移動メニューにジャンプ

(No10) 京都らくご博物館 夏〜納涼寄席〜鑑賞記

 京都国立博物館では、「京都・らくご博物館」と題して春夏秋冬の4回、落語会を開催しているそうだ。
 たまたまインターネットでそれを知り、私は大阪に居ながら京都国立博物館に行ったことがないので、京都国博をのぞくきっかけづくりを兼ねて申し込むことにした。

 全席指定なのだが、ネットで場所を指定して仮申込ができる。(後ほど郵便振込みでお金を払う。カード払いは扱ってないようだ)
 席はまたまた最前列であった。(ただし、中央ではなく、右端の方)
  


(1) 桂 歌々志 「平の陰」


 まくらは、駐車禁止の話。「わたくし、宝塚の方に住んでおりまして、こちらへ参るまで1時間半ほどかかります」。そう語ったとたん、場内で笑い声が。別に、ここはおもろないと思うのだが。
「往復でいきますと、3時間。ところが私の噺は15分」
 ここでどっと笑いがおこる。そうそう、ここなら分かるけど。
 どうも会場の中に何人か、「何をゆうても笑う人」がいたようだ。何かバラエティ番組の効果音代わりの「笑いおばちゃん」と一緒にいるような気持ちになった。
 笑いにも間(ま)、段取りがあるとは思うが、その人は久しぶりに落語会に来て楽しくて仕方なくて、テンションがのっけから振り切っていたのかもしれない。また、「健康法」代わりに、とにかく笑おうと思っておられたのかもしれない。
 さて、歌々志は家が宝塚の駅から離れているので、駅までバイクに乗っている。それで、いかんことではありますが駐輪場に駐車せずに歩道に停めている。
 ある日、最終電車で宝塚に帰り、ふと見ると自分のバイクに駐車禁止の黄色いプレートがついている。

「私がね、私が悪いゆうのはわかっているんです。でもね。あ、この中に警察関係の方はいらっしゃいませんか。今頃聞いても遅いですが。
 いたはりませんか。そしたら言わせてもらいますけど、警察にちょっと文句を言いたいことがあるんです」 
歌々志

 まず1点目。「自転車・原付放置禁止区域」とある。そこに異論があるらしい。
「原付ゆうとね、50cc以下のバイクのことなんです。ところがね、私のバイクは250ccなんです。・・・余計邪魔や、ゆう話もありますけど」。

 2点目は、違反場所が「宝塚駅前」となっていた点。歩行者の邪魔にならんよう、駅から離れた、歩道が広い所に駐めている。そこから私は4、5分かけて駅へ行っている。

「あれは”駅前”やないです。あれを駅前と言うなら、駅から遠いのに”駅近!”って宣伝する不動産屋みたいなもん。
 私ね、空き巣でゆうたら、靴脱いであがるタイプなんです。それから悪いことはするんですよ。するんですけど、帰りには洗い物して帰るタイプの空き巣なんです」。

 本編は、「平の陰」。新聞を読んでいる男のところへ、ある男(喜ぃ公)が手紙を持ってくる。ところが、この男は見栄で新聞を読んでいる振りをしていただけなので、
「ちょっと、この手紙、見とくんなはれ(見てください)」
「ほうか(・・・と手に取って、ちらと目をやり)ほい、見たよって返すわ」
「ちゃいまんがな。この手紙、どっから来たもんでっしゃろう」
「う〜ん、郵便局ちゃうか」とごまかす。

 差出人の名を尋ねる喜ぃ公に心当たりを尋ね、「”きょと”のおっさん」(いつもきょときょとしているので)と答えられ、嬉しそうに「うん、書いたぁる。きょとのおっさんよりって」。
「拝啓 喜ぃ公 ご無沙汰いたしております」
「ええ?こないだおうた(会った)とこでっせ」
「え?そういうことは先言え!なになに、ご無沙汰ゆうのは、わしの記憶違いでした。こないだ、おうた時にはえらい愛想なしで、すまなんだ」
「ええ?あほらしもない、こないだおうた時には近所で鰻屋ができたゆうて、上等の鰻丼取ってくらはったんでっせ。それも肝吸い付きで」
「しゃあから、そうゆうことは先にゆえゆうてんねん。なになに、あ、やっぱ書いたぁるわ。愛想なしゆうのも、私の勘違い。こないだの鰻丼肝吸い付きはおいしかったですか。連絡を乞う。さようならって、ほい!これでしまいや」

