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2006年8月のひとこと書評(掲示板に書いた文章の転載。評価は★5つが最高)

 8月のひとこと書評の再録です。掲示板そのままでは芸がないので、評点をつけます。★5つが最高。評価基準の詳細は、2001年11月書評のページをご参照ください。


(538) 『射G英雄伝』第四巻「雲南大理の帝王」(著:金庸。訳:金海南。監修:岡崎由美。徳間文庫)

(あらすじ)訳者あとがきから引用させていただくと「七日間の治療をおえ、杭州近郊の牛家村の密室から出た郭靖と黄蓉が、揚子江(長江)中流の洞庭湖の島で開かれた乞食党の大会に参加し、さらに西南の鉄掌党の本拠地、鉄掌峰で岳飛の遺書を手に入れ、桃源で大理国のもと皇帝、一灯大師に会って、ふたたび杭州近辺まで帰ってくるまでの話」である。

(感想)色好みの欧陽克は、前巻で黄蓉の計略で足を痛めていたが、女性を盾にとる彼らしいやり方で復活。が、突如現われた庸康に刺されてまず姿を消す。続いて梅超風と全真七子の戦い。黄薬師が梅に代わって天罡北斗陣を張る七子と渡り合う。そこへ欧陽峰が参戦。いきなり七子の一人譚処端を背後から襲い、返す刀で黄に蝦蟇功。さすがの黄も死を覚悟したが、梅が師匠をかばって蝦蟇功を受けた。これで七子の一人と梅超風が姿を消す。
 そこへ姿を現したのは江南六怪。黄は黄蓉の仇と襲い掛かるが、誤解も解ける。
 そこへ姿を現したのは(←こればっか)トゥルイとコジン姫。穆念慈とコジン姫と黄蓉の三つ股で悩む郭靖。
 乞食党の大会で何とか党首となった黄蓉だったが、「ホンモノの」裘千仭に瀕死の重傷を負わされる。
 「泥鰌」の瑛姑と巡り会った郭靖と黄蓉。漁・樵・耕・読の四人を突破し、南帝こと一灯大師に救われる。そこへ姿を現した(←やっぱ、こればっか)現われた瑛姑。誤解も解け、再び旅立つ二人。そこへ姿を現したのが穆念慈。穆が去った後、そこへ姿を現したのが裘千仭と泥鰌の瑛姑・・・・・って、ほとんどあらすじの補足だが、実にめまぐるしい展開。

★★★


(539) 『射G英雄伝』第五巻「サマルカンドの攻防」(著:金庸。訳:金海南。監修:岡崎由美。徳間文庫)

(あらすじ) ストーリーはますます加速。巻頭、江南六怪の一人、柯鎮悪が出会うなり黄蓉に襲い掛かる。居合わせた洪七公がとりなそうとするが、これまた居合わせた老玩童周伯通がちゃかすのでぶちこわし。
 わけがわからぬまま、桃花島に帰ってきた二人。黄蓉の母の墓は暴かれ、そこでは六怪のうち、全金発、朱総、韓宝駒、韓小瑩の亡骸があり、南希仁も「十」の字を書きかけたところでこと切れた。これは「黄」と書きかけたのだと復讐を誓う郭靖。
 四巻に引き続き、全真六子の天罡北斗陣と渡り合う黄薬師。しかし、今回、要の北極星の位置を占めたのは郭靖。そこへ欧陽峰もやって来るし、洪七公も割って入る。大金国趙王の完顔洪烈も鉄掌党の裘千仭も来る。さらには周伯通もやって来る。そのうえ官軍も来て大混乱。
 黄蓉による謎解きについては、とりあえず省略させていただく。ここで楊康が消える。
 その後郭靖はモンゴル軍に入り、ホラズムの首都サマルカンドまで行くが、ちょっと無理矢理って感じもしたが、そこで欧陽峰相手に孔明の七縦七擒みたいなやり取りがある。サマルカンド陥落の際に完顔洪烈も命を落とす。
 何やかんやで華山論剣。欧陽峰は、『九陰真経』の習得を熱望していたが、洪七公やら郭靖やら黄蓉やらによってたかって、念入りにデタラメを吹き込まれる。そのデタラメをまた欧陽峰が真剣に修行しちゃったものだから、すっかりめちゃめちゃに壊れてしまって、それが一種異様な迫力というか、予測しきれない、できれば(と言うか決して)関わり合いになりたくないような存在となった。周りが降参してトップになったのだが、自分の影に追われてどこかへ姿を消す。

(感想) いや、こうやって振り返るとやはり全巻通じて「思いっ切りな」ストーリーであった。最後、ジンギスカーンの臨終に際し、「人を多く殺した者は、真の英雄とは申せません」と諭す郭靖。これほどバカだ、バカだと言われ続けた主人公も珍しいと思うが、立派になったものである。

★★★


(540) 『神G剣侠』二巻(著:金庸。訳:岡崎由美・松田京子。徳間文庫)

