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(No140) 大阪歴史博物館  特別展「聖地チベット」関連講演会 「チベット文化の白眉 〜密教の美術〜」聴講記 その3

 平成22年2月14日(日)、上記講演会を聴きに行った時のメモの続き(完結編)。


チベット文化の白眉 〜密教の美術〜

                     種智院大学学長・教授 頼富 本宏

 

 

6.宗教色の強い密教美術
 
(1) ニンマ派  古密教をベースとした宗派で、古派、紅帽派ともいわれる。
開祖パドマサンバヴァ(蓮華生)、およびその神秘的な八変化を描いたものが多い。
(2) カギュ派 11世紀のチベット仏教復興にあたり、後期密教行者がインドから新しい密教を伝えた。
代々の成就者が法を伝承する行動的な密教であり、ヴィルーパ、アヴァドゥーティパ、ミラレパなどの有力な行者たちの像(金銅仏など)を多く造る。
(3) カダム派  顕教から密教に入る段階的総合仏教をチベットに伝えたアティーシャを 開祖とする。
特有のスタイルをとるアティーシャ像と、彼の念持仏である不動明王(チャンダマハローシャナ)などの像が有名である。
(4) サキャ派 当初は秘密仏を積極的に導入し、のちに総合仏教へと昇華した。
座主の婚姻を認めたため、父子相承を含めた氏族教団となった。祖師たちのタンカや金銅仏が多い。
(5) ゲルク派 すべての仏教を総合的に取り入れ、チベット仏教の体系化に成功したツォンカパが設立した最大の宗派。ダライラマ、パンチェンラマも、この宗派に属する。
密教美術としては、後期密教の『グヒヤサマージャ(秘密集会)タントラ』を最高位に置き、生理的行法を中心とした修行法を説く。祖師ツォンカパ像、歴代ダライラマ像をはじめ、ツォンカパの守護尊(イダム)であるヤマーンタカやサンヴァラの諸像など、多様な仏教美術を作り上げた。

 

(石野註)

 いつものように、先生からいただいたレジュメの内容は、別囲みで示す。

 また、これもいつも通り、録音はしてない(できない)ので、殴り書きのメモとぼんやりした記憶で、「こんなこと、おっしゃってたかな?」と再構成してるし、若干、レジュメの記載順に合わせて編集しているので、会場でお聴きになっていた人は、「違うな?」と思われるかもしれないが、お許しいただきたい。


 ニンマ派は、奈良時代の密教と考えていただいたらけっこうです。

(右写真:パドマサンバヴァ坐像は、講演会資料より転載)


 チベットでは、845年に宗教弾圧があり、空白の時期がありました。

 ニンマ派は、紅帽派とも呼ばれ、現在、チベットの地方で、少しだけ残っています。

 庶民の信仰の対象は、多くは路傍にある石仏です。


 開祖パドマサンバヴァは、インドの成就者です。

 カブトのような帽子をかぶり、死を恐れない象徴として、手には頭蓋骨の入れ物を持っています。

 パドマサンバヴァの存在は、日本でいえば山伏が役小角を祖とみているのに似ています。

 ニンマ派を雑密とみるとすれば、カギュ派は真言宗や天台宗にたとえられるでしょうか。

 11世紀のインド後期密教をマルパが最終的にまとめました。

 道教でいう「調息」なども取り入れています。

 カギュ派は、倫理や道徳にあまり配慮しない傾向があります。

 

(石野註)

 『チベット密教』では「カギュー派は、キュンポマルパ(1012〜1097)という二人の在家密教行者にはじまる。

〜最も有名な修行法が「大印契」と「ナーローの六法」である。〜

 この派は〜整然たる教理体系の構築などにはあまり関心を示さず〜マルパはナーローパなどから継承した教えを弟子たちに伝えた。その中の一人が、チベット史上最高の詩人といわれるミラレパ(1040〜1123)である。〜『クンプム(十万詩)』と称される膨大な数の詩を作り、その詩は現在もチベットの人々の間に語り継がれている」とある。

 なお、私のメモには「845年 宗教弾圧」とあるのだが、『チベット密教』では「ダルマ・ウィドゥムテン王の仏教弾圧(841年)」とある。


 カダム派は、ほとんど現存していません。失礼な言い方ですが、南都仏教に近いといえるのではないでしょうか。

(右写真:アティーシャ坐像は、講演会資料から転載)

 

 当時のチベットの王は、インドから偉いお坊さんに来てほしいと考えていました。
 僧が女性をはべらせるようなことはやめてほしいと考えていたのです。

 そこで大金を積んで招いたのがアティーシャでした。

 像をみると、腰のところに瓶のようなものを持っていますが、あれは経典を入れた袋です。

 説法印をむすぶその姿は、いかにも学識深そうにみえます。

 アティーシャの密教は、おとなしめのものでした。

 彼の念持仏はチャンダマハローシャナ、不動明王です。

 タンカ
(布画)などをみると、剣や縄を持っている点は日本の不動明王と共通していますが、足の格好が違いますね。

 左膝を地面に打ちおろし、悪を征しているようです。

 

