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北京旅遊記(7)故宮編−6(皇極殿〜珍妃の井戸)

 皇極門(マップM9)を抜けた石畳の広場(右下写真)。隅の方には枝ぶりのいい立派な松(と思う)があって、やや日本的な雰囲気も。
 右の写真右端に写っているのが、寧寿門(マップM8)。
 すっかり獅子ファンの長男が、門の前で記念撮影(右下)。

 寧寿門を北に進むと皇極殿(マップM7)。その北が寧寿宮(マップM6)。
広場の中でポーズをとってる嫁さん

 珍宝館ということで、建物の中にいくつか文物が展示してあるが、どうも、そのチョイスが粗い。

 例えば、金色の器が展示されている。
 神戸の「故宮博物院黄金の至宝展」での金刻花面盆は、細かい線刻で蓮や魚が描いてあった。

 ところが、ここではのっぺりした大盤が、薄汚れたガラスケースの中に、何も説明なしに「置いて」ある。 
獅子が大好き

 外に出して、これは職員が洗濯に使ってる大ぶりの真鍮の金(かな)だらいだと言われても何ら違和感はないだろう。

 「NHKの故宮という番組、12巻全部ビデオに録ってます」という私に、
 「宝物の90%は台湾に持ち去られてます
 残ったものでも、
いいものは全部歴史研究所で保管してます。
 
ビデオに出たようなものは、展示されてませんね」と身もふたもない李さん。

 「90%は台湾に」というのは、量的にはともかく、質的には近い線をいってるかもしれない。

ポーズをとるたけし  印象に残ったのは、交泰殿(マップG7)に収蔵されているのか、と思っていた二十五宝璽
 特にインパクトがあったのは、NHK「故宮」で出まくっていた栴檀の木製の「皇帝之寶」で、やはり「大きさ」は実物を見ないとなかなかピンとこない。

 西太后お気に入りの京劇舞台である暢音閣(マップN5)はコースに入っていないのか、素通り。 

 上の写真は、養性殿(マップM5)付近でポーズを取るたけし。
 西側(バック)は乾隆花園(マップL4〜5)といわれる場所か。坤寧宮(マップF〜H6)北側の御花園(マップE〜I×3〜4)には千秋亭などの丸屋根のあずまやがあるようだが、この写真でも丸屋根が木の間に見える。

 さらに北が楽寿堂(マップM4)。ここが「珍宝館」のコースに含まれるか気になっていた。ねらいはひとつ。大禹治水図玉山である。

 
あ、あった!頭の中に再び高らかに鳴りわたるNHK「故宮」のオープニングテーマ。ガラスケースの中の玉の彫刻が、いま目の前に。

 黄河を制する者は中国を制す。治水事業に一生を捧げた夏王朝の創始者の事蹟を伝える大禹治水図。
 その絵画の損耗に心を痛めた乾隆帝が、巨大な玉石にその画を刻ませ、永遠のものにしようとしたのが高さ2.2m、重さ5.3tに及ぶ大禹治水図玉山である。

 NHKのハイビジョンはすごい。(うちのTVはハイビジョンじゃないけど)「故宮」の映像で見る限り、ケースも、玉も光り輝かんばかりであった。故宮の職員さんに言いたい。頼むからもう少し
ガラスケースを磨いてくれ。ギャップが大きすぎる。

 頤和軒(マップM3)を抜けて、「珍妃の井戸」(マップL3)へ。これは、もしコースに入ってなくても、絶対に寄るぞと思っていたところ。
 「珍妃の井戸」について、ご存じない方もいると思うので、諸説あるのだが、ごく端折って解説する。

 珍妃とは、清11代光緒帝の側妃。光緒帝は、隆裕皇后(西太后の弟の娘)や、もう一人の側妃瑾妃には目もくれず珍妃のみを寵愛した。
 これは残された写真などから私個人的には、駱駝vs貴花田vs月餅であって「やむなし」と判断している。
 西太后へのクーデター(戊戌変法)が袁世凱の裏切りにより、もろくも鎮圧され、光緒帝が軟禁状態になった時、帝の思想上の同志でもあった珍妃もまた幽閉された。

 義和団事件が激化し、八国連合軍が北京に迫ったので、西太后らが光緒帝と皇后を連れ逃げ延びようとした際、西太后は珍妃を井戸に投げ込ませて殺した。その井戸が、今に残る「珍妃井」である。

 なお、『珍妃の井戸』(講談社)は、浅田次郎氏が珍妃の死を芥川龍之介の『薮の中』仕立てで描いたもので、「名せりふ」のコーナーをご参照ください。

 2年ほど前に「珍妃の写真が見たい」と中国史メーリングリストに質問した時、北京在住の「ともこ」さんが、親切に教えてくださったうえ、歴代皇后の絵葉書(珍妃も含む)を送っていただいた。

 ともこさんのメールには、「珍妃の井戸は小さいので、うっかりすると通り過ぎてしまう」とあった。今は、けっこう重要スポット扱いなのだろうか。

珍妃の井戸

 写真は省略したが、景運門の看板では、「右折 鐘表館。 直進 珍宝館(九龍壁 珍妃井)」とやや字は小さいながらも特筆されている。その後も「珍妃井」というピン(単独)の看板も3ヵ所くらいに出ていたように思う。

 しかし、小さいというのは、その通り。これまで見た写真は、井戸のみを写していたので、よくわからなかった。バックの人間と比較してほしい。
 いくらきゃしゃな、ウェストの細い人でも、あの井戸に落ちることができるか?溺死じゃなくて、
途中でつかえて餓死・・・なんてやだな。
 井戸は後で造り直したものなのだろうか。

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