 前巻に続き、庸過のホスト攻撃。変装しながらも李莫愁に「あなたのような、まるで仙女のように美しい人が、どうして魔女などと呼ばれているのです?」。そして「自分の美貌に自信を持つ李莫愁は、面と向かってほめそやされ、まんざらでもない」。
 「完顔妹、頼みがある」「唇でお前の眸に触れたい。〜ほかにはなにもしない」というのも刺激的。

 庸過と洪七公との出会い。そして、欧陽峰との絡みもおもしろい。

 そして、またも女心を弄ぶ庸過のホスト技が冴える。武兄弟を天秤にかけるような郭芙に「もし二人とも良いっていうなら、俺にはもう望みがないじゃないか」と、その気もないくせに、いかにも彼女に気のあるような思わせぶりなセリフをぶつけてみせる。

 純朴なダルパ(庸過を兄弟子と思い込む)、小龍女との再会、老頑童との出会い。次々に庸過は周りを魅了していく。さて、続巻はどうなるか?

★★★


(541) 『楊家将』上巻(著:北方謙三。PHP文庫)

 先日、上海京劇院日本公演で「楊門女将」を観た。この京劇は、いわば『楊家将』の後日談みたいなものだ。先にこの本を読んでいたら、もっと「楊門女将」が楽しめたのか、先に「楊門女将」を観たから、本作が楽しめたのか。
 冒頭、楊業は北漢に尽くすが帝に疑われ、危うく命を奪われそうになる。が、謀将王貴の機転により辛くも宮廷から脱し、宋に降る。
 楊業の息子としてはニヒルな四郎、直情径行な五郎、若いが才気煥発な七郎、そして鈍重に見えたが才能を開花させた六郎と、なかなか魅力的なキャラクタの描き分けに成功している。遼側では特に”白い狼”耶律休哥が良い。


★★★


 

 


(542) 『悪者見参』(著:木村元彦。集英社文庫)

 いかにもつまんなさそうなタイトルで敬遠して(←なら、なぜ買った?)、ずいぶん前に買ったのに読んでなかった。
 「悪者」とは、マスコミ操作で「世界の悪者」にされ、NATOの空爆に晒された旧ユーゴを指しているのだった。

 思えば、本当にユーゴスラビアとはチトーの力で危うく繋ぎとめられていた奇跡の多民族国家だったのだろう。
 旧ユーゴは7つの隣国(イタリア、オーストリア、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、ギリシア、アルバニア)、6つの共和国(スロベニア、クロアチア、セルビア、モンテネグロ、ボスニアヘルツェゴビナ、マケドニア。なお、2つの自治州として、ヴォイヴォディナ、コソボ)、5つの民族(スロベニア人、クロアチア人、セルビア人、アルバニア人、マケドニア人)、、4つの言語(クロアチア語、セルビア語、アルバニア語、マケドニア語)、3つの宗教(カトリック、東方正教、イスラム教)、2つの文字(ラテン文字、キリル文字)を持つ国だと言われている。
 そして、91年にはスロベニア、クロアチア、マケドニアが、92年にはボスニアヘルツェゴビナが独立し、今年はモンテネグロが独立宣言をした。あと、コソボ自治州も独立への動きを見せている。

 この本で初めて知ったことが多かった。
P23でセルビア人自ら「セルビア語は世界で一番汚い言葉」だと言うらしいが、その実例は、あえて紹介しないでおく。
 またクロアチア代表だったボバンが英雄・・・と私も思っていたが、いろいろ裏があるようである。

 モンテネグロ共和国は、人口60万人というから「杉並区よりは多いが、足立区にはちょっと負ける」。しかし、出身者にはサビチェビッチ、ミヤトビッチなどそうそうたるサッカー選手が目白押し。「考えてみればすごい。チャンピオンズリーグの決勝ゴーラーが2人もいるのだ。足立区なのに・・・・」。
 セルビアには戦火の絶えぬコソボ自治州という地域がある。そこの出身のトビャルラーニという優秀な選手は、母国の独立を目指したためユーゴ代表としてのプレーを拒否し、ピザ屋で生計を立てることになった。「今はサッカーのうまいピザ屋のオヤジだけれど、ピザも焼けるプロサッカー選手にいつか戻るよ」という彼の言葉が紹介されているが、多分それは実現しなかっただろう。

 1999年10月9日のユーロ2000予選のクロアチアvsユーゴスラビア戦の描写は印象的だ。クロアチアは旧ユーゴから独立する際、多くの犠牲を出した。旧ユーゴ(セルビア)は「民族浄化」というスローガンのもとに他民族の虐殺を繰り返したとして、NATOの空爆や経済制裁を受けた。しかし、今では「民族浄化」というのがクロアチアの依頼を受けたアメリカの広告代理店が考え出したネガティブキャンペーンのスローガンであったとか、クロアチア側の世論工作の巧みさが噂されている。
 いずれにせよ、これ以上ないアウェイ戦、「ジプシー野郎どもを一人残らずぶち殺せ!!」というスタジアム中の大怒号の中を入場するストイコビッチを初めとするユーゴ代表達はまさに「悪者見参」だった。

