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仏画(18)平成17年度美術史ゼミナール 展示解説資料試案
1 はじめに 私の展示計画案で添付を考えている解説資料の試案。「画像1−1」などと書かれている部分には、写真を入れる。
なお、この写真については、受講生が展示計画を考える時の資料として美術館の方のご厚意で撮らせていただいた写真であり、著作権の関係もあるので、このHPでは載せません。悪しからずご了承ください。
2 解説資料(レイアウト案)
<1P> 表紙 ⇒ タイトル 受講生名簿 目次
序章 はじめに
仏教絵画は、どういう分野の宗教関係を扱っているかによって、いくつかに分類できます。
今回の展示会では、仏教絵画の全体像を把握していただくため、その各分野について私たち受講生が分担して解説していきます。
本資料での解説については、理解しやすくするため、諸説が分かれている場合でも中心的なものに絞り、できるだけわかりやすく短い表現で表していますので、不十分な点もありますがご了承ください。
具体的に、仏教絵画はどのように分類されるのですか? |
いくつか説はありますが、今回の展示会では、下記のように分類しています。
ジャンル名
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解説と主な作品例
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1.密教絵画(みっきょうかいが)
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密教とは秘密仏教の略。日本では、空海(弘法大師)が真言密教を中国からもたらしてから本格化しました。
両界曼荼羅(りょうがいまんだら)などの曼荼羅、五大明王・十二天などの密教独自の尊像、別尊曼荼羅(べっそんまんだら)、変化観音(へんげかんのん)関係の絵画など
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2.釈迦(しゃか)信仰など顕教絵画
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密教以外の仏教を「顕教(けんきょう)」といいます。
涅槃図(ねはんず)などの釈迦関係、華厳経(けごんきょう)・法華経(ほっけきょう)関係、法相(ほっそう)・倶舎(くしゃ)など南都六宗(なんとりくしゅう)関係の絵画、羅漢像など
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3.浄土教絵画
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浄土教とは阿弥陀仏(あみだぶつ)を信じ極楽浄土(ごくらくじょうど)に往生(おうじょう)し悟りを得ようとする教え。
当麻(たいま)曼荼羅などの浄土図、阿弥陀来迎図(あみだらいごうず)などの来迎図、浄土に対する地獄関係の絵画など
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4.垂迹(すいじゃく)絵画
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伝来した仏教と日本固有の神々とを融合させた「神仏習合」に基づく絵画。
春日・熊野など各地の神社の社頭図、垂迹曼荼羅など
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5.その他
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社寺の由来などを説く縁起絵(えんぎえ)など
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第1章
密教絵画
複数の仏や菩薩などを並べ、仏の世界観を表現したものです。
なお、仏とは仏教では本来、悟りを得た如来(にょらい)のみを指し、菩薩(ぼさつ)とは悟りを求め修行中の身を指します。
分類の方法は、中心となる尊像(主尊)による分類と、表現様式による分類とに大きく二つに分けることができます。
1.主尊による分類
両界曼荼羅
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大日如来(だいにちにょらい)が主尊。金剛界(こんごうかい)曼荼羅と胎蔵界(たいぞうかい)曼荼羅の二つから成ります。
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別尊曼荼羅
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大日如来以外を主尊とする曼荼羅
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2.表現様式による分類
大曼荼羅(現図曼荼羅)
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種々の仏や菩薩(ぼさつ)の姿を極彩色で描いたもの
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三昧耶(さんまや)曼荼羅
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仏や菩薩の姿を直接描かず、持物(じぶつ)などで象徴的にあらわしたもの
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法曼荼羅=種子(しゅじ)曼荼羅
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仏や菩薩の姿を直接描かず、種子(サンスクリット語による名前の頭文字)で象徴的にあらわしたもの
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羯磨(かつま)曼荼羅
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仏や菩薩の姿を、鋳像や彫刻で立体的にあらわしたもの
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<参考画像>
【出展番号1】
両界種子繍髪曼荼羅図(りょうがいしゅじしゅうはつまんだらず)(画像1−1)
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鎌倉
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田万コレクション
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この作品は1幅だけなのに「両界」曼荼羅と言えるのですか?
