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2010年9月のひとこと書評(掲示板に書いた文章の転載。評価は★5つが最高)

 2年ぶり。 

 9月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準の詳細は、2001年11月書評のページをご参照ください。




(636) 『走ることについて語るときに僕の語ること』(著:村上春樹。文春文庫)

【前書き】
P3 真の紳士は、別れた女と、払った税金の話はしない 〜 もしそういう言葉が本当にあったとしたら、「健康法を語らない」というのも、紳士の条件のひとつになるかもしれない。

【人はどのようにして】
P72 学校で僕らが学ぶもっとも重要なことは、
「もっとも重要なことは学校では学べない」という真理である。

【真夏のアテネで・・・】
P99 正気を失った人間の抱く幻想ほど美しいものは、現実世界のどこにも存在しない。

【もしもそのころの僕が・・・】
P133 ハロウィーンが終ると、まるで
有能な収税吏のように簡潔に無口に、そして確実に冬がやってくる。

【もう誰もテーブルを・・・】
P163 
緩めの肉挽き機をくぐり抜けている牛肉のような気分だった。

【死ぬまで18歳】
P205 死ぬまで十八歳でいるためには十八歳で死ぬしかない。

P208 ものごとの基本を着実に身につけるには、多くの場合フィジカルな痛みが必要とされる。

【少なくとも最後まで歩かなかった】
P229 借り方が圧倒的に多く、貸し方がろくすっぽ見あたらない、僕という人間の気の毒な貸借対照表。




★★★☆


(637) 『意味がなければスイングはない』(著:村上春樹。文春文庫)

【シダー・ウォルトン】
P16 普段はおとなしくて、積極的に前に出て発言することもないから、そんなに目立たないけれど、大事なときがくると立ち上がって、言葉少なに、しかし整然と正論を述べる。 〜 そういう人がいればこそ、世界のおもりみたいなものが、しかるべき位置に微調整されて収斂するのだという印象がある。

【スタン・ゲッツ】
P102 ドロシー・パーカーは作家スコット・フィッツジェラルドについて
『フィッツジェラルドはくだらない小説でさえ、美しく書かないわけにいかなかった』と評しているが、だいたい同じことがゲッツの音楽にもあてはまるだろう。


★★★

 


(638) 『そうか、もう君はいないのか』(著:城山三郎。新潮文庫)

P12 〜 間違って、天から妖精が落ちて来た感じ。

P44 京都の宿でも布団を汚して大慌てしたが、しかし、その後は、
「私、眠る時間がないわ」
 妖精は半ば甘えながら、こぼしていた。


P134 容子がいなくなってしまった状態に、私はうまく慣れることができない。ふと、容子に話しかけようとして、われに返り、「そうか、もう君はいないのか」と、なおも容子に話しかけようとする。

★★★

 


(639) 『赤めだか』(著:立川談春。扶桑社)

【「これはやめとくか」と談志は云った。】
P6 「菓子を欲しがるのは子供の権利だがな、権利を主張するなら義務がついてまわるんだ。覚えておけ。ひとつも残さず喰え」
 少年は競艇場のスタンドで、泣きながら権利と義務の因果関係を学んだ。

【談志の初稽古、師弟の想い】
P69 後年、酔った談志(イエモト。註:家元のこと)は云った。
「あのなあ、師匠なんてものは、
誉めてやるぐらいしか弟子にしてやれることはないのかもしれん、と思うことがあるんだ」

【己の嫉妬と一門の元旦】
P116 突然談志(イエモト)が、
「お前に嫉妬とは何かを教えてやる」
と云った。
「己が努力、行動を起こさずに対象となる人間の弱みを口であげつらって、自分のレベルまで下げる行為、これを嫉妬と云うんです。 〜 よく覚えとけ。現実は正解なんだ。 〜 そこにはきっと、何故そうなったかという原因があるんだ。現状を認識して把握したら処理すりゃいいんだ。その行動を起こせない奴を俺の基準で馬鹿と云う」


P127 離れて忘れた方が身のためと、実は誰もが一度は考える悪女のような人 〜 。

〜 真打は全身をふるわせながら絶叫した。
「夢金だったら現在
(いま)の師匠より私の方が上手い」

〜 実際は一分足らずの時間だろうが、談志が黙っている間がとてつもなく長く感じた。
「あらゆる角度から考えてみたが・・・」
〜 談志
(イエモト)は何と云うのか。緊張の一瞬。
「俺の方が上手い」
 ボソッと云った。