 後はこの手の「〜は書いてまへんか?」「まとめてゆえ!気取った料理屋みたいにちょびちょびと。なになに、うん、書いたぁる」「何や、わいがゆうと書いてまんねんなあ」という繰り返し。
 オチは、「あんた、ほんまは字が読めんのとちゃいますか。何で盃のとこが読めまへんでしたんや」「読めなんだんやないねん。お膳の陰で見えなんだんや」
 
 東京では「無筆の手紙」と言うらしい。東京の題名はストレートすぎるけど、「平の陰」というのはどんな意味なのか私にはわからない。

 私の席は最前列右端だったので、舞台左手から出てくる噺家さんの姿が見える。
 袖で都丸がのぞいていたが、まだシャツ姿だった。

 歌々志は昭和46年生まれで、故桂歌之助に弟子入り。

 


(2) 桂 吉弥 「七段目」

 吉弥は平成16年にNHK大河ドラマ「新撰組!」に山崎烝(やまざきすすむ)の役で出ていたそうだ。
「今、歌舞伎の方では中村勘三郎の襲名が先日話題になりましたが、歌舞伎は高いですなあ。こないだ新歌舞伎座行ったら2万1千円ですで。そこいくと、今日らは3千円。いや、ここかて高いですわなあ」とのこと。
 私も、正直、メンバーと人数からすると割高だと思う。キャパシティが小さいからこうなるのかなあ。

 マクラは、歌舞伎のように落語でも桂文楽などは「黒門町!」と声がかかったというとこから、
「こないなると落語家も、ええとこに住まなあきまへんなあ。うちの師匠(桂吉朝)なんかやと、『尼崎センタープール前!』・・・って、これではいかん。
 これほんまの話でんねけど、師匠が東京でこの話をしたら、それ聞いた人が、水着と浮き輪持ってセンタープール前へ来たそうです。
 駅員の人もあきれて、『ここはボートでっせ』とゆうたら『えっ?ボートまで乗れるんですか?』」
 関西にお住みでない方のために解説すると、「尼崎センタープール前」とは阪神電車の駅名で、プールとは競艇場のことである。
 
吉弥  噺は、芝居(歌舞伎)狂いの道楽息子が、父親に叱られている時も様々な声色をするもんだから、キレた親父に殴られて、2階にあがって反省しろと言われる。

 しかし、おとなしく反省しているような息子ではない。
 見てきた芝居を思い出しながらどたん、ばたんとやっているので丁稚の定吉を様子見に行かせるのだが、「みいら取りがみいら」(←考えたら、気味の悪いたとえやな)、定吉も若旦那に負けないほどの芝居好きだった。

 一人では役者が足りずに難儀して(困って)いた若旦那は、忠臣蔵の七段目をやろう、
お軽が手紙読んでいるとこに兄の平右衛門が入ってくるところやったら、二人でやれる、お前、お軽やれと誘う。

「わたい、お軽やらせてもらえまんの。あ、せやけど若旦さん、わたい、こんなごつくさい木綿もんでっせ」
「お前は芝居心があるよって、お軽やんのに、この着物では、ってゆうんや。そういうところが嬉しい。
 お前、そこの箪笥の、そう、2段目の引き出し開けい。そこに妹の長襦袢(ながじゅばん)が入ったぁる。かめへん、かめへん。わいも、よおそれ着て踊ったりしてんねん。
 おっ、ええお軽やがな。う〜ん、下はお軽なが、上はお猿やな。頭、その手拭いでほっかむりせい。そうそう、姉さんかぶりでな。おうおう、ええお軽や、ええお軽。
 それでな、わいには、その下に親父の葬礼差し(そうれんざし。儀礼用の刀)あるから、それ貸してくれ」
「いや、若旦さん、これは、あきまへん」
「何でや」
「そやかて、この刀、ほんまに斬れまっせ。若旦さん、夢中になるから」
「何もせえへんがな。これを、こう、ここに差しとくと気分がぐっと引き締まるやろ」

