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(No63) 奈良 法隆寺 その1 

 法隆寺で、年に3日間しか公開されない上御堂が公開されるというので、行ってみました。

 

 


1.南大門

 JR法隆寺駅から徒歩で20分少しらしいのだが、その日はちょっと急いでいたので駅前からタクシーを利用した。
 バス・タクシーのターミナルから南大門はすぐである。
 左写真は、南大門(なんだいもん)。
 室町時代(永享10年=1438)に再建されたもので、国宝。

 おもしろい鬼瓦があったので撮ったのが右下写真。
 鳩や雀もいい味出してる。

 なお、 境内地図は、法隆寺HPのここから。

 左下写真は、南大門をくぐって、中門をめざすところ。
 おっ、五重塔が見えてきた。


 さらに北進する。

 


2.中門

 左下写真は、中門(ちゅうもん)。飛鳥時代の建築で国宝。

 これが中門か、との思いを強く抱く。

 先日読んだ『法隆寺の謎を解く』(著:武澤秀一。ちくま新書)に中門の柱が5本と奇数で、真ん中に柱が突っ立っているのは極めて異例だとあったからだ。
 左写真は、向かって左の金剛力士像。奈良時代の塑像。吽形(うんぎょう)。

 横の柱のエンタシスにもご注目を。

 右下写真は、向かって右の金剛力士像。
 阿形(あぎょう)である。顔などにかなり朱が残っている。 


 左下写真は、中門を再度正面から。ここから中に入ることはできず、西側の入り口からまわる。
 

 左下写真は、中門を内側から観たもの。
 中央の柱は、ど真ん中を貫くラインを形成している。

 右下写真は、中門の真ん中の柱を背にして北を向いたもの。

 
 真ん中に石の参道で、灯篭の向こうに講堂。

 右に金堂。
 左に五重塔。
 

 

 金堂と五重塔とは、当然横幅も高さも違うので、バランスは微妙なものとなる。

 


3.金堂

 左下写真は、金堂(こんどう)。飛鳥時代の建築物で、国宝。
 
 

 右下写真は、金堂のアップ。裳階から初層の間、初層から第二層の間に何やら霊獣が見える。
 なお、右写真では法隆寺建築物の特徴が現われている。

 きれいなので後補であろうが、初層の屋根の上に見える欄干は、卍崩し勾欄(まんじくずしこうらん)である。

 欄干の下に見える逆V(ヴイ)の字は、撥蟇股(ばちかえるまた)又は、人字形割束(ひとじがたわりつか)と呼ばれるもので、これも法隆寺建築の特徴の一つ。
 
 それでは、その柱の霊獣を観ていこう。

 左写真は、南西角の龍である。

 その下を見てみよう。
 左写真で分かるように、柱を獅子が支えている。
 こら重いやろなあ。

 北西角に廻ってみた。
 右写真がそれ。

 先ほどと違い、龍は頭を上にして柱をぐるぐる巻きにしている。

 眼や髭が青いが、どんな材質を用いているのだろうか。

 右下写真は北西角の裳階と初層屋根の間。
 右写真で、中央部分に写っている右斜め下に伸びる木材を垂木(たるき)という。

 それを支える水平材を力肘木(ちからひじき)という。

 右写真で獅子の後ろに雲形の部分が見える。

 肘木と一体となっているその部分を雲肘木(くもひじき)といい、これも法隆寺建築の特徴の一つ。

 右上の写真で、獅子は何やら「にやっ!」と笑っているようで、チェシャ猫のように見える。
 左写真は、回廊の南東隅から観た金堂と五重塔。

 金堂の見学ルートは東側から。ご覧のように行列ができている。

 金堂は、法隆寺の本尊を安置する建物。内陣中央には、聖徳太子のために造られた金銅釈迦三尊像(飛鳥時代。国宝)。
 釈迦三尊像の向かって右には、太子の父君用明天皇のために造られた金銅薬師如来坐像(飛鳥時代。国宝)。
 同じく向かって左には、母君の穴穂部間人皇后(あなほべのはしひとこうごう)のために造られた阿弥陀如来坐像(鎌倉時代。康勝作。重文)。

 四方には木造四天王立像(飛鳥時代。国宝)。また別項でまとめるが、クスノキで造られた我が国最古の四天王像。邪鬼ともども正面を向いて静かに立っている。なお、向かって右奥の多聞天は、奈良国立博物館に展示してるそうで欠席であった。

 その他は、木造吉祥天立像(平安時代。国宝)や木造多聞天立像(毘沙門天。平安時代。国宝)など。

 内部の壁面に描かれた壁画は昭和24年に焼失したとかで、現在は複製がはめ込まれている。
 

 


4.五重塔

 左下写真は、五重塔
 初層の下に裳階があるので屋根は六重だが、あくまで五重塔。

 高さは基壇の上から約31.5mで我が国最古の五重塔。

 飛鳥時代の建造物で、もちろん国宝。

 右下写真は、五重塔の垂木を必死に支えている邪鬼。
 重いだろうが、がんばれ、邪鬼!

 後ろには雲肘木が見える。

 左下写真は五重塔の上部。
 塔上部の相輪(そうりん)と呼ばれる部分。

 左写真では、いわゆる九輪(くりん)と呼ばれる部分の上部三つ分が写っている。

 その上は水煙(すいえん)。

 東西南北それぞれの面からのぞき込むと、須弥山をあらわしたスペースのなかに、東面は維摩・文殊問答、南面は弥勒説法、西面は分舎利、そして北面は釈迦のみ金箔をはった入滅の場面が塑像群で表わされている。

 では、講堂に歩を進めたい。

 


 法隆寺は全くすごい。

 どうもお疲れ様でした。
 
  

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