 さて木村氏といえば、『オシムの言葉』で大ブレイクした。本書にもボスニア・ヘルツェゴビナ共和国のところでミロシェビッチなどと共にオシムの名が旧ユーゴ代表監督として挙げられている。決して、単なるベストセラー狙いの付け焼刃ではなかったのである。

★★★
 

 


 

(543)『楊家将』下巻(著:北方謙三。PHP文庫)

 宋は帝が燕雲十六州への親征にこだわり、遼のスパイ王欽の才もあって苦戦を強いられる。
 四郎は瀕死の重傷を負い、耶律休哥に捕らえられた。
 七郎の騎馬隊が遼軍を引きつけ、陳家谷まで引き込んだ。耶律休哥、耶律奚低らは「追いつめたつもりだったが、誘い込まれた。間違いはなかった」と死を覚悟した。しかし・・・・・「なにが起きたのか、一瞬にして楊業は理解した。埋伏して待つはずの、潘仁美が逃げた」。
 楊業は「五郎、七郎、おまえたちはここを逃れよ。六郎とともに、楊家軍を立て直せ」と命じたが、五郎は、
「『五郎、お前は』
『俺の馬は潰れました。動けません』
 五郎がにやりと笑った。命令しても無駄だろう、と楊業は思った」とある。
 そして、楊業は敵の将軍、耶律奚低と刺し違え壮絶な最後を遂げる。

 なお、先日の京劇パンフレットの楊家将系図では楊業は自害、五郎は出家とある。原典を読んだことはないが、多分パンフの記述が正しく、二人の壮烈な戦死は北方楊家将の演出なのだろう。
 文庫の帯には「『三国志』を超える壮大なロマン」、「『水滸伝』を超える英傑の気魄」とあるが、それはちょっと言い過ぎだろう。展開される地域の広さや登場人物などでもスケールは及ばないと思う。もっとも、この上下巻がすべてではなく、既にこの後伝も準備されているそうだ。その辺は京劇でも「四郎探母」として演じられるところらしい。
 続巻が出たらぜひ読んでみたいと思う。


★★★
 

 


(544) 『誇り』(著:木村元彦。集英社文庫)

 今までJリーグに来日した外人選手の中で私が一番好きだったのが、実はストイコビッチである。(あと、有名じゃないけど、横浜フリューゲルスのアマリージャも好きだった)
 既述の『悪者見参』はユーゴスラビア代表中心だが、本書はストイコビッチ中心。

 ストイコビッチといえば、ピクシー(妖精)というニックネームがあまりにも有名だ。確かに、やや線は細いが、スピードがあり、相手を幻惑するような華麗なプレーはピッチで踊る、いたずらっぽい妖精のようだ。しかし、子供時代からのこのあだ名は、実は「妖精」ではなく、彼が少年の頃、サッカーの試合をさぼってでも夢中で見ていたアニメの主人公ネズミのピクシーに由来するのだそうだ。
 あだ名といえば、彼が来日した時、中日ドラゴンズのお膝元なので「私の本名はドラガン・ストイコビッチと言います。どうぞドラゴンと呼んでください」とアピールしたのだが、これはさっぱり受けず、みんな、やはりピクシーと呼ぶようになったそうだ。

 ストイコビッチは運命に翻弄され続けた。「民族浄化」という汚名を着せられ、ユーゴ代表は国際試合を禁じられた。さらに所属していたマルセイユというチームはオーナーによる八百長疑惑で実質上解散の憂き目にあった。
「もうヨーロッパの生活には心底疲れていた。〜状況を変えよう、と思った。六ヶ月だけという気持ちで欧州を離れようと心に決めた」。そして妖精がしばし羽根を休める先に選んだのは、遠い極東の地の、プロリーグが発足してまだわずか2年目の名古屋グランパスというチームだった。

 ストイコビッチが最初に注目されたのは土砂降りの日の試合、普通のドリブルではボールが運べないと判断してのリフティングによる15mの独走からだった。私もこのシーンはニュースか何かで見た覚えがある。
 試合に負けるとその日は悔しくて眠れないピクシーは、試合帰りのバスの中で早くも寝息を立てているチームメートの意識のなさに落胆したが、94年、ユーゴに対する制裁が一部解除され、グランパスの監督に名将ベンゲルが来て、ストイコビッチの気持ちも、チームの意識も向上した。95年末、グランパスは2位でリーグを終え、ストイコビッチは優勝チーム以外で初めてMVPに選出された。ベンゲルも最優秀監督賞を受賞。そして、96年元旦、天皇杯決勝でサンフレッチェを3−0で破った。

 今思い返せば、ストイコビッチが7年も日本にいてくれて良かった。もっと真剣にそのプレーを観ておけばよかったな、と思う。



★★★

 


  今月は、また書評の進みがもう一つ・・・・・・。

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