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本作品の上部は、両界曼荼羅のうち、金剛界曼荼羅の中心部である成身会(じょうしんえ)のみを種子曼荼羅の手法で描いたものです。
また、本作品の真ん中の部分は、胎蔵界曼荼羅の中心部である中台八葉院(ちゅうだいはちよういん)のみを種子曼荼羅の手法で描いています。
完全な形のものではありませんが、両界曼荼羅のエッセンスを取り出した作例です。なお、下方には菩薩三体と、宝蔵天が直接描かれています。
種子(梵字=ぼんじ)の部分は墨書等ではなく、頭「髪」を刺「繍」してあらわされているからです。
<参考資料>
一字金輪曼荼羅図(画像1−2)
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鎌倉〜南北朝
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田万
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金輪仏頂(きんりんぶっちょう)(画像1−3)
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鎌倉
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西明寺伝来
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【出展番号2】
金剛薩埵とは、金剛界曼荼羅のうち理趣会(りしゅえ)という部分、また、胎蔵曼荼羅のうち金剛手院(こんごうしゅいん)という部分の主尊です。大日如来の教えを衆生(しゅじょう。人間を含むすべての生き物)に伝える重要な立場といえます。
なお、薩埵とは衆生のことで、「菩薩」とは菩提薩埵(ぼだいさった)の略です。
<参考画像>
画像1−5
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画像1−6
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画像1−7
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画像1−8
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画像1−9
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【出展番号3】
不動明王ニ童子像(画像1−5)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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密教ではすべての仏・菩薩は大日如来から生まれ、インド古来の神々も大日如来から生まれたものと考えます。もともとヒンドゥー教の神であった「明王」は、大日如来の教令輪身(きょうれいりんじん。導くことが難しい人々に対し怒りの形相を示した姿)と考えられており、忿怒(ふんぬ)の相をあらわし、火焔を背負い、武器や蛇、髑髏(どくろ)などを持っているのが特徴です。
また、不動明王は、明王の中心となる五大明王の中でも、さらに中心的な役割を果しています。
★ クイズ1 ★
画像1−5、1−6、1−7はいずれも不動明王像ですが、どのような違いがあるでしょうか?(解答は巻末です) |
不動明王は二人の童子を従えていることが多く、通常向かって左にいる赤い体の子供を制咤迦(せいたか)童子、右の白い体の子供を矜羯羅(こんがら)童子といいます。
不動明王の向かって右側に立っている「剣」は何ですか? |
この剣をよく見ると、岩の上に立ち、龍が巻きついています。これは倶利伽羅龍王(くりからりゅうおう)とか倶利伽羅剣と呼ばれるもので、不動明王の変化した姿と考えられており、剣単独で描かれることもあります。
<参考資料>
不動明王ニ童子像(画像1−6)
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室町
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田万(高野山伝来)
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不動明王像(版画)妙沢筆 重要美術品(画像1−7)
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至徳2年(1185)
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田万
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不動明王の絵では、顔をしかめたような表情をしているものが多いのはなぜですか?
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10世紀頃、不動明王の姿が十九条にわたって規定されました(「十九観」=じゅうくかん)。そこに、右手に剣を持つとか、ニ童子を従えるなどのほか、表情についても左目を細める(天地眼)とか、歯で唇を噛むなどと定められているからです。
【出展番号4】
十二天像(毘沙門天像)12幅(画像1−8)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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「天」とはインドの古来の神々で仏教に帰依(きえ)したものをいい、東西南北の四方に東北・東南・西南・西北を加えた「八方」、並びに天地日月を守護するのが十二天です。
対応は次のとおりです。
東:帝釈天(たいしゃくてん)、西:水天、南:閻魔(えんま)天、北:毘沙門(びしゃもん)天又は多聞(たもん)天、東北:伊舎那(いしゃな)天、東南:火天、西南:羅刹(らせつ)天、西北:風天、天:梵天(ぼんてん)、地天、日天、月天。
★ クイズ2 ★
よく「四天王」という言葉を聞きますが、全ての名前がわかりますか? |
多聞天は、四天王の中でも中心的な存在ですが、単独で信仰される場合は毘沙門天と呼ばれます。
★ クイズ3 ★
画像1−8と1−9はいずれも毘沙門天像ですが、どのような持物を持っているでしょう?(毘沙門天を見分けるにはどうすればよいでしょう?) |
<参考資料>
<参考画像>
画像1−10
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画像1−11
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画像1−12
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画像1−13