【誰も知らない小さんと談志】
P261 「なあ志らく。どうして真打になるのを急ぐんだ」
〜 「談春
(アニ。註:兄弟子のこと)さんを待っていたら、いつ真打になれるか、わからない・・・・」

P270 覚悟を決めて云うなら、談春(オレ)が見返してやりたいのは立川談志、談春(オレ)より先に志らくを真打にした立川談志にけじめをとらなければ、談春(オレ)はスタートラインに立つことも、そこから一歩も先に進むこともできないんだ、とそう思っていることを初めて明確に意識した。

P273 「談春(おまえ)の会に小さん師匠が出てくれるんだって」
 ドキッとして言葉が出なかった。
「談志
(オレ)が小さん師匠の家に挨拶に行ってやる。段取りしろ」
 そしてニヤッと笑ったあとで、ドスの利いた声で、
「談春
(おまえ)の仕掛けに乗ってやらァ」
と云った。その晩寝れなかった。


P274 「小さん師匠は談志(イエモト)に会ってくれるだろうか」
「それは無理です」
 いつになく強い口調で花緑は云った。
「 〜 談春
(アニ)さん、怒らず聞いてください。僕はこのまま平静に最後の時を迎えるのが小さんにとって一番良いと思うんです。 〜 小さんを守るのは孫の僕しかいないんです」


P275 「小さん師匠のお宅に伺う件ですが・・・」
〜 「断られました」
〜 「小さん師匠からか」
と談志
(イエモト)は云った。
「いえ、小林家の総意です」
「小林家だあ!」
 絶叫に近い声だった。
「談志
(オレ)は小林盛夫に会いに行くわけじゃねェ!小さんに挨拶に行くんだ!
〜 談春
(おまえ)のことで礼に行くんだ。破門されたことを糺しに行くわけでも、勿論詫びに行くわけでもない。何の不都合があるんだ。答えてみろ!」
 〜 その後、談春
(オレ)は必死で話したが、何を云ったのかは覚えていない。黙って聞いていた談志(イエモト)だったが、改めて談春(オレ)を見つめて、ゆっくり、静かに、そしてとても乾いた口調で、
「談春
(おまえ)は、談志(オレ)に、親父がボケたとでも云いたいのか」
と云った。
 談春
(オレ)
談志(イエモト)が小さん師匠を親父と呼ぶのを初めて聞いた。そして以後二度と聞くことはなかった

P279 超満員の国立演芸場。出囃子「序の舞」に乗って小さん師匠が高座に向う。
〜 「本日は談春の会で、当人、真打を目指して頑張っております。談春は・・・・」
〜観客も談春
(オレ)も前のめりになる。
「談志
(ししょう)に惚れ切っております」
 一瞬の間のあとで、
「もっとも弟子が師匠に惚れるのは当たり前なのですが・・・」
と云うと、ちょっと困ったような表情をした。


P281 小さん師匠が亡くなった時に談志(イエモト)は葬式に出なかった。
 そのことについて談志
(イエモト)から話をはじめたことが一度だけある。
〜 「葬式、つまり儀式を優先する生き方を是とする心情は談志
(オレ)の中にはないんです。そんなことはどうでもいい。何故なら・・・」
 談志
(イエモト)は、ちょっと胸を張って云った。
「談志
(オレ)の心の中には、いつも小さんがいるからだ」

 

★★★☆

 


(640) 『落語家はなぜ噺を忘れないのか』(著:柳家花緑。角川SSC新書)

 笑福亭鶴瓶が落語会で、自分を変えた1冊と絶賛していたので。

【第一章 落語家はなぜ噺を忘れないのか】
P30 天才です、立川談春は。聞いただけで頭の中で噺を自分なりに構築できちゃうんですから。

【第二章 いかにして噺に命を吹き込むか】
P73 突っ込みの台詞では、余計な言葉を挟まないほうがいい。端的に突っ込まないと、ウケないというのがあるんです。これは立川談志師匠に教わりましたね。

【第三章 落語家にとっての噺の種類】
P105 噺が滑稽なだけなのに、そこに人間の深みをちゃんと表現して、笑わせて、お客さんを納得させて帰すというのは 〜 こんなことができる落語家は祖父の小さんとやはり小三治師匠だけだと思います。

