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(No93) 講演「修ニ会を学ぶ」聴講記 その2 

 2007年2月3日(土)、息子の学校の父母会行事で講演会があったので聴きに行った・・・・の続き。

(なお、いつものことなのでつい断り書きを省略しがちなのだが、たいてい録音は禁止されているし、たとえ許されていても逐一テープ起こししていたら時間がいくらあっても足りない。よって、いつでも聴講記は、簡単なメモとおぼろげな記憶を頼りに「適当に」セリフを再構成している。
 「話し言葉」なので、「録音してるんでしょ!」とお叱りの言葉をたまにいただくので、そうではないということをお断りするとともに、内容については聞き間違い等が多々あることを前もってお詫びさせていただく) 

 


【 4.練行衆 】
【 (3) 練行衆の持ち物 】

 いつも講演の時は、こういうものを見ていただくことにしています。

(と、永照師は、木箱から小さめの「ほら貝」を取り出された)

 これは師走貝とかいうそうなんですが、こういうのも練習せんとあかんのです。
 「ほら貝」なんて、修験道でもやってないと吹いたことがありませんからね。

 皆さん、TVなんかでご覧になるのは、もっと大きなほら貝を、山伏のような格好して、
(片手で、口元で貝を抱えるような形で)吹くようなのが多いと思いますが、一度やってみましょう。

(と、師は貝を両手で持ち、下を向いて、いわば小学生がリコーダー(たて笛)を吹くような格好で吹いてみせてくれた)

 この貝箱は、江戸時代ぐらいの箱です。この貝も、多分その頃のもの。なかなかいい貝でしょ。
 貝も南の方、暖かいところの貝は早く大きくなるけど、その分貝殻が薄くて、あまりいい音が鳴らないといわれてます。この貝なんかは、寒いところでじっくり育ったもんじゃないでしょうか。

 荷物はね、木の箱に入れて持ち運びするんです。
(と、貝箱の横の大きな木箱の蓋を開けられた。紐がかかっており、「紋」を描いた紙が貼ってある)

 この箱は、牛玉櫃
(ごおうびつ)というんですが、宿所の中で机になったりもします。中に三段の箱が入っているんです。ちょっと出してみましょう。
 ええ箱やから、
(ぴったりしていて)なかなか出てこうへん。(会場笑い)

 お水取りの時に使う念珠
(ねんじゅ。じゅず)は、いわば楽器なんです。こすり合わせるとよく鳴るように、コマみたいな形(※ 石野注 普通の数珠(じゅず)の珠は丸いが、これはソロバンの珠みたいな形だった)になっています。

 修ニ会では、いろいろ特別な用語を使うんですが、トイレに行くことを「とうたてに行く」というんですね。そのときには袈裟を外して行きます。

 この棒が中臣祓
(なかとみのはらい)というもので、蛭子川(えびすがわ)の水でお祓いをするほか、大事なところでは、この中臣祓でお祓いをします。
 風呂から出た時なんかは蛭子川の祓いでいいんですが、宿所からお堂に上がる時などは中臣祓でお祓いをします。

 ここに下げているのは紙衣
(かみこ)です。これは仙花紙という紙を何度もくしゃくしゃに丸め、のばします。これを繰り返すと細かい縮緬(ちりめん)じわができて、暖かく、着心地が良くなります。
 この紙に寒天を塗ります。この紙を私で43枚くらい使って、紙衣をつくります。
 この紙衣は、今年の分は用意されており、来年の分を準備することになります。

(左写真が紙衣。肩にかかっているのが後年帯)

 これは、後年帯(こうねんたい)といいます。紙衣の帯です。

 紙衣を縫うのは大変ですが、この帯くらいなら自分で作れるので、今年の分を作ります。

 後年帯を牛玉櫃の底に入れておきます。
 この後年帯を、妊婦さんの腹帯に締めると安産のお守りになるということで、欲しがられる方が多いです。

 この入れ物に入っているのは、私の本尊です。

 本尊は、このように像になっているものと、掛本尊
(かけほんぞん)といって、掛軸のようになっているものがあります。

 念珠には掛念珠
(かけねんじゅ)というのもあります。他の念珠とどう違うかというと、普通の念珠を壁に掛けるとダラッとなるのですが、これは途中に房があり、掛けた時のバランスが良くなっています。