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真言密教を伝え護持した8人の祖師のことで、龍猛(りゅうみょう)、龍智(りゅうち)、金剛智(こんごうち)、不空(ふくう)、善無畏(ぜんむい)、一行(いちぎょう)、恵果(けいか)、空海(くうかい)の8人です。
両界曼荼羅のうち金剛界曼荼羅の典拠となるのが7世紀頃にインドで成立した『金剛頂経』ですが、これを8世紀に漢訳したのが金剛智と不空です。また、胎蔵曼荼羅の典拠は7世紀までにインドで成立した『大日経』ですが、これを724年に漢訳したのが善無畏と一行です。
この両曼荼羅を対比・総合し「両部曼荼羅」として体系化したのが唐代の恵果で、恵果から両法を伝授され、日本に伝えたのが空海です。
【出展番号5】
真言八祖像(恵果)8幅(画像1−10)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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<参考資料>
真言八祖像(龍猛)8幅(画像1−11)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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真言八祖像(空海)8幅(画像1−12)
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室町
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同上
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弘法大師像 (画像1−13)
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室町
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田万
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★ クイズ4 ★
画像1−12と1−13はいずれも弘法大師の像です。弘法大師に特有なポーズとはどんなものでしょう?(弘法大師の見分け方は?) |
<参考画像>
画像1−14
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画像1−15
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画像1−16
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画像1−17
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【出展番号6】
大威徳(だいいとく)明王像(画像1−14)
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室町
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西明寺伝来
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水牛に乗り、足が六本あるのが特徴です。通常は水牛の上に座っていますが、本作のように立っている場合は「走り大威徳明王」といいます。
明王のうち中心となる不動明王、降三世(ごうさんぜ)明王、軍荼利(ぐんだり)明王、大威徳明王、金剛夜叉(こんごうやしゃ)明王の五体をいいます。
降三世明王は、ヒンドゥー教の最高神シヴァ(大自在天)とその妻烏摩(うま)を踏みつけ、胸の前で小指をからめ胸の前で交差させる独特の印を結ぶこと、軍荼利明王は手足に多くの蛇を巻きつけていること、金剛夜叉明王は中央の顔に五つの目があることなどが特徴です。
このほか、愛染(あいぜん)明王、孔雀(くじゃく)明王、烏枢沙摩(うすさま)明王などがよく知られています。
本来は形のない仏を、形ある像にするために書き写したもので、尊像を作る際の手本にされます。本館所蔵の覚禅抄(かくぜんしょう)などのように彩色しない白描(はくびょう)図像が中心です。
<参考資料>
愛染明王像(画像1−15)
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室町
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田万
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覚禅抄(不動明王)紙本白描・15巻(画像1−16)
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鎌倉
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購入
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同(愛染明王)(画像1−17)
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同
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同
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★ クイズ5 ★
画像1−17のように「図像」では仏像の絵のところにしみのようなものがついていることが多いのですが、それはなぜでしょうか? |
第2章
釈迦信仰ほか顕教絵画
【出展番号7】
釈迦十六善神像(画像2−1、2、3)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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釈迦十六善神像(しゃかじゅうろくぜんしんぞう)とは、どんな時に用いられるのですか? |
玄奘(げんじょう)が訳した『大般若経』を転読する大般若会(だいはんにゃえ)の際に、本尊として懸けられます。
中心には釈迦如来(しゃかにょらい。般若菩薩の場合もあります)の両脇に8人ずつ計十六体の善神、そして普賢(ふげん)菩薩、文殊(もんじゅ)菩薩、玄奘三蔵や深沙大将(じんじゃたいしょう)などが描かれます。
画像2−2、2−3、2−4などでは菩薩などが様々な動物に乗っていますが、乗り物は決まっているのですか? |
文殊(もんじゅ)菩薩は獅子(しし)、普賢(ふげん)菩薩は白い象に乗ることが一般的です。
<参考資料>
騎獅文殊菩薩像(画像2−4)
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室町
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田万(東楽寺伝来)