〜 あえて長い間をもたせる中で 〜 どのタイミングで次の台詞を言えば一番面白いかを探ってきたのだと。




 別に記憶法の本として買ったわけじゃないので、芸談が面白い。「笠碁」についてかなり量を割いている。前に聴いて、小さんの「笠碁」と比べて感じたことを本人も本書で触れているのが面白かった。
 いわく、待ってくれ、というかお前は待つべきだという理由付けで小さんは昔借金を待ってやったとするところを「二人のおじいさんの歴史を紐解いた『青春話』にしてしまった」。
 それとサゲは小さんは碁が打てるのがうれしくて、かぶり笠を取るのも忘れていたとする。これは原典どおりだろう。
 花緑は、やはり今日も待ったなしにしよう。待つのはもうこりごりとして、「退屈しながら〜待つのはつまらない。限られた一生なら、ワクワクしながら楽しんで過ごしたほうがいいって思いを伝えたかった」とのこと。
 「思い」は分かるが、原典のサゲを超える説得力はないと思う。

 

★★★

 


(641) 『バッテリー』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P8 誰に対しても自分の内にあるものを言葉にして語りたいと思わない。

P28 「いや、大人ってさ、知りたいことは何も教えてくれないくせに、なんで関係ないことばっか、しゃべるのかなって思ってさ。 〜 」

P44 投げたい、欲しい、欲しい。マウンドと18.44メートル先のミットに焦れる。

P57 なんで、自分の息子のことが、そんなにわかんないんだよ。

P74 自分以外の者に断りもなく、いやたとえ事前の断りがあったとしても、身体に触れられるのは嫌だった。

P81 青波は、いつも絶妙のタイミングを知っている。

P91 まったく大人ってのは、せわがやける。 〜 鈍い。腹が立つほど鈍い。
〜 ビールを飲んで、笑いながら素振りをするような奴に、打たれる球ではない。


P121 野球というのは、もっとかわいてサラサラしたものだと巧は思っている。 

 

★★★

 


(642) 『バッテリーII』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P10 ー あの球を受けてみたい。
 秋の日差しの中で、また強烈にそう思った。


P32 このごろ巧は、豪といる気楽さに甘えていると感じる。 〜 気楽さにつけこんで、けじめのない甘え方をしてしまう。

P129 「おれは、あいつの思いどおりになんかならない。絶対ならないからな、豪」

P185 謝るなよ。 〜 謝って、それでおしまいになるようなことを話したいんじゃないんだ。

P191 「おれ・・・そんなうそっぱちな野球なんかしたくないんだ。おれの球だけを見てほしい。でないと、壊れちゃいそうな気がするんだ」

P230 豪は巧の肩を軽くたたいて、笑った。
「そのとおり。初体験もすませたし、がんばろうぜ」
「わかったわ。わたし、がんばる」

★★★

 


(643) 『バッテリーIII』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P79 ごまかしだとわかっている話を黙って聞く。そんな忍耐心がなぜ、必要なんだろうか。

P170 豪の手が見える。巧は、ふいに、その手の上に自分の手を重ねたいと思った。
 言葉にしなくても、豪ならわかってくれるんじゃないか。


P183 「おれは 〜 マウンドに立って、おまえに向って最高のボールが投げられるなら、他のことなんかどうでもいい。 〜 」

P184 「おまえ、自分をなんだと思ってるんだよ。おれのキャッチャーじゃないのかよ。 〜 覚えとけ。おまえは、おれのキャッチャーなんだ。 〜 」

P228 「おまえにとって、たったひとりの最高のキャッチャーだって心底わからせてやる。 〜 」

 

★★★

 


(644) 『バッテリーIV』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P101 「豪、おまえは、信じていないのか」
〜 おまえは、おれを信じていないのかと、問うてきたのだ。 〜 だから、惹かれた。どきどきした。
〜「あいつが、嫌だ」
〜巧が嫌だ。あいつが、嫌いだ。
 巧は、いつも、簡単に答えられない問いばかりつきつけてくる。

P141 おれ以外のものを選ぶなんて、許さない。

P150 口下手で、鈍くさく、不器用なくせに、しぶとくて強い。そういう人間は、苦手だった。

P154 「〜 かわいいやないか。美人で、気が強くて、そのくせ永倉に頼りきりで、脆くて、危なっかしい。 〜 」

P158 自分の一番好きな世界に、どう努力しても、必死にがんばっても、かなわないやつがいる。 〜 ひたすら仰ぎ見るか、目を背けるか、どっちかだろう。

P174 「〜 おれが、おまえの母ちゃんだったら泣くよ。うちの息子は、だいじな友達ひとり、迎えにいけない情けない子だって泣くよ。 〜 」

★★★

 


