかるか?』と申しますとゆうと、70人がそろって『ふ〜ん』

『あれ、坊さんか?』『そう(僧)』と、これがわからんのです。
『何描いてんの?』『え?(絵)』、『しゃがんで何してんの?』『しー!』『えらいきばってるねえ』『うん』と、これがわからんのです。ほんま大変ですよ。
 しかしねえ、若い女性に囲まれてますと、私もねえ、男のはしくれとしまして、理性ちゅいますんか、こう、ぐぐっ〜っとこみあげてくるものを抑えないかん。そら若い女の子が70人もいますとねえ、ここに可愛い子がいてる、そこにスタイルのええ子がいてると、そら、もう目が泳ぐ、泳ぐ
 ありがたいですわ、その点、堺市民会館は」(会場大爆笑)

 本編の「代書屋」に入る。枝雀師匠は、履歴書を「じ、じれきしょ」とか登場人物に発音させていたが、雀々は「りれきっショ!」と「しょ」のところで横を向いて高い声を出すのをギャグとしていた。

「(墨をすりながら)履歴書がお入り用とゆうことは、就職でもされるんですか。おめでとうございます」
「いやあ、そうやないんです」
「就職されるんやないんですか」
「ええ、町工場(まちこうば)のね、夜警の口があいたもんやさかい、来(き)いひんか、ゆうてもろて。せやから、決して就職なんて大層なもんやないんです」

「・・・・・そうゆうのを就職ゆいますんや。あんさん、お名前は?」
「え?名前?言わなあきまへんか?恥ずかしいなあ。いや〜ん
「おかしな声出しなはんな」
「名前となれば、私、留(とめ)ちゅっうんです」
「え?」
「とめっちゅうんです」
「とめっちゅ?」
「留です。留!」
「とめ?そら、おかしいですなあ」
「(やや、気色ばんで)私の名前がおかしいと・・・」

「いや、そうやないんですけど、女性なら留ひと文字というお名前もないこたぁないんですが、男のお方やったら、留吉とかね、留太郎とか、ま、留五郎とか」
「せやったら私、留五郎です」
「ええ?ほんまでっかあ?私、留五郎ってゆうたん、たまたまでっせえ」
「いや、間違いないんです。と言いますのは、私の死んだ親父が亡くなる時、いまわの際に、私を枕もとに呼びまして、苦しい息の下で、『と〜めぇ〜。お前のほんまの名前は、留五郎ゆうんや。何かの時は、そうゆえよ〜・・・・』ぽてっ!(と、倒れて息を引き取る仕草)・・・とねえ。
 そやけど何でんなあ。今日が、その何かの時やとは、わからなんだ」

「そんなことはどうでもよろしい。留五郎さんですな。ほな、あんさんの姓は?」
「せい(背丈)でっか?五尺・・・」
「違う、違う。上のお名前のこってす。ありまっしゃろ、それ、田中とか、佐藤とか、松本とか」
「私、松本です、松本」
「ほんまですかあ?松本かて、たまたまでっせえ」・・・・と、再び親父の遺言の話へ続く。

「ほな、松本さん、今度は生年月日ゆうてもらえますか」
「え?ここでゆうんでっか?うまいこと言えるかな。いきまっせぇ。せ・い・ね・ん・がっ・ぴ!」
「・・・・・あのねえ。『生年月日』とゆうてくれって頼んでんのとちゃいまんねん。生年月日『を』、ゆうてほしいんです」
「あっ、そうでしたんか。わかりました。せ・い・ね・ん・がっ・ぴ・・・・を!

「・・・どないゆうたらわかるんかな。松本さんのね、生まれた日ぃのことを教えてほしいんです」
いや、何にも覚えてしまへん・・・
「そら、覚えたはらへんやろけど!何月何日にお生まれになったんでっか?」
「はあはあ、それでしたらいちげつ(1月)のついたち(1日)です」
「いちげつって、えらい古い言い方でんなあ」
「そうなんです。これはね、親父やないんです。おふくろがね、『と〜めぇ〜』って、へへ、ちょっと親父とはちゃい(違い)まっしゃろ?『と〜めぇ〜。お前が生まれたんは、いちげつのついたちじゃあ。太閤さんとおんなじやあ。お前は出世する・・・』ってゆうてねえ。・・・これは、まだ生きてるんです」

「わかりました。1月の1日ですな。で、何年・・・ってゆうてもわからんやろなあ。せや、松本さん、あんさん、いったいおいくつでんねん?」
「私ですか?私、26です」
「ええ〜?そんなことおまへんやろ?あんさん、どない見ても40は超えたはりまっせぇ?」
「いや、26です。間違いないんです。と言いますのも、先ほども申し上げました、死んだ親父が、苦しい息の下で『と〜めぇ〜。お前ももう26やぁ。50の半(なか)ら男やぁ。もう大丈夫やあ・・・・』(ぽてっ!)とねえ」
「・・・はあ、お父さんがお亡くなりになった時に26やったんですなあ。ところで、お父さんがお亡くなりにならはったんは、いつのことでんねん?」
「さあ、それでんねん。今朝も女房(かか)と話、しとったんですわ。早いもんやなあ、親父が死んで、もう20年になるなあ、ゆうて」

