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北京旅遊記(4)天安門広場編

 
景山を後にして、天安門広場に向かう。
 景山は故宮の北側。天安門広場は故宮の南側に位置する。よって、故宮を横手に見ながら南下していくことになる。(西側を回り込んだので、故宮は進行方向左側)
 頭の中に流れる「NHK 故宮」のテーマ。パウワ〜ン パ〜パワン〜(このS.E.N.Sの音楽は、ここんとこ、のべつ流れっぱなしである)
 広場の南西にあたる辺に車を止め、少し歩く。

 李さんが説明する。「この広場は、10万人以上の人が入れます。さて、そんなたくさんの人が集まると、一番問題になるのは、なんでしょう?」
 子どもたちは、思い思いのことを言う。で、李さんが「お父さん、わかりますか?」
 仕方ないなあ、と思いながら「トイレでしょ」と答える。
 で、ちょうど歩いてる歩道のところに、小さな長方形の鉄蓋 が並んでいる。

 「これ何かわかりますか」と李さん。
 あまり答えてしまってもやりにくいだろうな、と思ったのだが、「これは日本にもあるのでわかります」と注釈を加えた。
 つまり、この鉄蓋の下には下水管が走っており、蓋をとれば、即、トイレとして使用できるのである。
非常用トイレ

(大阪にある災害時用トイレの写真はここで)

 たけしが「のどかわいた〜」とさわぐ。さっきのお茶は熱かったのであまり飲まなかったのだ。
 屋台が出ていたので、のぞく。たけしは、炭酸系は「ぴりぴりする」と言って苦手だし、アレルギーの関係で乳製品は飲めない。
 オレンジジュースと言って出されたのは、ファンタかミリンダ(←懐かしい名前!)みたいなやつ。それで、小さなペットボトルの緑茶を買った。5元なり。

 ひとくち飲んで、たけしが「ぼく、これあかん」。嫁さんも「お父さん、これ何?
このお茶、ジュースの味するわ
 私も飲んでみてから、ようやく思い出した。私の直前に、やはり北京に行かれた飯香幻さん(うちの掲示板でもよく書き込みに来てくださるし、いろいろなことを教えてもらっている)が、確か宣和堂さんとこの掲示板で「中国でお茶買ったら、砂糖が入ってて参った」と書いておられたことを。

 ちなみにホテルに持ち帰り、成分をメモしたのでご紹介する。「純浄水、緑茶茶叶、白砂糖、檸檬酸、安?(「塞」の土の代わりに「火」)蜜、維生素C(注:ビタミンCのことか)、天然青?(楮(こうぞ)の別字)香料」
 なお、ボトル自体はさわやかな緑色で、思い切り「お茶!」してるので、成分を見るか、砂糖のないものと断って注文されるとよいだろう。日本では飲めない味なので、1本くらい経験してもよいと思うが。

 天安門広場は、(ばかみたいな感想だが)さすがに広い。
 後ろに見えるのが毛主席紀念堂やで、と娘に言う。李さんも嫁さんとかに、そう解説する。
 「あん中にな、毛沢東主席の遺体が保存されてるんやで〜。」というと、長男が聞く。 「えっ、ミイラなん?」
 「いや、干からびてへん筈やで、冷凍なんかな」
 すると、末っ子が「そしたら、電子レンジでチンしたら、生き返るん?」(←すいません、最後のせりふは創作です)

凧あげ親父  広場の上空で海遊館のジンベイザメのようなものが、泳いでいる。
 そのサメから視線を斜め下にたどっていくと・・・いた!天安門広場名物の凧あげ親父が。

 写真では、遠景が革命・歴史博物館。高いのが革命戦士のオベリスクである人民英雄紀念碑

 そして手前の、白のランニングシャツ、緑の半ズボンをはき、腹の前で凧糸の赤いリールを回しているのが凧あげ親父である。

 で、一番手前は、凧あげ親父に近づこうとする末っ子のうしろあたま。(今回は、こんな構図の写真が多い) 

おわっ、手がすべった!  オベリスクのところで旗や、ポンポンみたいなのを持っているのは少年少女であった。
 彼らは、将来エリート党員とかになるのだろうか。

 左の写真は、ちょっと旗を持つ手がすべってアワアワしてるとこ。

 右下は、文革時代の人民英雄紀念碑の写真。当時は、壇上まで自由にあがれていたことがわかる。自転車も走ってますな。

 1989年の「天安門事件」が契機だったのか、現在では兵士が警備していて、台座に近づくことはできない。

 国旗掲揚台の辺から、天安門を望み、写真を撮る。
 長男は「世界ふしぎ発見やあ〜」と彼なりに感動している。TV「世界ふしぎ発見」のオープニングで天安門の映像が流れるらしい。

文革時期の人民英雄紀念碑

 まあ、いちばん現代の「中国!」という感じの場所だしな。

国旗掲揚台と天安門  天安門は、今でも毛主席の肖像画が掲げられているから、文革時代と大きく異なった感じはない。
 街灯のデザインも変わってないようだし。

 左の写真は今回撮ったものだが、ファッションで、まあ現代かな、と思う程度。

 帰り道、今度は、京劇模様の連凧をあげていた。様々な臉譜(リエンプー。京劇の隈取り)が連なって空へ伸びる。

 見てると、袋に入った「凧」が差し出された。
「たくさん、兵隊が立ってますが、この広場は私服の兵隊もたくさんいます。
 変なことすると、すぐ逮捕されます。看板持って、デモとかしたら、すぐです。
 電線がないので、凧あげするのにいいのですが、許可が必要です。許可もらえるのに何日か、かかるので、あげてるのは、今みたいに商売にしてる人だけです」
という李さんの解説。
 気づくと、街灯や、オベリスク前の掲揚ポールだの、いろんな所に京劇凧がひっかかっていた。

人民大会堂 正陽門と箭楼

 左上の写真は、有名な人民大会堂。私たちの車は、大会堂の裏手を通ったのだが、大規模な改装工事をしていた。
 右上の写真は、毛主席紀念堂の南側にあたる正陽門(前門)。その右手に見えるのは、大通りを隔ててさらに南に位置する箭楼。・・・・・と、絵葉書的な解説で、次回に続く。

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