(645) 『バッテリーV』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P24 自分の将来は、自分で決める。自分以外の者に決定権はないはずだ。決めれば、報告する。それまで待っていて欲しい。

P52 完璧に勝ちたい。あいつを潰してやりたい。跪かしてやりたい。同じ屈辱感を味わわせてやりたい。

P67 「おれの好きなタイプが気になるわけだ」
「別に。ただ・・・・好きな女の子の話とかするのも悪くないかなと思うたんじゃ。 〜 おまえだって、全然興味ないわけじゃなかろう」
「あるさ。ばりばり。 〜 」
「巧・・・・」
「豪ちゃんには、好きな子なんていないわけ? 〜 キスの経験は? 〜 」
〜「巧!」
 豪の拳がフェンスを叩く。
〜「豪」
 巧の呼びかけを無視して、豪は止まりも振り返りもしなかった。 〜
「なんで帰ってきた?」
〜豪の舌が、ゆっくりと下唇をなめた。
「何が欲しくて、ミットを構えてんだよ」


P115 
ほんとに原田が欲しいのは、おまえだろうが。鳥肌立つような、うずうずするようなこと、したくてたまんないだろうが。だから」

P123 ボールが欲しい、マウンドが欲しい。あのミットが欲しい。

P148 「むかつく」
 掠れた声が、呟く。
「おまえを見てると、時々、むちゃくちゃむかつく。どうしていいかわからんほど、むかつく」

P168 みんな、一途が好きなのだ。一生懸命な姿が、必死に努力する姿勢が、好きなのだ。 〜 それは、そのまま、何もしない者への批判となる。

P215 こいつに対してだけは、恥ずかしくない自分でありたいと思った。


★★★

 


(646) 『バッテリーVI』(著:あさのあつこ。角川文庫)

P51 おれ以外のものを選ぶなんて許さない。

P109 「秀吾、おれはな、おまえが嫌いや。嫌で嫌で堪らんかった。秀吾さえおらんかったら、どこかに消えてくれたらって、ずっと思うてた。ずっとな」

「おまえのせいやない。おまえは、なんも悪くない。だけどな、どうしようもないやろ。嫌いなんや。おまえのこと、どうしようもないぐらい嫌いなんや」

P123 球を受ける相手はいつも目の前にいたのに、満たされないままだったのに、豪はずっと待っていたのに、なぜ要求しなかったのだろう。

P171 「おまえがキャッチャーだから、いっしょにいるわけじゃない」
 豪の口元が引き締まる。何かに挑むような鋭い視線が、巧の顔にぶつかってきた。
「力さえあれば、キャッチャーなんか誰でもいい。だけど・・・だから、おまえがキャッチャーだから、いっしょにいるわけじゃないんだ」

P291 豪の欲求は、必ずそこに行きつく。
 欲しいなら与えてやる。おまえの欲求を絶対に満たしてみせる。誰にも阻ませない。

 

★★★☆

 結局、恋愛小説じゃないかと思う。

 


(647) 『永遠の0』(著:百田尚樹。講談社文庫)

 本書は構成が浅田次郎氏の『壬生義士伝』に似ていると思う。
 主人公が卓越した技術を有していること。
 世俗的な価値観よりも家族を大切にしたこと。
 それにもかかわらず、結果としてその世俗的な価値観に殉ずるような形で生命を失わざるを得なかったこと、など。

P87 「なぜ、死にたくないのだ」
 私の質問に、宮部は静かに答えました。
「私には妻がいます。
妻のために死にたくないのです。自分にとって、命は何より大事です
 私は一瞬、言葉を失いました。その時の気持ちは、実に気色の悪いものでした。盗っ人に「なぜ盗んだのか」と問うて「欲しかったから」と答えられたような気持ちでした。
「誰だって命は大事だ。それに、誰にも家族はいる。俺には妻はいないがーーー父も母もいるんだ」
 それでも死にたくないとは言わん、という言葉はすんでのところで呑み込みました。
 宮部は苦笑しながら「私は帝国海軍の恥さらしですね」と言いました。
 私は「そうだな」と言いました。


P334 「なぜ、わたしをお嫁さんに欲しいといってくれたのですか」
「好きだからです」
「わたしがなぜ正夫さんのところにお嫁に来たかわかりますか」
「なぜです」
「好きだからです」
 その言葉を聞いた時、加江のためなら死んでも悔いはないと思った。


