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(No137) 大阪歴史博物館  特別展「聖地チベット」鑑賞記 その3

 平成22年2月14日(日)、上記展覧会を観に行った時のメモ(完結編)。


第3章 元・明・清との往来

 

95 パクパ坐像

 HPの解説文は、「剃髪(ていはつ)し、衣をまとったパクパ(1235〜1280年)は、胸前の両手で印を結び、正面を見つめている。
 挙身光の周囲を飾る金の帯をはじめ各所にトルコ石、真珠や貴石をはめ込んで装飾している。椅子型の台の上に玉座があり、玉座の正面には、太湖(たいこ)石を思わせる穴の開いた岩の周りに子供4人が配されている。

 パクパは、サキャ派第5世の祖師で、宗教家・政治家・学僧でもある。
 1252年夏にフビライハンと会って以降、元の皇室との関係を深め、上師、国師、総制院事を歴任し、帝師となった。その間大元ウルスが使用するさまざまな言葉を表記するために、縦書きの表音文字パクパ文字を作り出した」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。

 


97 大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印

 フビライが帝師に与えたもの。パスパ文字が16字刻されている。画像はここで。

 HPの解説文は「帝師は、文字通り「皇帝の師」を意味する元朝における僧侶の官職名で、元の世祖皇帝の即位以降、チベット人僧侶から戒を受ける習わしがあったことによる。
 1295年に、成宗は宝玉製の五方仏冠(ごほうぶっかん)とともに双龍が互いに体をからませているこの白玉印を下賜(かし)したことが知られている。

 印文には「大元帝師統領諸国僧尼中興釈教之印」が表音文字であるパクパ文字で彫られている」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。
 


100 大慈法王坐像タンカ

 シャーキャイシー(1354〜1435)老齢時の姿を描く。ゲルク派の開祖ツォンカパの弟子。顔の右に「至善大慈法王大圓通佛」という字が書いてあった。左にはチベットの文字だろうか?


101 明宣徳封誥

 明の宣徳帝タクカル・ロップン・リンチェンペルを武官職に任命した時の辞令文書。

 「将軍烏思蔵都指揮命(僉?)事爾尚益順」とか「天心永堅臣節撫安爾衆各通其生偲(?)爾子孫世基(?)無窮之福欽哉 宣徳元年十一月初二日」というような文字が書いてあった。


102 青花高足碗

 明宣徳朝の景徳鎮窯による碗。宣徳だけあって、いい色合い。画像はここで。

 HPの解説文は「口縁部(こうえんぶ)はやや外側に反り、胴部は湾曲(わんきょく)して底はすぼまり、高い脚部によって支えられている。
 胴部には蓮弁文、蓮花唐草文と八吉祥文(法輪、法螺、幡、傘、蓮花、瓶、双魚、結)がコバルトを使用した染め付け(中国語で青花)技法で描かれている。
 内部にはチベット文字で「白日平安、夜晩平安、中午平安、日夜平安(平穏な一日、平穏な夜、平穏な昼間と平穏な毎日でありますように)」を意味する銘文が記されている。
 高台内底に2行にわたって「宣徳年制」と記された宣徳期の景徳鎮官窯の製品で、優れたできばえを示す」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。

 


 

第4章 チベットの暮らし

88 燭台

 酥油(ヤクや羊のミルクから作った油)を入れる燭台。


89 多穆壺

 酥油茶、いわゆるバター茶といわれるものを作る道具。


 会場の解説文によると、ルン病とは呼吸、血液の病気。チィーパ病は、心臓、肝臓の病気。ペーケン病は胃や関節の病気。

 解説ではルン病の対策が図示されていた。生活面では温かい所で過ごす。親しい人とおしゃべりして癒される。食物としてはニンニク、ネギ、馬肉。処方としてはオイルマッサージ、薬草入り温湿布、煎じ薬。

119 四部医典タンカ・樹木比喩図

 木の枝や葉は、ルン病関係は青、チィーパ病関係は黄、ペーケン病関係は白に色分けされており、葉のところに、ルン病でゆうとニンニクの絵やオイルマッサージをしている絵などが描かれている。

 あと、黄色い葉や白い葉に描かれたイラストもそれぞれの病気に合わせた各種対策が載せられているのだろうが、内容はよく分からなかった。

121 四部医典・中毒関連図

 サソリなどが描かれていた。

 

122 四部医典・人体骨格図

 HPの解説文は「チベットには、古くからインド、中国、そして西方からはギリシャの医学思想や医療技術が伝えられたといわれ、なかでもインドのアーユルヴェーダ系からの影響が強いとされている。
 8世紀中頃、ユトク・ニンマ・ヨテンゴンポが、チベット医学の聖典『四部医典』を編纂し、その後17世紀には現在のような156章に整備された。

 この『四部医典』には、人体の解剖学的構造や生理機能、病気の病因・病理・症状、診断方法や治療原則、薬物の種類・用法や医療者の道徳と心得などが具体的に記されているが、薬師如来を本尊とする信仰体系として捉えることもできる。
  これらの内容はタンカ一組80幅にまとめられ、全部で約4900もの小図が描かれている」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。

 解説文によると五つのドクロは、貪欲、妬み、愚かさ、幼稚さ、欲情の五悪の克服を象徴しているそうだ。

111 チャム装束(チティパティ)

 チャム(僧侶による仮面舞踏)のチティパティ(鳥葬場の守り神)。理科室にあった骨格標本をイメージしてもらえばいい。額に三つめの「目」があり、頭上のドクロ(顔面もドクロなんだが)には蛇がはう。画像はHPにて。

 HPの解説文は、「ツャムは、チベット仏教で行われる僧侶による仮面舞踊会で、祈祷呪術を伴う密教儀礼といえるため、伝法灌頂(でんぽうかんじょう)を受けていない人物は参加できないという。

 チベットにおける初演は、8世紀のインド人密教行者パドマサンバヴァ(蓮華生)が、チベット最初の寺院サムイェ(桑耶寺)の地鎮祭と落慶式(らっけいしき)で演じたものである。

 獣の仮面をつけることや独特の楽器の使用に、土着の宗教ボン教からの影響がうかがえる。

 ドクロ面をかぶり、骸骨を描いた衣装をまとったチティパティは、鳥葬場の主とされ、ツャム開始にあわせて夫婦二人で登場し、忿怒尊や眷属(けんぞく)の出入り口に門番のように立つ。
 仮面は、仏師によって制作され、舞踊会以外は堂内の柱の最上部に掛けた状態で保存される」。

 画像は(リンク切れになるまでだが)HPにて。


112 アチェラモ装束

 アチェラモ(民間演劇)におけるゴンバ(漁夫、狩人)

114 ドゥンチェン

 ドゥンチェンとは、チベタンホルン。アルプスホルンによく似ている。三つに分解されてるのを組み立てる・・・というのも同じ。まあ、一本まるまるじゃ、仕舞うのも大変だろう。

115 ドゥンチェン架

 ドゥンチェンの先を支える台。二体のチティパティの模様がついていた。確かにこういうものがないと、地面に着いて汚れてしまうだろう。持ち上げるのは大変だし。




 

 
 どうもお疲れ様でした。

 
  

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