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アジア映画れびゅう(9) 「青いパパイヤの香り」 
 

(ご注意)かなりネタばれです。まだ観てなくてストーリーを知りたくない人は、お気をつけください。
 
また、記憶違いなども多いでしょうが、ご容赦ください。


「青いパパイヤの香り」

(ストーリー)
 1951年、サイゴンのファンチャウトア通りを不安そうにさまよう少女がいた。彼女の名はムイ、10歳。田舎から、屋敷奉公に出てきたのだ。

 家の主人は、楽器を弾いたり、ぶらぶら散歩したりするばかり。布地屋の仕事は奥さんが切り盛りしている。二階にこもりきりの義母、やはり遊び好きの長男、まだ幼い二男と三男。
 ムイは、先輩の使用人のおばさんに料理のこつなどを教わりながら、家事をこなしていく。

 夫婦は、トーという名の娘を病気で7年前に失っていた。同い年のムイを見ていると、奥さんは娘を思い出し、ムイをいとおしく見つめた。一方、これまで何度も主人は、有り金持って蒸発しており、娘が急病で苦しんでいた時も家出をしていた。娘の死後おとなしくしていたが、ムイを見て心の傷が疼いたのか、再び蒸発してしまい、そのまま病気になって死んでしまった。

 10年後、長男は結婚していた。長男の嫁は不景気を理由にムイに暇をだし、夫の友人で新進作曲家のクェンのところに押し付けた。
 すっかり老いた奥さんは「この10年間、お前だけが慰めだった。次男のラムも出ていった。今度はお前まで。次男がお前を嫁にすることを望んでいたのに」と泣き、ムイに中国服や金の腕輪やネックレスを渡して別れを惜しんだ。

 トァンは現代的で勝気な女性と婚約していた。しかし、クェンの心はだんだんムイに惹かれていく。
 ある日、婚約者はムイに平手打ちを食らわせ、机の壷などを叩き割って出ていった。ムイの顔を描き綴ったスケッチで、最早クェンの想いは自分にないことを覚ったのだ。

 ムイとクェンは結ばれた。クェンに朗読を習うムイ。

 おなかの大きいムイが椅子に座っている。朗読も上手になっている。子どもが胎動したのか、艶然と微笑むムイ。

(ひとこと)
  子どもの頃のムイはめちゃめちゃ可愛い。アリやパパイヤの切り口からしたたる白い乳汁や池のカエル、かめの中のコオロギなどを純真でけがれのない瞳で一心に見つめる。
 「10年後」とクレジットが出て、そのままの姿勢で大人のムイに変わる。その瞬間、悪いけどギョッ!として腰がひけてしまう。ほほ骨が高くて、ディズニー映画でいくとムーラン、ポカホンタス系というか。えっ、こんなになっちゃったの?あの子が?という感じがしたのは私だけだろうか。
 まあ、しばらくするとそうした違和感も消えるのだが。

 極端にセリフが少ない。クェンの家で住み込みのお手伝いさんとして働くようになってからも、常に黙々と料理を並べる。靴を磨く。
 言葉は悪いが、何か大人になってからのムイには生身の人間離れしたものを感じる。植物的というか。それも、やわな「草花」じゃなくて、原初生命というか、太陽樹というか。クェンの家の真ん中に座り、じわじわじわじわと根を張っていき、幹からは触手のようなものが家のすみずみにまで伸びてゆく。
 普段は、わずかな水で体をぬぐうだけだが、ある日、惜しげもなく水をふんだんにつかって、かぶっていた。「清めている」のだと感じる。
 その日の夜、女中部屋に近付くクェン。一度出ていくが、また近付いてくる。戸口で悩んでいるが、意を決したように扉を開ける。かやの中のムイは、その時既に上体を起こしている。狼狽している様子はない。後手で扉を閉めるクェン。ムイは何も言わないが、全てはムイの掌の中という気がする。 

(資料)
1993年ベトナム・フランス作品
監督:トラン・アン・ユン
主演:ムイ(10歳)→リュ・マン・サン、
    ムイ(20歳)→トラン・ヌー・イュン・ケー、
    母(女主人)→トルゥオン・チー・ロック
原題:L’ODEUR DE LA PAPAYE VERTE
★★★



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