P397 飛行学生たちは全員「志願する」を選びました。 〜 いや現代でも、果たして会社や組織の中で、自分の首をかけて上司に堂々と「NO」が言える人たちがどれほどいるのでしょうか。
〜 しかし今、確信します。「志願せず」と書いた男たちは本当に立派だったーーーーと。
 自分の生死を一切のしがらみなく、自分一人の意志で決めた男こそ、本当の男だったと思います。私も含めて多くの日本人がそうした男であれば、あの戦争はもっと早く終らせることが出来たかもしれません。

P403 死を前にして、後に残る者たちの心を慮る−−− 一体何という男たちであったのか。

P428 特攻隊員の中には、隊員に選ばれて、取り乱すような男は一人もいなかった。 〜 彼らの多くは、出撃前に笑顔さえ浮かべる者もいた。痩せ我慢などではない。すでに心が澄みきっていたのだ。

P485 俺は戦後、何人ものやくざを見てきたが、予備学生の方がはるかに強い奴らだった。奴らは選り抜かれた男たちではない。大量に採った予備学生だ。一年前までは普通の大学生だったのだ。なのに、あの男らしさは何だ。ただの大学生があそこまで強くなれるのか。
 愛する者のために死ぬという気持ちが、普通の男をあそこまで強くするというのかーーーー。


P546 「宮部さんは五ニ型に乗り込んだ時、エンジンの不調を見抜いたんだと思う。その時、あの人は自分が生き残りのクジを手にしたことを覚ったのだーーーーー」

 

★★★☆

 


(648) 『ボックス(上)』(著:百田尚樹。太田出版)

 本作は、雰囲気があさのあつこ氏の『バッテリー』に似た感じも受けた。

P11 −−−−−風が吹き抜けたみたい、と耀子は思った。

P173 試合をすれば勝つ、それは彼にとって当然のことで、そこには何の不安も疑いも抱いていないのだろう。もちろん敗者に対しての労りの気持ちなんかこれっぽっちも持っていない。それって何と傲慢で、同時に何と純粋な美しさだろう。まるで傷一つ付いたことがないガラスのようなものだ。

 

★★★

 


(649) 『ボックス(下)』(著:百田尚樹。太田出版)

P76 「スポーツの世界では、素直なことが伸びる条件です。監督やコーチの言われた通りに同じことを馬鹿みたいに繰り返す。そんな奴が最終的に伸びます。どんな世界でもそうですが、才能だけで勝ち上がっていけるのは初めのうちだけです。
本当に天下を取るのは、牛や馬みたいに黙々とやり続けることの出来る奴です

P169 「本当の才能というのは、実は努力する才能なのよ。 〜 本当の天才って、努力を努力と思わないのよ」

「そう、それが楽しいからする、好きだからする、面白いからする、という人が本当の才能の持主なのよ」


P376 「そのーーーカブラヤという人、どんな選手やったんですか」石本が聞いた。

「あの子はーーーー」
と耀子は言った。
「風みたいな子やった」 

 

★★★

 


(650) 『ブラバン』(著:津原泰水。新潮文庫)

P30 「なんぼ眺めても本物にゃならんよ」と母がわざわざ近づいてきて言った。
 人間というのは、なんで不要を口にしてまで周囲との間に摩擦を生じさせるのだろう。


P136 「漫画、嫌いなん?」
「『三つ目がとおる』は持っとるよ」

「『実験人形ダミー・オスカー』みとうな感じ?嫌あ、もうエッチなんじゃけえ」

P146 道なき場所でも平然と塀の上を歩めたのが当時の彼女で、そんな曲芸を可能にしていたのは十代の無謀であり、勢いだった。

P170 まともな知性に恵まれながら、十代の夢はすべて叶ったと高笑いできる大人はいるだろうか。

P209 自分がどう罵られても怒らない唐木だが、家族を悪く言われると逆上する。

P214 すっかり酔ってしまった風情の笠井さんが僕をつかまえて言う。「他片くん、ビゼーはええねえ。ビゼーの曲は優しいねえ」
 
ビゼーを優しいと感じる、あなたが優しいのだ、と僕は思った。

P225 亀岡さんがベースを磨き直している間に、父は僕に言った。「これまで貯めたお金は出しなさい。残額の半分は、そういえば入学祝いをしとらんかった。遅うなったが、おめでとう。残りは貸すから、長くかかっても返しなさい」
 ありがとうと、と声になる前に何度も唇を動かさねばならなかった。