「・・・・・いや、けっこうです、けっこうです。(と、手伝おうとするのを制し、手元の暦をめくりながら、生年を調べる仕草。再び墨をすりながら、小声で)あんさんも、あと4年で50でっせえ・・・・・もうちょっと、しっかりしてもらわんと・・・・
 で、松本さん、学校の方は、どうゆうことになってます?」
「学校でっか?もう長いこと行ってないなあ」
「そうでっしゃろけど、あのねえ、松本さんが通ってはったんは、どうゆうような学校でした?」

「そうですなあ、校門の横に大きな桜の木が3本植わってましてなあ。
 これが春んなると、ぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱぱっぁ〜と花が咲きまんねん。
 ところがね、これが少したつと、ちょっと風が吹くとゆうと、ば〜ぁらばらばらばらばら〜って散りましてなあ。
 そうすると、学校の女の子や皆、針と糸もって、校庭に出てですなあ、こう、花びらをつないで、腕飾りみたいなもん、こしらえよるのんで。

 ほんで、『留ちゃん、見てみぃ。ええやろぉ?留ちゃんには、やらへんし〜』て、見せびらかして、こないなこと言いよるんです。悔しいでっしゃろぉ?
 せやから『そんなもん、いるかい。あ〜ほぉ〜』って、こないゆうたったら、『あほやて?あほゆうもんが、あほなんやしぃ』、『なにい?お前の母ちゃん、でぇべそ〜』・・・・・・・・・って、こうゆうような学校でした」

「・・・こうゆうような学校でしたゆうてもねえ、書けないでしょ?お前の母ちゃん出べそとは。もう、よろしいわ、ええと、本籍地内小学校を卒業す・・・・っと、ああ、松本さん、卒業は、したはりますやろな?」
「さあ、それがわいのたった一つの自慢の種でんねん。ほかのもん、6年もかけてるとこ、わたいだけしゅっ!と2年で卒業・・・」

「・・・小学校中退っと。松本さん、ご職業は何ですか、お仕事は?」
「仕事はともえ焼きです!」
「ともえ焼き?え?はあ、はあ。太鼓まんじゅうとか、回転焼きとかゆうやつ。
 へえ、あれ、太鼓に、よう巴の模様が描いたぁるから、ともえ焼き言いまんの?そら知らんかった、ええ勉強になりましたわ。
 ともえ焼きなあ、ともえ焼きではわからんやろなあ。
 一般的な言い方では”御座候”(※注 ござそうろう。大阪で有名な回転焼きのチェーン店)か?(会場爆笑)

 今川焼きゆうのも捨てがたいなあ。難しいなあ。う〜ん・・・・・。ほたら、こうしまひょか。
まんじゅう商を営む、と。で、これは何年ほどやらはったんでっか?」
「それは結局やらなんだ分でんねん」
「な、何です?」
「いや、何せ、夏のこって、ともえ焼き焼くのんも暑ぅてねえ。
 『もう、やめじゃあ!』ゆうたら、うちの女房(かか)も、
 『せやせや、夏の暑い時分にともえ焼きなんか売れまへんわ。夏はやっぱりカキ氷ですわぁ』ゆうもんやさかい、結局やらなんだんです」

「やらなんだやつ、ゆうてもろたら、どんなりまへんがな。
(筆で縦線をひき)『一行抹消』っと。
 消すとね、汚くなるでしょう?判を貸しなはれ。いぃえな、訂正判がいりまんねん。(と、ぐうぅ〜と印鑑を両手で押し付け、ぱっ!と押した印影を見ては、ぎょっ!と驚き、しげしげと印面を眺める仕草を2回繰り返す)松本さぁ〜ん、たまには判、掃除しなはれ。ただの赤丸やがな、これでは。
 ほんでね、そんな、やらなんだ仕事やのうて、あんさんの本職は何でんねん?」
「本職ですと、ぽんです」
ぽん!?

 と、いわゆる「ぽん菓子」(露店などで、ボイラーのような機械に米と砂糖を入れてがらがらと熱し、最後にぽ〜ん!と大きな爆発音とともに、米粒がふくれあがったお菓子が出来上がる。パフライス)の説明に入る。代書屋は、もうわけがわからなくなって、号泣している
 最後に、留がぽ〜ん!!と大きな声を出し、手を広げる。
 それを聞いた代書屋、「本職は・・・・・・ぽ〜ん!?」というのがオチ。

 今回は、いつもの、噺を中断しての、不必要な客いじりなどはなかった。場内も非常にうけていた。いつも、こんな具合ならいいのに。


 雀々は昭和35年生まれ。昭和52年に、故・桂枝雀に入門。


 


 次は米朝師匠なのですが、雀々が長くなったので、ここでいったん切ります。



 

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