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2007年5月のひとこと書評(掲示板に書いた文章の転載。評価は★5つが最高)

 5月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準の詳細は、2001年11月書評のページをご参照ください。




(575) 『御乱心』(著:三遊亭円丈。主婦の友社)

 えらい古い本なのだが、たまたま手に取り読み返してみた。
 昭和53年5月に大量真打問題で当時の落語協会(会長柳家小さん)と対立した三遊亭円生が弟子を引き連れ、落語三遊協会を設立したのだが「俺から見た協会分裂の100%の真実」を著したもの。

 円楽らを実名で思いっきり批判している。
 円丈はもともと円楽を「野心家で〜どんな場合でも自分が絶対に正しいと信じるコトの出来る〜新興宗教の教祖にありがちなヒステリー性」と嫌っていたが、円楽は一番弟子で円生師匠の絶対の信頼を得ていることを利用して、秘密裏に協会脱退の話を進めていた。

 円丈は乏しい情報の中で真相をつかもうと兄弟弟子と相談するが反応ははかばかしくない。
 兄弟子の円窓を円丈はかつて「彼は、師の家でも兄弟弟子と話もせずに黙々とケイコをしていた。〜そんな男らしい円窓が好きだった」のだが、何と彼は当初から円楽側についており、円丈らの動きを円楽に流す「スパイ役」だった。
 「今ここにいるのは、新協会の幹部というエサを見せられてスッカリ飼い馴らされ、頷くだけの円窓だ」と知り「さようなら、やさしかった円窓兄さん!」と内心で決別する。

 円丈は小さんの弟子夢月亭歌麿から「師匠の誕生日会の時に談志さんは酔っ払って”俺に落語協会の会長を譲れ”と言い出したあたりから〜一門の中では浮いた存在になっていった。〜このまま行けば、師匠がなくなっても小三治がいるから小さんの名前は継げないし、落語協会の会長にもなれそうもない。そこで円生師匠の担ぎ出しを図った」と聞く。
 円丈らは、やはり師匠でもあり、会長の小さんに逆らうのは危険だから談志は最終的には協会を脱退しないのでは?と踏んでいた。これを裏付けるように、円生から三遊協会のNo2は(円楽でも談志でもなく)志ん朝と指名されたのが不満だとして談志は脱退派から「脱退」する。

 結局脱退派は当初予定より少数になり、席亭(常設寄席の経営者)から落語協会から脱退した者は定席に出演させないと通告された。志ん朝はこのまま脱退しては弟子の修行の場がなくなると復帰を決意した。
 しかし、円生には意地がある。円楽、円窓も円丈らに「お前たちは師匠と共に協会を出るか?」と尋ねる。寄席に出たいので落語協会に戻りたいと言った円丈を師匠も夫人も「恩知らず」、「薄情者」、「義理知らず」、「恥を知れ」と罵り続け、耐え切れず行動を共にすることになった。

 寄席に出られない三遊協会の「ドサ回り」の日々が始まった。そして54年9月、円生は巡業先で倒れ帰らぬ人となる。
 「円楽って男は、全く不可解だ。三遊協会が成立以後、一番助けの欲しかった頃、師匠を見捨てておきながら、イザ死んでマスコミの注目がこっちに向くと突然、シャシャリ出て来て、”ハイ、葬儀委員長は私です!”と言う」
 「どのニュースも、ほとんど円楽のインタビューの姿が映し出されたが〜どの局のインタビューでもなんと泣いていた。つい五、六時間前、円生に背を向けて、胡坐をかき、全く円生とは関係のない話を大声でして、全然死者に敬意を払おうとしなかった円楽。あの円楽が、ナント泣いている」
 「夫人と円楽の亀裂は、どんどん拡がって行った。分裂後にあった夫人の円楽に対する激しい不信感、そして死亡の夜の身勝手な円楽の言動、それに立腹して葬儀委員長を円楽にさせない対抗措置、それにふてくされる円楽」。

 このように非常にドロドロした人間模様が赤裸々に綴られている。おそらく円楽らにもいろいろ言い分はあるだろう。しかし、まあ「円楽」タイプの人間はけっこういるよな。




★★☆


(576) 『こわさ知らず』(著:春風亭小朝。中公文庫)

 うちの本棚で『御乱心』の近くにあったんでついでに読み返すことにした。裏表紙に「二十代最後の齢に、意欲あふれるタレントが思う存分書いた楽しいさわやかなエッセイです」とある。文庫になったのが昭和59年末みたいだから、多分買ったのは20年ほど前ではないか。「思う存分」とは思うが、それほど「楽しい」、「さわやか」とは感じない。