P226 それ何?それ何?と妹と弟が騒ぐ。
「ええの買うた?」と母が訊く。
 買物から帰ってきた者に対する挨拶のような言葉なのだが、その日ばかりは、答えようとする咽に熱い塊がこみ上げた。「いちばんええのを買うた」
 傾いた陽が街をトパーズ色に輝かせていた。本物のフェンダーを手に家族と電停に向う僕は、地上で最も幸福な少年だった。


P230 音楽の世界の他ジャンルへの近親憎悪は凄絶だ。

P243 辻さんはいったんビールをあおった。「もしあれがまだ独りでおるようじゃったら俺がこうなっとること、ほいでも道後で真面目にやりよることを伝えてくれ。いつまででも待っとる言うてくれ。じゃがもし結婚しとったり、ええ人がおって幸せそうにしとったら、俺のことは何も言うな。訊かれてもうまいことごまかせ」

←「五番街のマリー」やな。



P310 「〜 ほいでもどうしても文化祭に出たい、余所の学校から見にくる彼女にええとこ見せたいいうて言うけえ、上級生が『出したるけど絶対に音を出すな』いうて命令したんよ」

P337 「〜 俺はたぶん、何かが終っていく感じが嫌いなんよ。どうように下らないことでも、それが終っていくんが悲しいんじゃ。ほいでも終らんものなんかどこにもない。じゃけえせめて最後の最後まで見届けようとする」

P350 楽器を極めるために必要不可欠なものは何か。センス?情熱?器用さ?どれも間違いではないが究極の答でもない。正解は、持って生まれた肉体だ。

P352 楽器は音の出し始めより出し終わりが難しい。音の潔い区切りは中低音楽器の意外な見せ場なのだ。

P402 「〜 どうもみんな儂のこと憶えにくいらしゅうて、飼い犬からして憶えてくれんし、上司も未だに田中くんいうて呼ぶんじゃ」と佐藤さんは笑ってくれたのだが、その顔と声が早くも思い出せない。

P411 「〜 ああしてほしい、こうしてほしいいうて頼まれちゃあ、異存ありませんいうて頷くのがこれまでの僕の人生ですよ。 〜 ほかに人から大事にされる方法を思いつかず、あとどのくらい我慢できるかいな思うて、砂時計を見つめ続けてきたんが僕です。ところがね、僕の手元の時計なんか当てにならんというのを最近知った。僕の時計にはまだ余裕があっても、砂はどっかで勝手に落ちるんです。 〜 」

★★★

 


(651) 『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す(巻之一)』(著:夢枕獏。徳間文庫)

P55 日本という小島の文化が、世界史レベルの才能をこの世に最初におくり出したのが、空海である。

P70 儒教というのは、結局、極論すれば俗世の人の作法の学問でしかない。
〜 儒教と道教とはむろん違うが、道教にしても、
”宇宙や生命についての答えがない”
という点では、同じであった。


P116 「よいか、空海、 〜 おれが、自分のことを特別な人間だと思うているのに、ぬしのような男が、自分のことを特別だとも何とも思うておらぬというのであれば、おれは困ってしまうではないかーーーー」
 逸勢は、愛しいほどに素直な言い方をした。


P159 「結局、自分で押しかけるよりは、
乞われて出向く方が、この国では何事も早いということです。 〜 」

P306 「しかし、人というものは、いつの間にか、慣れてしまうものなのだなあ」

P364 恵果は、虚空に向って、問うようにつぶやいた。
「義明よ。 〜 わしという器の中に入っている密を、一滴あまさず別の器に注ぐには、わしと同じか、わし以上の器を持った者でなければならぬのだ・・・・・」


P455 〜 『理趣経』というのは、密教において 〜 男女の愛欲について、それは清らかな菩薩の境地であると記した経典である。
〜 それを初めて眼にした時には 〜 天と地が入れかわったような思いを 〜 空海は体験している。

★★★☆

 


(652) 『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す(巻之二)』(著:夢枕獏。徳間文庫)

P48 「なあ、逸勢よーーーー」
と、空海が声をかけた。
「もしかしたら、おまえ、おれなどよりずっと良い漢であるのかもしれぬな」
「空海よ、それは、おまえは馬鹿だと言われているような気もするぞ」

「素直に喜んでよいか」
「よい。おまえは良い漢だ」
 逸勢は、ふいに子供のようにはにかんだ表情をしてみせ、
「もうよせ、空海」
 真顔になって言った。
「もう充分に喜んだ」