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<参考画像>
画像2−5
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画像2−6(上)、7(下)
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画像2−8(上)、9(下)
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画像2−10(上)、11(下)
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【出展番号8】
インドの釈迦族の聖者、仏陀釈尊(ぶっだしゃくそん。ゴーダマシッダルーダ)の生涯における誕生や出家、悟り、死など諸事件を表した絵画のことです。
日本で特に多いのが釈迦の死の場面を描いたもので、「涅槃図」(ねはんず)と呼ばれます。
★ クイズ6 ★
仏伝図には、釈迦が母である摩耶夫人(まやぶにん)の右脇下から生まれる場面(画像2−9)、生家を出て修行に出る場面(出家踰城=しゅっけゆじょう。画像2−8)、悪魔の誘惑に勝って、降魔の印(ごうまのいん。右手の人差し指を伸ばし地面に触れる)を示している場面(画像2−6)、悟りを得て(成道=じょうどう)、初めて説法をする場面(初転法輪=はつてんぽうりん。場面2−10)、死の場面(涅槃。画像2−7)などが描かれています。
そのほか、釈迦の死に際し不思議な現象が起きた場面(画像2−11)なども描かれています。それぞれどこに描かれているか、探してみましょう。 |
<参考画像>
画像2−12
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画像2−13
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画像2−14
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画像2−15
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【出展番号9】
十六羅漢図2幅(画像2−12、13)
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室町
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西明寺伝来
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羅漢(らかん)とは、釈迦の仏弟子の中でも最高位に属する存在です。
「十六羅漢」、「十八羅漢」、「五百羅漢」とは何ですか? |
玄奘三蔵が訳した『法住記』には十六人の羅漢の尊名などが記されており、文久3年(1863)に徹定(てつじょう)という僧がつくった『羅漢図讃集』には16人の羅漢の図などが集められています。
名前は、第一に賓度盧跋羅惰闍尊者(ビンドラバラダジャそんじゃ)、第二が迦諾迦伐蹉(カナカバッサ)尊者、第三が迦諾迦跋釐惰闍(カナカバリダジャ)尊者、第四は蘇頻陀(スビンダ)尊者、第五は諾距羅(ナコラ)尊者、第六は跋陀羅(バダラ)尊者、第七は迦哩迦(カリカ)尊者、第八は伐闍羅弗多羅(バジャラプタラ)尊者、第九は戎博迦(ジュバカ)尊者、第十は半託迦(ハンタカ)尊者、第十一は囉怙羅(ラゴラ)尊者、十二は那伽犀那(ナガセナ)尊者、十三は因掲陀(インガダ)尊者、第十四は伐那婆斯(バナバシ)尊者、第十五が阿氏多(アジタ)尊者、第十六が注荼半
伽(チュダハンタカ)尊者です。
以上の十六羅漢に、『法住記』をあらわして十六羅漢思想をつくった慶友を慶友尊者とし、第一の賓度盧跋羅惰闍尊者からさらに賓頭盧(ビンズル)尊者を独立させて加えたのを十八羅漢といい、中国ではむしろ十八羅漢の方が盛んでした。
十六羅漢はもっぱら絵画のみであらわされますが、それをさらに発展させた五百羅漢については、石仏などの彫刻でつくられることが多く、五百羅漢を丹念に見ていけば必ず自分にそっくりの像があるといわれています。
『羅漢図讃集』は、徹定が金沢文庫で見た唐末の禅僧、禅月大師(ぜんげつだいし)筆の十六羅漢図をうつしたものとされています。
十六羅漢については、宋代の李龍眠(りりゅうみん)が別の様式をつくりだしました。
日本での羅漢像は、この禅月様と李龍眠様に大別されるのが一般的です。
現存する羅漢像は、李龍眠様が大半を占めますが、最近その多くが南宋時代の寧波(ニンポー)の画家金大受が描いた絵画の系譜に連なるものであることが明らかになりました。
<参考資料>
十六羅漢像 16幅(画像2−14)
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鎌倉〜南北朝
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阿部コレクション
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十六羅漢図 1帖(画像2−15)
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南北朝
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田万
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第3章 浄土教絵画
<参考画像>
画像3−1
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画像3−2
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【出展番号10】
地蔵菩薩ニ童子像(画像3−1)
室町
田万(東楽寺伝来)
<参考資料>
勢至(せいし)菩薩像(画像3−2)
室町
田万
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「地蔵菩薩」は、浄土教絵画でどのような意味を持っているのですか? |
地蔵菩薩は、死後に地獄で苦しむ衆生の救済者として、浄土信仰の高まりとともに篤い信仰を集めました。
向かって右側の白い体の童子が掌善(しょうぜん)童子、左側の赤い体の童子が掌悪童子で、不動明王の侍者のニ童子と同体と考えられています。地蔵信仰(浄土教)と不動信仰(真言密教)との融合がうかがえます。
仏教でいう浄土(じょうど。仏・菩薩の住む欲望や苦悩のない清らかな世界)には、薬師如来(やくしにょらい)の東方瑠璃光世界(とうほうるりこうせかい)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)の兜率天(とそつてん)、観音(かんのん)菩薩の補陀落山(ふだらくせん)など多数ありますが、浄土教では阿弥陀(あみだ)如来の西方極楽浄土(さいほうごくらくじょうど)をいいます。