 身支度整った二人。お軽は兄に、大星由良之助さまに身請けされると打ち明ける。
 平右衛門は、以前からの馴染みでもなく、勘平の女房とも知らずにお軽を身請けするとは、ただの女遊び、これは心底仇討ちをする気はないなと臍(ほぞ)をかむ。
 ところが、お軽が大星あての密書を読んでしまったことがわかってから、この身請け話が出たことを知る。
(忠臣蔵「七段目」は祇園一力茶屋の場。間者の目を欺くため、女遊びを続ける由良之助だったが、密書を読まれたことに気付き、お軽を身請けした後、口封じのため殺そうとしたのである。
 由良之助の真意を見抜いた平右衛門は、秘密を守るため、自ら妹を殺そうとする)

 目がすわってしまった若旦那、部屋の中で真剣を振り回す。命からがら逃げ出した定吉は、階段のてっぺんから下へまっさかさま。
「どしたんや、定吉。てっぺんから落ちたか」
「いいえ、七段目」 

 吉弥も昭和46年生まれ、平成6年、桂吉朝に入門。
 なかなか、艶のある高座でした。芝居噺が向いているのでは?



(3) 桂 都丸 「壷算」

 
マクラは、吹田市南山田小学校というから、先日聞いた話と同じ。
「『都丸さんの師匠が桂ざこばさんとは知りませんでした。ざこばさんはTVでよく見ます。都丸さんも、もっとがんばったらいいのに』・・・小学生に励まされるとは思わなんだ」

 ネタは壷算である。
 今回の兄貴分の徳さんは、ずいぶん怒りっぽい。買い物天狗(上手)のワザを披露しようと、
「まあ、お前と俺が、古着屋に紋付の羽織でも買いにいくとしょうか」
「いや、わいは瀬戸もん屋で水壷買いたいねん」
「そら、わかってんがな!仮に!ゆうてるやろ」

「で、まあ、仮に、お前とこの紋がかたばみとせんかい」
「いや、うちは四つ目やねん。先祖代々のことやさかい、わいの一存では・・・」
「しゃあから仮にってゆうとるやろ!ほんま、わからんやっちゃな!!」
と大声で怒る、怒る。

都丸

 店に入る時「足元見られんように」と声をかけたところ、アホは店先でつくぼって(しゃがみこんで)入ってこない。
「何してんねん?」
「え?足元見られんように」
「ゆう思たけどな。もう入ってこんでええ〜!そっち行けぇ〜!どぶぃはまれ〜!
 そない、怒らんでもええと思うのだが。

 さて、徳さんと瀬戸物屋の番頭は、
「おかず(ごたごたしたセリフ)は抜きにして、そこの一荷(いっか)入りの水壷なんぼや」
「へへ、なんぼかんぼと言われましても、この通り軒並みズーッと同商売のこってっさかい(ことですから)、朝商いのこってっさかい、あんさん方のこってっさかい、そらもう決して高いことは申しゃしまへん、お値段の方もぐっとお安う、せいぜい勉強いたしまして、ドーンと働きましたところぉが、3円50銭が一文もまかりまへんのんで」
「ほう、ほたらな、これが軒並みズーッと同商売・・・やのうてやなあ、朝商いやのうて、あんさん方のことやのうて、どーんとお安う勉強も働きもせなんだら・・・なんぼやねん」
「ええ?・・・・・・・やっぱ3円50銭・・・」、てなやり取りを経て、

「こいつの嫁はんに頼まれて来とんねや、まんざら言い値でも帰られんがな。そこ、50銭ゆう、半端だけ、横置いといて。な、商人(あきんど)は、損して得取れゆうがな。
 こいつの嫁はん、口の横にほくろあんねん、こういう女はしゃべりやねん。近所でも雀のお松ゆわれてんねや。ここで気持ちよお、まけてくれてみぃ、ここの瀬戸もん屋はええで、瀬戸もん買うんやったら、あの店やって、近所中に触れてまわるで。後々(あとあと)ゆうことがあるがな。
 それに見てぃや。こないして朸(おうこ。天秤棒)まで持って来たぁるねん。おまはんとこに持って来さそうなんて手間はとらせんがな。あいつと二人、さしんだい(差し担い。縄でくくった荷物に棒を通し、二人で担いで運ぶこと)で帰ろうっちゅうこっちゃ。どや、仲仕賃だけでも助かるんちゃうか。3円にして。なぁ。なぁなぁ!」と押し切ってしまう。