P93 「そうさ。経というのは、生きている者のためにある」
 きっぱりと空海は言った。


P138 密教にとって、ひとつの奇跡のような幸運は、その滅びる寸前に、東洋からやってきたこの野心に燃えた、空海という天才との出会いを得たことであろう。

P354 〜 まったくこの時期の唐という国家は、なんという国であったことか。その都である長安という京城は、人類史における奇跡のような果実であったといっていい。
〜 人口の百分の一が外国人であった。
 しかも、そういった外国籍の人間が、政治の中枢まで登ることも、珍しくなかった。阿倍仲麻呂も、そういう人間のひとりである。
 これほど国際的な都市は、現代でも見あたらない。外国籍の人間を、平気で国会議員にしてしまう国は、現代にもない。

 

★★★☆

 


(653) 『沙門空海 唐の国にて鬼と宴す(巻之三)』(著:夢枕獏。徳間文庫)

P99 中国の民ほど、自民族の歴史を記録するという行為にエネルギーを注いできた民族は、世界史の中でも他に見あたらない。

P272 頬を、赤くして逸勢は言った。
「〜 儒者として、君のために立つは当然のことではないか」
 空海はしゃべっている逸勢を、思いがけないものを見るように見つめている。
「このおれなどは、おそらくはどれほどのお役にも立てまいが、このことで、もしこの地に果つることになるとしても、それこそ男の本懐ではないか」
 初々しいほど、逸勢の頬が赤く染っている。

P278 「声を大きくする逸勢も、怖がっている逸勢も 〜 みんな橘逸勢なのだ。どれひとつとして、おまえでないものないのだ。どの逸勢も必要なのだ」

「密を愛するということは、この天地(あめつち)を・・・・・宇宙を丸ごと愛するということなのだ。その中のどれが清くてどれが清くないとか、どれが正しくてどれが正しくないとか、そういうことはないのだよ」

P282 「密の教えというのは、まず、この天地のあらゆることがらを、肯(よし)と、自らの魂に叫ぶことなのだ。この宇宙に存在する全てのものを、丸ごとこの両腕の中に抱え込むということなのだよ」

★★★☆

 


(654) 『龍馬 一』(著:津本陽。集英社文庫)

P195 「そりゃ、ええ了簡ぜよ。お前んはなんでも珍しがりゆう。怯めるところがないき、人に好かれらあ」
「ただの疎い阿呆ですろう」
 龍馬は笑いながら、大福餅をかじった。

★★★

 


(655) 『龍馬 二』(著:津本陽。集英社文庫)

P48 庄屋は将軍、大名の家来ではない。王臣であるという意識は、貨幣経済の発達による商人層の台頭とうらはらに、窮迫する農民の保護者である彼らの、自衛本能のあらわれであった。

P253 (註:岩崎弥太郎)には、元吉も認めた鋭敏な経済感覚がそなわっていた。
−−−−男たるもの、射利に心を砕き、ひと山当てて懐中に黄金を唸らせんと、生きちょる甲斐がない−−−−


P296 「〜 勝さんはそこでずばりといいました。
 さよう、少々目に付いたことがござります。それはアメリカでは政府でも民間でもおよそ人の上に立つものは皆、地位相応に賢うござります。このところばかりはわが国とはまったく反対であると存じます。 〜 」


P308 「−−−−俺は勝先生のもとへ来たおかげで、暗がりの中からお日さんの照っちゅう明るい大場へ出てきたような気分じゃ−−−−」

P372 龍馬の話には、自然には笑いを誘う、飄逸な味わいがある。
 この男は、人情深い家族のなかで育ったのであろうと、麟太郎は考える。 〜
 着想がわるくなくても、説明がまわりくどいと聞いているのがいやになる。
 龍馬は、どんな話をするときも、必要なことだけを選んでいった。
−−−−この男は、学問をやる気がなさそうだが、事の是非を見分ける勘がすばらしくいい。
 〜 −−−−

★★★

 


(656) 『龍馬 三』(著:津本陽。集英社文庫)

P14 「横井殿のおふるまいは、南宋の名将文天祥の故事に見るごとく、命さえこれあり候えば、なすべき事あるの見識にて、瑣々たる小節で論ずべきではござりますまい。 〜 」
「やっぱりのう。中根という仁は、才智も腹もある人じゃき、えいことをいうぜよ」
 龍馬は感心した。