阿弥陀如来の脇侍(わきじ)は、この勢至菩薩と観音菩薩です。両者の見分け方は、阿弥陀如来の右、向かって左側に位置するのが勢至菩薩です。また、勢至菩薩は合掌し、観音菩薩は蓮台を捧げ持つことが一般的です。
第4章 垂迹絵画
<参考画像>
画像4−1
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画像4−2
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画像4−3
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画像4−4
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画像4−5
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【出展番号11】
日本に仏教が伝来した後、仏や菩薩が、従来から信奉されていた日本固有の神々と折衷(せっちゅう)・融合したことを神仏習合(しんぶつしゅうごう)といいます。
その後、仏や菩薩(本来の姿という意味で本地仏=「ほんぢぶつ」と呼びます)は、衆生救済のために仮の姿をとって神(垂迹神=「すいじゃくしん」と呼びます)として現れるという思想(本地垂迹説)が生まれました。
各神社に祀(まつ)られる垂迹神や本地仏を社殿などとともに配した絵画を垂迹曼荼羅(すいじゃくまんだら)といいます。
扱う神社によって分類する方法と、図柄の構成で分類する方法があります。
1.扱う神社による分類
春日大社(かすがたいしゃ)関係
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垂迹曼荼羅の中で最も早く成立したものと考えられ、種類や図柄も極めて多様です。
春日社と隣接する興福寺(こうふくじ)の堂塔や安置仏をともに描く「社寺(しゃじ)曼荼羅」や、春日神が乗ったとされる白鹿を神鏡や榊(さかき)とともに描く「鹿曼荼羅」が特徴的です。
春日赤童子像なども描かれます。
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熊野三山(くまのさんざん)関係
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熊野曼荼羅は、南紀熊野の本宮(ほんぐう)、新宮(しんぐう)、那智(なち)の熊野三山に祀られる三所権現(ごんげん)・五所王子・四所明神(熊野十二所権現と総称します)をはじめとする本地仏や垂迹神、社殿や参詣風景などを描きます。
また那智瀧図なども描かれます。
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日吉山王(ひえさんのう)関係
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比叡山(ひえいざん)の東麓に祀られる山王上七社、中七社、下七社の神仏などを描きます。社殿の近辺に神猿や北斗七星を描くことがあります。
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八幡宮(はちまんぐう)関係
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大分県の宇佐八幡から京都男山の石清水(いわしみず)八幡宮に勧請(かんじょう)された八幡三神などを描きます。
本地仏としては、多く阿弥陀三尊が描かれます。
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祇園社(ぎおんしゃ)関係
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京都祇園社の祭神である牛頭天王(ごずてんのう)は、もとインドの祇園精舎(ぎおんしょうじゃ)の守護神と伝えられています。本地仏は、薬師如来だと考えられています。
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新羅明神(しんらみょうじん)
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三井寺(みいでら。又は園城寺=えんじょうじ)の守護神とされ、智証大師円珍(ちしょうだいしえんちん)が唐から帰国する際に感得したと伝えられます。
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修験道(しゅげんどう)関係
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熊野曼荼羅にも登場する役行者(えんのぎょうじゃ)は、前鬼・後鬼(ぜんきごき)や八大童子とともに描かれることがあります。また、吉野曼荼羅や蔵王権現(ざおうごんげん)、三宝荒神(さんぽうこうじん)なども描かれます。
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その他
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その他、天神関係や伊勢の朝熊山曼荼羅、住吉明神像など。
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2.構成による分類
宮曼荼羅
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社頭風景や社殿を中心に描いたもの
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本地仏曼荼羅
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本地仏を中心に描いたもの
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垂迹曼荼羅
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垂迹神を中心に描いたもの
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本迹(ほんじゃく)曼荼羅
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本地仏、垂迹神双方を描いたもの
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館蔵品の春日社寺曼荼羅図は、どのような点が注目されているのですか? |
奈良興福寺は、近年の発掘調査で中金堂の東西回廊に楽門(がくもん)が存在したことが明らかになりました。
本図は上方が東として統一されていますが、国内に多数存在する春日社寺曼荼羅図の中で唯一、図中の興福寺東西回廊中央部にも発掘結果と同じ門が描かれている点が注目されています。
<参考資料>
春日鹿曼荼羅図(画像4−2)