「このあいだ、『お笑いスター誕生』で久しぶりに清水アキラさんをみた。〜悲惨であった。根暗な芸人がそれた時ほどみじめなものはない」
「男優では渡辺徹さん、女優では桃井かおりさんのように、不必要についたあごの肉やおなかの肉は、その人の芸人としての姿勢を象徴しているようにみえます」
「(増田明美さんについて)あの人はなぜああいつもウジウジとしているのでしょう。〜すぐにあそこが悪いの、ここが痛い〜のと言い過ぎるのです。〜
 もし本当に彼女のためを思うなら、これ以上白い歯をみせないことです。もともと大した選手ではないのですから」

 まあ、そんな批評はどうでもいい。小朝の師匠は柳朝だ。ある日の楽屋、小さん師匠の夫人の葬式の模様がTV中継されていた。TVに次々と映し出される顔に茶々を入れる楽屋雀の中でも一番ふざけていたのが柳朝だったそうだ。
 出番となって「おさきィ」と高座に上がった柳朝に、他の者は「柳朝さんもいいけど、本当にうるさいね。なにか言ってないと気がすまない人だねあの人は」と大笑いしていたという。
 しかし師匠の高座を袖で見ていた小朝は、師匠が爆笑ネタの「浮世床」で場内を沸かせていたが突如絶句し、涙をこぼし始めた場面を目撃する。
 なにごとがおきたのかと、あっけにとられて高座を見つめるお客さんに、うわずった声で「実はいま、楽屋で小さん師匠のおかみさんの葬式を見てまして、すぐ高座に上がったもんですから、なんか変な気持ちになりまして・・・・」。

「師匠はすぐに気をとりなおし、めったに見せない余興を披露して、高座をおりた。〜楽屋の連中はいま高座で何があったのか、誰も気付いてはいない。私は師匠の着物を一所懸命たたんだ。このときは、もう二ツ目になっていたのでそんなことはしなくてもよいのだが、とにかく自分でたたみたかった」とある。

 この柳朝も『御乱心』では円生から「私が我慢がならないのは、円歌金馬、柳朝といった常任理事が、小さんさんに取り入って、イイように協会を引っかき廻しているコトだ」と言われ、円丈も「確かに常任理事の円歌、柳朝、金馬の三人の評判は良くなかった。二ツ目の間で彼ら三人についたアダ名が”落語協会の三悪人”」と書いている。まあ、いろいろあるんだろうなあ。

★★☆


(577) 『水滸伝』第5巻(著:北方謙三。集英社文庫)

 本巻は旅先の宋江が潜んでいる料理屋に二万もの江州の官軍が押し寄せる場面で始まる。
 しかし当の宋江は戴宗(たいそう)が「まるで他人事(ひとごと)のように感心しておられるのが、おかしくて」と思わず笑みを洩らすほど泰然としている。
 逆に、宋江を救出しようと駆けつけた穆弘らの方が必死だ。官軍の厚い囲みを崩しきれない公孫勝童威は、双子の弟童猛と突入して敵中に留まり内部から切り崩すと提言する。
「なぜだ。童威。なぜ、死を選ぼうとする」
「選ぶんじゃねえよ。俺は、そこに飛びこむんだ。飛びこめば、突き抜けられる」

 その決死の策が功を奏し、駆けつけた林冲の騎馬隊が黄文炳の官軍を壊走させた。
 宋江は言う。「私は、暢気なのかな。それとも、鈍いのかもしれん。おまえたちが、必ずなんとかしてくれると、信じて疑っていなかったのだ。そして、信じた通りになっている」。

 一方、青蓮寺。袁明は「王安石の理想。それが実現できなかったのは、やはり苛烈なほどの力が王安石になかったからではないのか。〜いまの自分が、王安石についていれば」とひとり過去を振り返る。そして、そうした想いは意外にも宰相蔡京にも共通するものだった。

 さらに魯智深。女真族に捕らえられた彼をケ飛が救出する。

 さらにさらに李富馬桂
「交合したあと、滲み出てくる小さな嘘。それはそれで馬桂への思いやりなのだ、と李富は自分に言い聞かせていた」。
「いつも浮かんでくる顔は、李富のものだった。〜強く、激しく愛されている。それは、馬桂の人生に一度もなかったことだった。愛されていると感じるだけで、自分は生きていると馬桂には思えた。〜李富のために、なにかをしたい。捨てられたくないからとか、もっと愛されたいから、というのではなかった。ただ、なにかをしたい。〜そして、李富を苦しめているものを、取り除いてやりたい」