P26 容堂が赦免しないときは、門人として保護すると明言した麟太郎の、幕府高官としての権威を、龍馬はあらためて認識した。
−−−−俺は日本一の人物の弟子になった。まっこと運のえいことじゃ−−−−


P54 龍馬は生死に頓着しない、おおらかな性格である。 〜
 麟太郎が彼を近づけたのは、何事にもこだわらない、天性の無心の動作が気にいったためである。 〜
 土佐の冴えわたる陽射しのようなあかるさが、彼の特徴である。


P94 以蔵には、つぎのような伝説があった。
 狙った男のあとをつけていった以蔵が声をかける。
「もし」
 いいつつ刀を横一文字に振ると、切られた首がふりかえり、答えたという。
「何どす」


P102 麟太郎は 〜 諭した。
「さっきのような斬りかたは、まったく堂に入ったもんだ。 〜 しかし見ていると、お前はどうやら人を殺すのを楽しんでいるようだ。そんな了簡は、改めたほうがいい」
 以蔵はいい返した。
「しかし先生、あのとき俺がやらざったら、先生の首は飛んじょったですろう」


P262 いつも二股膏薬で、煮えきらない動きでわが責任を逃れようとする慶喜を、麟太郎は内心で嫌っていた 〜 。

P268 そのとき、家茂がいった。
「〜 海上のことは軍艦奉行に任せようぞ。他の者が決して異議あるべからず」
 日頃、傲慢な言動を諸臣に憎まれている麟太郎が、子供のように大粒の涙をこぼして泣いた。


P330 才助(註:五代友厚)は能力にすぐれた人物がすべてそうであるように、無駄口をきかず、麟太郎の問いかけに的確に返答する。

P342 慶喜は、さらに三人の参与(註:松平春嶽、島津久光、伊達宗城)を罵倒した。
 〜 天下の後見職を、三人の大愚物同様にお扱いされては、また過誤をかさねます。
 私の申しあげることをご信用なければ、拝顔も今日かぎりで、二度と参上しないと、慶喜はすさまじい言葉をあえて口にした。

★★★

 


(657) 『龍馬 四』(著:津本陽。集英社文庫)

P38 「悪党には見えざったがです。自分で阿呆じゃというちょりましたが、変わった男にゃちがいないですろう。太鼓にたとえりゃ、
小さく打てば小そう鳴り、大きく打てば大きゅう鳴るような仁ですろうか」
(註:龍馬による西郷隆盛評)

P172 四月中旬、高杉晋作は愛人の芸妓うのとともに大坂へ逃げた。晋作は船頭の風体で心斎橋の書店へゆき、『徒然草』はないかと聞いたのでたちまちに幕吏の尾行をうけ、やむなく讃岐に渡った。

P293 木戸は当時の様子を、自叙している。
「薩邸を辞去しようとする前日、坂本龍馬が上京し、余をたずねてきて、薩長盟約は交わされたかと聞いた。
 余は答えた。何も盟約はしていない。龍馬は憤懣を顔にみなぎらせていった。
 余らが薩長両藩のために身をなげうち、尽力するのは、決して両藩のためではない。
 ただ天下の形勢を考察すれば、安んじて寝ていられないので、このように奔走しているのである。
 然るに兄らは 〜 なすこともなく十余日を過ごし、むなしくあい別れようとする。
 〜 なぜ胆心を吐露し、天下のためにおおいに将来を協議せんのですか」
〜 「余は答えた。足下の言うところはもとより正しい。しかし今日のことには、一朝一夕にはできあがらない原因がある。
〜 しかして長州がいま口をひらき、薩州と軍事盟約をともにしようとすれば 〜 いわずして援助を乞うことになる。これまた長州人の望まないところで、余はこれを恥辱と見る。 〜 」
 龍馬は、木戸の本心を知って、了解した。
〜 龍馬はただちに西郷に会い 〜 薩藩側から連合を申し出るよう、火の出るような舌鋒で要請した。
 西郷は、龍馬の仲介を待ち望んでいたので 〜 連合の具体案を薩摩側からきりだすこととした。
 のちに毛利敬親が往時に述懐した『忠正公勤王事績』
(中原邦平著)に、つぎのように述べられている。
「〜 かつて品川
(弥二郎)子爵から聞いたことがありますが 〜 木戸の演説には十分つっこむ所がある.
 それをいかにもごもっともでございますというて、しゃがんだまま、何もいわなかったのは、さすが西郷の大きい所であると、
(敬親公は)話されました」

★★★

 


 今月も、まだまだ書評が大量に積み残し。



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