「徳さん、あかん。これ一荷入りやがな。わいは二荷(にか)入りがほしいねん」とあわてるアホを叱りつけ、店の近くを一周して戻ってきた徳。

「あのアホがちょっとそこまで行ったとこで、わいは二荷入りが欲しかったんやって、こないぬかすんや。ほたら、先にゆうとけ、ゆうねん。すまんなあ。二荷入りはなんぼや?」「へえ。どなたさんに限らず二荷入りは一荷入りの倍っちゅうことで・・・・・ええ?一荷入り3円でお願いしたんでんなぁ・・・そんな・・・そしたら1円から(1円も)負けなあかん」とぼやく番頭をまたまた「後々ゆうことがあるがな」で押し切ってしまう。

「ほな二荷入りを6円にしてくれんねんな。そしたら、さっき銭(ぜに)で3円渡したぁるやろ」
「へえ。ほん今のこってっさかい、まだなおさんと(しまわずに)ここに置いてまんねん」
「そいでな、二荷入り買(こ)うたら、この一荷入りは要らんゆう理屈や。これ、すまんけど下に取ってくれへんかな。ちょっと、そこまで持って行っただけやねん。ちょっとくらいやったら、損したってかまへんねんで」
「あんさんこそ、なに、やらしいことゆうたはりまんねん。ちょっとそこまで持って行きなはっただけでっしゃろ。そんなもん、傷さえなかったら、元の3円で引き取らせてもらいまんがな」
「そうか。そしたら話は早い。そこに銭で3円。ここの壷を引き取ってもうて3円。都合6円、ほなこの二荷入りの壷、持って帰らせてもろてええな」
「へ、へえ。そういうことになりまんな」

 徳さんはそのままシュッと帰ろうとするのだが、アホがゲラゲラ笑うものだから、
「すんまへ〜ん。お客さん、ちょっとお戻りを」と呼び止められてしまう。

「どないしたんや」
「すんまへん。ちょっとお勘定の方が」
「そうか。そら、勘定のことはきっちりせなあかん。で、でやゆうねん?」
「へえ、その水壷、6円でんねん」
「わかったぁるがな、そんなもん」
「ほんで・・・銭が3円より(3円しか)おまへんねん」
「何ゆうてんねん。先ぃ銭で3円払(はろ)たぁるやろ」
「へえ、確かにここに」
「で、この一荷入りを3円で下に取るてゆうたん違うんかい」
「・・・・・・・・あっ!そうだした。これをころっと忘れてました。まことに相すまんこって」
 帰ろうとしたのだが、またもアホがゲラゲラ笑い、呼び止められてしまう。

「今日中に去ねる(いねる。帰れる)か」と心配するアホを尻目に、
「米食い虫がぎょうさん聞いとぉるのに、大きな声で、銭が足らんの、勘定が合わんのって、世間体の悪いこと言わんといてくれ!」と最初にかます。

 算盤(そろばん)を持って来い。これくらいの勘定で算盤は。その勘定がでけへんねんやないかと責めて、算盤をもたせる。
 あの壷は、今は壷やけど、客に売ったら3円になるねん。ゆうたら、今は壷の形してるけど、3円ゆう銭と一緒や、と言われると、待てよ、普通の客に売ったら3円50銭になると思って、私なら50銭返してしまうかも知れん。

 番頭さんは、目がちかちかするから大きい算盤に代えてくれ。店で一番算盤が達者な佐助はんはいてまへんのか?店の大戸閉めぇ、この勘定つくまで商売は休みや。母屋の親旦那(おやだん)さんに番頭が一人で扱いかねてる事件が起こってますゆうてきて。わい、最前(さいぜん)から脈が早よ(はよ。早く)なってきた。こら長いことない。親元に電報打ってくれと大騒ぎしたあげくに「もう、この壷持って去(い)んでおくなはれ」
「へへ、それが、こっちの思う壷や」