 

 

(石野註)

 これも『チベット仏教』では「アティーシャ(982〜1054)は〜インド仏教界最高の寺院であったヴィクラマシーラ大僧院の筆頭僧の地位を得たと伝えられる。

 グゲ王は莫大な報酬を用意して、アティーシャをチベットに招いた」とある。 

 

(左写真:ヴィルーパ坐像は講演会資料から転載)

 サキャ派は、日本でいえば門跡寺院、仁和寺に似ているといえるでしょう。

 最初は、女尊や裸の姿などカギュ派の真似をしていましたが、後に学問仏教化しました。

 サキャ派は、先のとんがった帽子をかぶっているのが特徴です。


(石野註)

 これも『チベット密教』には「1073年、中央チベットの西部、サキャ(白色の土地)というところに、コンチョクギャルポ(1034〜1102)という人物によって、サキャ寺が建立された。

 コンチョクギャルポの子、クンガーニンポ(1092〜1158)は〜「道果説(ラムデー)」を築き上げた。

〜その典拠となったのは、あらゆる密教経典の中で最も性的メタファーに富むことで知られる『ヘーヴァジュラ・タントラ』で、インドの大成就者として名高いヴィルーパがその創始者とされる。〜

 サキャ派は、教説のみならず、継承の方法においても、独自の方式をつたえてきた。端的にいえば、サキャ派の継承は血統第一で〜より具体的には親子の相続で、ときにはおじ甥の相続もあった。

 13世紀の初頭、サキャ・パンディタ(1182〜1251)が登場するにおよび、サキャ派は戒律を重視し、顕教をもあわせ学ぶ宗派へ変容した。〜

 サキャ・パンディタは〜政治的能力にも恵まれ〜モンゴルのチベット侵攻を最小限に食いとめ、加えてモンゴル王室との間に親密な関係をつくることに成功した。〜

 サキャ・パンディタの甥にあたるパクパ(1235〜1280)は、元朝皇帝フビライの帝師となり〜以後100年間にわたるサキャ派の全盛時代を築き上げた」とある。

 ダライラマパンツェンラマも属しているのが、最大の宗派であるゲルク派で、ツォンカパが開きました。

 ツォンカパは、チベットの親鸞といってよいかもしれません。

(石野註)

 『チベット密教』には、「ツォンカパ(1357〜1419)〜が晩年にいたって開いた宗派は、ゲルク(徳行)派とも〜黄帽派ともよばれる。ゲルクという名称は、リヴォ・ガンデンペー・ルク(ガンデン山の流儀)〜の略称に由来する。

 なお、「ガンデン」とは、弥勒菩薩が安住するという兜率天(とそつてん)のことで、ゲルク派の総本山の名もガンデン寺と称する。

 ゲルク派は、すべての仏教宗派の中でいちばん厳しい戒律をもち、むろん生涯独身を貫く。

 そうしたゲルク派の気風は、従来の宗派がともすれば戒律を無視し堕落しかねない傾向にあったのに対し、きわめて清新で、多くのチベット人の支持を受けた。

 ゲルク派は拡大の過程で、アティーシャの衣鉢を継ぐカダム派をも吸収し〜チベット仏教最大の宗派に発展していった」とある。

 

 なお、1959年、人民解放軍が侵攻した「チベット動乱」が勃発した。
 ダライラマ14世が亡命して、現在も独自の活動を続けているのは、周知のところである。

 

 


 

7.密教とは

次の2点を色濃く備えた宗教(文化)

(1) われわれの現存在にあたる「俗なるもの」が、何らかの状況下にあって、実在を象徴する「聖   なるもの」と相即しうるという神秘主義的特性

(2) 神秘的効力を持つ聖音などを媒介として、対象に働きかける呪術的な要素


8.密教の歴史的展開
 
  初期密教 中期密教 後期密教
成立推定年代 4〜5世紀 7世紀 8〜9世紀
代表聖典 諸陀羅尼経典
変化観音経典
大日経
金剛頂経
秘密集会タントラ
ヘーヴァジュラ・タントラ
中心尊格 釈迦
変化観音
大日如来
金剛界五仏
ヘールカ系尊格
(ヘーヴァジュラ、サンヴァラなど)
主要目的 現世利益 成仏 成仏
マンダラ 未整備 整備 整備(分派)
実践修行 陀羅尼読誦
(一密行)
印・真言・三摩地
(三密行)
生理的行法
性的行法(のちに象徴化)


(石野註)

 時間の関係もあって、上記7、8については、「聖なるものと俗なるものが結びつくのは、キリスト教やイスラム教においても、いわゆる「異端」といわれるものにみられます」という一節があったぐらいで、その他はあまり詳しい解説はなかった。

 講演については、さすが密教の権威だけあって、学術的ながら、分かりやすさにも配慮した手堅い内容だった。

 


 

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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