移動メニューにジャンプ
仏画(21)平成17年度美術史ゼミナール 番外編「釈迦八相」場面別解説 「出胎」編
〜右の脇から、こんにちは〜
1 はじめに 釈迦八相とは前回でも説明したとおり、釈尊の生涯における主要な事蹟を挙げたものであるが、この八場面とする、といった明確な基準が定められているものではない。
ここでは、主な場面について、大まかな特徴をあげていきたい・・・・・の続き。
2−1 出胎
出胎は、単に誕生とか降誕と呼ばれることもある。
「摩耶夫人、ルンビニ園で右腋より悉多太子(しっだたいし)を生む」(『仏画』P187)という場面である。
出産のため里帰りの途中でルンビニー園というところに立ち寄った摩耶夫人が、無憂樹(諸説あり)に手を伸ばしたところ、右脇より釈尊が生まれたというシーン。
|
木の下で「万歳」みたいな格好をしている(又は右手のみを上げる)女性の右袖から子供が顔をのぞかせているという絵柄が多い。
<参考画像(21)−1>
釈迦堂縁起 重文 京都 清涼寺本 室町時代 |
しかし、摩耶夫人はびっくりしたでしょうね、いきなり、そんなところから出てきたら。
|
拡大図になっていて、わかりやすいのが左図。
<参考画像(21)−2>
釈迦八相成道図 三重 大福田寺本 鎌倉時代(13世紀)
左図で、右脇からお出ましになっているのが、幼き太子である。 |
釈尊誕生の時のおはなしは有名なので、私も落語なんかで少しは聞きかじっていた。
いわく、生れ落ちるなり自分で歩いて「天上天下唯我独尊」とのたまわったとか。
その辺の各イベントにはいずれも名前が付いている。生まれた直後に歩いた点だが、七つの蓮華の上を歩いたとか、七歩歩いた跡に蓮の花が咲いたとかいわれ「七歩蓮華」と呼ばれている。
右手を天に向かって差し上げ(左手は地面をさし)「天上〜」と宣言した点は「獅子吼」と呼ばれるようだ。(最初のうちは、画面のどこかで獅子が吼えているのかと思って探していたのだが、どうもそうじゃないらしい)
また、釈尊の誕生を祝して難陀・優婆難陀(うばなんだ)の二竜王が産湯を注いだのだが、これを「二龍灌水」と呼ぶ。
私自身は経験したことはないのだが、4月8日にお釈迦さまの誕生を祝う「花まつり」で、誕生仏(右手を上げた童子形の金銅像)の頭に甘茶をかけるが、これは「二龍灌水」がルーツなのであろうか。
|
<参考画像(21)−3>
釈迦八相図 広島 持光寺本
鎌倉時代(14世紀)
1 出胎
画面上では確認しにくいだろうが、夫人が右腕を上げている。
2 二龍灌水
これも分かりにくいだろうが、中央で頭を寄せ、尾を左右に広げる二匹の龍が見える。
3 獅子吼&七歩蓮華
右腕を上げている子どもが誕生直後の太子。
太子の下側に丸いものが七つ見えるが、それが七歩蓮華。
4 四門出遊
これは、また後ほど説明する。腰が曲がっているから「老」の場面。
|
この辺の各場面が非常にわかりやすく描かれているのがMOA美術館本の第二幅だと思う。
|
<参考画像(21)−4>
釈迦八相図 静岡 MOA美術館本 鎌倉時代(13世紀)
1 出胎
2 獅子吼(1と2の間の丸い飛石みたいなのが「七歩蓮華」)
3 二龍灌水
なお、左図は奈良国立博物館特別展『ブッダ釈尊』図録掲載の写真である。
出胎や獅子吼のところの説明を読んでいただけたら、親子とも左手を上げているのはおかしい、つまり、写真裏焼きのミスをしているということがおわかりと思う。 |
釈迦八相図(東林寺HP) 降誕 左をクリックすると、二つの画像が見られる。上の横長の絵は前ページの入胎のシーン。下の画像は、ずばり出胎の場面。
釈迦八相図(海圓寺HP) 出胎(降誕)
|
<参考画像(21)−5>
釈迦八相図 滋賀 常楽寺本 鎌倉時代(14世紀)
1 出胎
2 獅子吼
3、4 二龍灌水 |
釈迦誕生図 本岳寺本
八相涅槃図 重文 鎌倉 福井 劒神社本
なお、出産前に、白象が胎内に入った霊夢の吉凶を占ってもらった「占夢」とか、出産後、聖者たちに太子の将来を占ってもらった「占相」(観相)という場面もあるのだが、まだ明確な特徴も把握できていないので省略する。
なお、摩耶夫人は釈尊を出産後7日ほどで急逝し、あとは摩耶夫人の妹(マハーパジャパティー)が継母となった。
釈迦八相図(東林寺HP) 観相 左をクリックすると三つ画像が出るが、一番上が観相。
それでは、皆さんごきげんよう♪
|