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仏画(23)平成17年度美術史ゼミナール  番外編「釈迦八相」場面別解説 「四門出遊」編
                                     〜門を出たらばメランコリー〜


1 はじめに

 釈迦八相とは前回でも説明したとおり、釈尊の生涯における主要な事蹟を挙げたものであるが、この八場面とする、といった明確な基準が定められているものではない。

  ここでは、主な場面について、大まかな特徴をあげていきたい・・・の4回目。


2−1 四門出遊

 
「太子、城の四方の門から出て、老人・病人・死人・バラモンにあい、世の無常を感じる」という場面である。

 マガダ国とコーサラ国という二大国にはさまれた小国とはいえど、王子と生まれた釈尊は何不自由なく育った。
 ただ、虫を小さな鳥がついばみ、その鳥をまた鷲などが襲う場面を目にして、なぜ生き物は互いに命を奪い合うのか、とものおもいに沈むといったところがあったようだ。(深く考え込む場面が「樹下思惟」と呼ばれることもある)

 ある日気晴らしで従者を連れて城の東門から遊びに出た釈尊は老人を見かける。また、南門を出た時は、病人と出会う。西門を出た時には死者の弔いの行列に出会い、人である限り老・病・死は避け得ないさだめと知り、世の無常を感じる。
 そして最後に北門を出た際に褐色の衣をまとった比丘(托鉢僧)と出会い、出家を決意する。「四門出遊」は、ごく大雑把にまとめるとそんな話である。

 絵柄として、城壁の門(と書くと大層だが、お屋敷の塀のところの門程度の描かれ方をしている場合も多い。特に絵因果経など)のすぐ外で従者とともに馬車などに乗り、誰かを眺めているといったものが多い。

仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 <参考画像(23)−1>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 五代(10世紀前半)

 モノクロで取り込んでいるが、原図は素朴ながら発色はけっこう鮮やかである。
 わかりやすく「老」は曲げた腰、杖などで現す。

、絵因果経は図柄が単純なので、掛軸形式の仏伝図(釈迦八相図)よりわかりやすいことが多い。

絵因果経 国宝 京都 上品蓮台寺本 <参考画像(23)−2>
絵因果経 国宝 京都 上品蓮台寺本 奈良時代(8世紀)

 門の位置関係は東西南北できっちり分けられている場合と、そうでない場合もあると思う。

 上掲の図と同じものは、ここ(京都国博HP)の二つ目の画像。  

仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 <参考画像(23)−3>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 五代(10世紀前半)

 なお、(23)−1と本図、また、後のギメ本は老病死生(比丘)が上から順に縦に並んだ「のぼり」のような形のものである。

 ここで一度、掛軸形式の仏伝図に戻ってみたい。 

釈迦八相図 鹿児島 個人蔵 <参考画像(23)−4>
釈迦八相図 鹿児島 個人蔵 明時代(16世紀)

 かなりわかりにくいのだが、馬車と腰の曲がった人(老婆?)が描かれているので、おそらく四門出遊の「老」と思われる。

 「幡」の続き。

仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 <参考画像(23)−5>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 五代(10世紀前半)

 これもわかりにくいが、赤い布の下に死者がいるらしい。
 死者の前で嘆き悲しむ二人の人物と馬上の太子。


<参考画像(23)−6>
絵因果経断簡 愛知 聖徳寺本 平安時代(12世紀)

絵因果経断簡 愛知 聖徳寺本  

 上の絵因果経は白描(彩色していない)である。抽出した画面の右端は門(おそらく西門)。従者を引き連れ、馬に乗っているのが太子であろう。
 そして、左端、黄線の箱で囲んだ部分、わかりにくいだろうが、平べったい輿(こし)のようなものを4人でかついでおり、輿の上にはふくらんだ布のような物が見える。おそらく、その布の下が死体と思われる。
 本作は絵因果経であるから、省略しているがこの絵の下には経文が書かれている。私には、その経文の意味を読解することはできないが、「太子〜逢見死人〜城西門外〜」といった字句が散見される。

仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 <参考画像(23)−5>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 ギメ国立東洋美術館本 五代(10世紀前半)

 ギメ本の最下段の部分。
 ある資料では、奈良国立博物館本の絵因果経には「太子が城の北門を出て浄居天の化身である錫杖を執る比丘と出会い、出家の志を固めるところ〜ところなどが描かれている」とある。(図録『奈良国立博物館 特別展 仏教説話の美術』P38) 
 このギメ本にも、まさに「錫杖を執る比丘」が描かれている。

 さて、老・病・死なんて、ごくありふれたもので、そんなものを見た後で、比丘(僧侶)に遇っただけで出家を決意するなんて、あまりに形式的で浅薄な描き方ではないか、という意見もある。

 そうした批判に対抗するためか、父王は城内に若く健康な者ばかりを集めたので、太子は四門出遊の時まで老人も病人も死人も見たことがなかったので、大きなショックを受けたのだと解説する資料もあった。
 次の「遊楽」編でも解説するが、太子は王となれば世界を支配する大王となり、出家すれば世界を救う仏陀となるだろうと予言されていた。(占夢・観相)
 それで、父王が、太子が世を憂いて出家したいなんて気を起さないよう、周りには楽しいもの、美しいもの、元気なものばかりを揃えたというのである。

 ただ、初めて見るものでなくても、「老・病・死」の無常を感じることはあると思う。何せ原典にあたってないので、何とも言えないのだが。
 


 

 それでは、皆さんごきげんよう♪ 


 

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