 そして、馬桂は楊志の妻子に近づき、暗殺の機会をつかんだ。
楊令斉仁美に庇われるようにしながら、顔だけこちらにむけていた。眼が合った。笑いかけようと思った。笑えたかどうかは、よくわからない。父を見ておけ。その眼に、刻みつけておけ」
 梁山泊で初めて名札が裏返った。

★★★☆

 


(578) 『水滸伝』第6巻(著:北方謙三。集英社文庫)

 魯智深改め魯達花栄が将軍秦明を仲間に引き入れようとする。騙してでも、と断ずる魯達と、そのような形はとりたくないとこだわる花栄。

「騙されて怒り狂う玉なら、大したことはない。俺の命ひとつくらいで済むだろう」
「おいおい、魯達。せっかく拾った命を」
「なに、命というのは、投げ出してみれば、なんとかなる。〜」
「女真の地から戻り、生き延びたとわかった時、おまえはなにを感じた?」
「もう少し、働けると思った。〜命が惜しくてできなかったことが、これでできるとも思った」

 魯達は秦明将軍と一晩語った。
「志を持って、軍人となった。それが私の誇りであり、人は誇りに生き、死するものだと思っている」
〜「誇りは、心の中で、ひとりだけで抱くもの。そうではないのですか?」
「その通りだ。私の誇りは、誰にも踏み躙ることはできん」
「そして、どこにいても失わずにいられる誇りでもある」

 魯達は、秦明将軍の筆跡を完璧に模写した手紙を用意していた。これを流せば、将軍は反乱軍の汚名を着せられ、首をはねられたくなければ官軍を離脱せざるを得なくなる。しかし魯達は、あえてその手段は取らなかった。

「誘いの言葉は残さんのか、魯達?」
「私は、将軍と話がしたかっただけです。〜軽い誘いの言葉に乗る人物を、梁山泊は求めてはおりません〜」




★★★☆

 


(579) 『水滸伝』第7巻(著:北方謙三。集英社文庫)

 本巻冒頭でまたも宋江は大軍に囲まれる。太原山中の洞穴。宋江、武松李逵欧鵬陶宗旺の5人。もっとも施恩が「天から降ってきた」が。官軍は1万数千。しかし陶の石積みの罠が功を奏し、火攻めの危機を辛くも脱した。が、追撃は厳しい。
 雷横が宋江のふりをして敵を引き付けた。五、六百の騎馬隊が背後に迫る。歩兵二千五百も続いているだろう。これで宋江を追う兵はいなくなった。
「よく見ろ、これが梁山泊の雷横だ。〜俺はまだ立っている。雷横は思った。男は、決して倒れたりはしないのだ。〜愉しかったな。ただ、そう思った。
 また、視界が暗くなった」

 青蓮寺は、少華山の史進阮小五をおびき出すため、了義山の賊に「替天行道」の旗を掲げ民を襲わせた。
「『くやしさに耐えて、ここでじっとしているべきだ。俺はずっと、自分に言い聞かせ続けていた』
 史進が淡々と語りはじめた。〜
『志を持っていることが、いまの俺の誇りだ。そして、ただ生き延びるというのは、俺の志には反する。〜あそこに偽の旗が掲げられた時から、俺はずっと考え続けてきたが、許していいことではない』」
 しかし、少華山を捨て、了義山を討ち梁山泊に合流する中で阮小五が命を落とした。

 また、青蓮寺は独竜岡の三荘の取り込みにかかった。
李応の自尊心をどう扱うかということについて、聞煥章は苦慮していた。〜そういう人の扱いという点において、聞煥章は力のなさを痛感していた。〜李富もまた、そういう人の扱いについては、経験を積んでいなかった」、と思わぬ苦労もしている。

「おまえは、穢れてはおらん。人は、自ら穢れるのであって、他人に穢されるのではない。〜心が穢れないかぎり、人は穢れるものか」
 金翠蓮への宣賛の言葉は、ひょっとすると自分に向けての言葉だったのか。

 時遷馬桂の裏切りに気付いていた。そして馬桂の家に忍び込んだ。しかし、それに備えていた者もいた。



★★★☆

 


 

  書評が再び大量に積み残し。



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