 都丸は、昭和30年生まれ。昭和52年に桂朝丸(現ざこば)に弟子入り。

 左横顔を見つめる格好になっていたのだが、やたら顔が黒い。艶やかなこげ茶色というか。ゴルフでもしてるのか。最初の頃、袖では、緑のTシャツを着た雀々が覗いていた。

 なお、昔の大阪は良い水がなくて、淀川などで汲んだ水を「水売り」から買って、水壷という大きな瀬戸物の甕に貯めて使っていた。一荷とは、水売りが天秤棒で前後に水桶を提げて商う、その一にない分、つまり前後の桶二つ分の水の量のこと。
 
 


(4) 桂 雀々 「さくらんぼ」

 
中入り後は雀々から。「けいじゃんじゃん」と呼んでくださいと笑わせる。薄い紗(しゃ)の着物を着ている。
「座ってる仕事なんで運動不足になりがちなんで、ジム、そう、スポーツジムに通ってるんです。あかん、ジャングルジムって言いそうになった」
 で、そのジムには「今さら身体鍛えてどないしまんねん。もういいじゃないかって感じのお年寄りが多い」らしい。
 どう見てもスポーツやのうて、リハビリにしか見えない。プールで歩いてるのんも、三途の川を渡ってるようで・・・というのがマクラ。

雀々
 本編に入る前に、
「この話ね、もう、むちゃくちゃなんです。たいがいね、前から3列目くらいまではついてこれるんですけど。
 どうか会場中、ハンドインハンドで一つになって欲しい。私を舞台で一人にせんといてください」と始めたのが「さくらんぼ」(「あたま山」という題名の時もある)。

「おうっ、吉(よし)ぃ居てるか」と訪ねてきた辰っつあん。
 吉公は、好物のさくらんぼを食べたところ、種を飲み込んでしまい、それが成長して頭から芽を出し、育ってきたと言う。 

「医者には笑われ、植木屋には、桜は植え替えれるけど残った頭は知らん言われて、とゆうて泣いてばっかりもおられんし、この頃はちょいちょい笑(わろ)てんねん、へへ、へへ、へへ」と力なく笑う吉公。
「そうか、今日はちょっと噂で聞いたさかいに見舞いに来ただけやねん。また来るわ、ほな、さいならご免!」と見台(けんだい。高座で座布団の前に置かれた小さな机)を拍子木で叩くのが、即、次回の訪問につながる。
「吉ぃ!居てるか、おお、育ったなあ〜また来るわ!」タン!「吉ぃ!居てるか」の繰り返し。その間、桜はぐんぐん伸びる。

 さて、桜は満開。
「おい、花見行こ!花見!」
「ええ?桜や、みな、もう散ってるやろ」
「いや、穴場があんねん、穴場が。あたま山、あたま山!」
 桜の周りでどんちゃん騒ぎ。酒飲んで暴れるやつ、枝を折るやつ、中には桜の根元でこんなことするやつ(と、立小便の格好)。
 あまりのことに、吉公は植木屋に頼んで、頭の桜をずぼっ〜!と抜いてもた。
 ところが、大きな桜を抜いたもんやさかい、頭に窪みがでけた。

 大丈夫ですか?皆さん、ついて来れてますか?
 中には「何やの、これ」と冷めてる人いたはるでしょ。一人一人見てまんねんで、A型ですから、と雀々がチェックを入れる。

 吉公はある日、夕立にあう。車軸を流すような雨がざざざざぁ〜!!雷までどんがらがらがらがらがらがぁ〜ん!
 
雀々は半ば立ち上がって、「鳴り物」をしている舞台左袖に向かって「やかましいわ!そっちばっか目立っとるやないか!」と怒鳴る。

 これで頭の窪みに水がたまった。すぐにほかしたら良かったんですが、何せひんやりとして気持ちええもんやから、そのままにしてたらボーフラが湧く、フナが湧く、池のはたには葦が繁ってくる。
 そないなりますと、朝から釣り糸を垂れる人がおる、おばはんは洗濯をする、子供ははまりそうになる、
「おい、夕涼み行こ!夕涼み!」
「ええ?淀川や、みな、ごった返してるやろ」
「いや、穴場があんねん!穴場が!あたまヶ池!あたまヶ池!」
 船遊びの屋形船が出る。花火があがる。しゅしゅしゅしゅるしゅるるる〜〜ぱ〜ん!ぱぱぱ〜ん!!しゅしゅしゅしゅしゅしゅるるる〜〜ぱんぱん!ぱぱぱぱ〜ん!!
 袖では派手に鉦(かね)や太鼓が打ち鳴らされる。
 