 ここ(牛玉箱)には大変大事なもの、お札が入っています。この牛玉
(ごおう)さんのお札は、お見舞いをいただいた時のお返しなどにします。
 このお札は、牛黄
(ごおう)という漢方の高貴薬を何万円分も溶かし込んだ墨で書かれたお札です。仏教はインドで生まれたんですが、インドでは牛は大切にされているので、牛は一番素晴らしいもののたとえに用いられます。

 これは「わかめ袈裟」です。袈裟の切れ端をつないだものです。
(※ 石野注)
 私のメモには「ワカメげさ」とある。輪状の紐に黒い布きれが巻きついたようなものだった。ちょうど海草のワカメがからまったように見えたので、「ああ、なるほど」と思ったのだが、実際に「わかめ袈裟」なんて言葉があるのか、聞き違いかわからない。

 もともと、僧衣の原点はぼろ切れを綴り合わせた糞掃衣(ふんぞうえ)というのは聞きかじっていたので、余計納得してしまっていた。
 なお、後述する牛玉櫃の収納品リストには「襷袈裟」とあった。「たすき」ってのを聞き違えたのか?

 上中下、どの箱にどれを入れるかは、牛玉櫃の蓋の裏に書いてあります。
(※ 石野注)
 師のお話と、後で見せていただいた箱書きから。

上箱:牛玉箱、本尊、掛本尊、掛念珠、中臣祓、観音経、破偈、襷袈裟、帽子
中箱:水晶念珠、持念念珠、食堂念珠、聲明集、讀経、神名帳、懺法、過去帳、鼻紙
下箱:紙手、後年帯、日記、折紙、用紙、牛玉包紙 

 二段目の箱には、声明集(しょうみょうしゅう)などが入っています。いわば楽譜ですね。

 これは(二月堂)過去帳です。過去帳も「節」(ふし)がついています。
 過去帳は1冊まるまる読むんですが、毎日読むわけではなく、5日と12日だけ読むことになっています。
 過去帳というのは、歴代の功労者を、聖武天皇から始まって、藤原不比等孝謙天皇良弁実忠などと続きます。
(※ 石野注)
 「千二百有余年、この法会がとぎれることなく続けてこれたのは、実に多くの人々の援助や寄与や献身があったからで、それで聖武天皇以下、歴代の功労者の名前を読み上げ、その菩提を弔うことが行われる。
 五日と十二日の初夜に奉読される『過去帳』がそれであ」る。(東大寺パンフ)


 材木知識〜万人というような記述もあります。よく、東大寺造営には、当時の人口600万人のうち、260万人が関わったなどといわれますが、それはこの過去帳で書かれた人数を数え上げたものです。
(※ 石野注)
 「お水取り」図録の『二月堂修中過去帳』を読むと、材木知識5万1590人、○夫知識166万5071人、金知識37万2075人、○夫51万4902人・・・などとあり、確かに260万人以上になっている。

 頼朝右大将なんて名前もみえますが、これは要するにヨイショしてるんですね。源頼朝は鎌倉時代、平氏が東大寺を焼亡させた時の大施主ですから。(会場笑い)

 青衣女人
(しょうえのにょにん)という有名な逸話があります。

 まあ、だいたいお水取りというと「女性は堪忍してください」の世界なんですね。まあ、こういうことを言うと女性差別だと言われる。確かに別火坊に女性は一歩も立ち入ってはならないなんて約束事もあります。すると、「女性はケガレだと思っているんじゃないか。仏教は何も差別しないと言ったくせに」なんておっしゃる方がいる。
 私は決して女性差別なんかじゃないと思っています。女性が入ると、つい魅力に惑わされてしまう。ええ格好をしようと、120%の力を出そうとしてしまう。120%というのはやはり無理があるから、100%じゃないといかん。違うものが心に入ってしまうから、こういうことになっている。内陣拝観の時もちゃんと局
(つぼね)で聴いていただけるのですから。だいたい、内陣なんてのはただの通路ですからね。