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応永13年(1406)
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寄贈
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役行者八大童子像(画像4−4)
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室町
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田万
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住吉明神像 紙本着色(画像4−5)
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江戸
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田万
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【出展番号12】
荼吉尼天(だきにてん)曼荼羅図(画像4−3)
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室町
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田万(比叡山伝来)
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荼吉尼天は、もともと人の心の垢(あか)を食い尽くす鬼神形として、人血骨肉などを食らう像容で描かれました。
後世には、本作のように狐の背にまたがる三面の像が多く作られました。
荼吉尼天は、垂迹画ではなく、密教絵画の天部に分類すべきではないですか? |
そのような分類も可能です。
しかし、稲荷明神(いなりみょうじん)として、荼吉尼天に擬せられる、狐にまたがる三面多臂(さんめんたひ。「臂」は「腕」を指す)の像を中心に描いた稲荷曼荼羅がつくられる例があるので、今回は垂迹画に分類しました。
第5章 その他の絵画
<参考画像>
画像5−1
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画像5−2
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画像5−3(上)、4(下)
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【出展番号13】
法華経絵(ほけきょうえ)8巻(画像5−1)
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平安後期
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田万
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経典の表紙の裏、いわゆる見返しと呼ばれる部分に、金銀泥(きんぎんでい)によって、経典の内容に関連する仏画を描いたものです。
★ クイズ7 ★
この作品は、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)という場所で説法している場面を描いたものです。鷲の頭の形をした霊鷲山はどこにあるでしょうか? |
<参考資料>
大金色孔雀王兕経(だいこんじきくじゃくおうじきょう) 経秩(きょうちつ)共1巻(画像5−2)
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平安後期
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田万
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【出展番号14】
犬寺縁起絵(いぬでらえんぎえ)2巻(画像5−3)
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江戸
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田万
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犬寺縁起絵とは、どこの寺のどのような由来を描いたものですか? |
犬寺とは、播州の金楽山法楽寺(ほうらくじ)のことで、大化年間、二匹の愛犬に命を救われた長者が、犬の死後、菩提を弔うために伽藍(がらん)を建立(こんりゅう)したと伝えられています。
<参考資料>
東大寺執金剛神(しつこんごうしん)縁起絵 2巻
(画像5−4)
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江戸
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田万
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【クイズ解答編】
☆ 解答1 ☆
1−7は明王単独ですが、1−5と1−6はニ童子が付随しています。
また、1−5では二童子が向かって左側に揃い、右側には「剣」が立っています。
☆ 解答2 ☆
「四天王」とは仏を守護する四体の天王をいい、東方を守護するのが持国天(じこくてん)、西方が広目天(こうもくてん)、南方が増長天(ぞうちょうてん)、北方が多聞天(たもんてん)です。
ここから転じて、各界の有力な存在の四人を四天王と呼ぶこともあります。
☆ 解答3 ☆
毘沙門天(多聞天)は一般に左手に宝塔を乗せています。
また、筆や巻物を持っているのは広目天です。
☆ 解答4 ☆
頭はやや右側に傾け、曲げた右手に五鈷杵(ごこしょ)と呼ばれた仏具を持ち、右手の甲を左胸に付け、左手には数珠(じゅず)を持った座像が一般的です。
なお、恵果の場合は、一般に童子が付き添っています。また、龍猛は右手に三鈷杵を、左手に衣の端を持ち、善無畏は人差し指を立て、一行は袋手をしているのが特徴です。
☆ 解答5 ☆
「図像」は、見ながら真似て描く場合の手本とするものですが、写生が不得意な場合や、より正確に模写する場合には、油を塗ってトレーシングペーパーのように透過性を増した紙を図像の上に乗せてなぞることが一般的でした。このしみは、その油分がうつったものです。
☆ 解答6(巻末記載)☆
およその位置は、画像2−6:画面左下、画像2−7:画面中央やや下、画像2−8:画面左下、画像2−9:画面右上、画像2−10:画面右中ほど、画像2−11:画面中央下です。
☆ 解答7(巻末記載)☆
上方中央の山が霊鷲山です。
それでは、皆さんごきげんよう♪
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