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仏画(24)平成17年度美術史ゼミナール  番外編「釈迦八相」場面別解説 「遊楽」編
                          〜太子は見た。侍女たちの寝乱れ姿〜


1 はじめに

 釈迦八相とは前回でも説明したとおり、釈尊の生涯における主要な事蹟を挙げたものであるが、この八場面とする、といった明確な基準が定められているものではない。

  ここでは、主な場面について、大まかな特徴をあげていきたい・・・・・の5回目。


2−1 遊楽

 「遊楽」は、「三時殿娯楽」、「歓楽」などと呼ばれることもある。「父王、太子を結婚させ、遊楽を勧める」(『仏画の観賞』P187)という場面である。
 幼い頃釈尊は、この子は将来王となっても宗教家となっても立派になると予言されていた。(前掲「占夢」、「占相」、「観相」)
 父王としたら、当然、跡を継いで立派な王になってもらいたい。ということで、出家なんて気を起こさないよういろいろ環境を整えた。
 「三時殿」とは、夏も冬も雨の時も、要するに常に快適な屋敷という意味である。
 お嫁さんも娶ってやった。従姉妹のヤショダラである。母方というからコーリヤ族か。釈尊が16か17の時、ヤショダラは13くらいだったようだ。王様が選びに選んだのだから、きっと容貌もとびきり秀でていただろう。
 「納妃」という結婚の場面もあるようだが、まだ絵柄の特徴は把握できていない。

 侍女もたくさん侍らせ、歌舞など遊興的生活を送らせた。絵柄としては三時殿の庭に舞台を仕立て、そこで侍女が踊っているものが多い。

釈迦八相図 三重 大福田寺本 釈迦八相図 静岡 MOA美術館本

左上
<参考画像(24)−1>
釈迦八相図 三重 大福田寺本 鎌倉時代(13世紀)
 わかりにくいと思うが、「歌舞」と記したところに四角い舞台があり、侍女が踊っている。
 なお、この屋敷(三時殿)の四方に門があり(注 門の位置を矢印で図示した)、乗馬した太子の姿が見える。前掲の「四門出遊」を描いたものであろう。

右上
<参考画像(24)−2>
釈迦八相図 静岡 MOA美術館本 鎌倉時代(13世紀)
 上図では「3」が舞台で踊る侍女の姿を描いた場面。
 1と2は「四門出遊」である。うち、1は右端に腰の曲がった人がいるので、東門の「老」であろう。
 2は左下隅に菰(こも)を掛けた人の姿がある。これが病人か、死人かは判断に迷うところ。ただ、1が東門とすれば、2は北側面ということになるが、比丘である筈がないので、ますます迷う。あえて言うなら「病」かな?

 しかし、そのような歓楽の日々の中でも釈尊の心は晴れることがなかったようだ。

絵因果経 奈良国立博物館本 <参考画像(24)−3>
絵因果経 奈良国立博物館本 奈良時代(8世紀)

 画面ではわかりにくいと思うが、絵因果経ならではの古拙な無表情で描かれているため、心底つまらなさそうな顔に見える。

 実際、遊興のはてにいぎたなく寝乱れた侍女たちの姿を見てゲンナリした一幕もあったようで、父王の深謀遠慮も逆効果だったのか。

 東林寺HPの「観相・出城」をクリックしてみていただきたい。3つ画像があるが、一番上が先ほど説明した「観相」の場面。
 そして、2番目が、上に書いた、寝室をのぞいた太子が、侍女たちの寝乱れにゲンナリ・・・という場面を描いたものと思う。で、その絵の中央の柱みたいなとこに4つ縦に絵が並んでいるが、これは四門出遊ではないだろうか。

釈迦八相図 重美 鎌倉 滋賀 常楽寺本 <参考画像(24)−4>
釈迦八相図 重美 滋賀 常楽寺本 鎌倉時代(14世紀)

 本編の「遊楽」は2である。

 なお、1は四門出遊。

 3は、後で説明する「出家踰城」である。

 異時同画法というのだろうか。仏伝図は、異なった時の、異なった場所の場面が同じ絵に描かれているので分かりにくいし、反面、探す楽しみみたいなのもある。

絵因果経断簡 奈良国立博物館本 <参考画像(24)−5>
絵因果経断簡 奈良国立博物館本

 絵因果経などでは、さらに単純化して、城内のことでも塀や壁を省略し、まるで野外での出来事のように描かれる。

 左上の絵は、父王や妻の思いは痛いほど知りながら出家の思い捨てがたく、ついに父に出家の決意を語り、許しを乞うている場面である。


 

 それでは、皆さんごきげんよう♪ 


 

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