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仏画(25)平成17年度美術史ゼミナール  番外編「釈迦八相」場面別解説 「出家踰城」編
                          〜城壁と家族のしがらみ、乗り越えて〜


1 はじめに

 釈迦八相とは前回でも説明したとおり、釈尊の生涯における主要な事蹟を挙げたものであるが、この八場面とする、といった明確な基準が定められているものではない。

  ここでは、主な場面について、大まかな特徴をあげていきたい・・・・・の6回目。


 

2−1 出家踰城(しゅっけゆじょう。)

 出家踰城(しゅっけゆじょう)は単に「出家」とか「出城」と呼ばれることもある。「太子、愛馬カンタカに乗って城を出て出家する」(『仏画の観賞』P187)の場面である。

 釈尊の心は怏々として楽しまず、さりながらすることはちゃんとしていたようで、ヤショダラ妃の間に子供も生まれる。しかし、我が子の存在は俗世へのしがらみ、出家の妨げととらえていたようで、長男に名づけたラーフラ(羅睺羅)という名は障碍という意味らしい。ひどい名前だ。母親や子供にしたらたまらんだろう。
 結局、出家への希求はやみ難く、子どもが生まれてすぐ、29歳(諸説あり)の時に白馬カンタカにまたがって城を出た。絵柄としては釈尊が白馬にまたがって城壁の外で走っているものが多い。スピード感を強調するためか、神秘性を増すためか、砂煙か飛雲のようなものが描かれているものがほとんど。

釈迦八相図 山梨 久遠寺本 釈迦八相図 静岡 MOA美術館本 釈迦八相図 鹿児島 個人蔵

左上
<参考画像(25)−1>
釈迦八相図 山梨 久遠寺本 鎌倉時代(13世紀) 

中上
<参考画像(25)−2>
釈迦八相図 静岡 MOA美術館本 鎌倉時代(13世紀)

右上
<参考画像(25)−3>
釈迦八相図 鹿児島 個人蔵 明時代(16世紀)

仏伝図幡 敦煌莫高窟 大英博物館本 <参考画像(25)−4>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 大英博物館本 唐代(9世紀)

  とりわけ父王は出家に反対していたのだから、出発がばれると引きとめられる惧れがある。
 そこで、太子はこっそりお付きの御者車匿(しゃのく。チャンダカ)に愛馬のカンタカを引き出してくるように命じ、息をひそめて城を出る。
 出発する際に蹄(ひづめ)の音が響くとまずい、ということで鎧をまとった四天王が、カンタカの足を支えている・・・というのが本作の場面である。

 下の城門のところできょろきょろしている槍を持った兵士たちは、城を出た太子を追いかけているのである。つまり、下でも揚げている「追尋」というシーン。
 それはいいのだが、馬に乗った太子の右横で、「お〜い」と呼びかけるように右手を口のところに持ってきている兵士の存在がよくわからない。
 何せ、横になって空中に浮かんでいるものだから。

 

 さて、逃げれば追いかけるのが常道で、絵因果経や八相図の「追尋」と呼ばれる場面では、兵士や大臣たちが釈尊を追いかけようとするさまや、釈尊の決意が固いのであきらめて別れを告げる場面などが描かれる。

仏伝図幡 敦煌莫高窟 大英博物館本 <参考画像(25)−5>
仏伝図幡 敦煌莫高窟 大英博物館本 唐代(9世紀)

 これも分類すれば「追尋」の一場面。太子の失踪を知った浄飯王は、5人の貴族の若者を選び、太子を追わせた。
 左図は、捜索途中で雷雨に遭い、逃げまどっている青年たちを描いている。

 太子を追いかけるということは出家させずに俗世に連れ戻そうとすることなので、雷神が青年たちを妨害しているのだろうか。

 東林寺HPの観相・出城の上から3つ目の画像が出家踰城。これは、愛馬と御者のみのシンプルな構成。


 

 それでは、皆さんごきげんよう♪ 


 

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