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(No152) 京都国立博物館 特別展「高僧と袈裟」鑑賞記 その1


 平成22年10月に行った時の鑑賞メモ。

 京博HPにおける概要説明は、以下のとおり。

 日本には、数百年、時には千年以上もの間、大切に守り伝えられてきた衣服があります。それがこの展覧会で取り上げる「袈裟」、つまり仏教の僧侶が着る制服です。

 袈裟にはさまざまな形がありますが、すべての袈裟に共通する特徴は、方形の裂(きれ)をつなぎ合わせて一枚の大きな生地に仕立てる、という点です。この特徴は守りながらも、さまざまな形状の袈裟が、それぞれの時代を映す生地によって製作されました。

 この展覧会では、袈裟を中心に肖像画などの関連作品を加えた約120件を通し、その展開を紹介します。

 

 


第1章 袈裟のはじまり 律衣と糞掃衣

 京博HPにおける第1章の概要説明は、以下のとおり

 そもそも袈裟は、仏教誕生の地であるインドにおいて、仏教修行者をほかの宗教の修行者と見分けるために定められた制服でした。
 ここではまず、「律(りつ)」と総称されるインドの仏教修行集団の規則を通して袈裟のはじまりを確認し、東アジアにおいて、律を意識して製作された袈裟を紹介します。

1 国宝 刺納七条袈裟 湛然料・最澄相伝 中国・唐(8世紀) 滋賀・延暦寺

 画像はここここで。ただし、展示期間の関係で、私は現物を観ていない。

(右写真は切符。)

 私が行った時、入ってすぐ左に展示してあったのは、

13 国宝 七条袈裟(健陀穀子袈裟) 恵果料・空海相伝  中国・唐(9世紀) 京都・東寺

 

 関連の文物もいろいろ展示されていた。

 

14 国宝 横被(健陀穀子袈裟附属)  中国唐(9世紀) 京都・東寺

 「横被(おうひ)」とは、袈裟で覆えない右肩から左脇を覆うものらしい。

15 国宝 空海請来目録 最澄筆  平安時代(9世紀) 京都・東寺

16 国宝 東寺宝蔵焼亡日記案 東寺百合文書のうち  鎌倉時代 文治3年(1187) 京都府立総合資料館 

 上記資料で、この袈裟が、空海恵果から授けられたものであること、東寺火事でもしっかり持ち出されて無事だったことが分かる。

 後期であれば兵庫・一乗寺に残る国宝の湛然像最澄像が展示されたようだが、私が行った時には、

18 重文 恵果像 真言八祖像のうち  鎌倉時代(13世紀) 京都・神護寺

19 重文 空海像 真言八祖像のうち  鎌倉時代(13世紀) 京都・神護寺

が展示されていた。

 恵果は、代宗徳宗順宗の「三朝の国師」といわれている名僧。なお、18は『神護寺略記』では宅間俊賀筆とされているそうである。

 

 展示会の資料に「袈裟の着方」があった。

 これを見ると、袈裟だけでは右肩がむき出しであることが分かる。
 上の文章で「横被」は袈裟で覆えない右肩などを覆うもの・・・とあるが、これで納得。暑いインドでは袈裟をまとうだけで良いが、中国や日本ではそれだけでは寒いので横被や直綴が必要になるということだろうか?

 で、なぜ右肩がむき出しなのか・・・という点については、悟りを得た釈迦如来は通肩(両肩を覆う)ので、一般の修行者は遠慮して片方の肩しか覆わない。
 さらに覆うのがなぜ左肩なのかという点については、左手が不浄なのでそれを隠すのだという説や、一般に利き手の右手を露わにして武器を持っていない(害意がない)ことを示すのだという説などがネットに出ていたが、さて、本当なんだろうか?


 また、上記の解説に「袈裟」とは、仏教修行者を他の宗教の修行者と見分けるために、仏教修業集団の規則である『律』で定められたとある。

 さらに、四角い布(きれ)を繋ぎ合わせて1枚の大きな生地に仕立てる・・・というのが袈裟の共通原則だともある。

 『律』には、釈迦が連なる水田の風景を見て、これに似せて修行者の衣服を作れと告げたという話が出てくるそうだ。

 だから田んぼのように方形の生地を繋ぎ合わせなければいけないのだろう。

 下図は、出品目録に記載されていた袈裟の各部の名称である。

 四角い布の部分を「田相」と呼ぶのも、そうしたいわれがあるからだと思う。

 下図には記載されていないが、紐座は「後牌」ともいうらしい。

 また、縦の一列を「条」と呼ぶ。したがって7列の「条」で1枚の袈裟になっておれば七条袈裟、同じく9列であれば九条袈裟と呼び、後で出てくるが、二十五列もの細い条で構成されておれば二十五条袈裟と呼ぶのである。

 

 私は最初そのことが分からなかった。最初に

1 国宝 十誦律 巻第二十七 中尊寺経のうち  平安時代(12世紀) 和歌山・金剛峯寺

 などが展示され、袈裟のことは、これら『律』で定められ・・・・・などとあるので、律の第七条で定められているのが七条袈裟、同じく九条で・・・・なんて勘違いをしていたのである。

 で、後でそのことに気付き、もう一度最初に戻って条の数を数えて「ああ、だから九条袈裟なのか」と納得したのであった。

 上図には書いていないが、九条袈裟の場合であれば、中央を「中条」。そして中条の左を「左一条」、そして左端に向って順に左二条、左三条、そして一番左端が左四条(当然、右側も同じく一番右端が右四条)と呼ぶそうである。

 

 

 さらにこの章のタイトルにもなっている「糞掃衣」(ふんぞうえ)という言葉である。
 私は、仏教修行者の正統な衣服が「糞掃衣」と呼ぶのは何となく知っていたのだが、詳しい意味は知らなかった。あまりにインパクトのある名称なので糞便掃除人の衣服(←そういうものがあるのかどうかは知らないが、語感のみ)なのかな?どうかな?と思う程度で調べたこともなかった。

 博物館だよりの解説文では、「律において、袈裟に用いる最上の生地として挙げられているのが、人が捨てて顧みない生地を拾い集め、洗い清め縫いつないだ『糞掃』です」とある。

 別の資料では、汚物を拭くぐらいしか使い道のないような布・・・という意味もあるようなので、私の思っていたこともあながち間違いではないかも?(←やっぱ違うか)

 

 


 お疲れ様でした。

 
 
  

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