 雀々は、また袖に「ほんま、ええかげんにせえよ!歌々志!吉弥!」と怒鳴る。
 ほんま、ええかげんにせえよ、雀々。頼んでやってもらってるんやろう。

 さて、春夏の喧騒がすぎ、秋。(ぼ〜〜んと袖でドラが鳴る)
「なんや、あほらしなってきたなあ。世の中に、さくらんぼの種飲み込んだんて、わい一人やないやろうに、何でわいだけこんなことになってんやろう。
 嫁はんには悪いけど、死んでまお。
 待てよ、どうせ死ぬんやったら、世間の連中があっと驚くような死に方したろ」
 そして、吉公は、前の池をのぞきこみ、身を乗り出しては、ためらうような仕草を何回か繰り返し、そのあげく、身体を投げ出す。
「それでね、死んだのよ。・・・これがね、オチなのよ。・・・・・さいなら〜!」とええかげんに頭を下げて引っ込んだ。

 何だかなあ。理屈をゆう噺やないねんけど、自分の頭にできた池に飛び込むとゆう話でしょ。
 蛇が自分の尻尾に食らいついて、がぶがぶっと全部呑み込んでしもたら、どないなんねんやろという謎とか、何かメビウスの輪みたいな感じの話でしょ、これ。
 ”目の前にある”池をのぞきこむゆう仕草はあかんでしょ。
 「ええい、ままよ!」とあたまヶ池に身を投げたって、さらっと終わった方がええんちゃうかなあ。
 ええ?自分の頭の池に飛び込んだ?そんなアホな。しゃあけど、おもろいなって笑いちゃうんかなあ。

 それと、前に聴いた「疝気の虫」でも思ったのだが、とりわけラストの粗雑さ。
 全体を通じて、ほんま、本人は自分のことを荒唐無稽、八方破れの自由闊達な芸とか誤解してないかなあ。こんなこと、俺しかでけんやろう、とか。

 だれか、雀々に伝えてくれないものだろうか。それは、爆笑芸でも何でもなくて、同僚や、観客や、そして何より「落語」そのものに対する「無礼」でしかない、と。

 雀々は昭和35年生まれ。昭和52年、故桂枝雀に弟子入り。

 舞台の見台を片付けに来た歌々志が、手拭いでていねいに拭いたシーンで場内大爆笑。よっぽどツバが飛んでたんでしょうね。 



(5) 桂 千朝 「千両みかん」

 トリは桂千朝。俳優で言うなら、一昔前の青春ドラマなどに出ていた小倉一郎というような感じ。
 雀々とは対照的に、非常にゆったりとした、ていねいな、悪く言えばいちいち押し重ねていくような口調。

 マクラは、先日、大銀座落語祭に出るため東京へ行った話。
 タイガー&ドラゴンとかいうドラマのおかげで、東京ではけっこう寄席に若い女の子が来てるらしいです。
 何でも、そのドラマに出てたんが、TOKIOの長瀬君と、V6の岡田君。へへ、やっと覚えましたんや。この頃のグループ名言われてもわかりまへんからなあ。スリーファンキーズとかやったら、わかりまんねんけど。
 V6?仮面ライダーV3ゆうんやったら知ってまんねんけどなあ・・・とだんだん会場の笑いも尻つぼみ。
千朝 

 本題は、さる大店(おおだな)の若旦那が、重い病の床についた。
 大阪一の名医も、これは気病い(きやまい)じゃ。若旦那の胸にふさがっているものを除かんことには手の施しようがないとサジを投げる。
 番頭が、「願(ねご)おても、とてもかなわん大それた望み。ゆうても、かえって二親の嘆きを増すばかり」と口を開かぬ若旦那をなだめすかして、とうとう、みかんが食べたいと思いつめたあげくに患いついたと真相を知り、「お望みでしたら、この部屋じゅうみかん詰めにしたげまっさ」と安請け合いする。