 さて、過去帳を読むのは、若手となっており、「青衣女人」のところは声を落として読むことになっています。
 私が読んだ時におもしろいことがありました。
 もう私の後ろギリギリのところまで、撮影を許可されたカメラマンがやたら大勢集まってきたんですね。それで「青衣女人」のところを読もうとすると一斉にパシャパシャパシャ!と撮って、何かごそごそしてるな、と思ったら、そこだけ撮ってみんな帰ってしまったんです。
(会場笑い)

(※ 石野注)
 「鎌倉時代初期、承元年間(1207〜10)に集慶という練行衆が過去帳を読んでいると、目の前に一人の女性が現われ、『なぜわが名を読み落としたるや』と恨めしげに言ったので、着衣の色からとっさに『青衣女人』(しょうえのにょにん)と読み上げたというのである。
 実際に過去帳を見ると、将軍(源)頼朝から数えて18人目に「青衣ノ女人」と書かれている」(東大寺パンフ)

 
(左写真は「過去帳」で青衣女人のページ)

 青衣女人のあたりから早駆(はやがけ)といって、猛烈なスピードで読んでいきます。

 これ、うっかり1ページ飛ばしてしもたら、読まへんかった人、1年、どないなんねやろう?なんて思ったこともあります。
(会場笑い)

 過去帳は5年たったら、「新過去」といって新しいものに書き替えます。

 過去帳は南衆之一しか読めないことになっています。

 これは神名帳(じんみょうちょう)です。神名帳は3年たった者しか読めないことになっています。

 神名帳は、過去帳と並んでソロ、独唱なんで目立ちます。これも、初夜に火を吹くように急いで語ります。

(※ 石野注)
 「神名帳は、この修ニ会の行法を照覧あれと、日本国六十余州に鎮座する神々を勧請するために、その御名を読み上げるもの」(東大寺パンフ)

 これは食堂念珠(じきどうねんじゅ)といって、食堂作法の時に用いる念珠です。
 先ほどのお堂にあがった時に用いる上堂念珠
(じょうどうねんじゅ)は黒檀でできた上等なもので、珠も「イラダカ」といって、ソロバンの珠のような形をしていますが、食堂念珠は普通の丸い形の珠です。
 まあ、食べる時にあまりやかましいのは良くないですからね。
(会場笑い)

(※ 石野注)
 上記収納品リストには「持念念珠」というのが「食堂念珠」とセットで書かれていたのだが、これと上堂念珠は同じものなのだろうか?

 あとは、紙や日記など。あ、そうそう。この紙どうです。なかなか可愛らしい絵が描いてあるでしょ?

 これはどうするか、というと、こう折りたたんで壁に貼ると、このたたんだ所にちょっとした手紙くらいなら入れられる、まあ、状差しのようなものなんです。


(※ 石野注)
 師は特に名前はおっしゃらなかったが、どうも、この簡易小物入れというか、状差しのことは紙手(こうで)と呼ぶらしい。師の場合は、可愛らしい犬の絵が描かれた大きめで厚手の和紙だった。
 図録「お水取り」で大導師の部屋の様子の写真があった。やはり簡素なつくりで、やたら壁に釘などが打ってあり、念珠でも本尊でもそこへ吊り下げるようになっていた。
 それで、この紙手は部屋でいうと布団をひいた時の枕元あたり、腰板の辺に一人2枚くらいを貼っているようであった。

 最後に、これは、お札の表紙です。1回お籠もりすると、これが1枚たまることになります。
 で、死んだ時には、これをつなぎ合わせて棺の中に入れることになっています。私の父もそうしました。ですから、私も死んだら、そうするわけです。

(※ 石野注)
 師が講演後、ご好意で牛玉櫃を壇上に置いて退出され、自由に見学させてもらえることになった。

 みんなバシバシ写真を撮っていたので私も撮ったのだが、こうしてアップしてしまうと怒られるかもしれない。
 その場合は、直ちに削除いたします。

 

 


 ここで、いったん切ります。どうもお疲れ様でした。

 
  

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