 親旦那さんに、しょうもないことですわと報告するが、「今は夏の盛りやぞ。今まで願おてもかなわん望みと我慢してきたせがれの気持ちがふっと緩んだ。そこへさして、お前が『やっぱりみかんはおまへんでした』なんてゆうてみい。張り詰めた気が緩んだところにど〜ん!とそんなこと言われたら、せがれはうっ!とそのまま逝ってしまうか、わからん。
 そないなると、お前は直接手は下してへんか知らんけど、息子を殺した下手人や。わいは、お恐れながらと、訴えて出るで。
 親殺し、主(しゅう)殺しは一番罪が重いんや。そしたら、お前は逆さ磔(はりつけ)や。それがいややったら、さっさと、みかんを探してこい!と怒鳴られる。

 八百屋には、なぶりに来たんか、と怒鳴られ、「真夏の土用に、みかん?ああ、ここんとこ暑い日ぃが続いたからなあ」と呆れられ、最後の望みで天満のみかん問屋に来たところ、蔵の中のみかん箱、どれもが腐ってしまっているその中で、奇跡的にも一つだけ、色といい、香りといい採りたてと変らんみかんが一つだけ残っていた。

 あんたもよくせき(よっぽど)みかんのいるお人とみえる、と事情を聞いたみかん問屋の店主、そこまでみかんに恋いこがれていただいたとは商売冥利につきます。若旦那に食べていただいたらみかんも幸せ。お代はいりまへんと言うのに、番頭は、当家も大店、金に糸目はつけまへん、どうぞ値段をおっしゃっておくなはれと言う。

「そうでっか。そこまで言いなはるんやったら、値ぇをつけさせてもらいます。ほたら、そのみかん、一つ千両いただきます」
「ええ?それは、あんまり・・・そんな、人の足元を見て」
「何を言いなはんねん。うちは天満でも名ぁの売れたみかん問屋。お客はんがいつみかんを買いに来はっても、ないということが言えまへん。それで、毎年、腐るのを承知で、みかんを蔵に囲ぅてますのや。毎年全部腐らせては、ああ、これで今年も店の名前を守ることがでけたな、と暖簾(のれん)に資本(もと)入れるつもりで買うてますねん。
 このみかんは、いわば千箱の中の一箱。その箱ン中の千個の中の一個ですのや。
 わたいは、あんさんに、差し上げますと申しました。それをあんさんは、買うとおっしゃる。買うていただく以上は、損はできまへん。よろしいか。このみかん、一つ千両、一文たりともまかりまへん!」

 すごすごと帰ってきた番頭、親旦那さんに首尾を聞かれて
「話にも何にもなりまへん。私が片意地なこと申しましたばっかりに、法外な値ぇがついてしまいました」
「で、いったい、なんぼやねん」
「・・・・・・・・・一つ、千両でおます」
「安い!」

 ただちに千両箱をつんでみかん問屋に。そして、みかんは若旦那のもとへ。
「わたいが剥いて差しあげまっさ。この皮かて十両や二十両には。どおれ、ひい、ふう、みい・・・・・ちょうど十ふくろおますわ。一ふくろ百両やな。
 しゅっ、しゅっ、しゅっと。この筋かて、一朱や二朱にはなるで。へい、若旦那さん、剥けました」
 おおきに、と受け取った若旦那、大喜びでみかんを食べる。
「ほんまにおおきに、これで胸のつかえがすっくり取れた。
 ここにみかんが三ふくろ残ってる。番頭はん、すまんけど、これおとうはんと、おかあはんに持っていって食べてもうてくれるか。それから、残った一ふくろは、番頭はん、おまはん食べておくれ」

 さて、番頭、みかんを親旦那さんの所へ届ける途中でつらつら考えた。
「わいが、もうじき年季開けで、暖簾分けの時、いただけるお金が三十両か、四十両。よおいって、五十両か。
 ここにあんのが、三百両・・・・・・・・」
 と、番頭どん、みかん三ふくろ持って、どこぞへ逃げてもたというのがオチ。

 千朝は昭和31年生まれ。昭和49年、米朝に入門。
 





 次回は吉朝が出るということで、ついつい、会場特別先行販売(博物館やネット販売は23日から)を買ってしまいました。
 うまいこと休みが取れたら、次回の特別展「最澄と天台の国宝」(10月8日〜11月20日)とセットで来ようかしらん。



 

inserted by FC2 system